第8話 エピローグ

 内輪の話をして聞かせてくれた看護師に、戸倉はもう一度会ってみた。

「あれからみんなにも訊いてみたんですけど、亜弓先生と河西先生が付き合ってたのはやっぱり本当みたいですよ!でも、理由は分かりませんけど、そんなに長くは続かなかったみたい。口論してたのを見た子もいるんです。言えなかったけど、見たのよね、それがメチャメチャ不穏で!――って。医者を辞めるとか辞めないとかって!ヤバいですよね!」

 辞めたかったのは河西倫太郎のほうだろうな――と戸倉は想像した。

――それを桑原医師から止められたか。将来をどう考えているのか……くらい言われたかもしれないな。すべては想像だけど。

 戸倉は、この病院を訪ねることはもう無いなと思った。

 その数週間後、戸倉は再び《そねっと18》を訪れた。

 秋吉も詩織ママも、二人のホステスも元気な笑顔で迎えてくれた。戸倉は秋吉に《その後》を尋ねてみた。

「はい、仰っていたとおり、お店に見えました。ジッと私を見て話を聴いてくださいましたよ」

「何か言われたかい?」

 秋吉と詩織ママは同時に笑った。

「ありがとう――と」

 戸倉は不覚にも胸が熱くなった。

「考え込んでいらっしゃいましたけど、顔を上げてただ一言、ありがとうと頭を下げられて、それで帰って行かれました」

 戸倉はバーボンのボトルを入れた。また一つ行きつけの店が増えたと思った。可哀想では無い酒の飲み方をし、その夜の戸倉は笑って過ごした。

――子を自死で失ったことは悲しみ以外の何物でも無い。なににも代えがたい存在の喪失は俺にもよく分かるが、それは地獄そのものだ。だからこそきっと河西さんは知りたかったんだろう。倫太郎氏が自死を選ばなければならないほどの苦しみはどこから生まれたもので、一体誰があの文章を書かせるほどの希望だったのかを。河西さんは最初に会った時、私の後を継ぐつもりで医師になった――と写真の倫太郎氏を紹介したけど、共有出来なかった夢が子供を苦しめた元凶だったと知るのは辛かっただろう。倫太郎さんは、医師を辞めたかったんだ。自分の子供がそんな風に考えていたなんて、親は想像すらしなかっただろう。大切な子が本当に飛びたかった空か……。河西さんは、どんな思いで秋吉君の話を聴いたんだろうな。

 ふと、河西倫太郎が残した一文が頭をよぎる。

《君は僕の飛びたい空にある太陽だ。僕は時々、まぶしすぎて目をそらしてしまうけれど、それでも君の傍にいたいと思うんだ。僕が持ちたかったものすべてを持ち、僕が恐れるものすべてに戦いを挑める君は、本当に僕の――》

――倫太郎さん、あなたはまるで誰かへのように書いたけど、本当は《君》じゃあなく、《君たち》だったんだな。

 ドアが開き、また別の客が入ってきて《そねっと18》は賑わいの夜を迎えていた。

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ソネット18 宝力黎 @yamineko_kuro

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