世話焼き同棲彼女とのマッサージ屋さんごっこ

西織

彼女のマッサージ屋さん 肩揉みと腰のマッサージ

 コツコツコツ、と足音が廊下に響いている。

 ピンポーン、と甲高いインターホンの音が鳴ると、間もなく中からトットット、と別の足音が聞こえてきた。

 がちゃり。

 玄関の扉が開くと同時に、女性のゆるやかな声が耳に入る。


「おかえり~。今日もお疲れ様。遅かったね、疲れたでしょう? 最近残業ばかりで大変だねえ」


 その女性は玄関でにこりと笑う。

 そしてドアが閉まると同時に、彼女は手を広げた。


「ん。……んっ。……ん~っ!」


 言葉を使わずに催促してくる彼女を黙って見ていると、彼女は唇を尖らせた。


「おかえりのぎゅ~は?」


 恥ずかしいよ、と答えると、彼女は気の抜けた笑い声を上げた。


「だれも見てないのに。何を恥ずかしがることがあるの? 同棲して随分と経つのに、君は一向に慣れないね~」


 からかうような口調のあと、彼女はこちらに身を寄せてきた。

 お互いの服が擦れて、衣擦れの音が重なる。

 そのまま、彼女は耳元でそっと囁いた。


「お疲れ様。今日もお仕事、偉かったね。君はいつも頑張ってるよ~。えらいえらい。はい、お疲れ様のぎゅ~……」


 彼女はこちらの背中を、ぽんぽん、とやさしく叩く。

 しばらくそうやって抱き合ったあと、彼女は身体を離した。


「さ。あとはもうゆっくりしよ。着替えておいで」



――


「それにしても……。最近、本当に忙しいよねえ。ずっと残業してない? そうだよね。いつまで忙しいの? ……わからない? あらまぁ……。君の身体が心配になってくるなあ……。疲れが溜まってるでしょ?」


「うん……、うん。あぁ、そっかぁ。疲れが取れないよね、それじゃ。あ、そうだ。身体が凝ってるなら、マッサージでも行ってみれば? わたしも最近行ったんだけど、気持ちよかったよ~。疲れも吹っ飛んじゃった」


「……あ、そっか。忙しいから、そんな暇ないか……。ん~……、そっか……。……よし、わかった。それじゃ、わたしがマッサージやってあげるよ。そう、わたしが。大丈夫、できるって。え~、遠慮しないでいいってば。少しでも君の疲れを取ってあげたいんだよ~」


「じゃ、善は急げね。一回、部屋に戻ってくれる? 準備するから。い~から。こういうのは準備に時間が掛かるの! いいから出てく! それで、部屋に入ってくるときはノックしてね。いいからいいから。それじゃ、あとでね」


 言われたとおりに部屋から出たあと、しばらくしてから戻ってくる。

 こんこん、と控えめに扉をノックすると、奥から「は~い」と声が聞こえてきた。

 扉がカラカラ……、と開き、彼女がぺこりと頭を下げる。


「いらっしゃいませ。ようこそ、マッサージ店……、ええと……、癒し……、癒し~……、癒し処! へ、ようこそ。おひとり様ですね。ご予約のお客様でしょうか?」


「……ちょっと。ノリ悪いなあ。マッサージ屋さんごっこだって。君がマッサージに行く暇もないって言うから、わたしがマッサージ屋さんをやってあげようっていうの。いいの、こういうのは形から入るのが大事なんだから。はい、やり直し~」


「……はい、ご予約はされていないと。大丈夫ですよ、わたしが空いていますので。コースはいかがいたしますか? マッサージコース、足つぼコース、愛情コース……。ただいまのオススメは、愛情コースになっております~」

「あはっ、では愛情コースで。お客様、ラッキーですね~。これは受けられる人がなかなかいない、超レアコースなんですよ~。よかったですね~」


「では、軽く問診しますね~。身体で一番凝ってるところはどこですか? 肩。はいはい……。どこか触ってほしくないところはありますか? 特にない……。ん~、ちょっと顔に触りますね。あ~……、お客様、目のクマがひどいですね~……。最近、よく眠れていますか? すぐ起きちゃう? そっかぁ」


「わっかりました。今日はわたしがじっくりと身体をほぐして、ゆっくり眠れるようにしますからね。はい。では、こちらのベッドにどうぞ~。……お客様、格好いいですね~。わたしの恋人によく似ていて、とっても素敵ですよ。あ、セクハラ? ごめんごめん。とりあえず、ベッドに座ってね。肩揉みからやっていこっか」


 言われたままベッドに座ると、彼女も同じようにベッドに上ってきた。

 そのまま、後ろに回る。

 そのとき、普段とは違う匂いを感じて、それに言及した。


「……いい匂い? あ、そうなんですよ~。アロマを焚いているんです。リラックスできるよう、ジャスミンを。気に入ってもらえてよかった~。いい匂いだよね、これ。今度から、定期的に焚こっか」


「おっと、失礼いたしました。では、マッサージを始めていきますね。まずは、肩をほぐしていきます。それでは、失礼しま~す……」


 服の上から、スーッ……、スーッ……、と擦る音が響く。

 ストロークは長く、端から端までゆっくりと彼女の手のひらが滑っていく。


「ん? あぁこれね。いきなり肩を揉むとね、筋肉がびっくりしちゃうから。

最初に温めてほぐして、それから揉んでいくの。軽擦法って言ってね、肩もみの準備運動みたいなものかな?」


「……あ、温かくなってきた? 血行がよくなってきた証拠ですね……。こうしてほぐしておくと、肩も揉まれる準備ができてくるんです。ほら、筋肉がちょっと緩んでるの、わかる? ……ん? 気持ちいい? あは、よかった」


 距離が近いからか、彼女の声は囁き声になっていく。

 小さな声だが、耳に近いためか、聞き取りづらくはない。


「気持ちいいよね、これ……。わたしもマッサージ屋さんでやってもらって、気持ち良くて。でもこれはまだまだ挨拶みたいなものですからね~……。しっかりと温めたら、次は肩を揉んでいこうね」


 そのまま、彼女は手のひらで肩を包む。

 ゆっくりと、肩をほぐしていった。


「ん。……んんん。わ、凝ってるね~……。すごいよ、肩ガッチガチ。ここ、わかる? すっごく硬くなってるの。ここ揉むと痛いんじゃないかな……。慎重にいきますね~……。痛かったら、言ってくださいね~……」


 わずかな衣擦れの音とともに、彼女の手のひらに力が入る。


「どう? 痛い? あ、ちょっと痛いか。ごめんごめん。ここはどうですか? 痛くない? ここは大丈夫? はいはい、じゃあまずはここを中心に揉んでいきましょうね~……。はい、ぐっ、ぐっ~、と……」


「……あ、気持ちいい? ん。だよね。よかったでーす。ここをね、ぐりぐりとほぐしていきますからね~……。ぐりぐり……、あ、痛いよね、ごめんね。でもちょっと気持ちよくない? だよね、痛気持ちいいよね。うん、うん……。おっけ、任せて。これくらいの力で……、どうですか~……?」


「あ、気持ちよさそう。よかった。いいよいいよ、君が気持ちいいなら。もうちょっとやってほしい? おっけ~。うん、遠慮なく言って。なかなかね、お店だと言いづらいもんね~……」


「このぐりぐりがね、取れるとだいぶスッキリすると思いますよ~……。お客さん、だいぶ肩が凝ってますからね。今日で軽くしちゃいます。ここです、ここ。ほらね~……、痛いよね~……、ごめんね~……。は~い、大丈夫ですよ~、気持ちよくなるまでほぐしていくからね~……」


 しばらくそうやって揉んでくれていたが、彼女は肩をパンパン、と叩いた。


「はい、肩揉みはこれくらいにしましょう。次は肩を叩いていきますよ~。さっきまでガチガチだったけど、今ならどうでしょ? はい、とんとん」


 彼女の気の抜けた掛け声とともに、とん、とん、とん、と肩を叩く音が小さく響く。

 ゆっくりながら、規則正しい。


「さっきよりやわらかくなっているの、わかります? うん、ほら。弾むようになってるでしょ。肩がほぐれて、やわらかくなっている証拠。力加減はどうですか? 痛くないですか? ……お。わっかりました。じゃあもうちょっと強くしますね~。痛かったら言ってくださいね~」


 そう言うと、肩を叩く速度が少しずつ上がっていく。

 とんとん、と続けながらも、彼女はやさしい声色でこちらに話し掛けた。


「お客さん、本当に肩がガチガチですね~。お仕事でパソコンを使うこと多いんじゃないですか~? いや~、わたしも長いですからね~、肩を触ればね、その人の仕事がわかっちゃうんですよ~。ふふ。パソコンはね、肩も目も使いますからね。定期的にマッサージしてあげてください。ストレッチもいいですよ。休憩時間に、ぐ~っと身体を伸ばしてあげてください。それでだいぶ変わるんじゃないかな~」


「あ、肩叩き気持ちいいですか? 嬉しい。もっとやってあげるね。お客さん格好いいから、サービスしてあげちゃおう。ふふ。全体的にまんべんなくね~……。はい、とんとん」


 とんとんとん、と速度が上がっていた肩たたきだが、徐々に速度が落ちていく。

 やがて、手のひらでトントン、と肩を叩いてから、スゥっと手のひらが肩に添えられた。

 そうしてから、彼女は耳元で囁く。


「今度は、特別な肩叩きをしちゃいますね。美容院とかで、パンパンって叩かれたりしません? うん、マッサージで。そうそう、それそれ。それを今からやっていきますね~。これもね、とっても気持ちいいですから。肩だけじゃなく、頭も叩くけど、びっくりしないでね」


「まずは、手のひらをチョップみたいな形にします。そのまま、軽い力で叩いていくんです。行きますよ~……」


 彼女は宣言どおり、高速チョップをするかのように、肩をかなりの速度で叩いていく。

 トトトトトトっ、とリズミカルな音が浮かんだ。


「どう? 気持ちよくない? あ、だよね。気持ちいいよね。これね~、マッサージ屋さんでもあんまりやってくれないんだよね。かといって、美容院でいっぱいやってください、って言いづらいじゃない? わたし、気持ち良くてすごく好きなんだけど」


「だから、君には特別に長くやってあげよう。こうすることで、肩もどんどんゆる~く、やわらか~く、なっていくから。気持ちいい? うんうん。その顔見てたらわかるよ。嬉しいなあ。そうやって気持ちよくなってくれるのが、一番嬉しいから。君はゆっくりして、気持ちよくなっててください」


「は~い、右~、左~……。右~……、左~……。……うん、だいぶほぐれてきたかも。今度は頭も叩いていくね。いや、違う違う。君が憎くてやるんじゃないって。頭も気持ちいいんだよ。ほら、どう? ……ね、気持ちいいでしょ。不思議だよね、こんなマッサージあるんだ~って思っちゃう。頭をチョップされて気持ちがいいなんて」


「頭もね~、まんべんなくマッサージしていきま~す。頭も凝るんだって。頭皮がカチカチになるらしいよ。こっちもやわらかくしていこうね~。いきまーす」


 彼女が頭をまんべんなく叩いていくので、いろんな方向から音が聞こえてくる。 

 右から左、前から後ろへとチョップの音が移動していった。

 その勢いが徐々に落ちてきて、やがて彼女は頭を両手で撫でる。


「……ん。こんなものかな。は~い、気持ちよかったね。……あ、違う違う、終わりじゃないよ。今度は別の。これも美容院でよくやってもらわない? 手のひらを合わせて、ぽこぽこ叩くの。やってみたらわかるかも。始めるね~」


 彼女は手のひらを合わせて揉み手の状態にすると、肩を叩き始めた。

 ぱこん、ぱこん、と気の抜けた音が部屋中に響く。


「これ、気持ちよくない? ううん、音も。この空気が漏れる音っていうのかな、パコンパコンって音がね、わたしは好きで。なんだか気持ちよくなっちゃう。……でしょ? わかる? あは、よかった~」


「うん。気持ちいいよね。じゃ、これを肩と頭にやっていくね~……。は~い、リラックスして力を抜いてくださ~い……」


「うーん、少しは柔らかくなったかな? うん。少しはね。だっても~、お客様、物凄くカチカチだったんですもの。本当、石。いや、岩かな。でも今は、多少は弾力が出てきたよ。うん、気持ちよかったもんね。よかったよ」


「やっぱりね、仕事が忙しいとどうしてもね~……。血行も悪くなっちゃうしね。老廃物も溜まるし……。でも、今日で流れたんじゃないかな? あ、老廃物っていうのは、身体の中のゴミって言えばいいのかなあ。血行が悪いと、それが詰まっちゃうの。これがよくない」


「だからこうして、マッサージしてあげて、血流をよくして、ゴミをずずず~って流さなきゃいけないの。わかった? 君の身体には、ゴミが詰まってます。だから、普段からもうちょっと気を付けてくださいね~」


「わたしに言ってくれてもいいから。いつでもマッサージぐらいしてあげるからね。そりゃそうだよぉ、愛しい恋人のためだもん。だから、遠慮しないで。ね」


 彼女はしばらく、ぱこんぱこんという音を鳴り響かせていた。

 しばらくそんな時間が続いたあと、やがて彼女は肩をス~ッ……、と擦っていく。


「は~い。肩叩きは以上で~す。お疲れ様。気持ちよかった? そっか、よかった。じゃ、お客様。次はベッドにうつ伏せになって頂けますか~?」


「もちろん、まだ終わりじゃないですよ~。だってお客様、全身が凝ってますもん。今度は背中、腰です。まだまだ癒し足りないですからね~、ゆ~っくり、気持ちよくなってくださいね~」


 彼女に言われるがままに、ベッドにうつ伏せで寝転ぶ。

 すると、彼女は耳元で囁いてきた。


「そのまま寝ちゃってもいいからね。目をつぶって、ゆっくりしてて」


 そう言ってから、彼女はこちらの身体をまたぐ。

 そのまま、背中をペタペタと触り始めた。

 そのたびに、衣擦れの音が聞こえてくる。


「ふんふん……。わ、肩も相当ひどかったけど、腰もひどいね~……。ほら、ガッチガチ。ここ、痛いでしょ? 痛いよね。すんごいことになってるよ。やっぱり座りっぱなしだとどうしてな~……。指で触るだけで硬いのわかるもん……。あ、痛い? ごめんね。でも任せて。わたしがちゃ~んとほぐしてあげるから」


「では、ゆ~っくりと揉んでいきます……。力加減、ちょっとわからないから調整するね……。まず、ここ。力入れるよ~……。痛い? あ、弱いか。じゃあもうちょっと……、これでどう? あ、痛い。そっか。ん~……、これくらいは?  お、これくらいだと気持ちいい? よかった。なら、これくらいの力で揉んでいくね~」


「やっぱり身体が疲れてるね。全身ガチガチだもん。お仕事忙しいもんね……。うん、これだけ頑張って偉いよ。君は偉い。だから今日は、ゆっくり休んで、少しでも身体の疲れを癒してね」


 しばらく、彼女が腰を揉む音と、衣擦れの音が混ざり合う。


「あ、ごめん。痛かった? ここ、痛いよね。きゅ~っとした痛みがない? うん。そう。痛気持ちいい? そっか、じゃあもう少しやってあげよう。あ、痛い? ごめんごめん。難しいな……。これくらいかな~……? お、気持ちいいか。わかってきたぞ、君の身体が~」


「ここもね~……。ほんっと硬いや。自分でもわからない? 自覚ないか~……。うん、そんなもんだよね。触られて初めてわかるっていうか……。大丈夫だよ、今度からはわたしがチェックしてあげよう。毎晩、わたしが触診してあげよっか。ぺたぺた~って触って、ここは凝ってますね~、ここは大丈夫ですね~、みたいな。恥ずかしい? あはは、なんでよ~」


「ん。だいぶほぐれてきた……。わかる? ここ。さっきまでガッチガチだったの。今はふかふか~。そうそう。ほら、どう? ね、すごいでしょ。あはは、よかった。大丈夫だよ~、ぜんぜん疲れてないから。それより、君が喜んでくれて嬉しいよ」


 彼女は控えめに笑ったあと、ぱしん、と腰を叩く。

 

「……んっ。こんなもんかな。自分でも触ってみて。ね、違うでしょ。あんまりやりすぎてもよくないから、これくらいにしておこっか」


 彼女にそう言われたので、お礼を言って立ち上がる。

 すると、すぐさま慌てた様子で彼女はこう続けた。


「待って待って。まだマッサージ屋さんは終わってないよ。……いや、ここからはマッサージ屋さんじゃないかな? まぁいいや」

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