第3話 喋れば分かる刺青事情。


 次の日は登校時から顔面の刺青を隠していなかった。

 登校中にちらちらと他の生徒に見られていたが、嫌な気持ちも少なかった。

 だって、教室までいけば石条がいるため、気が楽だったから――――


 顔面の刺青をなんとも思っていない、初めて出会うタイプの同級生。

 それが異性だったのは、運命かもしれなかった。


 教室に入る。

 騒がしかった教室がしんとなり、注目が風香に集まった。


 自分の席の隣、既に石条が登校しており、昨日とは違って制服姿でメガネをかけている。

 メガネをかけているからこうだろう、という人間性を特定するようなイメージは既になく、昨日、散々喋ったので、彼の内面はよく分かっている。


 メガネをかけているけど勉強ができるわけでなければ、どちらかと言えば体をよく動かす方らしい。けれど部活に入っているわけではない。

 彼には弟と妹が合わせて四人いるから、面倒を見るために部活ができない事情があったことも知っている。

 メガネ=賢いというイメージはなかった。石条がバカだと言っているわけではなく。


「おはよう、石条くん」

「おう、おはよ――って、え!?!?」


 動揺した目。

 ……風香は知っている。その目は、動揺は、顔の刺青を見た時の反応だ。


 戸惑い、恐怖、関わり合いたくない、と言った、言葉にこそしないが漏れ出る本音だ。

 風香の目が細められ、すっと、感情が冷めていった……。


「(なん、で――――あぁ、そ、っか……。昨日はメガネがなかったから、黒板も見えていなかったし。思えば教科書も間違えてた。歴史と現代文を見分けることもできないように。……見えていなかったんだ。私の顔の刺青も、昨日の彼は、見えていなかったから……)」


 だから、喋ってくれた。

 だから、意気投合できた。

 だから、仲良くなれた。


 だけど、こうして刺青の存在を認識すれば、積み上げた昨日の好感度は全て崩れる。

 刺青ひとつで好意は嫌悪に変わる。

 掴んだ手は離れていく。……たったひとつの刺青のせいで。


 刺青があるから……っ。

 風香は。


 初めて抱いたこの好意を諦めなければいけない。

 それはとても、呼吸ができないほどに苦しい、痛みだった。


「すっげえ美人で顔にでっけえ刺青がある!! って、なんだよ、誰かと思えば香多岐か。声で分かったよ。あー、そうか。そういう…………ごめん、昨日はメガネが割れて、かけてなかったから、よく見えてなかったんだよ。そんな大きな刺青があるなんて分からなかったなー。いいじゃん、似合ってるよ」


「え……?」


 今度は風香が戸惑う番だった。

 似合ってる……? というかその前に美人とか言わなかった!?


 石条の前であわあわする風香は、身動きが取れなくなった。どうすればいいか分からず、とりあえず刺青を隠さないと、と思って両手で刺青を覆った。意味なんてなかった。


「なーるほど……。クラスの連中が昨日よそよそしかったのも、今の静けさもやっと分かったよ。ようは顔に刺青があるから、みんな避けてたんだろ? まあ、仕方ないよな」


 仕方ない。つまり、気持ちは分かる、ということだ。

 やっぱり石条も、顔面タトゥーには良い印象を抱いていないと――――



「初顔合わせで刺青を見せられたら怖いと思うけど、俺の場合は昨日、散々喋ってるからなあ……。顔に刺青があろうとなかろうと、もう関係ないだろ。香多岐は香多岐だし。それに順序が逆で先に刺青を見たとしても、一度喋って相手のことが分かればもうなんとも思わなくなるよな。そういうもんじゃないか? 刺青なんて結局さ、ファッションのひとつだし」


「石条くん……」


「冷静になってみれば、帽子を被ってる奴、メガネをかけてる奴、長袖のシャツを着てる奴と同じなんだよな。刺青が内面に影響を与えることってないよ。刺青を入れるような内面だった、なら分かるけど、それは人間性に嫌悪しているのであって、刺青を嫌ってるわけじゃないし。だから、刺青どうこうで香多岐を悪く言うつもりはない。また喋ろうよ。そうやって隠さなくていいから」


 石条の手が伸び、刺青を隠す風香の手を掴む。

 そっと引かれた手が離れ、顔の左半分を覆う刺青が見えてくる。


「全部綺麗じゃんか。隠す必要ないよ」

「…………うぁん」

「えっ!? ちょぉい泣くなよ!? 刺青を見られるのが嫌だったのか!?」

「ち、違う、の……。もう石条くんと喋れないのかと思ったら、涙が出てきてぇ……」


 なんだよそれ、と呆れる石条がそっと、自分の手を、風香の頬に添えた。


「刺青があるからって嫌いになったりしないよ。周りは違うみたいだけどな」


 石条の睨みに含まれた批判に、クラスメイトたちがびくっと震えた。

 明確に発言はしていないが、刺青という先入観で仲間外れにしたことを怒っているのだ。


 石条に言われたから、ではない。昨日から感じていた「刺青をしているだけでふつうの女の子なんじゃないか?」という気持ちが、やっと、クラスメイトの体を動かした。


 ゆっくりと、風香の席の周りに集まってくるクラスメイトたち。


「香多岐がどんな女の子だったか、もう分かってるはずだぞ。昨日、遠くから俺たちの会話を聞いていただろ? あれが全てだし、素だよ。――刺青があるから避ける? 怖い? おいおい、そう判断するなら最低限、少なくてもいいから会話してから決めろよ」


 鋭い石条の言葉。

 背中を押されたクラスメイトの中で、まずは女子生徒が、風香に声をかけた。


「香多岐、さん……あの、昨日は……」

「私も、ごめんなさい。昨日は、私だって話しかけにいくべきだったのに……」


「ううん。こっちも、避けちゃって……。だから今日は、みんなで喋りましょうよ」

「……うん。こんな私で良ければ。こんな、刺青を入れるような私で、いいのなら」


 風香の人間性はクラスに認められ、昼休みになれば転校生特有の質問攻めがあった。

 刺青のことは禁句ということでもなく、風香は吹っ切れて自分からネタにしているくらいだった。


 現在、石条は席を外している。彼は別にひとりぼっちというわけでもないので、他の友人に誘われたらそっちのメンバーと昼食を取ることもあるのだ。


 昨日、散々喋ったので、今日は彼以外と喋ろう、と促したのは彼本人だった。

 石条とは連絡先を交換しているので、いつだって喋ることができる。

 そう思えば今の時間を他の子に貸すことに不満があるわけではなかった。


 石条がいない今、昼食は女子会になっていた。


「刺青って痛いの?」

「痛いよ。消すのも痛いから、入れない方がいいよ。それでも入れたいなら止めないけどね。おすすめはしないかな。昨日の私みたいになるよ?」


「言ってくれるじゃん、風香ー。遠回しにあたしたちのことを責めてる?」

「遠回しかなあ?」


 なんて具合に打ち解けていた。

 刺青があってもなくても、喋ってしまえば案外誰とでも分かり合うことができる。

 分かり合えない相手とは、刺青の有無など関係なくきっと一生無理なのだ。


「ねえ、ちょっと、相談、いいかな……?」


 深刻そうに言う風香だったが、表情を見て周りの女子たちが察したようだ。

 誰かが言った。


「恋愛相談?」

「…………かもしれないね」


「石条ならフリーだったと思うよ。昨日のあの感じなら押せば上手くいくんじゃない?」

「ん? ……石条くんのこととか、言ってなくない!?」


 女子たちが肩をすくめて、それはない、と苦笑した。


「あのね、分かるから」

「なんで理由は証拠は根拠はどこにあるのよ!!」


 まだ認めない風香に、女子たちが一斉に指を差した。


 顔を。

 刺青を。



「顔に書いてあるもん。

 刺青が見えなくなるくらいの『好き』が見えてるんだけどなあ」



 図星だった風香は、顔を擦って消そうとするけど消えなかった。


 刺青みたいに。


 彼への好意は、きっと一生、顔に出る。





 …了

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顔面タトゥーの香多岐(かたぎ)さん 渡貫とゐち @josho

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