ずぶ濡れの女

@dollkamara

第1話

俺にはどうしても忘れられない夏の出来事がある。霊感なんて全くないし、正直、幽霊の類なんて信じてなかった。

でもさ、あの時見たものをどう説明すればいいのか、今でもわからないんだ。

今回は、その体験をちょっと話してみようと思う。


これは大学時代の頃で夏の真っ盛り、俺と友達二人は、朝からテンション上がりっぱなしで海に遊びに行ったんだ。

最高の天気で、海も青くて、まさに「夏!」って感じの日。まずは泳いで、その後砂浜でバーベキューっていう、まぁよくあるパターンの過ごし方。でも、何もかもが楽しかった。


途中で飲み物が尽きたから、近くの海の家でジュースでも買ってこようって話になった。


で、じゃんけんで買ってくる奴を決めることになったんだけど、見事に負けたのは俺。まぁ、仕方ないよな。


そうして海の家のカウンターで列に並んでた時だ。

和風の内装をなんとなく眺めてて、視線を奥の方に向けたら、そこに座ってる女が目に入ったんだよ。でもさ、何かがおかしい。黒い喪服を着た女が一人で座っていて、全身がずぶ濡れなんだよ。真夏の海辺でそんな格好、普通ありえないだろ?


しかも、髪まで濡れてて、顔は俯いてるから表情もよく見えない。ただただそこに座ってるだけなんだよ。


俺は一瞬「え?」って思ったけど、ちょうど注文の順番が来たから、ジュースを買って友達のところに戻った。


でも、どうしてもあの女のことが頭から離れなくてさ、なんか気味悪くて、一時間後くらいにまた海の家に戻ってみたんだ。

流石にもういないだろうなと思ってたんだけど、まだあの女はそこに座ってた。ずぶ濡れのまま、まるで時間が止まってるかのように動かずにさ。


テーブルの上も足元もびしょびしょで、床に水たまりができてるのに、周りの客たちは誰も気にしてないみたいだった。

むしろ、誰も彼女を見ていないような、そんな感じがしたんだよ。


「なんなんだ、あれ…?」って思いながら、俺はその場で固まってたんだ。

すると、突然その女がゆっくりと立ち上がって、何も言わずに海の家を出ていった。俺はなんか引き寄せられるようにその後を追いかけた。


女はまっすぐ海に向かって歩いていって、そのまま砂浜を越えて、どんどん海の中に入っていく。

やばい、と思って、「ちょっと待て!」って声をかけたんだけど、まったく反応しない。


「ヤバいって!」と、俺も焦って海に飛び込んで、なんとか彼女を止めようとしたんだ。


あと少しで届くってところで、いきなり背後からガシッと肩を掴まれた。ビビって振り返ると、そこにはライフセーバーがいて、俺を海から引っ張り出そうとしてた。


「お前、何やってんだ!」


思い切り怒鳴られたんだけど、俺は「あの女が…」って説明しようとしたんだ。


でも、もうどこにもその女の姿はなかったんだよ。さっきまで確かにいたはずなのに、いきなり消えてしまった。


その後、ライフセーバーは何も言わず、半ば強引に海の家に引き戻された。

俺は女が海の家から来たとは一言伝えてない。とにかく混乱したまま、さっき女が座ってたテーブルを確認したんだけど、何もなかったんだよ。


びしょ濡れだったテーブルや椅子がなくなってて、まるで最初から何も置いてなかったようだった。


「時々、ここであんなことが起こるんだよ」


ライフセーバーは静かに話し始めた。

あの場所で最初に溺れたのは、昔この海の家をやってた店長だった。

その人が亡くなってから、何人もあの女を見かけて後を追い、海で溺れる人が目立つようになったらしい。


生きていた人は皆が同じことを言った。

ずぶ濡れの女を見かけて、彼女を追ったら、海の中で女が消えたって。その瞬間ずしりと体が重くなって身動きができなくなって海に沈んでいった。


場所が大体同じなんで、今はこうしてライフセーバーが見張るようになって、溺れる前に呼び止められるようになった。


「そんなことがあるなら、どうしてあの場所をそのままにしてるんですか?」


新たな被害者のひとりとなった俺は、ライフセーバーの人に疑問をぶつけた。


「今の店長が試しに他の物を置いたら、急に具合が悪くなって、動けなくなったんだとか。で、物をどけたら嘘みたいに元に戻ったらしいんだよ」


それで今の店長もビビってしまった。海の家を取り壊すことも怖くてできず、あの場所にはもう何も置かないことに決まってるんだって。


結局、その女が何者なのか、以前の店長との関係も何もわからない。


あの日以来、俺は夏が来ても海には近づかないようにしてる。なんていうか、またあの女に会うんじゃないかって思うと、怖くてしょうがないんだよ。

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