第6話 嵐

 森での探索を成功させ、腹いっぱいの食事ができた次の日。

 夜明け前からずっと雨が降り続けていた。

 外に少しでも出れば全身濡れ鼠だ。

 今日一日おとなしくしておくしかない。

 森で豆を手に入れたので植えようと考えていたのだが。


 久しぶりに満腹まで食べたせいか、どうにも眠い。

 それにまだ万全ではなかったのに体を酷使したせいで全身が筋肉痛で悲鳴を上げている。


「はい、兄さん」

「ありがとう」


 妹が飲み物を用意してくれた。

 水に酢を混ぜたものだ。

 貰った酢を一滴も無駄にはできないが大量に直接飲むのは難しい。

 こうすれば無理なく消費できる。

 ほのかな酸味で喉を潤す。


 雨の勢いは増すばかりだ。

 酢のことについて薬師の婆さんに色々と聞きたかったのだが、今日はお預けだな。


 ところが、その雨は三日たっても止むことはなかった。

 これでは豆も芋も植えることができない。

 川が増水し、森へ行く道も塞がってしまった。

 幸い村の近くでは水害は起きないのだが、楽観的な空気が消し飛んでいる。

 湿気のせいで森で採ってきた食料も傷み始めており、予断は許さない状況だ。


「ビネス、ちょっと来てくれ」

「村長……分かった。リナ、留守番を頼む」

「うん。気を付けてね」


 家まで訪ねてきた村長にそう言われ、藁で編んだかっぱを着て村長について行く。

 村長の家では暖炉に火がついていたのでかっぱを脱いで冷えた体を温める。

 俺以外にも数人集められていた。

 カインの姿もある。


「おかしな天気だ。嵐が来ている可能性がある」

「嵐か。この辺じゃ珍しくないか?」

「ああ。そのはずだが……最近の天気はおかしい。そのせいで不作が続いているぐらいだからな」

「だとしたらどうする? 通り過ぎるまで待つしかないんじゃないか?」

「それじゃあいつ終わるか分からん。最悪このままずっとという可能性もある。だから水の精霊様に祈願しに行くつもりだ」

「精霊様に!? あれは人間がどうこうできる存在じゃないだろう。昔どこかの領主が捕えようとして軍ごと沈められたって話を聞いたことがある」

「この嵐をどうにかできるとしたら精霊様しかおらん。明日やむかもしれんがそうでなければ精霊様の元に行くのも難しくなる」


 村長の言葉に場が静まる。

 せっかく餓死をまぬがれ、森から無事に帰ってこれたというのに。

 神様というやつはとことん意地が悪いと思った。


「分かった。このままじゃ豆も芋も植えられん。行こう」

「うん。そう言ってくれると思っていた。この三人で向かってくれ」


 俺とカイン。そしてもう一人で精霊様の元へ行くことになった。

 水の精霊様の場所は不定期に変わるのだが、今の時期はおおよその場所は分かっている。

 森とは逆方向だ。

 この激しい雨で見つかるのか不明だったが、逆に見つけやすいらしい。


「水の精霊様の周囲では雨風がほとんどないと聞く。そこを目指せばいい。供え物としてこれをもって行け」


 シカの角だった。

 食べ物は出せないのでこれでなんとか、ということらしい。

 心に不安を残しつつ、出発することになった。

 妹のリナは何度か強く引き留めたが、最後には諦めてくれた。

 これを持っていってと酢の水割りを持たせてくれる。


 幸い少しだけ雨の勢いが弱まったのですぐに出発した。

 藁のかっぱでは染み込んでくる水を防ぐことはできない。

 麻の布を被ってフードのようにして進む。


「本当に見つかるのか?」

「分からん。村長は迷信を信じることが多いからな。それで助かったこともあるから賛成したんだが」


 村長は若い頃に色々と旅をしたことがあるそうだ。

 そのお陰で知識があり、村の助けになっている。

 半信半疑ながらも精霊様の居る場所を目指す。


 いくつかのルートがぬかるんで使えず、少し遠回りすることになった。

 そして精霊様がいるであろう平原に到着する。


「この辺らしいんだが……あれか?」

「確かに不自然な空間がある」


 雨の勢いが増し、フードを抑えるのにも一苦労している中でとある場所だけ制止したかのように雨が降ってない場所があった。

 いや、違うな。

 途中まで降っている雨が球体に吸い込まれているんだ。

 そのせいでそこだけ雨が降っていないように見える。


「行くぞ」


 三人でその場所へ移動する。

 まるで層があるかのように、一歩踏み入れただけで雨が止んだ。

 周囲は変わらず暴風雨だというのに。


 フードを外し、上を見上げる

 巨大な球体が宙に浮かんでいた。


「あれが水の精霊様か……少し怖いな」

「滅多なことを言うな。聞かれたらどうするんだ」


 咳払いをし、精霊様に近づく。

 今のところ何の反応もない。


「精霊様、どうか聞いて欲しい。この雨のせいで私たちは全滅の危機に瀕している。その力でどうか助けてくれないだろうか」


 なるべく大きな声で問いかけた。

 だが反応がない。

 言葉では伝わらないのだろうか。


「カイン、お供え物を」

「分かった。気に入ってくれるといいが……」


 シカの角をカインから受け取り、大きく掲げる。


「どうか助けて下さい。これを差し上げますから」


 しばし待ったが、精霊様が反応することはなかった。

 せっかく見つけたのに人間の言葉は伝わらないのだろうか?


「くそ、やっぱりこんなのに頼るんじゃなかった」

「よせ」


 悪態をついた男を諫めようとした瞬間、男が吹き飛ばされた。

 精霊様が自分の一部を放出してぶつけたらしい。

 カインが慌てて抱き起す。

 どうやら息はあるようだ。


「仲間がすまない。決してあなたを侮辱したわけではないんだ!」


 精霊様は触手のように水を伸ばし、シカの角をキャッチする。受け取ってくれるのかと思ったが、そのまま砕いて捨ててしまった。


 機嫌を損ねたのが分かる。

 サーっと血の気が引いた。

 わずかに後ずさり、濡れた草に足を取られて腰をついた。

 精霊様は俺たちに興味を失くし、ゆっくりとどこかへ行こうとした。


 その時妹が用意してくれた酢の水割りが入った水筒が懐から落ちた。

 するとどうだろう。

 動きを止めて水筒に興味を示した。

 水筒をキャッチすると、器用に蓋を開けて中身を吸収する。


 その様子をただ眺めるしかなかった。


 ごぽごぽと精霊様の水が泡立つ。

 完全に怒らせてしまったのかと身構えるが、何も起きない。

 スッと空になった水筒を渡される。

 そして上昇し、一気に周囲の水を吸収し始めた。

 瞬く間に精霊様の身体は巨大化し、空が水で沈んだかのように見える。


「お、おい。雨が止まったぞ」


 カインの言う通り、精霊様の近くだけではなく周囲全体の雨が止まっていた。

 風は少し強いが、それだけだ。


 巨大化した精霊様はギュッと縮まり、手のひらサイズになるとフラッとどこかへ行ってしまった。


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