ICレコーダー
楢崎コウヤ
ICレコーダー
これは、僕が以前勤めていた会社での話。
「矢島君、ちょっと急で申し訳ないんだけど、来週火曜の経営会議の運営を手伝ってもらえない?」
ある日、女性上司である桜田さんから、担当外の業務を依頼されたのだった。
当時の僕は、経営管理部という名の、いわば何でも屋みたいな部署に所属していた。
桜田さん曰く、経営会議の事務局メンバーに急遽欠員が出てしまい、僕にサポートお願いしたいとのことだった。
「本当は下川さんが担当なんだけど、彼女、事情があって急に経営会議事務局から外れることになっちゃったの」
下川さんは、同じ経営管理部の女性で、とても責任感が強く真面目な人だった。
そんな彼女が自身の担当業務を投げ出すとは信じられなかったが、おそらく余程の理由があったのだろう。
「はい、来週火曜なら割と調整できるので大丈夫そうです」
桜田さんが相当困っている様子だったこともあり、僕はすぐに応諾した。
依頼された業務はとてもシンプルで、よくある議事録係だった。
経営会議の議事内容をメモしておき、後から聞き直せるように会議の音声も録音しておく。
そして、最終的には体裁を整えた正式な議事録を完成させるという、オフィスワークの基本みたいな業務だ。
ただ、一つ面倒なことは、経営会議は貸会議室で開催されるため、その日は外出する必要がというあることだ。
僕がいた会社はベンチャー企業で、コロナ禍以降、オフィス賃料の節約もあってフルリモート勤務(オフィスを持たず、全員が自宅等で働く形態)に切り替えていた。
ただし、社長の強い意向で、月に二回開催する経営会議だけは必ず対面で実施することになっており、毎回外部の貸会議室で会議を行っていた。
しかも、前回の経営会議から、従来使用していた貸会議室とは別のところに切り替えたという。
「場所はどこなんだろう。家から遠くないといいけどな」
そう独り言を言いながら、僕は来週行くことになる貸会議室施設のウェブサイトを開いた。
Y駅から徒歩5分、大中小の会議室を22室完備、コンベンションホールも併設――
そう書かれたトップページをスクロールし、ページ下部の地図を確認した。そこまで遠くない場所だ。
施設紹介ページによれば、古い学校の跡地に建てられた施設とのことで、結構大きな建物のため、遠目からでも探しやすそうだ。
そして迎えた経営会議当日。
特に何のトラブルもなく、役目を終えた。
僕は議事録を取るのが割と得意な方で、議事のほとんどを当日その場でメモしてしまうため、音声データを聞き直すことはあまりない。
とはいえ、議事録と一緒に音声データを保管するのが会社のルールになっているので、会議室にICレコーダーを設置してしっかり録音をした。
数日後、正式な議事録をドラフトして、音声データと一緒に桜田さんに送付した。
ベンチャー企業あるあるだが、社内のやり取りはほぼ全てチャットで済ます。
送付した直後、桜田さんからチャットでメッセージがあった。
「今、少し通話できる?」
僕は、「あれ、何かミスでもあったかな…?」と考えつつも、すぐに「大丈夫です」と返信した。
「あ、急にごめんね。あの…さっき送ってもらった音声データの方なんだけど…」
「あれって、本当にこの前の経営会議で録音したやつ…なんだよね?」
桜田さんは、通話を開始するなり、普段とは異なる間接的な言い回しで僕に尋ねた。
「はい、もちろんそうですよ。日付も一致してましたよね?」
僕は録音した音声は聞いてなかったが、音声データのファイル名には録音日時が表示されるようになっているため、他の音声データとは間違いようがない。
「そう…だよね。うん。それなら…大丈夫」
「…あ、議事録の方だけど、組織変更の議案の部分だけ少し直せば問題なさそうだから、後で修正して送るね」
一体何が問題だったのかはっきりと僕に伝えないまま、桜田さんは通話を切った。
もしかしたら、ちゃんと録音できてなかったのかもしれない。
まあ、でも肝心の議事録が問題ないならいいだろう。本来なら担当外の業務だし。
その時はそんな気持ちで、大して気に留めることもなく、すぐに別の業務に取り掛かった。
それから一週間くらい経った頃だろうか。
会社のルールに沿って、議事録ファイルと音声データを所定の共有フォルダに格納するときだった。
「そういえば、桜田さんが音声データについて何か言ってたな。次も同じミスしたら𠮟られそうだし、何が問題だったのか一応確認しておくか」
僕はそう考えて、前回の経営会議の音声データを再生してみることにした。
「――ガタガタガタガタ」
一番最初に聞こえたのは、複数の椅子を引きずるような音だった。
「一応、録音はされてそうな感じだけど」
僕は一瞬だけそう思ったものの、よく考えるとおかしい。
あの会議室の椅子は全てキャスター付き。しかも床はカーペットなので、ガタガタという音が鳴るわけがない。
「きをつけ!礼ー!」
ハキハキとした威勢の良い少年の声が聞こえる。
これは明らかに経営会議ではない。別の部屋の音を拾ってしまったのだろうか。
…いや、それもおかしい。
僕はあの日、間違いなく会議室の真ん中にICレコーダーを設置して録音した。
それに、他の部屋の音なんて全く漏れ聞こえてなかったはずだ。
そう不思議に思いながらも続きを聞いていると、僕の心情は徐々に疑問から恐怖へと切り替わっていった。
そこに録音されていたのは、会議の音声ではない。
子供が合唱する歌だった。
「進む日の丸、兵隊さん」
「天皇陛下のおわす故郷に」
「ひとえに尽くそう、お国のために」
普通の合唱曲でないことは明らかだった。
――古い学校の跡地に建てられた施設――
確かにそう説明されていた。貸会議室施設のウェブサイトで。
もはや、録音されてしまったものが何なのか推理しようとも思わなかった。
信じるも信じないも、冷静に考えれば結論は一つしかない。
機械というのは素直だ。ただただ、ありのままの事象を電子データとして残す。
それが、人間にとって現実的な事象だろうが、紛れ込んでしまった怪異的な事象だろうが。
これは僕の勝手な想像にすぎないが、おそらく、下川さんには歌が聞こえただけでなく、見えていたのではないだろうか。
坊主頭の少年たち、おかっぱ頭の少女たちが、ピンと背筋を伸ばし、真っ直ぐな眼で合唱する姿が。
恐怖という言葉だけで片付けるべきではないことは分かっている。
そこには確かに訴えるものがあり、平和な時代を生きる者としての責任も直視すべきだろう。
しかし、だからと言って、あの貸会議室を使い続けるという選択肢は、僕には考えられなかった。
音声データを聞き終えた後、僕はすぐに桜田さんに相談した。
「急ぎ他の貸会議室を探しましょう。来週の経営会議に間に合うように」
桜田さんは、理由も聞かず、僕の要望を聞き入れてくれた。
すぐに桜田さんと一緒に貸会議室を探し、どうにか来週の予約も間に合わせた。
それから数週間後――
「下川さんが、経営会議事務局に復帰してくれることになりました」
部内の定例会議にて、桜田さんが全体への連絡事項を伝えた。
僕は、ウェブ会議での自分のビデオがオンになっていることも忘れ、柄にもなく晴れやかな笑みをこぼしていたのだった。
ICレコーダー 楢崎コウヤ @Koya-312
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます