空室あり

藤泉都理

空室あり




 竹の生産地にして、竹製品の名産地と知られるこの中華風帝国では、後宮を含む宮廷内の建物及び生活用品、武器、工具、神具、装飾品、衣料品、医薬品あらゆるものに竹が使用されていた。


 中華風後宮。

 宮廷内で天子が家庭生活を営む場所であり、また皇后以下、妃嬪ひひん、未成年皇族(幼い皇子と未婚皇女)が暮らす場所でもあった。後宮には多くの女官や宦官たちが暮らし、後宮内で近侍・文献管理・歌舞・衣服製造・保育・掃除などの職務に従事した。


 天子の第三皇女、彩葉あやはの側仕えである琴葉ことはは主の使いから戻り、主の部屋へと入るべく声をかけようとしたその瞬間、隣の部屋から物音がしたような気がしては、思わず飛び跳ねてしまった。

 天子のお子である第一皇子、第一皇女、第二皇女は、己の部屋の両隣には信頼する宦官と女官をそれぞれ配していたが、琴葉が仕える彩葉の部屋の両隣はまだ空き室であった。


 まだ信頼できる者と出会えていないのよね。

 銀色の長い髪を結う事もなく垂れ流し、皇室の者しか身に着ける事を許されていない淡い紫の装束で純白の身を包む彩葉は、まだこの後宮に来たばかりの琴葉に冷めた声で言った。

 だから、すぐに側仕えの宦官も女官も変えてしまうの。とも。


(だからこの部屋は空き室で、誰も居ない。つまり。居るとしたら)


「リスちゃ~~~ん!」


 琴葉は右手の空き部屋の両扉を勢いよく引き開けた。

 女官として働くべく学校に通って一年間の鬼教官の指導に耐え後宮への務めが決まった時に、鬼教官から褒美だと言わんばかりに野生のリスが居ると聞かされて早一週間経つが、まだ一度たりともその姿を見る事は叶っていなかった。

 お金を稼ぐ為に後宮には入るのだが、かつて両親から読み聞かせしてもらった絵本に登場したリスに一目惚れして以降、どこかで会えないかと待ち望んでいたのだ。


「あれ?うわ。本当に何もない部屋。空き室だから当然か」


 燻されて漆黒の色に染まった竹が壁と床に使われているこの部屋には、寝具もなければ、机も椅子も箪笥も棚も何もなかった。

 あるとすれば、丸い窓が一つだけ。

 換気の為だろうか。

 扉が外側に開いていた。


「あ~あ。居ない。かあ」


 縁を歩いて空き室を一周した琴葉は、もうリスは窓から出て行ったのだろうと残念がりながら、丸い窓に背を向けてこの空き室から出て行こうとした。

 その時だった。

 頭を軽く叩かれたような気がしたのだ。

 カサカサと乾いた葉が無数積み重なった箒みたいなもので。


 空き室ではなく、ここは生物を喰らう摩訶不思議部屋であったか。

 刹那にして歴戦の猛者が如く影を纏った琴葉は、腕を素早く動かして、足は腕の動きより半減しながらも必死に動かしてこの空き室から出ようとした。

 が。


「彩葉、さ、ま」


 いつから居たのだろうか。

 いつから見ていたのだろうか。

 いつから、


「………もう。私も、」


 もう、信頼できないと判断されてしまったのだろうか。


(側仕えになってまだ。一週間、なのに。ううん。彩葉様には、もう。一週間。なのかな)


 無情にも、

 いつもと変わらず冷めた顔をした彩葉が空き室の扉を閉めたのである。






























「ぶえっ。ぶえっ。ぶええええええええええええっ」

「ごめん。ごめんって」


 彩葉の自室にて。

 椅子に座る彩葉の対面の椅子に座りながら、琴葉は大号泣していた。


「食べ、食べ、食べられると!空き室に食べられりゅと思っだんでずよ!」

「食べられない。食べられない。ただの竹の審査?試験?みたいなものだから。不合格だったら、ただその部屋に入られないだけだから。側仕えも止めなくていいし、後宮から出て行かなくてもいいから」

「そ。それで。私は?」

「うん。お察しの通り、不合格」

「ですよね。すぐに背中を押されて空き室から出されましたし。でも。私、また挑戦しますね!」

「え?挑戦?」


 彩葉はやおら瞬きをした。

 今の今まで、一度たりとも聞いた事がない言葉だったのだ。


「はい!私は彩葉様の側仕えです!彩葉様に信頼してもらえるように頑張ります!」

「………信頼してもらえても、してもらえなくても、お給金に違いはないわよ?」

「ええ構いません!」

「………そう。そうなの。ええ。わかったわ。でも。頑張ったって、一生信頼してもらえないかもしれないわよ?」

「でも、信頼してもらえるかもしれませんし」

「ふ~ん。ふふ。いつまで挫けずにいられるのか。楽しみだわ」


 冷たい顔だ。冷たい声だ。

 琴葉は冷気が全身を包み込んでは、ゆっくりと、ゆっくりと、蝕まれていくかのように感じた。

 ゆっくりゆっくりと、感覚を失くさせていく冷気。

 これほどまでの冷たさを放たざるを得ないのだろう。

 この宮廷は。


(彩葉様の両隣は、空き室。今は、)


「絶対、絶対、ぜったい!挫けません!」

「ふふ」

「絶対、絶対、ぜえったい!部屋に入ります!」

「ふふ」

「ふふ以外も言ってくださいよ!」

「早く仕事に戻りなさい」

「うっ………も、戻ります」

「ええ。行ってらっしゃい」

「はい!行ってきます!」

「ふふ、本当に。いつまで、」


 微笑を浮かべた彩葉は目を眇めて、部屋を後にする琴葉を見つめたのであった。











(2024.9.11)



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