33.予知の景色

「……ちッ。流石は英雄だな」


 彼の視界には崩壊した都市跡があった。手に持っていた長刀は今は無い。

 【    】の斬撃に呑み込まれ、しかしその跡はしっかりと残っていた。本来であれば、あらゆる物を消し去っていたはずの一撃は、英雄、特に【剣聖】と【護心】によって妨害された。精霊は、と疑問に思うだろうが、精霊を捕縛していたあの装置は歪んだ空間の中にあった。万が一にも、彼が破壊してしまう、という可能性は無い。

 ただ、それでも、都市の破壊には成功していた。

 崩れた城門だった瓦礫を乗り越えて彼は歩みを進める。ボロボロの石材と化した家、凸凹に変形した道、所々に残る赤い色をした液体や、未だ暖かさの残る人肉、千切れた腕から覗く骨。中には上半身だけのまま、必死に呼びかける者もいた。更に料理用の魔道具、コンロのような物と言い換えれば良いか。本来であれば自動的に停止したであろうその魔術は、彼の攻撃によって半端に破壊され、暴発した魔術が火を上げた。

 悲嘆の声。苦痛に塗れた声。理不尽な事象への憤怒の声。

 彼は一切耳を傾けることはなく歩みを進めた。

 そして、その場所に辿り着いた。


「やはり空間を歪めていたか」


 瓦礫跡から生えているようにそこにあった円柱。あの暗闇の中の機械に溢れた部屋にあった時と同じように虹色に光り輝いている。

 円柱に彼が手を触れたその瞬間。外部の機械が粉々に砕けて風に流されていく。中で浮いていた光球、精霊が解放されて、彼の周りをふよふよと漂う。まるで、自分を助けに来た相手だ、と理解しているような動きだった。


「……お疲れ様」

『…………』


 労う彼の言葉。精霊は喜んでいる事を示すように彼の周りを飛び回る。その様子を見ながら彼は空間を手刀で裂いた。

 歪む空間、そしてその先に進むよう精霊に伝え、見送った後。彼は来た道をなぞるように引き返し歩き始めた。


 燃え上がっていた火は、一層その勢いを増している。


 上半身だけの死体が道に転がっている。


 熱気に焼かれた喉で必死に助けを呼ぶ、掠れた声が聞こえる。


 抱き合って命果てた親子の死体がある。


 頭を打ったのだろうか、頭部から血を流して呻く者。


 彼は、無感情にそれを見ていた。その時、彼は自身の足に何かが触れた感覚に気づいて自らの足元を見下ろした。


「……た、すけ………て…………」


 そこにいたのは、今にも死にそうなほど弱ったこの都市の住民だった。悲壮な男の声が彼の耳に届く。

 だが、彼は少しも表情を変えなかった。


「【のぞまれし不変ふへんやいば】」


 足に縋り付いてきた怪我人を無視して彼は長刀を手元へと召喚した。その瞳は、視界に広がる地獄絵図を直視していた。それでも、彼は何とも思っていなかった。

 右手に現れる、漆黒の刀身を持つ刃。無骨な印象を受ける外見。普通ならばあり得ない色。鈍く光を反射しながらも、刀身の大半の部分は反射すらせず光そのものが飲み込まれたように見えていた。

 その刃を、彼は静かに振るった。


「【神楽かぐら】」


 縋り付いていた男の首が落ちた。呻き声が、助けを求める声が消えた。悲嘆の叫びが消えた。

 彼は、長刀を振るっていた。

 彼は生者死者問わず等しく首を斬り落とした。容赦も躊躇もない。

 ただ、単純な作業のように長刀を振るい続けた。都市の全ての箇所を彼は満遍なく歩いて確かめていく。


 誰一人として生かさないように。


 事実を言えば、都市に住んでいた人々の九割は彼の斬撃によって即死、もしくは斬撃の破壊による二次的な現象によって死亡していた。建物の倒壊、炎系統魔術の暴発による焼死、窒息死等、様々な死因によって。

 かろうじて命を繋いだ者も多くいた。何とか瓦礫の下から抜け出し、他の者を助け、救助活動を行う者もいた。怪我が深かったために安静にしている者もいた。

 それでも彼は一切区別なく平等に全員の命を奪った。


 刃はブレる事なく。進んだ道の後には死体しか残らない。


 彼は進み続けた。



ーーー

ーー



 都市から遥か遠く離れた、その場所に【剣聖】は魔法陣と共に現れた。荒野と言い換えても良いほどに荒れ果てた地面、そして風化した地形。

 彼の斬撃を受け止めようとした折れた長剣だけが【剣聖】の手元にあった。


「……これ、は」


 【天魔】の【転移テレポータ】が発動する際の魔法陣。役割を終えたそれが、ゆっくりと光の粒子になって消滅していく。そして、その直後。



 衝撃波が【剣聖】を吹き飛ばした。



「がぁ!?」


 地面に叩きつけられ、土を巻き上げ、何度も体を打ち付けて。に衝突して【剣聖】はようやく止まった。体中に走る痛みに悶える【剣聖】は、それでも強引に立ち上がった。


「ぐ…………」


 この世界は、【天魔】の作り出した世界。しかしながら、この世界には綻びが存在する。決して、完璧に想像された世界ではない。

 地平線の先。


 その先は、無い。


 だからこそ、この世界には壁が存在する。限られた世界でしかないのだ。


「………ぁ」


 偶然感じた違和感。

 目を向けた【剣聖】の目に映ったのは大きく抉れた自身の右脇腹だった。血が流れ出し、赤い水滴が地面へと垂れていく。それなのに、傷は再生し、破壊され、再生を繰り返している。


「…………ッ!!」


 遅れてやってきた痛みが【剣聖】を襲う。ジワジワと広がるように鈍痛が右半身に広がっていった。その痛みは、今まさに破壊されている右脇腹から起こっているもの。そして、鈍痛に相反するように痛みが治ったかと思えば、再び鈍痛が響く。

 彼の【    】による破壊と、【天魔】の治癒魔術。

 二つの力が相殺を繰り返していた。


「…………何故だ」


 力なく崩れ落ちた【剣聖】は、独り言ちた。


「何故、俺だけを……!?ルナ……!!」


 【剣聖】は理解している。

 あの状況、あの攻撃で生き残れたはずがない。だが、自分が生きているということは、【天魔】が己を犠牲にして助けた事に他ならない。

 その事実を理性は受け入れようとしても、本能が拒否する。

 そんなはずはない、きっと生きている、と。

 【剣聖】はただそれだけを支えに都市に向かって走り出した。


「頼む…………!!」


 痛みに耐え、もんどり打ちながら走り続けた【剣聖】の目に、何かが映った。


 灯。


 否。


 炎。


 崩れた城門。


 燃え上がる、都市の残骸。


 【剣聖】は直感的に理解した。

 理解してしまった。


 誰も、生き残っていない。


「……本当に、諦めが悪い」


 崩壊した都市。炎を背に立つ彼。

 その手に握られているのは、黒の長刀。

 予知の光景と、今まさに眼前に広がる光景が、重なった。


 予知は、現実となった。


「…………」


 全てが手遅れだったのだと。

 この状況に陥ってようやく、【剣聖】は理解した。


 絶望は、憤りに。


 自責の念、平然としている彼への怒りが。


 純然たる殺意へ。


 【剣聖】、リョウヤは。


 この日、初めて正義を失った。

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