試着
とある土曜日の朝、僕は安物を取り扱う良心的なアパレルショップに足を運んでいた。
地元には大きなデパートがいくつかあるおかげでアパレル関係が割と充実している。
わざわざ遠出しなくても近場で大抵の服は揃えられるのがいいところだ。
だから、その日は適当にシャツを買おうと出かけたのだが。
——どうも最近の僕は不運の神様がまとわりついているようで秋葉凛とかいう面倒な奴に会ってしまった。
秋葉凛はやはり地味目な服装をしている。
部屋着のような灰色の少しぶかぶかしたパーカー。胸元には丸みを帯びたフォントで『HAM ACTOR』と描かれている。
——確か、意味は大根役者だったような。
……多分秋葉は知らない気がする。
フードを被っているからわかりにくかったが、鉢合わせしたときに見覚えのある悪そうな笑顔を見て一瞬でため息が出た。
「あは、あれー何してんの?」
「多分お前と同じようなことをしているよ」
「一人で服選びねぇ、うわっ寂し!」
「おや、別に僕は一人でなんて言っていないが? もしかしてあの秋葉さんはお一人様で服選びをしているんですか?」
「へぇ、じゃあ誰と来たの?」
眉を八の字にして少し小ばかにしたように口角を上げている。
まるで信じていないとでも言いたげな顔。
どんな食べ物食ってきたらそんなクソガキみたいな表情になれるんだよ。
「いや別に一人だけど?」
「は、なんで嘘つくん。寂しいのはそっちやん」
「真の孤独マイスターは一人で楽しめる」
「たは。孤独マイスター……馬鹿じゃないの、ははは」
秋葉はお腹に手を当てて、しかし声は小さく笑う。
割とこういうところで変に周りを気にするよな、秋葉って。
秋葉が落ち着くのを見計らって僕は適当に口実を作って離れようとした。
「はあ。まぁいいや。これからこっちは試着してくるから。じゃな」
まだ服を見ていたいが、この調子だと付いてきそうだから試着すると嘘をついた。
しかし、それが逆効果だった。
「え、一人なのに試着すんの?」
秋葉は口に手を当てて驚愕ともいわんばかりに目を見開いている。
試着は普通するだろ。
「いいだろ別に、てかやんないの?」
「うん。だって早く帰りたいし」
「サイズとか気にならんの?」
「うん。あたしぶかぶか好きだし」
「あーなんかガキだな」
「はあ?」
こいつ本当に使わないのかよ。
勇気があるというか、何も考えてないと言うか。
こんな感じのやつだったか、秋葉って。
おっといけない。
「まぁいいや、とりあえずこっちは行くから」
このままでは秋葉のペースに呑まれてしまいかねない。
ここいらで離れよう。
「ねえ、待って」
「な、なんだよ」
「あたしが採点したげる。しぶやんのために」
「なんでこっちのためになるんだよ!」
「え、だって女子のアドバイスもらえるんだよ。ふふ、センス悪そうだから先生したげる。いい?」
秋葉はニコニコと笑いながら袖をつかんでくる。
あんだよこれ。逃げられないじゃん。
試着するとか言わなきゃよかった。
そうして僕は仕方なく秋葉を引き連れ試着室へと向かう羽目になってしまったのだった。
————
僕はカーテンを開ける。
目の前にはニヤケ面の秋葉凛が丸椅子に座っている。両手を太ももの間に収め、なんとも子供っぽい雰囲気を漂わせている。
「量産型っぽい」
カーテンを閉める。
そしてまた開ける。
「なんか狙ってる感じがキモイ」
閉めて、開ける。
「半袖短パンって……たはー、虫取りすんの? あはは!」
なんだかカーテンを開けるのが嫌になってきた。
どうしてそこまで酷評を受けなくちゃならないんだよ。
別に悪くないだろう。ただの好みの問題じゃないのか?
それともあれかただ小ばかにしているだけなのか?
僕は着替えてカーテンを開ける。
もう手持ちにある物は全部着たのだが、僕は少しだけ試着室で座り込んだ。
本当はどれも買う気でいたのだがどうもその気持ちは失われてしまった。
完全に秋葉に採点されたせいだ。
くそう。
さっきまで良いと思っていたのに、もはや微塵も魅力を感じなくなってしまった。
僕はため息を一つ零してカーテンを開ける。
「え、もういいの?」
「もういいよ。なんか世知辛いなって。——ところでお前は試着しないのかよ」
「私はいいよ、いつもしないし」
「…………」
「この後暇? ごはんもう食べた?」
秋葉はどうも本当に試着をしないつもりのようだ。
スマホに手に取り弄り始めている。
おそらく昼のことを考えているのだろうが、そもそも僕は何も返事していないぞ?
それにこのままここを去れると考えているのか?
そんなの許されるわけないだろ!
散々僕の選りすぐりの精鋭たちを馬鹿にしたんだからそれなりの報いを受ける必要がある!
僕は秋葉に指をさす。
「ん、なに」
「……今度は僕がお前の採点をしてあげるよ」
「はぁ? いやめんどい」
秋葉は眉を潜め、首を振る。
本当に嫌そうな顔をしているが、ここで引き下がるわけにはいかない。
こいつら(選りすぐりの服たち)の仇を討つんだ。
「もしかして自信ないんじゃないのか?」
「んなわけ……あ! ふふふ」
急に秋葉は口元に手を添えて笑い始めた。
笑う要素なんてなかったようなきがするのだが……。
「もしかしてさぁ、あたしの私服姿見たいってこと?」
「そうだが?」
「え、あたしの私服姿が気になるってさぁ。え、あたしのこと好きすぎじゃんね」
何を考えているのかと思えば、とんだ勘違いをしてんじゃねーか。
誰が好きでお前の私服見たいなんて思うんだよ。
ちょっと見た目が良いだけでいい気になりすぎじゃないか?
ていうか、その地味な奴も私服だろ。
「いいから、早くしてくれ」
「たはーもうそういうことじゃんね」
駄目だ。もう止められない。
なんだよこいつなんでこんなハイテンションなんだよ。
「違うが?」
「しょうがないなー、じゃあちょっと待ってて」
そう言うと秋葉は椅子から立ち上げり、どこかに行ってしまった。
なんだかどっと疲れた。
————
「はい女優ー」
「…………」
カーテンが開かれる。
一応批評の言葉のいくつかを事前に作り込んでいたのだが……なんでこいつこんなにセンスがあるんだよ。
否定しようにも出来ない。
もしすればただの負け惜しみ、負け犬の遠吠えになってしまう。
それにしても……本当にセンスいいな、こいつ。
オーバーサイズのTシャツを着ているだけに見えるのだが、逆にシンプルイズベストって感じがする。
ただ──まず最初にドヤ顔の秋葉が見えたのだけが残念なところだが。
「まぁ、これはまだまだ序の口。ちなみに点数は?」
「まぁ、シンプルだよなぁ」
「素材を活かすのがあたしなの」
素材をねぇ。
くそう。なんも言えない。
「着こなしてるってよりは、逃げてるって感じだよな」
口から出まかせである。
褒めるのが出来ない僕にはこれしか出来ない。
「そんなわけないじゃない。私のセンスは割と抜群よ」
「そうか? どんな服でも着こなせるやつの方がセンスあるやつだと思うぞ、僕は」
よくもまぁこんな適当なことをつらつらと言えるな、と僕は思った。
それほどまでにこいつには負けたくないとのだろう。
なんでだろ?
「僕が選んだ服でも着てみろよ。それを着こなせればセンス抜群だって認めるよ」
秋葉は適当に断ると思っていた。
なにせ男子である僕の選んだ服なんかを着るわけがない、という保証のもと僕は言ったのだ。
だから服を選ぶ気なんてさらさらなかった。
だけど──
「いいよ?」
そう聞こえた。
「は?」
「持ってきてくれたら着るが?」
「お前、マジで言ってんのかよ?」
「え、照れてんの? え、照れてんの?」
「照れるっていうか、それは駄目だろ」
「えぇ? 別に良くない?」
こいつの考えたいる事が全くわかんねー。
普通嫌だろ、僕だってクラスメイトに服を持ってきてもらうなんて頼まないぞ。
何を持ってこられるのか分からないし。
なのになんでこいつはここまで人を信用してんだ?
僕がおかしいだけなのか?
「せめて自分で選べよ」
「えーめんどー」
「変な物持ってくるかもしれないぞ?」
「たはーそんなわけないじゃん」
秋葉は楽しそうに笑う。
その笑顔の裏にどんな意図があるのか僕にはさっぱり分からない。
わけがわからないから僕は聞いた。
「なんで言い切れるんだよ」
秋葉は僕の顔を見てニヤニヤと相変わらずの嫌味な笑みを浮かべている。
「だって渋谷はそんな度胸ないだろうし」
「え」
度胸ないって……。
こいつ! 僕のことを馬鹿にしてんだ!
「はぁ……帰る」
「え、帰んの? 採点はいいの?」
「なんかいいや」
「そっかぁ。じゃあまたねー」
「えらくあっさりしてんな」
「え、構って欲しいの?」
「いやぁ? じゃな」
そう言って僕は歩き出した。
せっかく買おうと思っていたのに台無しになったような気分だ。
まぁいいさ。
どうせ服なんて買わなくてもあるし。
あ、そう言えば試着した服置きっぱなしだ。
──返しに行かなくちゃ。
僕は踵を返し、再び試着室へと戻った。
また秋葉に会うのは面倒だったが、服を無視して帰るのは出来ない。
戻ってくると秋葉の姿はもうなかった。
しかし秋葉が座っていた丸椅子の上には、秋葉のスマホが置いてあった。
忘れたのだろうか、いや秋葉が忘れるわけないだろ。
というか、僕の服もない。
店員さんが片付けてくれたのか?
周りを見回す。
チラリと視界の隙間から秋葉の姿が見えた。
秋葉の手には僕の服が掛けられている。
まさかあいつ、僕の代わりに片付けてんのか?
いや、流石にないだろ……。
なんか裏があるのでは?
…………。
もしかしてあいついい奴なのか?
なんとなく僕は秋葉にスマホを手渡そうと考えた。
恐らく秋葉のことだから試着室には戻ってこないだろうし、もしかすると忘れる可能性があるからな。
服のお礼だ。
僕はスマホに触れた。
すると、急にスマホに電源が入る。
自分の機種とは違うようためそんな便利な機能があるとは思ってもいなかった。
だから、不意打ちだった。
画面が光った瞬間に、見覚えのないツーショットが現れた。
一見秋葉凛が教室でピースをしながら自撮りをしたように見えるが、後方に気づいていない様子の僕がいる。
……あいつもしかして僕のこと好きなんじゃないか?
普通どうでもいい奴とのツーショットを壁紙にするか?
僕はしない。
というか自分の顔をのせない。
嘘だろ。てことは本当に……
なんだか胸が急に苦しくなってきたような気がした。
だから、あいつはいつも馴れ馴れしいのか?
僕は秋葉とスマホを交互に見やる。
ん?
僕は画面のある部分に気がついた。
よく見ると僕は大きく欠伸をしていた。
よくよく見ると秋葉の顔は若干にんまりというか、悪意のある顔つきになっている。
これって……。
僕が大きく欠伸をした瞬間を激写した。面白いからホーム画面にしよ!
そんな秋葉の声が聞こえてきた気がした。
……やはり僕は好かれているのではなく、馬鹿にされているから馴れ馴れしいのかもしれない。
僕はスマホを丸椅子に置いて立ち去った。
ドッと疲れを感じた気がした。
コミュ障の幼馴染が僕にだけ馴れ馴れしい 真夜ルル @Kenyon_ch
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