第10話 筏下り

 着物・袴姿で豚革のシューズを履いた吉田兼好先生が、腰のポシェットから取り出した地図をお広げになりましたので、やはり着物・袴姿の私、千石片帆せんごく・かたほ、それからセーラー服の物部寧音もののべ・ねねさんが、何気なくのぞきこむ。でも地図にはほとんど何も描かれておりません。――描かれておりましたのは、四腕大鬼ガクの回廊都市とその出口に相当する〝魔法の森〟と後背にそびえるトオーク山脈、そして先日まいりましたオリアブ島の港湾都市バハルナくらいのものです。


「兼好、なにそれ?」

「寧音ちゃん、六分儀を見るのは初めてかい? 太陽や星といった天体を使って、現在地を割りだす計測器なんだ」吉田先生はそこで私に振り返り、「〝おひい先生〟 現在のブナの森は、だいたいこのあたりですね」


 魔法の森は西に、オリアブ島は東にあり、現在、私たちがいる広葉樹林は、どちらかというと魔法の森に寄った位置にありました。


 私は吉田先生と寧音さんをみやって、

「御承知のように私は、一度行ったところなら瞬間移動テレポートできます。お二人とも、私の手をおとりになって。じゃあ、参りましょう」

「姫先生、〝幻夢境〟の地理情報が欲しい。近場の町まで徒歩で行きませんか?」

「幻夢境に長居し過ぎて無断欠勤なんかしたらそれこそ、乃東ないとう校長先生に大目玉ですよ」

「その点は問題ないでしょう。幻夢境と現世界とでは、数週間ほど時間の進み方にブレがあるみたいだし。寧音ちゃんの訓練にもなる。まさに一石二鳥じゃありませんか」吉田先生がのんきにおっしゃると、「寧音ちゃん、管狐くだぎつね君をだして」

「なにをする気?」

「物見だよ」


 後のポニーテールを古語で〝たぶさ髪〟といいますが、そのように結った寧音さんの髪の間からイタチ系の小動物が顔をだして、こちらをうかがっております。

 概して術者は術式を他者に聞かれないように、もごもごと口を閉ざして詠唱するもの。――(※お嬢様言葉翻訳=ずるい)吉田先生も、口を閉ざして詠唱なさいます。――寧音さんの管狐さんの背中に翼が生えてきました。それがホバリングを始めるや、みるみる空高く舞い上がりました。


「管狐君の視覚情報を我々三人で共有するよ」


 ところどころ湖沼湿原が点在する広大な森、現在地から北に数キロ行ったところに、東流れするスカイ河が望めます。このため河川敷まで迷うことがなく、小一時間程度で到着いたしました。

 川辺に臨んだところで吉田先生は懐中から、人の形に切った形代かたしろを取り出し、数枚を宙に放ちました。するとそれらは樹々を伐採して丸太にし、つるで結わえて瞬く間に筏をこしらえてしまいました。


「さあ、乗った乗った」

 水辺に浮かべた筏へ、吉田先生に続いて私と寧音さんも乗り込みます。

 川の流れにはスピードのある奔流と動きのない静流とがあります。舟人が川下りをする際は奔流をつかい、逆に川上りをする際は静流をつかうもの。――器用に竿を扱う吉田先生も筏を奔流に載せていらっしゃいました。感覚的に、自転車程度の速さでしたから、時速十五キロというところでしょうか。


 陽射しが強くてお肌に悪いかも。けれど、

「姫先生、川風が気持ちいい!」

 肩に管狐さんを乗せた寧音さんが、欄干の横にいる私に笑顔でいいました。

 他方、吉田先生が岸辺の森を指差して、

「石造建造物が覆われた木々に隠れている。遺跡のようだね」

 振り向くと私の目の前には、明らかに尖塔や列柱回廊のある建物で、寺院のようでした。

「幻夢境の秘境には、あまたの失われた王国都市が眠っているといいます。恐らくはその一部なのでしょう」

「姫先生、兼好、――私、あそこへ寄ってみたい!」

 寧音さんがいうと、ほっそりした吉田先生が微笑んで、

「僕もそうしたいのだけど、いつもの変態種族が筏の周りに集まってきている。寧音さん、はい鍛錬レベルアップのお時間――」

 吉田先生が仰るところの変態種族というのは、人間女性をさらって繁殖する水棲亜人――半魚人マーマンのことです。


 幻夢境で半魚人の目撃例は今までになかった。もしかすると、私たちが頻繁に往来することで、この世界に歪みが生じたのかもしれません。

 戦闘において持ち札が多いと有利になる。寧音さんに限らず、私自身も試してみたい新しい技がございます。――これまでの私は、攻撃系星幽界光線アストラル・ブレスを剣に見立てて居合をしておりましたが、応用編として弓矢にしてみたらどうだろうと、ずっと考えておりましたの。

 

 奔流両側の清流水中から、ザバッと水飛沫みずしぶきをあげて半魚人が躍り上がったところで、アストラル・ブレスの矢〝アストラル・アロー〟を放つと、見事に一体を仕留めます。

「あのお、姫先生、貴女が仕留めちゃったら、寧音さんのレベルアップにならないよ」

「そうでした。お許しあそばして」


 ――ともかく実験はうまくいった。あとは敵に深手を負わせてから、寧音さんにトドメを刺していただくとしましょう。


 三日ほど筏下りをするとブナの森林地帯が終わって、わらぶき木骨造もっこつぞうの百姓家が点在する平原の田園地帯になり、やがて、このあたりの集散地である田舎町レリオンが見えてまいります。

 幻夢境にはいくつかの大陸に、さまざまな文化を持った国家が割拠しておりますが、レリオンは、都市国家ウルダールの衛星都市の一つです。近郊の農家が農産物を持ち寄った朝市と、七日ごとに母市ウルダールの商人がやってくる定期市が開かれるのですが、いずれも露店で、常時町に店を構えているのは居酒屋を兼ねた居酒屋と、雑貨店が一軒ずつくらいのものです。

 私たちは雑貨屋で民族衣装と若干の飲食物を買い、居酒屋で黒パンと茹で卵に発泡酒エールだけといった質素なメニューの夕食をとり、宿に一泊。翌朝、ウルダール行きの駅馬車に乗り込みました。


 そのときの吉田先生と私、寧音さんはお揃いのアラビア民族衣装に似たコーデで、ベストとパンツを身にまとい、バンダナを頭に巻いていました。

 〝たぶさ髪〟の寧音さんが、

「姫先生、ここの世界ってスプーンはあるけど、ナイフやフォーク、お箸とかがないのですね?」

「聞くところによりますとセレファイスの女王は、私と同じ〝夢見姫〟で、大英帝国の出自らしく、かの王国ではナイフやフォークを使っていると聞いたことがあります」

「セレファイス、――姫先生、私、そこへ行ってみたい」

「そうですね。一緒に参りましょう」


 ――セレファイスの女王は多くの幻夢境情報を知っているのに違いない。お会いして損はないはずです。


 街道をゆく四頭立ての馬車が、スカイ河に架かる大きな石橋を渡るとその先に、高い市壁に囲まれたウルダールの町が見えてきます。すると突然、「夢見姫の姫先生!」空いていたはずの席から懐かしい人の声で呼びかけられ、振り向きますと、猫神バステト族のウル大尉がいつの間にかきていて、腰かけていらっしゃるではありませんか。


ウルダール市:挿絵

https://kakuyomu.jp/users/IZUMI777/news/16818093089242363436

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