第11話 ウルタールの大僧正

 ウルタール郊外にある朽ちた百姓家の庭先にて――

 なにか目に見えない獣によって、みるみる地面に穴が穿たれていきます。そう、目に見えない獣の正体は式神で、それが地面を掘っているのです。式神を操るのはアラビア風の衣装をまとった若い禰宜ねぎ出自の女学校同僚教師・吉田兼好先生でした。


 ほどなくして、ドンと派手な轟音があがり、穴から石礫いしつぶてが噴射されたのでした。中空に舞い上がったそれがほどなく、パラパラと地面に落ちる音がしています。


 ウルタール衛兵隊は猫神バステト族が多くを占めており、この騒ぎに、まっ先に駆け付けたのがウル大尉でした。

「吉田の若先生、ご説明戴きたい」

「いやあ、ちょっとした実験です。――狭い坑道に砕塵が巻き上がって爆発したって事故が新聞に書いてあったんですよ。だからですね、これを応用すれば、うちの女性陣にまとわりついてくる変態種族・半魚人マーマンの大群に囲まれた際、切り札になるかなあって思った次第で……てへっ」

「――馬鹿みたい」


 同じくアラビア風の衣装をまとった私・千石片帆せんごく・かたほと生徒の物部寧音もののべ・ねねさんが並んで、目を点にしているなか、吉田先生が、小首を七十度に傾け舌を出していらっしゃいます。


 長靴をはいた灰色猫・ウル大尉も呆れながら、

「市参事会を介して先方には話しを通しておいた。夢見姫のおひい先生、連れのお二人も俺について来るがいい」


     *


 町屋は途中から緩やかな坂道となり、丘の上の神殿に向かっていました。幻夢境にある神殿ででも、権威の高いものは、縞瑪瑙しま・めのうでできています。複数の円塔を連結させた優美な神殿のもっとも奥にある円塔最上階、そこの広間の床にカーペットを敷いた上に、齢数百を数えるだろうと噂っされている彼の方は座っておられました。


 私たち三人は片膝をついて、

「大僧正アタル猊下げいか、お会いできまして嬉しゅうございます」

「ほお、ぬしが聖女片帆か? ――で、何を訊きたい?」

「私は、母の瞳の行方を追っています。猊下ならば手がかりをお持ちではと思い、参上した次第です」

「聖女瞳、ああ、あの子か、幻夢境の深淵を追い求めて、諸大陸を彷徨さまよっていると聞く」

「幻夢境の深淵?」

ともとも呼ばれる大地神族の在所・カダスじゃよ。――わしは若いころ、師のバルザイに伴われ、その一端をのぞいたことがある」


 思わず私の喉が鳴ります。

「カダス? 行かれたのですか?」


「正確にいうならばカダスではなく、ハテグ=クラ山だ。――大地神族たちはカダスへ遷る前、かの禁足地に棲んでいたが、月満ちる夜になると、雲の船に乗って戻り、宴を催すのだ。――人類の叡知の頂に立ち、恐れを知らぬようになった師バルザイは大地神族との対話しようと私を伴い山に登った。しかし結果は……」


「儂の前におられた師は、月蝕の中で大地神族のお姿を見ることに成功した。じゃが歓喜する間もなく、蕃神ばんしんが来たことを悟り、絶望におののいた。そして後ろにいた私に向かって、――見たら死ぬ。見てはならぬ。引き返せ――とおっしゃった。蕃神は容赦なく神罰をくだし、雷鳴をとどろかせながら、師を空へと連れ去った」


蕃神ばんしん? それで猊下は大地神族様方をご覧になられたのですか?」


 猊下は首を横にお振りになり、

「蕃神とは宇宙からやってきた星神のことで、大地神族は地球に生じた先住神のことじゃ。――けっきょくのところ師を失った儂は、蕃神も大地神族も目にすることなく、月蝕が終わりもとの満月に戻ったときすごすごと、ただ一人、山を下りるしかなかった。翌日、麓の村人たちと師を探しに登ったのじゃが、山の頂の岩肌には、二十メートル以上もある『ナコト写本』魔術記号が刻まれていた。――つまり蕃神と大地神族は改めて人間に、ハテグ=クラ山が禁足地であることを警告したのじゃ」


 『ナコト写本』については母から聞かされたことがあります。――なんでも氷河期以前に北極圏にあったロマール王国で著された魔導書で、人類誕生以前に地球に君臨していた知的種族のイースのほか、ツァトゥグゥアあるいはイタカといった蕃神についてや、例の魔術記号についても記されていたのだとか。


「それで私の母・瞳は?」

 私と肩を並べていた両隣の吉田先生と寧音さんが、ポカンと口を開けているのを尻目に、猊下は、

「最後に現れたのはオリアブ島のバハルナだと聞いている。――聖女瞳はバハルナから奥にいったところにある禁足地・ングラネク山に登ったのじゃろう。恐らくはハテグ=クラ山にも登っているらしい。まったく無謀な子よ」


 ――ということは、目的を果たした母はすでに、島を発っている可能性が高い。


 白髭の猊下は駄目押しに、

「聖女片帆よ、汝もカダスを目指すのかね? やめておきなさい。あそこは生身の人間がたどり着ける場所ではない」

 私はただうなずくと、リュックに収めていた岐門産の清酒をアタル猊下に献上し、吉田先生・寧音さんともども広間を退去したのでした。


 円塔と円筒を連結した渡り廊下には空中庭園があり、そこで私は吉田先生に、

「実は私、以前に、四腕大鬼ガグの回廊都市にある神殿に住まわれていらっしゃる大僧正様にお会いしたときも、同じことを忠告されましたのよ」


 四腕大鬼の方々は頭部に口があり、クワガタムシのような二本の大きな牙を声帯の代わりに振動させることで、音声化させていらっしゃいました。


 ぼさぼさの髪をいじりながら吉田先生が、

「姫先生、お母さんを捜している貴女には失礼だが、寧音ちゃんもいることだし、猊下たちの忠告は素直に受け入れたほうがいいんじゃないかな」

「そうかもしれません。ですが母の安否だけは確かめたいのです」


 空中庭園から私たちは円塔の一つにある昇降機をつかって地上一階に降り立ち、正門で待つ灰色猫のムル大尉と合流いたしました。


 それから私たちはしばらくウルタールに滞在してから、寧音さんのレベルアップも兼ね、冒険者ギルドで、壁貼り紙にあった交易都市ダイラス=リーンへ向かう隊商護衛任務を、引き受けることにしましたの。


     *


 後日私は単身、問題のハテグ=グラ山や、オリアブ島のングクラネク山の登頂をいたしました。

 ハテグ=グラ山の山頂の岩崖には、アタル大僧正猊下がおっしゃったような魔法記号の刻印があるだけでしたが、ングクラネク山山頂の岩崖には、頭像が彫られていました。とはいえ、それ以外、特に収穫もありません。

 ただ個人的に少し興味深かったのは、ングクラネク山の麓にある港町バハルナに多くが暮らすオリアブ島の先住民・長耳エルフ族が、頭像の容貌に近く、神族の末裔であるだろうことを容易に推察できたところです。

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