第8話 姫先生、愛弟子と幻夢境に発つ

 五月下旬の土曜日のことです。

 二階建ての洋館エントランスが開かれ、執事さんが厩舎から愛馬ハナの手綱をひいてきました。ハナの左には神官服で馬上に座る受け持ちクラス生徒の寧音さん、それから右には着物・袴姿で自転車に乗った吉田先生が来て私を待っていらっしゃいます。


 まだ包帯を巻いている灰色猫のムル様を夕子叔母様から受け取り、抱っこしてハナの鞍に乗せ、私もあぶみに足を掛けようとしたときのことです。


 燕尾服のおじい様が、

「では、片帆かたほ頑張ってきなさい。――おっと、そのまえに、これをおまえに授けよう。おまえの母・瞳が女学生時代に使っていた長弓と矢箭やせんの一式だ」


 母は弓道五段で師範の有資格者でした。子供の頃、東京の家のお庭に射的場があり、母の薫陶を受けたものです。――両親は駆け落ち同然で結婚し、東京に所帯をもっていた。ですから幼少期のころの父方は岐門の家と断交していた。――それだというのに私について、おじい様はそんなことまで知っていらっしゃいました。

 それから奥の自室にあるグランドピアノで、ショパンの「英雄ポロネーズ」を奏で始めます。


 外までお見送りにでた夕子叔母様が、

「貴女のおじい様ったら孫デレだわ。ピアノを弾き出したのは照れ隠し。――片帆さん、じゃあ、しっかり。瞳姉ひとみ・ねえに会えたらいいわね」


 私は、玄関先の夕子叔母様、それから奥の間自室にいらっしゃるのでお姿はみえませんが、おじい様の方へ深々とお辞儀をしてから、両脇のお二人に守られつつ庭外れにある南門に行き、そこで立ち止まって片手をかざします。


「この神門かむかどにおわす、かくもかしこ大歳神おおどしがみヨグ=ソトースが眷属神・岐門命くなと・みことウムル・アト=タウィル、猿田彦さるたひこアフォーゴモンの大前おんまえを拝みまつりて、かしこみかしこみもうさく、大神たちの広き厚きお恵みをかたじけなけなみ奉り、高き尊き神教きみおしえのまにまに、なおき正しき真心もちて誠の道に違うことなく、負い持つわざに励ましめ給い、門高く身健やかに世のため人のために尽くさしめ給えと、かしこみかしこみもうす。――イグナイイ……イグナイイ……トゥルフルトゥクングア……ヨグ=ソトホース……イブントゥング……ヘフィエ――イグルクドルウ……。救急如律令きゅうきゅうにょりつれい


 私が術式詠唱し終えた直後、寧音さんと吉田先生の念話が聞こえてきました。

 ――兼好、なんかすごい。こんな祝詞、(※岐門神社)でも聞いたことがないよ!

 ――たぶん、歴代夢見姫が口頭で継承してきたんだろうね。寧音ちゃん、術式の言葉を憶えたとしても、うかつには唱えないでほしい。神様たちに認められていないと、怒らせちゃうからさ。


 フェンス風の洋門に、ずらりと無数の鳥居がトンネルのように連なって、奥が見えません。

 後方で門が閉じ、そこを馬二頭と自転車一輪に分乗した私たちが、駆けてゆきます。


     *


 私たちが転移したのは〝ニルの大通り〟という石敷きの道路で、スカイの大河にかかる古代に架けられた石橋の端でもありました。そこを渡ってゆくと、整然と柵で区画された農場と小さな百姓家の集落が点在してきて、やがて、尖り屋根と煙突が特徴的な町屋となります。


 町の住民は、我々日本人と同種のサピエンス族のほかに、夕子叔母様がおっしゃるところの猫型亜人がいて、仲良く暮らしていらっしゃいます。そのうち、猫型亜人がウル様の周りにたいそう集まって来られて、

「あっ、ウル大尉、お帰りなさい。――もしかしてお連れの方が、あの聖女〝夢見姫〟ですか?」

「そういうことだ」


 自転車に乗った吉田先生が煙草の煙りを吐きながら、

「猫型亜人だと先方が気を悪くするだろうから、そうだな〝猫神族バステトぞく〟とでもしようじゃないか」

「猫神族か、吉田先生、なかなかよい響きだな」

 ムル大尉殿はまんざらでもないご様子で、我らを宿まで先導しました。

 町の広場には市庁舎とともに〝冒険者ギルド〟の商館が臨んでいました。商館の建物は屋根裏部屋付きの二階建て木組み建物で、一階が食堂兼居酒屋、二階がメインカウンターと事務室になっております。

 私たちはそこで、ムル大尉殿の推薦もあって私たちはいきなり、Bランクに登録して戴けました。さらに大尉殿はご自分が所属する、町外れにある遊撃隊兵舎に連れて行ってくださいました。

 回廊状になった二階建ての兵舎前で、兵士たちが帰還した大尉を認めるや、たちまち百人ほどに取り囲まれて、大歓待です。


「ここで感謝の宴を催したいんだが、残念ながら聖女様たちはお忙しい。聖女様は学校の先生で、休みを利用してのおいでだ。その聖女様たちだが、バハルナ港に用がある。俺の傷はまだこの通り癒えていねえ。誰か俺の代わりに、聖女様御一行をバハルナ港までお送り届けてくれまいか?」

 すると、黒猫の少尉さんが快く挙手して下さいました。


 猫神族を特徴づけるのは、なんといっても〝大跳躍スーパー・ジャンプ〟でしょう。テレポーテーションともいうこの能力スキルは、一度行った場所であれば、瞬時に空間転移できるものです。〝夢見の通力〟に近いのですが異なる点は、あくまでも異世界〝幻夢境〟の範囲限定使用可能というところです。


 黒猫小隊の大跳躍で、南方の外洋に浮かぶオリアブ島に着きました。同島は、グリーンランドほどもある大きさで、最大都市のバハルナは人口百万をも抱える国際港でした。入り江には、ウルタール産の織物や、インクアノク産の縞瑪瑙しま・めのうを満載した外国からの交易船が来航し、街は賑わっておりました。

 

 私は途方に暮れて、

「残念ですけれど皆さん、こんな大都会で私の母を見つけるのは、容易ではなさそうです」

「まあ第一回探索だ。〝おひい先生〟の件は後回しにして今回は、ここのギルドに挨拶して、モンスター討伐の依頼を受け、ちゃっちゃと何匹か狩ったら、岐門町へ帰ろう」


 黒猫少尉が基地に戻る際、お話しをうかがうと、バハルナの町の住人は概して美麗で、耳が尖っているのが特徴です。――というのも、港町南方に控えている霊峰ングラネクにはかつて神都があったそうで、遥か昔に廃都となり、神々はどこかに移ったとのことです。


 ギルドからの依頼は、貧民街で発生した寄生獣ドールの討伐でした。ミミズあるいは蛭を大きくしたような軟体動物で、油断すると首の付け根を咬みつかれます。ドールは咬んだとき、触手を出して捕捉動物の脊椎神経に絡ませ、標的の身体を乗っ取るので危険極まりない。乗っ取られた身体はけっきょく、もとからの主食を食べるので草食獣であれば問題ないのですけれど、肉食系や雑食系は襲いかかってきます。ですから首の付け根に貼り付いたドール本体を、一体一体屠る必要が生じるので面倒な相手です。

 そういうわけで、市場で豚肉を購入して餌とし、人や犬に取りついた寄生獣〝ドール〟を呼び寄せ、吉田先生は拳銃で、私は弓矢で致命傷を与え、寧音さんが式神の管狐さんをだしてとどめを刺していく――方法で夕方には、都合十匹を駆除したことをギルドに報告し、小金貨五枚を獲得した次第です。


 夜、意気揚々と岐門命ウムル・アト=タウィルが守護する時空の門をくぐり抜け、岐門町に帰還したわけですが翌日、学校に行きましたところ、新校長の乃東ないとう先生はすでにご存じで早速、私と吉田先生は校長室を呼びつけ、

「今回は見逃しましょう。次はありませんからね」

 とご叱責を賜りました。


 「第Ⅰ章 鳴門のほうへ」 了

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姫《おひい》先生の幻夢境 いずみ @IZUMI777

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