第7話 母からの手紙

 灰色猫というか猫系亜人のムル様は半身を起こして、ポシェットから手紙をだし、私に手渡しました。

 後ろにいた夕子叔母様が文面をのぞきこんで、

「あ、瞳姉ひとみ・ねえの字だ!」

 確かに母が書いたものです。


     *


片帆へ


例の地震で東京一面が火の海になりましたが、学校寄宿舎にいた貴女は無事だったことを人づてに聞きました。ときどきこちらの世界〝幻夢境〟に来ているようですね。


自宅にいた私は避難する途中で周りを火に囲まれたとき、無意識のうちに貴女にもある〝夢見の通力〟で幻夢境に転移しました。情けないことにその際、通力を失って帰れなくなり、いまはオリアブ島のバハルナの町におります。住めば都といいいますが、町の人たちは親切で、快適に暮らしております。


それではいつかまたお会いいたしましょう。皆様にもよろしくお伝えください。


母より


     *


 母と猫族との関係について私がムル様にお尋ねしますと、ムル様は、

「君の母上・瞳さんはこっちの世界〝幻夢境〟に棲む多くの種族の言語を知っていた。瞳さんは子供のころ、たまたま魔法ノ森を歩いていたとき、巨大キノコの陰で筒狐族ズーグぞくの密談を聞いた。奴らが長年の不可侵協定を破って、我ら猫族のいるウルダールを不意打ちするというものだった。我らと懇意だった瞳さんは、そのことを念話で報せてくれた。おかげで、我々は逆にやつらに不意打ちをかけることができ、有利な条件で和睦できたんだ」


「それで母からのお手紙を届けて下さったのですね。四腕大鬼ガクの回廊都市を抜けるのは命がけだったでしょうに……」

「瞳さんは、わが種族にとって大恩人だ。このくらいの礼はするさ」

 網籠あみかごにタオルを敷いたベッドで半身を起こしていたムル様は、夕子叔母様に促されてまた横になりました。


 ――お母様が生きていらした。

 夕子叔母様と私は、深手で養生中のムル様の手前、小躍りしそうに衝動を抑えるので必死でした。叔母様は私に、

「ムル様の回復を待って〝幻夢境〟にお送りしませんとね。残念ながら私に〝夢見の通力〟はないから、片帆さん、お願いね」

 もちろん断る理由などありません。


 このとき階下にあるおじい様のお部屋から、ドヴュッシーのピアノ曲「月の光」が流れてまいりました。

 夕子叔母様が苦笑なさって、

「貴女のおじい様は、だいたいの事情を察しているようだわ。ピアノなんか弾いてないで、こっちに来て一緒に喜べばいいのに、相変わらずツンデレだなあ」

 その夜は夕子叔母様と交代で、ムル様を看病しましほぼ徹夜でしたが、翌日は若さと気合で乗り切り、なんとか学校に行くことができました。


 電柱列を従えた大通りに沿って、木造平屋または二階建て瓦葺家屋の町屋がずらりと並び、合間を路面電車〝岐門くなと電鉄〟車両が走ってゆく。洋風建築である商工会議所前を通ったとき、馬上の寧音ねねさんが、ハナに乗った私を見つけ、

おひい先生、おはよう存じます。猫さんはどうなった?」

「だいぶ良くおなりだわ。来週あたり、幻夢境に送ってさしあげるつもり」

「私も行きたい」


 ――えっ?

 寧音さんの申し出に私が面食らっていると、神出鬼没としかいいようもないタイミングで、自転車に乗った吉田先生が現れて、

「僕はいいと思いますよ。――心なしか〝幻夢境〟から湧いてでる鬼が、だんだん狂暴化している気がする。我々術者もそれに対応しませんと。――岐門くなと神社の後継ぎ娘・寧音ちゃんのレベルアップにはもってこいだ」

「あのお、私、神職じゃなくて、一介の英語教師なのですけど……」

「やだなあ、千石先生。貴女はもう〝我々〟にとって戦力ですよ」

「私には合わないかもしれなくってよ」

「ははは、寧音ちゃんを伴って貴女があっちに行くときは、僕も付き合いますよ」

「なんのお話しかしら?」

「つれないなあ、もう」


 くつわを並べていた寧音さんがムスっとなさって、

「二人イチャイチャ、私、仲間外れ――」

「あはは、そう見えるかい、寧音ちゃん? なんか光栄だなあ」

「寧音さん、大きな誤解です。――どうも私、吉田先生が(※お嬢様ことば翻訳:嫌い)ですわ」

 そんなことを三人で言い合いながら学校に着きますと、またもやちょっとした異変が生じておりました。


 始業前、見たことのない女性が教頭先生のご案内で職員室に入って来て、

「昨夜、前任の校長先生が急病で倒れられました。医師の話しだと、職場復帰はかなわないだろうとのことで急遽、県知事閣下は新任の校長先生を手配して下さいました。こちらが乃東現子ないとう・あらこ先生です」


 その方は、――年齢不詳――つば広の帽子にリボンのブラウスでジャケット、膝丈のスカートで、清らな面立ち色白のおみ足美しい女性でした。フローラルな香りが漂って、男性教師の皆様は、に(※お嬢様ことば翻訳:呆けて)しまわれたご様子です。


 ――いいねえ、僕は乃東校長と結婚したいなあ。

 ――吉田先生、念話で私に、そんなお話を振らないでくださらない!

 ――これは失礼、千石先生。新校長のあまりの美しさに、つい取り乱してしまいました。……でもですよ、やっぱり貴女が一番美しい。訂正します。僕は貴女と結婚したい。あはは。


 ほんと、吉田先生は(※お嬢様ことば翻訳:無粋で)いらっしゃいますこと。もし地球に隕石が落ちて、私と吉田先生と寧音さんの三人だけ生き残ったとしたら間違いなく、寧音さんと結婚いたしますわ。


 するとそこに割って入るように、乃東校長先生が、

 ――はじめてお目にかかります。千石先生、貴女のことはよく知っている。貴女はこれ以上、〝幻夢境〟に関わってはいけない。いいわね、忠告はしたわよ。

 念話だ。――なんですの、この方。私、とても汗がでております。

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