第6話 花咲く乙女たちのかげに  

 五月下旬――

「学校遠足は明治の御代、東京師範学校に始まり、教師・生徒間相互の絆を深めるとともに、社会風俗への理解を積むことを目的としております。――では引率する職員の皆さん、くれぐれも事故なく、学校にお戻りください」


 木造平屋職員室での校長先生訓示後、私は、渡り廊下向こうの別棟にある一年二組教室に行き、教壇に立ちますと、生徒たちがお出迎えしてくださいました。

「〝おひい先生〟おはよう存じます」

 まあ、活発でいらっしゃること。


 岐門くなと高等女学校〝岐高女くなこうじょ〟の女学生たちは元気いっぱいで、リュックサックを背負い校門を跳び出してゆきました。

 全学年三学年に三十人学級が二つずつあります。遠足は学年ごとに定番コースがあって、一年生は学校から五キロ行ったところにある岐門海岸が目的地です。


 麓に集落を伴った低い丘陵の合間に開けたところは田地となり、水が張られ、蛙やら鮒やらが泳いでいるのが望めました。田の中ほどには一本松で兜を戴いたような小さな古墳が小島のようになっています。


 吉田先生を筆頭に、六十人の女子生徒たちが唱歌を口ずさみながら、二列に並んで行進しています。吉田先生は着物・袴姿、生徒たちはくるぶし近くまである黒で統一したセーラー服に帽子姿をしています。


 かくいう私も着物に袴姿、ですが皆と一緒に歩くのではなく、愛馬ハナの背中に乗っていました。生徒の多くは徒歩または自転車通学でしたがが、かなり少数ではありますが馬で通学する子もいなくはない。淑女の騎乗法は横座りで、通常は私も、そのようにしておりますの。

 道すがら、田植えをしている方々が、

「噂の姫先生でねえか。都会の香り、垢ぬけてる。――眼福じゃわい!」

 たぶん私は赤面して、

「あのお、吉田先生、私だけ馬に乗るのは気が引けますわ」

「万が一生徒が怪我をした場合、貴女が、愛馬ハナちゃんに生徒を乗せて、学校医務室または最寄りの診療所に駆け込めることができる。これは校長のご英断というものですよ」

 お気だてに難のある吉田先生は、ククと噴き出していらっしゃいる。――私、いい晒しものでなくって?


     *


 浜辺では、海に注がれ河口が潮流にあらがえず横川となり、天橋立あまのはしだてのような砂州が形成されることがままあります。目的地の海岸もそうでした。


 私たちが目的地に着いたのは、予定通りの正午ごろで、南東から吹いてくる潮風にのった磯の匂いがし、波の音が響く白砂青松の浜辺でお弁当を戴くことになりました。生徒たちは、あらかじめ班分けされており、お喋りをしながらお食事を楽しみました。

「姫先生、どうぞ――」

 何人かの生徒からおすそ分けを戴きました。私の受け持ちクラスの子で吉田先生の下宿先・岐門神社物部寧音もののべ・ねねさんときたら、ご自分のとは別に私用の重箱まで準備なさっていらしたわ。――あはっ。


 お弁当のあと、生徒たちはブーツを脱いで、波打ち際で戯れたり砂浜を駆けまわったりして、時間をすごしていました。その光景は、高等師範学校時代、英文学専攻生仲間で読みまわしました英訳版、『失われた時を求めて』第二編の「花咲く乙女たちのかげに」にでてくる、ヴァカンスを楽しむ女生徒たちを描いた挿絵そのままに、華やいでいました。

 ところがほどなく、表情を曇らせた生徒数人が私のところへ駆けてきて、


「波打ち際でカモメが群がっていたので近づいたら、猫さんが倒れていて……」

「まだ息はあるかしら?」

「薄目をあけて、ちょっと動きました」


 そういうわけで、カモメに代わって生徒たちに取り囲まれている猫さんのところへ行きましたらびっくり、灰色毛の牡猫でブーツを履いている。『長靴を履いた猫』そのままではありませんか! 猫さんはさらに腰ポシェットまでしていた。――問題なのは、横腹を鋭利な刃物で深く斬られていることです。

 私は、松林につないだハナの鞍に載せた救命箱を持って取りに戻って、水筒のお水で傷口を洗い、ヨードチンキを塗り、綿と包帯を巻いて止血すると、寧音さんを呼んで、

「貴女、申し訳ないけどハナに乗って、この子をうちの小母・夕子に届けてくださらない」

「判った」

 寧々さんも私と同じで、自宅から馬で通学している。こんなふうに愛馬が役に立つとは思いませんでした。彼女に怪我をした灰色猫さんを預け、先に帰すことにしました。

 寧音さんを送り出すと、ふらっと松林に吉田先生が現れて、

「姫先生、長靴をはいた猫は、ウルタールの猫じゃないですかね?」

「吉田先生もウルタールに?」

「いえ、〝銀の鍵〟をつかって、四腕大鬼〝ガク〟の回廊都市を抜ける正規ルートからしか行けない僕は、まだそこにたどり着いていない。あくまで〝魔法の森〟にいる管狐くだぎつね〝ズーグ族〟から聞いた知識ですよ」


 〝姫先生〟のほかに〝夢見姫〟の二つ名をもつ私は、異世界〝幻夢境〟に転移することができました。ウルタールというのは幻夢境の砂漠地帯にある交易都市の名で、かの世界ではそこの猫さんたちが市民権を持っていることで知られています。――だいぶ前、隊商に加わって訪れたことがある。


 それにしても吉田先生は何者なのだろう。〝夢見〟の通力を持たないのに、そこまで踏破してしまえるのは、一般の術者とは一線を画しているどころの話しではありません。


 吉田先生と生徒たちを学校に送り届けた後、おじい様のお屋敷に私が戻りますと、寧音さんと一緒に二階の空き部屋で、負傷した猫さんを看病なさっていらした夕子叔母様が、

「〝長靴をはいた猫〟さんは、猫というよりは猫系の亜人みたい。――ところで寧音さんのお馬は?」

「学校から私が連れて参りました」

「そう、一命は取り留めたようだから安心して。――だから貴女、寧音さんを神社にお送りするといいわ」

 夕子叔母様のお言葉に甘えて、私は寧音さんをご自宅にお送りすることにしました。


 ふたたびお屋敷に戻りますと、長靴をはいた猫さんが目を醒ましていました。ムルと名乗った猫さんが、

「夢見姫だな。ある人から手紙を預かっている」


 ムル様は、〝幻夢境〟の玄関口にあたる四腕大鬼ガクの回廊都市を抜ける際、狂暴な軟体動物〝ガースト〟に襲われて負傷し、どうにか現世地上に這いでてきたところを、追って来たシャンタク鳥に捕らえられた。この鳥は邪神の奉仕種族で猫系亜人を嫌っており、空中に舞い上がってムル様を地上に叩きつけた。――そこにたまたま岐門女学校一年生が遠足に来ていて、ムル様が失神しかけていらしたところを発見されたという次第です。

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