蛍が綺麗だね。
海嶺
蛍が綺麗だね。
夏が始まる匂いがする。むせかえるような土の匂い、草の匂い。下校する時には今年一番の蝉が鳴いていた。小川に掛かる橋を渡って、林を抜けて、がたがた鳴る引き戸を開けてただいまと言う。ふくらはぎが痛いな、と思いながら古傷をさすっていると机の上に置いてある封筒を見つけた。君からの手紙だった。ああ、久しぶりだ。そう感じながらカッターナイフで丁寧に開けて見る。中には便箋が2枚入っていた。一枚目には
『久しぶり、二年ぶりかな? 約束した時が来たよ、荷物運び、お願いするね。』
とだけ。二枚目には場所を指定する文言だけ君の綺麗な字で書いてあった。文字のところだけインクが滲んでへこんでいる便箋の手触りを感じていた。――よし、運ぼう。準備をする前に丁寧に手紙を鍵付きの棚へ入れた。裏庭に回って台車を探す。ねぇ、ここかな? どこだっけ。頭の中の君に問いかける癖はまだ治っていないようだ。
麦わら帽子をかぶって靴を確認する。薬も飲んだ、大丈夫だ。私はこれから手紙で君に頼まれた荷物を運ぶよ。学校? 休んだよ、行ってもつまらないからね。わたしが行かなくたって誰も心配しないんだ、それに君が頼んだ場所までは遠いし、一日かけて運ぶよ。深呼吸をして錆び付いた台車を持ち上げると途端、やる気が湧いてきた。よし、行こうか。
もうどれほど歩いただろうか、汗でシャツが胸に張り付いて気持ちが悪いよ。暇つぶしみたいに頭の中で君へ話しかける。やっぱり日本の夏は暑いね、湿度が高くて、それでいて直射日光も決して負けてないよ、アスファルトの照り返しが私の脛を焼くみたいだ。痛い。それにしても、なんでこの道はこんなに坂が多いのかな、気が使えないんだね、別にいいけどさ。坂といえば、君と私が初めて会ったのもこんな坂道だったね、覚えてる? 私の薬が坂道を転がっていくのを止めて拾ってくれたよね、男子たちが私のくすりポーチを気持ち悪がってさ、盗られて捨てられちゃったやつ。ねぇ、あの時の君を昨日の様に覚えてるよ、長い黒髪を揺らして男子に掴みかかった君を。さながら虎みたいで格好よかった。そのうえ君の向こうに夕陽があるんだもん、後光が差してるようで、ああ、この人が女神様なんだって思ったよ。でも私が落ちて砂利のついた薬を飲むのをみて驚いていた所を見るとやっぱり君は女神には少し手が届いていなかったんじゃないかな。あの時はびっくりしたよね、ごめん、薬が切れそうだったから砂なんて気にしてられなかったんだ。あぁ、やっぱり君と友達になれて私はすごく嬉しいよ。下品な笑い方をする男子たちから薬を取り返してくれる人は君が生まれて初めてだったんだ。わたしの家に来てくれたのも、駄菓子屋に行ったのも、土砂降りの中走ったのも、君とが初めてだったよ。全部、ぜんぶ嬉しかった、ありがとう。でもさ、よく考えると今、こんなに長い距離台車を私に引かせてるのは君なんだよね、あぁもうほんと、嫌いになりそう。あとでアイス奢ってね。ん? 冗談だよ?
あぁ疲れた。やっと下り坂になったよ、もう後半戦かな。ちょっと日が傾いてきた、あれ? 二時なのにそこまで暑くないや、まだ夏じゃないのかもね。そういえば、こんな温度だと思い出さない? 二人で行った夏祭りもこんな気温だったっけ。りんご飴が美味しかったのはもちろんとして、一緒に見た花火綺麗だったね、私、あの時はじめて花火見たんだ、あんなに胸がばくんばくん鳴るんだって知らなかった。一瞬だけ、まるで昼なんじゃないかって思うくらい、明るくなるんだよね、そのあと花火に色がつくの、綺麗だったね。あ、でも最初わたしが雷みたいって怯えてたの、誰にも言わないでね、恥ずかしいから。そういえばあの時、わたし薬切れちゃってごめんね。すぐ機嫌が悪くなってマイナスなことばっかり考えちゃうんだ。誰かに見られてる気がしたり、怒鳴られてる気がするようになっちゃうの。誰もわたしなんか見てないのにね。迷惑かけたよね。でも、わたし途中まで普通だったでしょ? あの時言わなかったけど、機嫌が悪くなった二時間前にはもう薬がとっくに切れてたんだ。なんでギリギリまで普通に過ごせてたと思う? それはね、君の浴衣姿がすごく綺麗だったから。この人を悲しませちゃいけないって、わたし、結構頑張れたんだ。成長させてくれてありがとう。あの時言っておけばよかったね、君はあの時、一人だけ光って見えていたよ、あそこでやっと、
「ああ、この人こんなに美人だったんだ」
って気づいたの。言っておけばよかったよね、遅いよね、ごめんね、自己中で。何にも見えてなくて。
その後、わたしと同じでいじめられちゃったよね。笑われて、蹴られて、嬲られて、ボロボロになって。辛かったよね、耐えられなかったよね。なのになんでわたしなんかと遊んでくれたの? もっと良いグループが沢山あったはずなのに、ほんとに、君は見る目がないんだね。ねぇ、訊いていい? 君が蹴られてるのを見た時、わたしはあいつら殴って正解だったと思う? あぁ、そうだよね、そんなのわかんないよね。でもわたし、逃げたかったけれど、それよりもっと逃げたくなかった。それにあの時はちょっとだけ嬉しかったんだ。わたし変かな? 拳は痛いはずなのにさ、不思議と全然痛く感じなかったんだ。腫れ上がった握りこぶしの熱がさ、熱いんじゃなくてあったかかったんだ。
ちょっと休憩、久しぶりに来たけれどこの川ってこんなに小さかったっけ、昔はプールみたいに広く感じたのにね。足を入れると涼しくてくすぐったくて気持ちが良いよ。そういえば、川の音好きだったね。昔は三時間くらいずっと、ざぷんざぷんって鳴る音を聞いていたこともあったっけ。でも、もうすぐ日が暮れちゃう。急がないと。前に思ったんだけど、夕焼けの茜に鴉は映えるね、あ、そんなこと考えていないで急がないと、すぐ忘れちゃって困るね、このままだと頼まれた場所がわからなくなっちゃうかもしれない。
荷物、置いてきたよ。あそこで本当にいいんだよね? 手紙に書いてあったもんね。蛍ちゃん、ほんとに川が好きだね。でもさ、空っぽの台車を引くとわかるけど、蛍ちゃんってさ、結構重かったんだね。あれ? もしかしてわたし今デリカシーないこと考えてた? でもさ、蛍ちゃん、
「謝るところそこじゃないよ、もうちょっと考えて。」
っていつも言ってたよね、わたし今日も何か他にひどいこと言っていたかな、自分じゃわからないんだ、ごめんね。でもそっか、もう君は誰かに悪口言われることもないんだ、よかったね。いや、良くないか。考えるって難しいね。
空っぽの台車を引いて帰っているとさ、行きは下り坂だったところが上り坂になっているんだよね。それはそうと、たまにある電灯だけ頼りにして歩いていると思い出すよ、蛍ちゃんが泣いてた夕方のこと。あの日は曇りだったね、心に痣を沢山つくってやつれた君が病院から帰ってきてさ、両手にたくさんの薬を持ってた。私の家で電気も付けずさ、私と同じ薬がないか探したんだったね、君は乗り気じゃなかったけど。
「わぁ、これ、私と同じ薬だ! おそろいだね!」
って言ったとき、
「何がおそろいだよ、ふざけてんのか」
って言ってたね。ね。ふざけてるに決まってるじゃん、薬貰った時の気持ちなんて思い出したくないもん。蛍ちゃんの気持ちは誰よりも分かってたよ。
「強がらなくていいよ」
って伝えた時、君が泣き出したのがその何よりの証拠だよ。あと、その時のノリで約束しちゃったけども、片方が居なくなったらもう片方が運ぼうって本当に約束して良かったのかな。私が運ばれる側だったから全然良かったんだけど、あれ、嫌じゃなかった? あ、そっか。もう聞けないんだ、蛍ちゃんがなんて思ってたか。
あれから一週間経ったよ、手紙に書いてあった通りにまたこの川に来たけど、なるほど。蛍ちゃんらしいね、ありがとう。蛍綺麗だよ。わたし、こんなに沢山飛んでいるの初めて見たかも、花火の中にいるみたい。昔から蛍ちゃんってさ、いつも綺麗なものを見せようとしてくれたよね、わたし覚えてるよ。誰も見ていない雑木林からの夕日、天気雨でしか見れない葉っぱの青、山の向こう側で上がってる花火。そっか、もう見に行くないんだ……そっか。あぁ、なんでだろうね。大切だって思ったものから順番に消えていくのはなんでだろうね、特に要らないものだけずっと残ってさ。意味わかんないよね。ねぇ、蛍ちゃんの中からは何が消えたの? 教えてよ。なんで逃げたの? 自分だけさ、楽して、また笑ってんだ。そうやって。ツラだけは穏やかにしやがってよ。あ、ごめん。またひどいこと考えていたね。ちょっと薬飲ませて。
ねぇ、また会いたいな、でも、あんまりすぐじゃなくていいかも。わたしはまだやらなきゃいけないことがあるから、地獄をたっぷり味わってからまた会いにいくよ。じっくり待っててね。
あ、雨が降ってきちゃった。嘘じゃないよ? ほら、土砂降りだ。すぐに肩が濡れちゃった。初めてかも、一人で土砂降り体験するの。二人でいた時は気付けなかったけど、こんな匂いがしたんだ、ちょっと香ばしいね。これがペトリコールなのかな。あ、君の手紙がしわくちゃになっちゃった。大切なものだったのに、もう字が読めないよ、どうしよう。蛍ちゃんからの手紙はこの一通きりなのに。え? 泣いてないよ。嘘じゃないよ? ほら、こんな土砂降りでさ、泣いてるかわかるわけないじゃん。
あぁ、結構寒くなってきちゃった。風邪ひきそうだから帰るね、じゃあまたね、蛍ちゃん。もう一回だけ言っていい?
「蛍、綺麗だね」
蛍が綺麗だね。 海嶺 @Zainichinihonzin
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