私が今だに眠りから覚めないお母さんをそのままにし、勉君のお家から出ると…が鳴った。

 通話先は…今だにアパートの一室に籠っている鬼塚 千広おにつか ちひろだ。


『もしもし…鬼塚さん、どうかしましたか?』


『あの、一つ気になった事があるんだけど…今いいかな?』


「えぇ…構いませんよ」


『ランドセルの下地って…色ついてるっけ?』


「は?」

 私は、鬼塚さんが急に訳のわからない事を言い出したので、ついに頭が壊れたかと…流石の私も焦ってしまった。

 

『勉君のランドセルがね、色落ちしてる部分があったんだけど…そうしたら下地がピンクで。普通、色落ちすると同系色の色が薄くなったようになるじゃん、不思議だなぁーって」


「下地がピンク…が一番高いですが、普通のランドセルじゃまず、そんな無駄に手間のかかるような事はしないでしょう…に連絡はしてみましたか?」


『実は彼のランドセルを作ってる店って、なの。マップにも電話番号載ってないし、連絡のしようがなくって…』


「成る程…それで私に直接行ってほしいというわけですか…」

 私は彼女の言っていることの意図を理解し、納得すると共に、内心少しホッとしていた。


「頭の方は…強く打ったりとかは…してないっすよね…?」


『つまり何が言いてぇんだ?』


「いえいえ、確認のためです。分かりました…確かにランドセルの事は少し妙ですし、私も丁度、の大一仕事が終わったところなのでいいでしょう」


『ありがとう、そこの住所と勉君のランドセルの写真は、そっちに送っとくわ。…ってかパンありがとうね。あそこのベーグルすっごく美味しいね、勉君も喜んでたよ!、今度から私も、あそこのパン屋で買おっかなぁ…』


には、執念と魂がこもっていますから、そりゃあ美味しいですよ。僕の一番のお気に入りのパンです」


————————————


 私は彼女のLINEに送られてきた住所へと足を運んだ。


「ほぉ…ここがその場所ですか」

 そこは彼女が言っていた通り、雷宝町の端にある小さな店だった。

 土地の真ん中にポツンと建っている。それにしても…少し古臭い木の屋根の建物というのは、なんとも趣を感じさせるだろうか。


 非常に好印象な店だ…というか私は好きだ。


 私はゆっくりとその店の、腐りかけている木の扉を開ける。

「お邪魔しまーす…」


 中に入るとまだ昼だというのに、店内の薄暗い闇が私を出迎えてくれた。

 店内には鉛筆やシャープペンシル、日記帳やその他様々な文房具が並び、奥側にある壁に私の探していたそれはあった。


「ランドセル、文房具だけではないのですね…」

私がそう呟いたその時だった…

 

「ほぉ…あんた、だね。初めてのお客様だ」

 後ろからしわがれた声がした。


「うおっ…!!びっくりしたぁ。こんにちは…私は井口 言と申す者ですが、よく私が高校生だと分かりましたね」

 私は自分のセールスマンの様なスーツ姿を見直し、改めてお婆さんに問いかける。


「へっ…そんな子供騙し、私にやぁ通用しないよ。…にしてもそんなスーツ姿でこんなところに何の様だい?…」



 ————————————

 私はブラウンのランドセルの色落ちした部分が、ピンク色だった事について…を交えながら事細かく話した。


「これは確かに、後から塗装されたとしか言いようがないねぇ。うちは…ピンクのランドセルなら置いてあるよ」

 おばあさんはそう言い、壁の下、端っこに立てかけてあるピンク色のランドセルを手に取った。


「このランドセルが、おそらく塗装された元のランドセルだ」

 おばあさんの言った通り、写真に写っていた色落ちした部分と、おばあさんのランドセルの色は全く同じであった。


 すると…おばあさんがさらに、こんな事を言い出した。


「懐かしいねぇ…そのピンクのランドセル、小さな女の子が両親にランドセルを買ってくれた時に喜んでたんだ。昨日のように思い出すよ…」


「女の子…ですか?」


「えぇ…昔からこの店やってるんだけどね、なかなか人が来てくれなくってねぇ。ここのピンクのランドセルを買ってたのは、なんだよ」


 俺はそのまま前乗りになってお婆さんに話しかける。

「その女の子の事、良ければ詳しく聴かせてください…!!」


「は、はぁ…別に構わんが…」



 

   ◆ ◆ ◆


 あれは…今から7、8年ほど前のことだ。ここの文具店にある親子がやって来た。ニコニコと笑顔が可愛らしい女の子と、その父親と母親らしき人物。女の子の父親はそこまで機嫌が良さそうではなかったが、その分女の子の笑顔がとても印象的だったよ。

 すると女の子が、壁に立てかけてあったランドセルを指差してこう言ったんだよ。「あれ頂戴!!あれ頂戴!!」ってね。

 すると父親と思わしき人物は、『はいはい…分かったよ』とめんどくさそうに言いっていた。その後ろで母親らしき人物は、父親と女の子の会話を見ていながら、とにかくニコニコしていた。


 彼女の父親は、結局…私の店でランドセルを買い、少し文房具もついでとばかりに買った後、そのまま帰って行った。


————————————


 店を出る時に女の子が『ありがとうおばちゃん』と言ってくれた事が、嬉しくって嬉しくって…とても忘れられる思い出じゃないよ。はぁ…できれば、また会いたいものだけどねぇ…」


 やはりだ…ようやく、ようやく真実に辿り着いた。勉君の部屋にあった二段ベット、写真立てに写っていた指のようなもの、ピンクのランドセルを買った女の子とその両親。その全てが繋がった。


「その女の子はさぞかし嬉しかった事でしょうね…おっと、そろそろ時間なのでおいとまさせていただきます。…ごきげんよう」

 私はそう言い残し、店の扉に手を伸ばそうとした。


 「で、アンタはその話を聞いて、どうするんだい?」

 私の背中から、おばあさんの静かな声が聞こえる。


「おや…どうするというのは?」


「アンタ…さっきから、。それも可愛いって顔じゃないね」


 私は自分の頬の口角を、自らの手で下に下げる。

「すみません…気分を悪くされたようで…」


「いや…そういうわけじゃないさ。餓鬼ガキの癖に、随分と物騒な顔をするもんだと思ってね」

 おばあさんはそのまま続ける。


「『深淵を覗く時、深淵もまた…こちらを覗いている』、有名な言葉だ。アンタのような子供が、深淵を覗いちゃ…簡単には戻れない。それでも深淵を覗く覚悟が…アンタにはあるのか?」


 成る程…ただ歳を重ねた老人ってわけじゃないみたいだな。


 俺はおばあさんの問いに対して、一言こう返した。

「もぅ、。俺は…」


 ————————————


 店の外に出た。外はまだ明るく、日も沈んではいない。

 俺は、すぐさまの連絡先に電話をかけた。


「終わりましたよ…」


『ありがとう…それで、どうだった?』


「直接話したほうが早いっすね、





 

    ◆ ◆ ◆


「それで、勉は見つかったのか?」


「謙也さん…!!いいえ、まだ見つかってないわ」

 リビングの椅子で謙也さんに叩き起こされた私は、躊躇いながらもそう告げた。


「はぁ?見つけるまで帰ってくるなって…言ったよなぁ!!」

 謙也さんは私の頬を拳で殴る。


「ブフォッ!!」

 私はそのまま大理石の床へ転げ落ちた。謙也さんは地面に転がっている私の頬を、さらに拳で殴る、殴る、殴る…


「帰ってくるなって言ったよなぁ!!」


「ごめんなさい、ごめんなさい…警察に行ったんだけど、まだ話が来なくって、ごめんなさい…!!」


「そこは警察サツじゃなくて…自分の足で探しに行けよ、メス豚!!」


 「ピンポーン」

 私に拳が当たる寸前…玄関のチャイムが鳴った。


「チッ…誰だよ、こんな時に」

 謙也さんは地面に倒れている私の上をまたぎ、玄関へと向かっていった。


 玄関の扉が開き、謙也さんの物腰柔らかそうな声がする。

「はい…どちら様でしょう、今お取り込み中で…」


 すると、玄関で彼の柔らかな声が急に強いものとなった。

「おい!!何、勝手に中に入ってるんだ!!」


 謙也さんと、もう一人の誰かがズシズシと中に入ってくる音がする。


「いえいえ…お気になさらず」


 この男…まさか、昼間の…!?


「おやおや、良くないですねぇ…だなんて…」

 その男はそう言い、私の前に立った。


「アンタは…さっきの…?」

 そこにいたのは、昼間に私が家で話を聞いていた、だった。


「テメェ…!!」

 後ろから謙也さんが彼に殴りかかろうとする。


「危ない!!」

 謙也さんの拳が、頭に当たりそうになった刹那…彼はノールックでその拳を避け、振り向き様に謙也さんを左手でぶん殴った。


「ゴッファア…」

 謙也さんはそのまま後ろに吹き飛び…倒れた。


「おっとすみません…つい、手が滑りました。お二人ともそのままで結構です、僕の話だけを聞いていてください。

 まず…貴方達が探している乾 勉君ですが…。なので、誘拐だとか犯罪に巻き込まれたとか…そういう訳ではないですので、ご安心を」


「はぁ!!?あ、アンタが!?」


「えぇ…彼の話によると彼、いつものように通成君にパシリにされていた様ですよ。ねぇ…乾 謙也さん」

 彼が今だに起き上がれない謙也の方を見てそう言い放った。


「あの餓鬼…余計な事を」


「いいえ、余計な事じゃありません。助けを求める…人間のですよ。そして、勉君は医者になりたいわけでも無いのに無理やり親に夢を強制されて、親の言いなりにならなかったら平手打ち…でしたっけ?乾 京子さん」


何なのよ…コイツ!!


「違います…!!あの子は医者になりたいと心の底から願ってるんです。それに、先程から保護だなんだと仰っていますが、それは立派な犯罪です。犯罪者如きにあの子の何が分かるっているんですか。恥を知りなさい!!」


「ではお母さんに聞きますが、自分の愛おしい息子が、一年で一番好きな日…なんだと思います?」


 「えっ…そりゃあ、私の誕生日とか、母の日でしょ…」

 なんて言ったって、一年に一度だけ…自分の大好きなお母さんを祝える日だからね。

 

「は?冗談よしてくださいよ、誰がアンタみたいなに感謝するっていうんですか…正解は七夕ですよ。織姫と彦星が年に一回会える日です」


「七…夕…?」


 驚きのあまり放心している私を尻目に、彼は語り続ける。

「一年に一度、短冊に願いを書いてお願いをする…彼の願いは『自分の好きな様に生きたい』だそうです。自分の好きな様にご飯を食べ、好きな様に遊ぶ。

 私も初めて聞いた時、すっごくいいと思いましたよ。まるで私自身を写したような夢です!!まぁ…は、自分の息子がそんな事を考えているなんて、思いもしなかったようですけどね」


「貴様…何が言いたい!!」

 謙也さんが地べたに這いつくばりながら、そう言った。


 「別に、それだけですよ。それよりも謙也さん…貴方の息子、私がバイトしているコンビニでしようとしていましたんでね、個別に話を聞いてみたんです。するとびっくり…勉君、貴方の会社の御曹司である渦潮 通成君からいじめを受けているようじゃないですか。ちょうどその時も、パシリにされてお金が無いからおこなおうとしたらしいですよ。

 そしてさらにびっくり…話を聞き進めると、実の父親が自分の息子がその、と。こりゃあ流石の私も驚きましたよ」


 は、今なんて言った?


「謙也さんが、私の息子が虐められているのを容認している?認めているって事?」


「えぇ、その通りですよ、ねぇ…謙也さん」

 謙也さんは顔を真っ青にさせ、小刻みに震えていた。


「は?どうしてですか、謙也さん…なんで勉が虐められているのを良しとしているんですか?ねぇ!!!」

 私は謙也さんに叫んだ。


「うっせぇな!!俺が稼げなかったら俺も、あの餓鬼も、お前も…生きていけないんだぞ!!その為には仕方ねぇんだよ!!!」


 「なんなんすか?せっかく私が将来活躍できる人になってもらおうって育ててきたのに、そんなわけ分からない理由で私の勉を…勉を…!!」

 私がそう言いながら立ちあがろうとした。


その時だった…私の顔面に黒い物体が飛んできた。そのままその黒い物体に当たった私は、視界が暗転し、床に思いっきり頭をぶつける程吹っ飛んでいった。


    ◆ ◆ ◆


「今更いい母親感出してるんじゃねぇぞ…クソ外道」

 俺は足蹴りを思いっきり母親の顔面にくらわせた。

 俺は母親のそばまで行き、ゴワゴワになった髪を掴み、が見えるまで思いっきり引っ張った。


「痛いぃ!!!」


「お前がやってたのは教育や躾じゃない…ただのだ、パワハラだ。自分の息子だったらいいと思ったか?息子への愛があるからいいと思ったか??

 親子関係っていうのはで成り立ってるようんもんだ。それを押し付け、勉君の気持ちも理解せず、強制的に自分の気持ちを子供に尊重させる。何が今さら感謝される母親なんだ…!この雌豚がぁ!!!!!」

 俺は母親の醜い顔面に、更にボディブローを叩き込んだ。


「ぐびゃぁ!」

 母親はそのまま後ろの壁に激突して倒れた。


「さて、乾 謙也さん…アンタには一つを聞きたい。」


謙也は床に這いつくばりながら、恐怖でひきつった顔をしていた。

「乾 勉君はじゃねぇんだろ…?」



 

    ◆ ◇ ◆


「はぁ…?」

俺の話を聴いた乾 勉はそんな反応を見せた。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ…僕は正真正銘生まれた時からです!!

 僕の頭の中には、父と母の嫌な記憶しかありません」


「いや…いたはずだ、おそらくお前にはお姉ちゃんがいたはずだ。の現在、中学二年生にな…」


 勉君は頭を抱え込みながら、考えるような仕草をし始めた。

「う〜ん…」


「なぁ言。本当に、この子の姉にあたる人物はいるのだろうか?」

鬼塚さんが俺にそのように聞く。


「塗られた前のランドセルを勉君が持ってる以上…これはっすよ。多分…」


 しかし勉君が思い出さない以上…というのは生まれない。何か、思い出すキーでもあれば…

 仕方ない、ダメ元で見せてみるか…


「勉君、この写真に見覚えってある?」

 俺はを床に敷き、撮影した物を勉君に見せる。


「これって…僕が動物園に行った時の写真じゃないっすか。それにしても良く部屋の中に入れましたね、言さん。ん?この指みたいなのって…」

 勉君が、写真の右端に写っている肌色のモヤを指差し、そう言った。







 

「あ…」


    ◆ ◆ ◆


「つーちゃん…大丈夫!?」

 あの動物園で僕は一度、盛大にこけて膝を擦りむいた事があった。


「お姉ちゃん…いだいよぉ〜」

 今よりも更に小さく、更に泣き虫だった僕は、いつも助けられていた。


「全くお母さん、お父さん、私達に冷たいんだから…」

 彼女は絆創膏を、膝が擦りむけた位置に貼ってくれた。


「でも、だからこそ…兄弟で助け合わなきゃね…!!つーちゃん、ほらおんぶするよ」

 彼女はその場にしゃがみ、背中に俺を乗せながら発進した。


————————————


「ごめん…お姉ちゃん。こんなに情けないで…」

 僕は彼女の背中の中で、静かにそう言った。


「ハハッ…弟ってそんなもんよ、勉。貴方は貴方で私と違って、とっても優しいんだから。いいじゃない!!」


 ううん…僕は臆病なだけだ。


「違うよねえちゃん、僕は…」


「メッ…!!そんなネガティヴなことばっかり言ってちゃ、幸せが逃げちゃうよ。ほら、今日はせっかく久しぶりに家族で動物園に来たわけだし、楽しもっ!!」

 彼女は俺を背負いながら優しい声で俺にそう言った。


「うん!!」


 俺はこの時誓った。絶対に姉ちゃんを悲しませないって…絶対に姉ちゃんを幸せにして見せるって…




 そう誓ったんだ。


    ◆ ◆ ◆


「どうしました?勉君…そんなにボウッっとして」


「ねぇ…ちゃん、

 彼がその名前を口にした…


 

 次の瞬間、彼は何かに取り憑かれたように玄関に向かい始めた。それを必死に鬼塚さんが止める。

「姉ちゃん…姉ちゃん?なぁ、離してよ…姉ちゃんが、姉ちゃんが、僕の姉ちゃんが奪われたんだよ!!」


 やはりな…


「どうしたの勉君、落ち着いて…!!」

鬼塚さんが必死に勉君を静止させる。


「落ち着けないよ!!お姉ちゃん!!ねぇ…戻ってきてよお姉ちゃん!!!お姉ちゃん!!!!!」

 まるで自分の一部を失ったかのように、宝物を失ったかのように泣き叫んでいる少年がそこにはいた。


 

  ◆ ◇ ◆


「アンタがやった…最大にして、最低の罪。自身の娘である乾 咲いぬい さきを、について、聞きたい事があるんだが…」

 

 




 

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