肆
四
私は夜の公園で
「やっ…カラスさん、待たせたね」
クロウは俺を見つけると、呆れたような表情を見せた。
「君は本当…時間を守らないね。こっちも時間厳守でやってるんだよ」
「悪いですね~…あいにくこっちは中身重視でやってるもので。それで、勉君の情報、何かわかりましたか?」
「ったく、この前も情報を提供してあげたし、その後に警察の足がつかないように後始末をしたのも、僕だというのに…アンタだけだよ、こんなに人使い荒いの。
それで、その、勉君の母親と父親の事だけど。彼の周り…結構やばいのが揃ってるね、君はきっと満足するんだろうけどさ」
◆ ◆ ◆
彼の父親の名前は
おかしいだろう…?そんな身分から数年で中間管理職という、いわば会社のパイプともいえる役割までになっている。
そして何より…彼自身が渦潮商事の大御曹司、
彼の母親はその事については知らされてないらしい。そりゃあそうだと思うよ…
母親の名は
◆ ◆ ◆
「とまぁ…僕が知ってる情報だけでも、かなりイロトリドリの屑揃いだよ。それに…急がないと彼女達、どうやら警察の方に行方不明者届を出したようだからね。こっちも色々と時間稼ぎしているが、そのうち動き出すだろうよ…言」
ブランコを漕ぎながら彼の話を聴いていた私は、珍しく彼の焦ったような話ぶりにこう返した。
「ゆら〜りゆら〜り、焦る事はないです。逆に焦るとこういうのは取り逃すもの…じっくり、ゆっくりと痛め続けるんですよ」
私は自分の思い描いたこの一勝負の結末を想像し、笑みを浮かべた。
「はぁ…旦那はいつも通りだね。まぁ…それはそれで、らしいっちゃらしいけど」
「それじゃあ…気をつけろよ、旦那。アンタに幸運があろう事を…」
彼はそう言残し、闇世の中へと消えていった。
「あぁ…毎度、毎度ご苦労さまです。そして、ご忠告どうも…」
今回の敵は、どうやら一筋縄ではいかないらしいな。
◆ ◆ ◆
私の名前は
本当に信じられなかった。あの人は、『そんな事もあるさ』と言って聞かないし、警察にも捜索届を出したけど、今朝の電話によると、時間がかかるとの事だった。
私は心配で心配で、夜もろくに眠れないというのに…
と、その時だった。
「ピンポーン」
家のチャイムが鳴った。
「もぅ…誰なのよ!!」
私は不機嫌になりながらも、家の玄関、までズコズコと歩いていき、扉を開けた。
「あのぅ…
そう言って玄関の前に現れたのは、いかにも営業マンの身なりをした、顔立ちの良い一人の男だった。
「私、セールスはお断りなの。話ならよそでして頂戴!!」
私はそう言い残し、扉を閉めようとした。
「待って!!」
彼は扉に足を挟み、閉まらないようにロックした。
「お願いですよぉ〜貴方に特別に紹介したいものがあるんですよーー!!!」
「知らないわよ…!しつこいと警察呼びますよ!!」
「お願いですってぇ…!!!」
なんなのよこの男。このままじゃ、ご近所さんになんて思われるか分かったものじゃない…
「分かったわよ…お外は暑いし、中でお話を聴くわ」
「えぇ…ありがとうございます」
◆ ◆ ◆
「へぇ…かなり豪華なお家ですね〜」
勉君のお家に侵入した私は、内装の整った空間に驚いていた。玄関からの通路にはいかにもな壁画の数々が並び、床などは大理石で出来ている。自分が住んでいるアパートの、木製の床が恋しくなるほどに…
「ここで話をしましょう…お飲み物は何が良いかしら?」
そう言われ、私は広い空間の中にポツンとあるリビングテーブルの椅子に案内された。
「コーヒーでお願いします」
————————————
「さぁどうぞ…さて、じっくりと話を聞かせてもらいましょうかね」
彼女は私と自分の前に冷たい飲み物を置き、椅子に座った。
「すみません…砂糖をくれませんか?ブラック…飲めないもので」
「はぁ、分かりました」
そう言うと、彼女は不機嫌そうに砂糖を取りに行った。
————————————
「はい、どうぞ」
彼女は私の前に、個包装の袋をポイっと投げた。
「ありがとうございます。いやぁ、それにしても最近は物騒なもので、近隣の学校に爆破予告とか、幼児や小学生の誘拐事件とか。この地域の治安は、一体どうなってるんでしょうね」
私が『誘拐事件』というワードを発した瞬間、彼女の顔から血の気が引いていくのが分かった。
ビンゴだ…!!
「誘拐…事件!?」
彼女は思わず、私にそう聞き返した。
「えぇ…近頃、《《売買目的》で幼児や小学生なんかを狙った犯罪が増えてましてねぇ。近隣の小学校では集団登校をしたり、帰りは出来るだけ二人以上で下校するようにと言われてるらしいんですよ」
「勉…!!」
「おや?勉君というのはもしや…貴方のお子様の事ですか?」
私がそう言うと、母親はハッとした様な顔をした後、下を向いたままゆっくりと話し始めた。
「そうですよ…勉は私の愛しの息子です。昨夜から家に戻らないままで、私…心配で」
そう語る彼女の顔は、まるで魂でも抜かれた様に
「それは…心中お察しいたします」
私はそう言い終えると、水滴が付いたカップのコーヒーを一気に飲み干した。
それを見た彼女も、自分のグラスのアイスティーを一気に飲み干す。
「警察の方に捜索届は?」
「えぇ、出しましたよ」
「そうですねぇ…子供っていうのは好奇心がありますからね、たまには親に背きたくなる事もあるでしょう。きっとその内、ひょっこり帰ってきますよ…!警察の方にも連絡された様ですし、安心ですね」
「安心なんて…安心なんて出来るわけないじゃない!!」
彼女は立ち上がると、リビングテーブルをバンと叩く。
「あの子はまだ10歳ですよ!!一人で何もできないような弱い子が、もしかしたら、もしかしたら誘拐されてしまったのかもしれないんですよ!!そんなので…どの口が安心できるなんて言ってるんですか!!!!!!」
彼女は鬼の様な形相でこちらを睨んだ。
そしてそのまま倒れた後、深い眠りについたかのように動かなくなった。
「お休みなさい…どうやら疲れている様でしたから、市販の睡眠薬を砕いた物を、貴方のアイスティーに入れさせてもらったんですよ。市販の物ですから効能はそこまでではないですが、昨夜からの疲れが溜まっていたのが功を成したようです。安心してください…貴方の言っていた一人で何もできないような勉君は、私達と一緒にいます。あなた方から逃げ出すために…」
床でこっくりこっくりと眠っている京子さんに、私はそう呟いたのだった。
————————————
「ここが勉君の部屋ですか…」
私は二階にある、彼の部屋へと足を踏み入れた。
中には学習机、本棚、そして二段ベットがポツンと置かれていた。
「これはまた…大層な部屋なのに、随分と寂しい部屋ですね…」
彼の部屋は子供部屋とするにはあまりにも大きく、子供部屋とするにはあまりにも物寂しい部屋だった。
私は彼の本棚の前まで行き、並んでいる本を眺める。
「歴史書…参考書…夏目漱石…太宰治…そこそこ難しい本から、参考集まで…色々と揃ってますねぇ。幾つか勉君の為に持っていってあげますか」
そうやって本を、持ってきたマイバックに入れていた時だった…
「おや、これは?」
私の目に、窓際に置いてある、ある物を手に取った。
「写真立て…みたいですね。よく撮れてます」
勉君と母親のツーショット写真。勉君は今よりも少し幼く、彼の母親も今に比べて、少し若々しく見える。
私は試しに写真を写真立てから出してみた。すると…
「おや…?何か…指のようなものが写っていますね」
写真立てのフレームで隠れていて見えなかったが、写真の右端に肌色の指らしき物が写っている。
こんな至近距離で隠れるなんて事、あるか…?画角的に自撮りと思われるが、スマホを持っていると思われる母親は、カメラのレンズとは反対向きに手をやっている。
「じゃあこの手は一体?」
私はその時、ふと頭によからぬ妄想を浮かべてしまった。
勉君の部屋に置いてあった二段ベット、そして短期間で中間管理職にまで昇進した勉君のお父さん。これらの話に、一つの筋書きのようなものが…見えてしまった。
「まさか…な」
もし…この事実が本当なら、こりゃあ…高級品どころではない、闇にまみれた豚の怪物と対峙することになる。
私は興奮のあまり、床にへたり込んだ。段々と激しくなる心臓の鼓動は、自らの欲望が抑えられなくなるほどに…
「堪らないですねぇ…!!!こういうのが欲しかったんですよぉ!!!!」
私は勉君の部屋で一人、興奮の雄叫びをあげた。
◆ ◆ ◆
私は
「…………」
気まずうぅい…
私達は、部屋に置かれた小さなちゃぶ台を挟んで、向かい合っている。
「えぇと…色々と災難だったね」
言葉の切り口が見つからない私は、いても立ってもいられず、そのような事を聞き返した。
すると、ちゃぶ台の前に正座していた彼は、ゆっくりと首を縦に振る。
彼は元々、私の店で万引きを行おうとした一人の小学生だった。しかし、私のコンビニで勤めている高校生の青年、
「貴方、両親や通成君に、一体何をされたんだ…!?」
私は彼に対し、率直に思った事を伝えた。
「あ…あ…」
私の問いに対して彼は全身を振るわせ、真っ青な顔で私に言葉を伝えようとしていた。
「ごめん…!!聞くべきじゃ…ないよね」
「いいぇ…僕は、ただ同情…して欲しいんです。だから、伝ぇないと」
彼は必死に声を振り絞るが、その顔はおおよそ小学生とは思えないような、苦悶の表情に満ちていた。
◆ ◆ ◆
僕の母さんは僕をよくぶちます。僕を激しくぶった後は、勝手に泣いて、勝手に『ごめんね』と何度も謝ってきます。母は僕のことが好きなんです。でも…それは僕自身ではなく、母が創り出した僕なんです。
母は僕に、医者になって欲しいとよく言ってきます。僕は、医者になんてなりたくありません。でも、そうでも言わないと…母さんの平手が何度も僕にとびます。
父さんは仕事でうまくいっていない時や、僕のテストの点が悪かった時に、母さんと一緒に僕をぶちます。母さんは平手で、父さんは拳で。
ある時…僕が父に言いました。『どうして僕のことはぶつのに、母さんのことはぶたないのと…』父さんは僕に対してこう返しました。『お前は、母さんの代わりにぶたれてるんだ。私が母さんをぶたないのはお前のおかげだぞ』と、父はニチャリと笑みを浮かべながら言いました。
僕は通成君からもよくぶたれます、お母さんやお父さんに助けを求めようとしても、嘘だと疑って信じてはくれません。
僕の友達の通成君は、僕にジュースを買ってこい、お菓子を買ってこいと言ってきます。お菓子やジュースを買うお金なんて、とても僕にはありませんが、逆らうとボコボコにされます。なので、スーパーやコンビニでこっそりと盗みをして耐え忍んでいました。
◆ ◆ ◆
「本当は…万引きなんてしたくないんです。でも、そうでもしないと僕は生きていけない…」
彼はゆっくりと長い時間をかけて、私に地獄の景色を話してくれた。
そう話す彼の顔は、怒りや悲しみとも違う、自分が抗えないと知った時の…無の表情に包まれていた。
彼は窓に流れる夜空と、天の川流星群を見て…微笑んだ。
「七夕…もう終わっちゃいましたけど。僕がいちばん好きな日、短冊に願いを書く日です」
彼は優しい笑顔で私の方を見る。
「もしも願いが叶うなら、もしもそれが実現するのなら…僕は自由になりたい。自由に遊んで、自由にご飯を食べて、自由な夢を持ちたい…分かっているんですけどね、そんなに簡単な話じゃないって…すみません、ただの戯言です」
彼は泣いていた。それも…コンビニで見せた涙とは違い、私に微笑みかけながら涙を流していた。
それは高ぶる感情に応対する涙ではないのは、目に見えていた。一体この少年は、何度願い続けただろう…何度その願いに裏切られたのだろう。
彼のほどの、小さき少年がとても…それを背負い切れるはずがないのだ。それに比べて私は、彼よりも…あまりにも小さい。
「お姉さん。なんで…泣いてるんですか?」
「うそっ…!!私、泣いてる…?」
「えぇ…鼻水も出ていますよ…」
彼はそう言い、玄関近くに置いてある新品のティッシュ箱を私に渡す。
「ありがと…」
私は鼻を噛んだ。
本当は…泣いていた時に彼に寄り添ってあげたかった、大丈夫って声をかけたかった。でも、何故だろう…初めて声を掛けた時のように、私は声を掛けることができない。
彼を助けるべき人間は…私じゃない。
そういう思いが、頭を…よぎる。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った。
「あのぉ…すみません!!私、隣でパン屋をやらせて頂いている稲炭という者なのですけど…井口 言さんに頼まれていたパンをお届けに参った次第でして!!」
————————————
「勉君…パン、美味しいね」
私がそう言うと、彼はゆっくりと縦に首を振った。
特にこの抹茶のベーグル。しっとりとした、深みのある味わいで美味しい…!!
「フフッ…」
彼がそんな私を見て、笑っていた。
「どうかしたの?」
「いや…すごく顔をキラキラさせて食べてるな〜と思いまして」
「だって…美味しいもん」
私は少し照れ臭くなりながらも、ベーグルを頬張り続ける。
それを見た彼も、手に持っていたチョコのベーグルを頬張った。
「貴方の名前って、何でしたっけ?」
彼がベーグルを頬張りながら私にそう尋ねる。
「お姉さんはね、
「へぇ〜…鬼って名前につく割には随分と優しいんですね。万引きなんかしようとした僕の為に、迷惑ばっかりかけてしまって」
「いやいや…なんてったって私は、君との約束を守るために、自分の意思でここにいるんだからね…!!
私は自信満々に勉君に言い放つ
「そう…ですか…」
彼は私の言葉を聞くと、少し嬉しそうに笑った。
やっぱり私は、この子を助けるのは私でないと駄目だ。私が罪を犯したからこそ、かつて彼とは真逆の立場に立っていたからこそ、今度は私が…絶対に私がこの子を守り抜いて見せる!!
そう私が決心していると、彼は自分のランドセルから本のような物を取り出した。
「何それ?」
「学校で借りてきた本です。時間があるんで、読んでしまおうと思いまして」
そう言い、彼が取り出した本は…芥川 龍之介著作『蜘蛛の糸』だった。
「へぇ…結構本、読むんだ」
「えぇ、本だけは…自分の時間を過ごさせてくれますから」
私はそう言い放つ彼の目は、キラキラと満ち溢れていた。
本当に好きなんだなぁ…
私が彼の横顔をそうニコニコと眺めていると、ふと…彼のブラウンのランドセルが目に映った。
「ねぇ勉君…貴方のランドセル少し見させてもらってもいいかしら」
「いいですよ」
私は彼に確認を取ると、彼のランドセルをゆっくりと見渡した。
へぇ…そういえばこのブランドのランドセル…見たことあるなぁ、確か雷宝町の外れにある店だったっけ。懐かしい、私も母に買ってもらってたなぁ、ランドセル…
私の脳裏には、今は亡き母親が、私の為に赤いランドセルを買ってくれた時の事がはっきりと頭に浮かんでいた。
「ん?なにこれ…」
私はランドセルのある部分に目を奪われる…それは、色落ちしたランドセルのとある一部分だった。
なんで…ブラウンのランドセルの内側が、ピンクに染まっているの?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます