時は短し、恋せよ男児

あまいしゃるろって

壱 

息が、うまくできない。






呼吸が、止まりそうだ。






はぁ、はぁ、はぁ…。





「おい!こっちだ!」


「やっと、みつけたぜ。手間、取らせやがって。」







(くっそ…。こんなところで…、)



視界が霞む。

勢いよく転び、身体を打ち付けたせいで全身が痛い。

もう、走って逃げるほどの体力は残っていない。加えて、無我夢中で走っていたおかげで気づくのが遅れたが、右足をひどく捻っているようだ。立ち上がろうとするも、そこは激痛で阻まれる。



追っ手の男たちが次々、こちらへと走ってくる足音がする。


今にも閉じかけている視界の中、思う。


(ここまでなのか…。)


提灯の明かりに囲まれ、もう自分にはどうすることもできないのだと考える。


諦めて、重たい瞼を閉じようとする最中、白く、美しい天女が自分を守るように前へと立ちふさがるのが見えた。



(はは…。この場に及んで幻覚など、俺もヤキがまわったものだ…。)




次の瞬間、夏澄かすみは瞳を閉じた。こちらに手を伸ばす、白くて美しいがいるとも知らず。






「おや、この雛鳥はなぜこんなにも追われているのやら。」








ふと、意識が浮上する。


先ほど、脱兎のごとく逃げ出したのち、結局最後まで追っ手を躱すことはできず、自分は意識を失ったはずだ。



あのまま彼らの手によって捕まり、自分は今や冷たい牢の中だとばかり思っていたが、違うようだ。


まだ倦怠感が残る身体を無理に引き起こし、辺りを見回す。


明るい日差しが差し込むその部屋は、ほのかに畳の匂いが香り、今自分が寝かされている一式の布団のみが敷かれた殺風景なものだ。


すると、なにやら話し声が聞こえてくる。それは段々とこちらに近づいており、明確なものになっていく。


夏澄は反射的に先ほどと同じように横になり、またしても目を閉じた。






花鶏あとりさん、昨夜も夜中に出て行ったって聞いたよ。らんくんがすごく探し回っていたけど、彼のところには行ったのかい?何か急ぎのようだったけれど。」


「んん、あぁ。お藍の急ぎは大概急ぎじゃないからな。ちと、心配症なだけさあれは。」


「また、そんなこと言ってイツキくんに叱られても知らないからね。ところで、こんな離れに呼び出して、急にどうしたんだい?また何か犬やら猫やら拾ってきたんじゃないだろうね?もうさすがの僕でも庇いきれないよ。そもそも、ここじゃ犬や猫を飼うことはできないって何度も「まあまあ、それはみてからのお楽しみってやつだろ?」はぁ、相変わらず貴方は人の話を聞かないんだから…。」



ここは本邸のある建物の離れで、昼間からここに立ち入る者は数少ない。



自分の前を歩く男はとある一室の前に立つやいなやスパンッと襖を開いた。




日も出てきた頃だ。日射しがよく差し込むこの部屋は少々、眩しい。



今度は何を拾ってきたのかと、室内へ目をやる。すると、そこには世にも珍しく褐色の肌をし、栗色の淡く、長い茶髪を布団に沈め眠っている少年の姿があった。



「なっ!ちょ、ちょっと花鶏さん!?まさか、今度は人攫い!?いくら犬も猫も駄目だからって、人間なんて以ての外だよ!!それにこの子、見るからに少年って感じだしまだ子供なんじゃないの!?あぁ、また僕がイツキくんに怒られる…。」



「そうカッカするな、冬芽とうが。何も攫ってきたわけじゃないさ。追われてたんだよ、この雛は。」


花鶏は未だ眠っている少年の傍らに腰を下ろし、胡座をかいた。


「お、追われてたって誰から…。」


「四つ辻屋」



何でも無いように言った花鶏の言葉にひゅっと、息を飲んだ。


四つ辻屋…四つ辻だって?




「四つ辻屋だって!?どうしてそんな者たちに、「あーあーあー、だからそれを今から聞くんだろ。」」


花鶏は被せるように言う。



「なぁ、起きてるんだろう?お前さんがあんな奴らに追われていた理由ワケを、話しちゃあくれないか。」




長い睫毛をもつ少年の瞳は閉ざされている。

けれども、そんなことには構わず花鶏は問う。





「俺をここへ連れてきたのはお前か?」


花鶏の問いかけにまもなくして、目を開いた少年は異人を感じさせる褐色の肌に良く似合う紅い瞳をしていた。彼の瞳の中でただひたすらに淡々と輝く紅色に、思わず釘付けになる。



まだ自分よりは幼さを感じさせる顔つきは怖いほどに整っており、どこか異彩を放っている。けれども、着用している着流しは布きれのようにぼろぼろで、そこから見え隠れする身体には目を覆いたくなるような無数の傷跡が残されていた。


それでも、その痛々しさすらも艶めかしく、色づいているようにみえる。


あまりの美しさに言葉を失っていると、そんなことには気にも留めず花鶏が答える。


「あぁ。いかにも、お前さんをここまで運んできたのは俺だ。」


揚々としたように花鶏が答えると、少年は微かに唇を噛み締め、こちらを睨んだ。



「余計な真似を!どうしたって、俺は囚われる運命なんだ…!あのまま諦めさせてくれれば良かったんだ、!どうせ、逃げられはしない…。」



そういいながらも、少年の瞳は苦しそうに揺れていた。


そしてなぜだか、それを見ているのが辛かった。


そう思ったときには、もう自分の身体は動いていた。


微かに震えているその褐色の肌をやさしく抱きしめる。

きっと、思いのままに抱きしめては自分よりも細くて小さいその身体を壊してしまいそうだったから。



「言わないで…。」


「っ…!」


「そんな悲しい事、言わないでよ。」


僕の唐突な行動に、さすがの花鶏さんも驚いたようだったけれど、それも束の間。どこか腑に落ちたように笑っていた。








背丈も何もかも自分よりも大きな体格の良い男に抱きしめられる。


首元からほのかに香る金木犀の香りが心地いい。

その高価そうな着物越しでもよく鍛えられた美しい身体をしていることがわかる。


自分は今、こんなところにいていい人間ではない。

ましてや、こんな風に他人から抱擁を受けていい人間ではないのだ。




「おいおい、君たち俺がいるってのにいつまでもちとお熱いんじゃないのかい?」






「花鶏だ。」


「僕は冬芽。よろしくね。」



雪のような白銀の髪の花鶏とそれとは反対に夜闇のような漆黒の髪をした冬芽。


そして、


「冬芽、あんたその目…。」


「あぁ、これかい?生まれつきこうなんだ。気味悪いよね。」


そういった冬芽の瞳は左右色が違った。

左は金色、右は紅い色をしている。


「普段、人前に出るときは包帯で隠しているんだ。見苦しいものを見せてしまってすまないね。あまり、いいものじゃ「綺麗だ…。」…え?」



少年の金色に輝く瞳は、一心に冬芽の瞳を捉えている。


「見苦しくなんてない。すごく、綺麗だ。」



あまりにまっすぐにそう言われ、硬直している冬芽をみて花鶏は笑った。



「くく、はははははははは。君たち、実は初対面じゃないだろう?はははは!」


「ちょ、ちょっと花鶏さん!僕に失礼だよ!?せっかくこの子が、あっ!まだ君の名前を聞いていなかった!君の名前は?」


冬芽の問いかけに、ひとしきり笑い終えたような花鶏も続ける。



「それと、どうしてあんな連中に追われていた?君はいったい何者なんだ?」






「名前は夏澄。俺は、生まれてから最近までの記憶がない。

どこで、生まれてどこで育ったのか。誰が俺を生んだのか。ただわかるのは、俺のこの足についた足枷と夏澄っていう名前だけだ。」


「その足枷は?」



「気づいたときにはついていた。どうやってもとることができないし、何か専用の鍵があるのかもしれない。でも、わからない。それと俺には、奇妙な力がある。」


「奇妙な力?」


冬芽の問いかけに、少年は頷きおもむろに右手を差し出した。


夏澄がそこへ息を吹きかけると、右手はゆっくりと光り出す。



「っ!なんだなんだ?!」


「俺は、他人の傷を癒やすことができる。」


そういって夏澄は自信の右手を包帯が巻かれている花鶏の左手へ重ねた。


すると、瞬く間に光は止み、しゅるりと包帯のみがほどけ落ちた。


「そら、この通りだ。

その切り傷は昨夜俺を匿おうとあいつらから庇ったときにできた傷だろう?すまなかった、感謝する。」


何か妖の類でも見たかのように驚いて目を見開く冬芽や花鶏には気にも留めず、なんでもないように少年は言った。



「花鶏さん、今朝は怪我でもなんでも無いって言ってたじゃないか!どうして隠していたんだい!?」


「いや、あーそれはだな、君やイツキは過剰に心配するだろう?って、そんなことより、夏澄…。君のその力は一体…。」



少年は自身の手のひらを見つめ、続けた。


「もとより備わっていた力、とでも言えたら良かったんだがな。生憎と俺もこの奇妙な力の詳細は不明だ。だから、あいつらに追われていた理由もわからない。だが、俺が俺自身を客観視してみるに、追われる要素などあり過ぎるくらいだ。あんたたちもそう思うだろう?」




「俺を匿おうとするなど馬鹿な真似はやめろ。

強すぎる好奇心は己をも燃やすぞ。ましてや、言わずもがな好奇の目に晒される風貌のやつを匿って何になる。すまなかったな、世話になった。」


そう言って、夏澄は鎮座していた布団から立ち上がろうとする。

が、傷だらけの華奢な身体はそれに耐えられるはずもなく、「っ!」と、堪えるような呼吸とともにすぐにまた蹲ってしまう。


「駄目だよ!君、まだ怪我だって治っていないじゃないか!」


崩れ落ちた少年にすぐさま駆け寄る冬芽は、その華奢な身体を支えようと腕を回す。


けれども、弱々しくも力を振り絞った夏澄によって、撥ね除けられてしまった。


「触るな!俺のことは放っておいてくれ……どうせ、ここにいつまでも留まったところで何が変わるわけでもない!もう、苦しいんだ!自分が何者かもわからないのに、ただひたすらに痛み付けられる身体もこの得体の知れない力も、異様なこの容姿だって…!もう散々なんだ…。だから、「綺麗じゃないか。」…は、?」


冬芽はこちらに向き直るようにして同じく鎮座し、じっとこちらを見つめてくる。


「君のその容姿さ。

少し照れくさいけれど、少なくとも僕はさっき初めて君を目にしたとき、柄にもなく見惚れてしまったよ。君が、あまりにも綺麗だったから。」



冬芽はにっこりと笑った。



その笑顔が、寄り添うような声がなんとも、暖かく、安心するのはなぜだろう。



「好奇心なんかじゃないさ。」


そんな二人のやりとりを見ていた花鶏も、口を開いた。



「昨夜、君を助けたのは好奇心なんかじゃない。

君はどこか、俺に似ているな。まあ、これも何かの縁だろ。あいつら、四つ辻屋は俺たちも少々気になっていてな。この店を営む側ら、動きを見張っている最中なのさ。」


「何?あんた、あいつらを知っているのか?」



思いがけない花鶏の発言に少年は食いついたように顔をあげた。


「四つ辻屋。人身売買、臓器売買、取り立てから凶器的な薬湯の密輸まで悪行を生業としている集団さ。この江戸でもその名を知っている人の数はさほど多いわけじゃないけれど、なんせここは男も女も一夜の夢を買いに立ち寄る、江戸の花街だからね。そういったお天道様に顔向けできないような非人道的なことが常々行き交っている。」


冬芽の説明に、花鶏が続ける。


「その中でもうちは中心部に位置する一際賑わう陰間茶屋。」



「かげま、?」



聞きなれない言葉をそのまま、復唱するように問う夏澄に、花鶏は距離を縮め耳元で囁いた。



「男が、男を抱くのさ。男色、といったりな。」



それを聞いて見るからに頬を染め、小さな口をパクパクとさせている少年を揶揄うように男は笑った。



「うちは一応、この花街でも有名な『月花下夜つきかげよ』って言ってな。

ここにいる限りは、少なからずあいつらは君を見つけることはできやしない。まあ、というわけでどうだい。しばらくはうちに留まっちゃみないか?君のようなまだ若い子供を、傷だらけのままこの物騒な街に放つのも俺としちゃ心苦しいんだぜ。」



「なっ、!俺は子供じゃない…!正確な歳は知らんが、子供扱いするな。」


「でもさ、夏澄。君はすごく綺麗で僕よりもまだ小さいし、あいつらに捕まらなかったとしても記憶のない君をこの街に帰すのは僕も心配なんだ。一先ずは、その身体を万全にするまででも良いからここに身を置いてみたらどうかな?」



やさしくふんわりと笑って問いかけてくる冬芽に、夏澄は目眩がするような感覚に襲われた。


同性といえど、夏澄の目から見ても冬芽はとても魅力的だ。この時代ではあまり見ないような高身長に、着流し越しでもわかる逞しく鍛えられた身体、艶やかな黒髪は肌の白さを強調させ、金と紅に輝く瞳はそれはそれは美しかった。



「っ、まあ、あんたたちが俺やあいつらについての情報を掴んだ時、俺に共有すると約束するならば少しは考えなくもないが……。」



「それは約束しよう。君の力になることを、ここに約束するさ。」


花鶏は片目を瞑って、おちゃらけたように笑う。



「な、!でも、俺はその、お、男と交合うのは、まだ…」


ごにょごにょと語尾が小さくなってゆく少年の言葉に、二人は顔を見合わせた。



「ふっ、ははははは。

なに、別に君をこの店の陰間にしようってわけじゃないさ。まあ何分、この店も経歴や容姿に訳アリの奴らが多くてな。それがまた、売りでもあるがどちらにせよ、君は確かに綺麗な容姿をしているが、そういったことを求めるようなことはしない。客人として、丁寧にもてなそう。

一先ず君は、その見ているだけで痛々しい身体を治すところからだな。手始めにそのぼろ布のような着物を替えようじゃないか。

君に似合いの着物を用意しよう。

しかし、そうこうしているうちにもう店も開店時間だな。」



花鶏は少々、考えるような素振りをみせ冬芽の方に向き直る。


「冬芽、君は今日座敷に出なくていい。

代わりに、その子の世話を頼むよ。君は美的感覚が優れているからな。夏澄に似合い着物を選んであげるといい。ついでに、湯に浸からせて細々とした治療が必要だろうから蘇芳すおうの所へ連れて行ってくれ。後は、何か食わせてやったらいいな。俺は店の準備があるから、もう行くとするか。」



そう言って花鶏は部屋を後にしようとするが、何かを思い出したように夏澄へ耳打ちをした。




「君、冬芽の言うことは素直に聞くからな。散々、"ナカヨク"なるといいぜ。」



言葉の真意をすぐには理解できなかったのであろう少年は、きょとんとしたがその後、すぐにかあああと、頬を染め花鶏を睨んだ。



「俺はそんなんじゃない!変な妄想をするのはやめろ!」


「ははは。なに、それは失敬。

だが、俺はこのとおり恋だの愛だのに、性別は関係ないと思うぜ?はじめから思っていたが冬芽と君はお似合いだ。

しかし、君は本当に可愛らしい反応をするな。冬芽に飽きたら俺の元へ来るがいいさ。君のような美人なら大歓迎。」


そう言って、ふらふらと手を振っては花鶏は今度こそ部屋を出ていった。



「花鶏さんに何か言われた?失礼なことを言われたら、ごめんね。あの人ちょっとふざけてるように見えるかもしれないけど本当に良い人だから。」


冬芽は「あはは」と、笑ったが去り際にあんなことを言われたのだ。夏澄とて冬芽を見るなり嫌でも思い出してしまう。


それでも、悟られぬように目を逸らして返事をする。


「別に、大丈夫だ。問題ない。

それよりも、俺のせいであんたは今日座敷…?とやらに出られないんだろう?すまない。」


「あぁ、気にしないで。僕も出なくていいのなら、それに越したことはないからね。むしろ、あんな場所に行かないで君みたいな綺麗な子のお世話をさせて貰えるんだったら僕は断然こっちを選ぶよ。」


照れた様子など少しもなく、口説くような甘い台詞をさらっと言う目の前の男に、夏澄は少々困惑した。女ならまだしも自分のような男、それも異様な見目に傷だらけの身体ときた。そんなやつに向かって「綺麗だ」などと、何度も世辞を言うのはどうかしている。もしかしたら、彼はとんでもない人たらしなのかもしれないと思った。


ぐるぐるとそんなことを考える夏澄のことは気にも留めず、冬芽は腰を上げた。



「さて、それじゃあまずはお風呂に行こうか。」






.



冬芽に手を引かれ、連れてこられたのは先程夏澄が寝かせられていた部屋と同じ離れにある風呂場だった。大浴場には湯がはられており、あたたかそうに湯気が出ている。



「君がお風呂に入っている間に、僕は君の替えの着物を持ってくるね。花鶏さんが言っていたように、君に似合いものを持ってくるよ。脱衣所に置いて置くから、着替えられたらまた呼んで。そうしたら今度は傷の手当をしに行こう。ここには、名医がいてね、彼に任せれば君の傷もすぐに完治するよ。」



冬芽はそう言って、夏澄を風呂へ送り出した。



身体中が傷だらけのせいで湯船に浸かるのは、少々ひりひりとところどころ痛くなるが、暖かい湯は気を張っていた夏澄の心を解していくようだった。



風呂はこんなにも気持ちのいいものなのか、と寛いでいたが時間が経つにつれ意識が朦朧としてくる。このままでは危ない、と思い慌てて風呂を出た。



風呂を出ると、先程冬芽が言っていた通り真新しい美しい着物が用意されている。青みがかった黒の着物には、赤い紅葉の柄が施されておりなんともキメ細やかで美しい。見るからに高価そうなことが瞬時にわかり、多少なりとも気後れしてしまうがせっかく冬芽が見繕ってくれたということもあり、ありがたく袖を通した。


袖を通して気づいたが、自分は着物の着方を知らない。

先程まで着ていたぼろ布のような着流しは自分で着付けをした記憶はない。

はてさてどうしたものか。今この脱衣所には自分一人しかいない。仕方なく、冬芽や花鶏が着ていた着物を思い出し自分の手でどうにかしてみることにした。









「夏澄?随分、時間がかかっているようだけどそんなに浸かっていては逆上せてしまうよ。」



風呂に浸かり、身体を清め、衣服を正すには十分な時間冬芽は夏澄が大浴場から出てくるのを待っていたが、少年の出てくる気配はない。


その上返事もなく、心配になる。


まさか、本当に逆上せてしまったのだろうか?

はじめこそ自分や花鶏のことを警戒し、冬芽よりも小さな身体で虚勢をはっているように思えたがそれでもまだ十六、十七辺りの子供だ。その上、記憶がないと人道も糞もない者たちに囚われていてきっと心も身体も傷だらけだろう。そうなれば、何か勝手がわからないことがあったのではないか。当たり前のように一人で風呂へ送り出してしまったが、何か困ったことがあったのかもしれない。


「夏澄、入るよ?」


冬芽はいてもたっても居られなくなり、湯殿への暖簾を潜り、横引きの扉を開けた。




「?とうが……。」


冬芽は目の前の少年をみて思わず、固まった。

そして、同時に戸を開けてしまったことを酷く後悔する。



まだ少し濡れている栗色の髪からは雫が垂れ、湯浴みによって蒸気した頬は褐色の肌でもわかるように赤く染まっている。


問題はその格好だ。


恐らく冬芽が用意した着物の着付けが自分ではできなかったのだろう。


ただ羽織るようにされたそれははすんでのところで大事な箇所こそ隠れているが、下穿きはまだ身につけていないのか、不格好に巻かれた帯は意味をなさず少年特有の細い脚がすらりと伸びている。

大きく開かれた胸元からは可愛らしい桃色をした乳首が見え隠れし、褐色の肌と相まって、より艶めかしく見えてしまう。


いくら陰間という職業柄、他人の裸体など見飽きている冬芽でもこれは危うい、と思わず目を覆った。



「ちょ、君……!どうしてまだそんな格好なんだい!?」


「?すまない。着付けの仕方がわからなかった。俺なりにあんたや花鶏の着ていたものを思い出してやってみたんだが、見苦しいものをみせた。」


少年は淡々と「もう一度やり直す。」と、言って緩く結ばれた帯を解こうとする。



「わーーー!!!!いい!いいから!僕がやるから、君はそれ以上何もしないで!」


「ん?あぁ、すまない。汚いものを見せてしまった。冬芽は後ろを向いていてくれ。」


自分の危ういくらいの色香がわかっていないのか、まるで冬芽とは話が噛み合わない。


「違う!そうじゃないよ!あぁ、もう!ほら、おいで!」


目の前の少年は自分を卑下するような物言いばかりする。

そんな言葉をこれ以上、彼の口から聞きたくなくて思わず両手を広げた。


すると、冬芽の意図がわからずこてんと首を傾げつつも、夏澄はこちらへ向かってきた。



「もう!君、絶対に僕以外の前でそんな格好しちゃいけないからね?花鶏さんでも駄目だよ。あの人、自分の好みなら男だろうが女だろうが子供だろうとそーゆーことに奔放だから。」



「さっきからあんたは何を心配しているんだ?俺みたいな異様な見た目のやつ、誰も襲いやしない。」


「いいや、君はそうやってさっきから自分を貶すような言い方をするけど、君は本当に綺麗だよ。それに、純粋だ。だから、心配なんだよ。出会ったばかりで余計なお世話かもしれないし、気持ち悪いって思うかもしれないけど君は綺麗だし、かわいい。もっと、自分を大切にして。ね?」


心底心配するように左右異なる色の瞳出見つめられ、夏澄はまたしても反応に困ってしまう。


「あんた、そーゆーこと他のやつにも言っているんだろう…?人たらしってやつじゃないのか?」



「君、僕をなんだと思ってるの…。

生憎と、こんなこと君にしか言わないし思っていないよ。わかったらほら、両手を広げて。君に似合いの美しい着物だ。僕が着せてあげる。」



「ほら。」と、ふんわりと笑う冬芽に夏澄はなんだか照れ臭く思ったが言うことを聞いて両手を広げた。


やさしい手付きで素早く着せられていく。


下穿きすらも履き方がわからない、と言うと冬芽は顔を伏せて悶々としていたがやがて困ったような顔をしながらも丁寧に教えてくれた。





「ほら、僕の見立て通りだ。

夏澄、よく似合っているよ。」


丁寧に着物を着せられた夏澄は今、姿見の前に立っている。その中では、先程までの姿とは打って変わって上品な着物を着せられた少年がいる。


存外、冬芽は本当に器用なもので肩につく程度に伸びた夏澄の髪をゆるく編み、仕上げにと金色の髪飾りをさした。


女のようだ、と少しばかり文句を言ったがそれでも冬芽は「そんなことない。君によく似合う。」と、引かなかった。


簡素な作りたが、ただただ黄金に輝くそれは冬芽の左目の色だ。



「それにしても、この着物見るからに高そうだ。大丈夫なのか?こんな高価なものを俺みたいな得体の知れないやつに着させて。」


「もう!君はまだそんなことを言っているの?確かにこの店の着物や装飾はほとんどが花鶏さん御用達の質のいい物を取り合っている呉服屋のものだけど夏澄が気にすることじゃないよ。それに着物だって、君のようにとびきり似合う子に着られた方が価値も上がるだろう?」


平然と褒めちぎってくる目の前の男はこれ以上有無を言わせるつもりはないようだ。夏澄は「はぁ」と、一つため息をついて考えるのをやめた。やはり、冬芽は人たらしのようだ。



「さて、次はその傷を診てもらいに行こう。本邸の方に腕の良いお医者さんが常駐しているんだ。」



そう言って目の前の男は歩き出し、夏澄はそれについて行く。


医者の名は「蘇芳」と言うらしい。

頭が良く、 博識高い名医だそうで花鶏と交友が深いということから月花下夜に住み込みで雇っているという。



「そういえば、君はさっき花鶏さんの傷を治していたけれどそれは自分に使うことはできないのかい?」



冬芽は思い出したように問いかける。



「あぁ。この力を自分に使うことはできない。それに、いつでも使えるわけじゃない。俺もまだどこまでこの力が通用するのかわからない。先程のように切り傷程度なら癒すことができるが、もっと大きな傷や腹痛、頭痛のように明確に傷が見えないものにはまだ試したことがない。上手く勝手がわかれば便利なように思うが、それにはまだ情報が足りない。だから、あまりあてにならん。」



夏澄は細い指をゆっくりと開き自身の手のひらを見つめた。



「すまない。俺にできることはこのくらいなのに、それすらも満足に扱うことができない。あんたたちの役に立つにはまだ不十分だ。」



そう言ってバツが悪そうに俯く少年は、冬芽の目にはなんだかとても小さく映った。



「そんな…。別に僕たちは君のその力を目当てにここに留めようとしたわけじゃない。君のことが本当に心配だから、ただ助けてくてこうしているんだ。そこだけは、わかって欲しいな。」



冬芽は悲しそうに笑った。

その瞬間、夏澄はまた言葉を誤ってしまったと後悔した。冬芽にそんな顔をさせたかったわけではない。ただ、なんの価値があるわけでもなく厄介事ばかりを持ち込む自分などを匿ったせいで、この優しい男が傷つくのは避けたいと思っているだけだ。



出会って間もない夏澄にもわかる。

冬芽は優しく、いい奴だ。彼だって恐らくまだ二十代半ば。若いだろうに自分なんかよりも余程大人にみえる。それほど、落ち着いているのだ。



「そうか…。俺はどうも人の機微に疎いようだ。こういうとき、なんて言ったらいいのかさっぱりわからない。だから、「ありがとう。」え、?」



予想外の言葉に、夏澄は思わず顔をあげるとそこには困ったように笑った冬芽の顔がある。



「ありがとう、って言ったらいいと思うよ。そう言われたら僕も嬉しい。きっと、花鶏さんやこれから紹介するみんなも。ね?」


そう言って今度は優しく笑った。

そうだ、それが見たかった。自分は冬芽に、このやさしい男に笑っていて欲しいのだ。



「あ、ありがとう…?冬芽。」


冬芽の言葉を復唱するように、戸惑いながらも礼を伝えようとする目の前の少年を冬芽は少しばかり愛おしいと思った。



「ふふ、どういたしまして。

役に立つとか、立たないとか関係ないよ。僕が君を助けたかったんだ。ただそれだけ。

さて、ほら早く治療をしてもらいに行こう?」



ふんわりとやさしい笑顔を絶やすことなく、男は少年に向けて手を伸ばした。




この手を取ることは間違っていない。

冬芽といるとそんな風に思わされる。自分にとってこんなにもこの男

が居心地のいい者だなんて。


夏澄自身も驚いていた。





静かであった離れからは一変し、店が開店したのだろう。

そこかしこから賑やかな客の声やバタバタと忙しなく駆け回る足音が聞こえてくる。


「賑やかだろう?今はまだ開店したばかりだからね。もう少し夜の帳が落ちれば、静かになるはずだよ。」


冬芽は皮肉そうに言った。

そんな冬芽の顔がみたくて、歩幅を合わせようと急いで駆け寄ると、ドンッという一瞬の衝撃とともに、夏澄は尻餅をついた。


「夏澄!?一体何に、「ってぇ~!!!!!!!!!」大丈夫!?二人とも!」


目を開けるとそこには夏澄よりも少々背が低く、伸ばした髪を高い位置で一括りにした少年が同じように尻餅をついていた。



「っ!す、すまない…!!大丈夫か…?俺が前をよく見ていなかったから。怪我はないか?」


慌てて立ち上がり、少年へ手を差し出す。

すると、すぐにその手をとって少年も立ち上がった。


「いや、俺がよそ見して飛び出したから!お前こそ大丈夫か!?お前、細っこいし、どっか折れたりしてねぇか!?新入りがくるなんて、聞いてなかったけど商品に傷つけたーってまたイツキに怒られちまう。」


「しんいり…?しょうひん…?」



目の前の少年の言っていることがまるでわからず、夏澄は助けを求めるように冬芽を見やる。



「あ、紹介するね。彼は「景虎かげとらだ!よろしくな!えっとー、」夏澄だよ。」


自分の話を遮るように大きく自己紹介をする景虎に冬芽は困ったように言った。



「夏澄は客を取らないよ。少々、訳があってね。怪我をしているからその治療も兼ねて、しばらくうちで生活することになったんだ。花鶏さんも知っているよ。」


「なーんだそうなのかー。まあ、こんなもんやらせなくて、正解だぜ。仮に夏澄が見世出たらそれはそれで、売れそうだけどな!冬芽サン、今日は見世出ないんだろ?ゆっくり、休めよ!俺は客に呼ばれてるし、もう行くな!夏澄、またあとで話そうぜ!じゃーな!」



嵐のように去って行った景虎に、目をぱちくりさせていると、「行こうか。」と、声をかけられた。



「あれも、陰間なのか…?」


冬芽において行かれないよう、早足でついていく。

夏澄の問いかけに答えることなく、足早に前を進む冬芽は少し怒っているように感じられた。やわらかい笑みを絶やした顔は美しいがゆえに、少々怖くすら感じる。



「と、とうが…。」


もう一度小さく名前を呼ぶと、冬芽は今度こそ足を止め夏澄の方へ向き直った。



「さっき景虎が言ったことは、気にしなくていいよ。夏澄はなにも知らなくていいからね。」


貼り付けたような笑顔に夏澄は困惑する。


「どういう意味だ…?」


「そのままの意味だよ。」


にっこりと笑う冬芽はこの話は終いだ、とでも言うように今度夏澄に歩幅を合わせるようにして再び歩き出した。














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