第63話 谷葉和豊 恋心


 貴族の令嬢、マグリブと行き違いがあり、パトロアの国を離れようかと思った。

 しかしその場は、メリタ・カロシエのとりなしで大事にはならず事態はおさまった。


 ところが翌日。女王が謁見の場を設けるということになったんだよね。謝意を表したいとか言っているんだ。

 こっちには、お断りな気持ちしかないね。

 だけど、女王の申し入れを受けないという選択肢はないわけで。

 ここは、いつも通り、全自動対応で乗りきるしかないかなあ。



「陛下の、ご出座しゅつざぁ」


 謁見えっけんの場となった教会の隅々までラッパが鳴り響き、幕がかけられていた窓が次々に開く。

 差しこむ光の明暗が縞模様しまもようを描く回廊を、人影がゆっくりと通る。女王、ニッケル・ハルパだ。

 彼女は、Φみたいな形の彫刻がある祭壇の上で止まり、手前でひざまずくピンズの映像に向きなおった。


 軍服だな。パトロアの女王は戦場からそのままこの場まで来たらしい。

 服についた埃がキラキラと光っている。


「面をあげられよ。ぬかずく必要もない。作法はよい」


 そうそう。謁見って本当は顔をあげるだけのやり取りも長いんだよな。

 ピンズが立つと女王が口を開いた。


「ニッケル・ハルパである。けいはピンズノテーテドートか。直答じきとうを許す」

『ピンズノテーテドートにございます』


 あれ。ぜんぜんゴリラっぽくないぞ。線が細いし。むしろ白粉おしろいゴテゴテの大福餅じゃないだけ、マシなルックスじゃないか。



「客人を前にしての戦装束いくさしょうぞくは場にそぐわないと知ってはいるのだが、武人のたしなみである。許されよ」


 なにそれ。そういう挨拶あいさつか?

 どう返せば正解なのか?

 よし、ムリ。

 返答はピンズノテーテドートに丸投げだ。

〝黄金はどんなもので包もうとも黄金であると承知しております〟

 とか、返している。

 あー、比喩表現がめんどくさいなあ。

 その後も、気候とか作物の生育状況の話をしている。本題までが長いよなぁ。


「かまわない。ニッケと呼ばれよ」

『これは、おそれ多いことです』


 ピンズのAIは今日もいい感じだ。さすがコミュニケーションは本職だな。だが、なんかおかしい。


 ────待て。

 これは変だ。

 視界には〝警戒〟が発報したぞ。

 まさか、攻撃されている?

 ボクの精神に影響が与えられている、らしい。

 心拍数と血圧の上昇がおかしいぞ。なんだこの数字はッ。


 ん? でもこれは、攻撃とは違うらしい。アラートも警告どまりだ。

 ボク本体への異常接近についての警告もきているな。

 ニッケル・ハルパがボクに近づきすぎているのか。


 いや、まてよ、それも違う。

 ボクが、近づいているんだッ!

 ニッケル・ハルパに近づいているのは、ボクの方だ。


 変だな。なんでボクが女王の近くに行く?

 ピンズの前に立つニッケル・ハルパから目がはなせない。

 ……綺麗だ。と思う。


 あれ? なにを考えているんだ?

 待て待て。ありえないだろ。

 こんなの一目惚れしたみたいだぞ。

 どうしてだ? 未開の地にいる粗野な女だぞ。

 バカみたいな化粧をしてないから、餅菓子になっていないだけまだマシだけど、中身がひどいだろ。


 コミュユニットのレポートだと、目の前の女王は戦争の話しかしていない。

 その話の内容から判断すると、恐らくは粗暴で冷酷な人間だ。

 しかも、ピンズの戦いを絶賛し、今後も参戦しろと頼んでいる。

 ってことはつまり。ただ、軍の指揮官としての業務上の対応をしているだけだ。


 でも。それでも、彼女はボクをきつけている。


 落ち着こう。人の命を奪うことなど、なんとも思わない手合いだぞ。

 好きになるか? いやない。好きになる理由がまったくない。

 ニッケを、好きになる理由はどこにもないんだ。

 ないけど────認めよう。

 そうだ。ボクは、ニッケに惹かれている。


 当人がグルグルと繰り返している懊悩おうのうなんかお構いなしに、コミュユニットの投影する老人は女王とほがらかに会話を続けている。


『次の戦いでは我に本軍の参謀さんぼうの役目を与えられるとお聞きしましたが、よろしいのですか? 我はパトロアの国の生まれではないのですが』

「構わない。これは正式な王命だ。本軍参謀の役職は伯爵に相当する。必ず受けてほしい。むしろ部下たちから貴公をいつまで無位無官のままにしておくつもりなのかと苦情が届いている」


 外見がお爺さんのピンズノテーテドートは、堂々とした態度だ。

 中身のボクがキョドっている状況では、ほんとうに助かる。

 声を聞いているはずなのだけど、女王がなにを言っているのかわからない。集中できないんだ。


「参謀など貴公にふさわしくない役職だと承知はしている。いずれ新たな位なり役職なり言われたものを用意しよう。報酬も領地も最大限に貴公の望みに沿うものを考える」

『恐れながら、我に過分な報酬は必要ではありません』


 ニッケの容姿も声も記憶から離れない。ダメだ。

 ────もしかして、ボクの精神が操られている?

 思いつくと同時に声にしていた。

 まさか、これは────


「魔術か?」


 いやいや、それだけはない。断言できる。

 言い終わると同時に否定した。

 コミュユニットは、この世界の全ての魔術を知っている。

 なのにボクに向けられた魔術に対する警告は発報していない。

 だいいち、この世界に完全な精神操作の魔術はない。

 ではなぜだ。わからない。

 魔術なんてないのに、気分が変だ。


 じゃあなんだ? なにが起こっている?

 何度目かの自問自答を繰り返したあと、はっきりわかった。

 認めるしかない。

 どうやらこれは────恋らしい。


 理由はなくても、恋に落ちた。

 だから考えても原因はわからない。


 ちくしょう。やはり恋か。マジか。

 愛情というものは、自然で防ぎがたい精神攻撃らしい。

 恐ろしいことに。恋した相手に執着することが当たり前だと思えてくる。そう錯覚させている。

 正気ではいられなくなるし、正気でいたくなくなる。


 頭の中でもうひとりのボクがあきれている。

 これは大変なことになった、と。


 感情は、コントロールできると思っていた。

 でも実際は、ままならなかった。

 自分でも自分の気持ちなんて自由にならない。

 自覚すると逆に自分がいま思っていることを信用できなくなる。 

 ニッケル・ハルパへの思いは変わりそうにない。だがとにかく、いまは冷静に考える時間が必要だ。

 ありったけの自制心を注ぎこんでピンズノテーテドートのAIに、話を切り上げて帰るように指示を出した。




 恋心を自覚してからは、毎日のようにニッケに会いに行った。

 理由はパトロアの奪われた領土の奪還作戦についてだ。

 もちろんそんな作戦なんか、まったくどうでも良い。

 会話は、ピンズノテーテドートのAIに丸投げしている。

 ただニッケに会いたい。それ以外に意味はない。


 ニッケと会うにつれて、日増しにガマンできなくなったことがある。

 ニッケと話しているのは、映像のピンズだということ。コミュユニットのAIだということだ。


 ボク自身が話をしたい。

 でも、それはできないことだ。

 ボクが話すということは、本当のボクの正体がバレるということだから。

 大魔術師然とした人物ではなく、ただのふつうの男だと、威厳いげんもなにもないヤツだと、わかってしまうことだから。


 外見だって特に良くもない。

 非凡ひぼんな大魔術師と接していた女王は平凡なボクを受け入れてくれるのか? 


 やっぱり怖い。女王との関係が無くなってしまうと考えると恐ろしくなる。

 この世界に送られて魔術を得てから、こんなに怖いと思ったのは初めてだった。

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