電話ボックス

楢崎コウヤ

電話ボックス

「まあ、ありきたりな話なんだけど――」

 三ヶ月に一度くらいの頻度でうちに訪れる叔父はそう言って話を続けた。


「夜中にその電話ボックスでずっと受話器を耳に当ててると、電話が繋がってないはずの受話器から、うめき声が聞こえるっていう話でね」


 その電話ボックスというのは、田舎町に建つ我が家から4kmほど離れたZ峠にある電話ボックスのことだ。

 いわゆる旧道のトンネルの出口付近にあり、ただでさえ車通りが少ない旧道から、更に20mほど小道を進んだ場所にポツンと立っている。


「そもそも、なんであんな場所に電話ボックスがあるんだろうって前から思ってた」

 我が家から車で専門学校に通う僕は、そう叔父に問いかけた。


 その電話ボックスは僕の通学ルートから少し外れた場所にあり、前から存在は知っていたが、なぜあんな不便なところに電話ボックスがあるのか不思議だった。

 しかも、スマートフォンが当たり前のこの時代に、あの電話ボックスを設置し続ける意味が分からない。


「昔はあの付近にちょっとした休憩所みたいな駐車スペースがあって、そこに公衆トイレと電話ボックスがあったんだよ」

「で、新道ができて数年後くらいに取り壊されたんだけど、あの電話ボックスだけが残ったってわけ」

 叔父はそう説明するが、それでもなぜ電話ボックスだけ残っているのか?という僕の疑問は解消されないままだった。


 その疑問がかえって好奇心を煽ったのか分からないが、僕はやたらとその電話ボックスに興味を惹かれた。


 数日後、同じ専門学校に通う友達を誘ってその電話ボックスに行こうとしたが、「急にバイトのシフト増やされてさ」という愚痴と同時に、あっさりと断られてしまった。


「あんまり気は進まないけど、一人で行ってみるか…」

 恐怖心よりも好奇心が勝り、その日の22時頃、電話ボックスに向けて車を走らせることにした。

「コンビニのついで」というのは、自分に向けた言い訳だった。


 例の旧道に入って1kmほど進み、トンネルを抜けると、目的地である電話ボックスが小さく見えてきた。

 旧道の路肩に車を停めて、そこから獣道のような小道を歩いて進む。


「こんな時間に峠の小道を一人で歩くとか、何やってるんだろう…」

 恐怖心と冷静さが組み合わさった何ともいえない感情を抱えつつ、その電話ボックスに到着した。


 そして中に入り、ほぼ後悔に近い気持ちで、ゆっくり受話器を耳に当てた。

 小銭もテレホンカードも入れないまま。


 ――10分ほど経っても、何も聞こえない。やはり、ただの作り話だったのか。

 更に5分ほど経っても何も変化は起こらない。


 結局、その日は諦めて撤収することにした。


「こういうのはね、1回行くだけじゃダメなんですよ。何回も何回も行って検証しないと」

 僕がチャンネル登録している心霊系ユーチューバーの口癖が脳裏をよぎり、一度足を踏み入れた以上は簡単に諦めたくないという、自分でもよく分からないプライドが湧き上がっていた。


 その日以来、夜に時間があるときは電話ボックスに行くようにした。


 そして、あれは3回目か4回目のときだった。

 いつものように受話器を耳に当てると、数十秒後くらいに何かが聞こえた。


「が…、い」

「ざ…え、だ」


 全く言葉になっていないが、少し荒めの息に交じるような女の声が微かに聞こえた。

 恐怖心。いや、あの時は嬉しさの方が勝っていたかもしれない。これは絶対にネタにできると思った。


 だが、これだけだとネタとして弱いのではないか。せめて何を言っているか聞き取らないと、話に深みが生まれない。


 そう考えた僕は、その後も何度も一人で電話ボックスに通った。


 一度声が聞こえて以降は、毎回何かしらの収穫があった。


「は……えっ…うっ」


 泣いているのだろうか。

 毎回女の声のうめき声は聞こえる。だが、どれだけ受話器を耳に近づけても、具体的な言葉を聞き取るまでには至らない。

 そして、その状況が余計に僕を電話ボックスに執着させた。


 最初は好奇心から始めたことだったが、回数を重ねていくごとに、「あの声を聞かないと」という義務感、そしてどこか悲しい感情を抱えるようになっていった。

 なぜあの時そのような感情だったのか、自分でも説明できない。


 そんなある日、突然、地元のショッピングモールの駐車場で警官に呼び止められた。


「あの、お兄さん、少しいいですか?」

 驚いた表情の僕に対して、警官は事情の説明を続ける。


「えっと、私はZ峠のパトロールを担当している者なんだけどね。お兄さん、よくZ峠の電話ボックスにいるよね?」

 僕の行動が珍しいこともあって、警官は僕の顔や特徴のみならず、車のナンバーまで覚えていたという。


「私もあの電話ボックスの噂は知っているし、別にお兄さんが悪いことをしてるって言いたいわけじゃないんだけど…」

「あそこはやめた方が良いんじゃないかと思ってね…」


 その警官の話によると、以前にも僕と似たような行動をしていた若い男がいたらしい。

 警官は、その男に何度か声をかけようとしたが、別に犯罪に関係する行為でもないということもあり、毎晩のように電話ボックスにいるその男を、旧道に停めたパトカーから眺めるだけだったという。


「それで…その人はある日、急に行方不明になってしまってね…。だから、その人に声をかけなかったことを本当に今でも後悔してて」

「せめて君には同じ道を辿らないで欲しいと思っててね。で、今偶然ここで見かけたので、お声がけさせてもらったんだよね」

 警官はそう言い、僕に背景を説明してくれた。


 ああ、そうか。そうだったのか。

「あの声を聞かないと」という謎の義務感の正体。そして、その成れの果て。

 その男の身に起こったことが、僕には理解できた。


 まるで何かに憑かれていたような状態から、ふと我に返った僕に対して、その警官は更に言葉を続ける。

「だからね、女の子の方にも伝えておいてくれるかな。もう危ないからやめた方がいいって」


「女の子の方……ですか?」

 全く話が掴めない僕は聞き返した。


 そして警官はこう言った。

「そう、白いワンピース着てる髪の長い子。よく一緒に行ってるでしょ。いつも電話ボックスの中で君の後ろに立ってるじゃない」




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