第十五話 鬼姫、恋文をもらう。(弐)

(この男、よくもぬけぬけと……っ!)


 正妻がいながら三人の女――それも姉妹に手を出した挙句、私にまで恋文を送ってくるとは……なんと下衆げすな男であろうか。


 腹の底がぐらぐらと煮えくり返るかの如く怒りで言葉が出ない。そんなことも知らない秀好は、熱を帯びた瞳で私をじっと覗き込む。


「その美しい瞳を一目見た時から、私の心はあなたしか見えなくなってしまいました。この可哀想な恋のしもべを少しでも憐れとお思いくださるなら、今宵あなたの寝室へはべる権利を私めにお許しください」


 私は思わず、手が出そうになった。

 が、私の両手は秀好の両手にがっしりと掴まれてしまっている。振り払うことは簡単だが、それよりも先に足があがった。秀好の急所を目掛けて振り上げる。


「蔵人頭、あちらで頭中将とうのちゅうじょう様が困っていらっしゃいますよ。何か御用があるのでは?」


 背後から、落ち着いた涼やかな男の声が聞こえた。その声のおかげで、私の足は、秀好の急所を蹴り上げる寸前で止まった。


 秀好は、私の背後にいるらしい男の顔を見た。次に、ぱっと自分の後ろを振り返る。そこには、官服を着た頭中将らしき男がこちらを遠巻きにしながら、ごほんと咳払いをしているのが見えた。


 秀好が、大仰に溜め息をつく。


「……ああ、残念ですが、どうやら私たちの間には、幾つも障害があるようですね。でも私は、必ずや障害を乗り越え、あなたへの愛の深さを証明して見せます。それまで待っていてくださいね」


 そう言うと秀好は、私に向かって片目を瞑って見せた。


 ぞぞぞ、と私の背筋に鳥肌が立つ。


 私は、頭中将の元へ去って行く秀好の背を睨みつけてやった。同時に、ようやく解放された手をばたばたと払う。そこにまだ秀好に掴まれていた温もりが残っている気がしたのだ。ああいう男は、いくら見目がよくとも虫唾むしずが走る。


「落としましたよ」


 秀好への怒りで周りが見えなくなっていた私の視界に、男の大きな掌が差し出された。そこには、ちょこんと可愛らしい香袋が乗っている。


「あっ、すまぬ。袂から落としてしまったようじゃ。ありがとう」


 私は、男から香袋を受け取った。


 すると男は、眩しいものでも見るように目を細めて言う。


「あなたが……橘 輝夜たちばな かぐや様ですね。和泉様からお話は伺っております」


「和泉様から……? 貴方は一体……」


「申し遅れました。私は、菅原 道仁すがわら の どうじんと申します。和泉様の学士を務めております」


 丁寧な所作で私に向かって頭を下げたのは、黒い官服を着た三十歳前後くらいの男だった。長身で、利発そうな目元が涼やかで、なかなかの美男子だ。秀好や光彰とはまた違った美しさが、その男にはあった。


 私を見つめる男の瞳は、黒曜石のように輝いて見えた。


 ふいに既視感を覚えた。なぜだろうか。初めて会う筈なのに私は、この男を知っているような気がする。


 そういえば、先ほど秀好から助けてもらったのに礼も言っていない。危うく天宮で失態を犯すところだった。


「先程は、声をかけてくれて助かった。ありがとう。……あっ、良ければ、こちらを一つ差し上げよう。たくさん作ったのでな」


 そう言って私が、受け取った香袋を男の方へ渡そうとするのを、男は、やんわり掌をこちらに向けて留めた。


「ありがとうございます。ですが、大変申し訳ありません。私は匂いの強いものが苦手なもので。お気持ちだけ、頂いておきます」


 そう言うと菅原 道仁は、丁寧にお辞儀をして去って行った。


 入れ替わりに、先に歩いて行ってしまった潔子がこちらへ駆け戻って来た。途中で私が付いて来ていないことに気付いたのだろう。


「ちょっと~遅いじゃない。何してたの? もしかして、秀好様に何か言われた?」


 まさか口説かれていた、とは言えない。おそらく潔子からのつれない返歌を見て、今度は私に鞍替えしようとしているに違いないのだから。


 潔子には、笑って誤魔化しておくことにした。


 再び気を取り直して温明殿へ向かおうとした私たちの前に、ぞろぞろと黒い衣服を身に纏った集団が歩いていくのが見えた。王の住まいである清涼殿から出て来たようだ。


「まあ。陰陽寮の人たちね。あんなに大勢で……何か大事な御祈祷でもなさってらしたのかしら」


 潔子の説明を聞き、何かが私の頭に浮かびそうになった。が、ふと見覚えのある少年の姿を見つけて、思わず声を上げた。


「あっ、あれは何じゃ?! し、しっぽが生えておるっ!!」


 見間違える筈がない。建春門の夜に会った、陰陽寮の少年だ。


 潔子は、私の言葉に眉をしかめながら陰陽寮たちの集団を見つめた。


「しっぽ? 何も見えないけど……ふざけているの? おかしな人ね」


 冗談で言っているわけがない。少年のちょうどお尻のあたりから白くてふわふわした尻尾が生えているのだ。


「何じゃと、ふざけてなどいない! あの一番後ろに並んでおる、背の低い男子おのこじゃ」


 私が指差す方を見て、潔子が得とくしたように頷いた。


「ああ、陰陽師の季慈 貞晃きじのさだあきら 様ね。確かまだ十四、五才くらいだと聞いているわ。若いのに、とっても優秀な陰陽師なんですって~」


「あれのお尻にしっぽが生えておるのが見えぬのか?」


「そんなもの見えないわよ~。さあ、早く帰りましょう。私、この香袋を衣司の子たちに分けてあげるって約束しているのよ」


 どうやら潔子には見えていないらしい。私の目がどうかしてしまったのだろうか。


 すると騒いでいた私の声が聞こえたのか、尻尾の生えた少年がくるりとこちらを振り向いた。そして、私の顔と自身の背後を見比べて、はっとした表情をする。すると不思議なことが起こった。少年のお尻に生えていた白い尻尾が、しゅっと霧のように消えてしまったではないか。


 あんぐりと口を開けたまま動けないでいる私に向かって、少年――季慈 貞晃がすたすたと近づいて来る。


「おい、そこのお前。ちょっとこっちへ来い」


 貞晃が、偉そうな口調で私を手招きする。嫌な予感しかしない。


「あら、輝夜ったらモテモテなのねぇ。いってらっしゃ~い。ごゆっくり♡」


 快く潔子に見送られた私は、貞晃に無理やり引きずられるようにして連行された。もしかすると私は、見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。


 やがて誰もいない殿舎の裏へと来ると、貞晃は私に向かって言った。


「見たな」

「いや見てない」


 私は、貞晃の声に重ねて、ぶんぶんと首を横に振って否定した。ここは絶対に見たと言ってはいけない場面に違いない。


「いや絶対に見ただろう。ってか聞こえたし。……まぁ、別にいいよ。どうせ知ってただろう? ちょっと思っていたよりも力を使い過ぎたんだ」


 貞晃は、ぽりぽりと頭を掻きながら言った。その仕草は、年相応の少年のように見える。建春門での夜に見た、あの人ではないもののような気配は微塵も感じられない。


「お主は、その……人、ではないのかっ?!」


「なんだ、気付いていなかったのか。お前、意外とマヌケだな」


 貞晃は、私を馬鹿にするように口角を上げた。


「なんじゃとっ?!」


「オレは、妖狐ようこの血を継いでいる」


「ヨウコ……? それがお主の母の名か?」


「ちがうっ! れ者めっ! 〝妖〟に〝狐〟と書き、〝ヨウコ〟と読むのだ」


「あやかし……? 人ではない、ということか」


 私は、確かめるように何度もその言葉を使った。

 貞晃は、それすら馬鹿にするように鼻で笑う。


「ふんっ、お前もそうだろう。だから、あの時すぐにわかった」


「あの時? 建春門での夜のことか。私の正体を……お主は知っているということか?」


 慄然とする私に向かって、貞晃は何でもないことのように頷く。


「ああ。そんなものは見ればわかる。お前も、そのを使えば簡単だろう」


「目を使う? どういうことじゃ? この目は、確かに人より幾らかよく見えるようじゃが……」


「なんだお前、自分の能力すらロクに扱えんのか」


 こいつは人を馬鹿にすることしか能がないのだろうか。

 だが今は、それよりも先に確認しなければならない重要なことがある。


「私をどうする気じゃ」


「どうかして欲しいのか」


 にやり、と色気すら感じる笑みを浮かべて貞晃が言う。


 存外にもどきっとしてしまい、私は言葉に詰まった。年下相手に何を動揺させられているのだろうか。


「……ち、違うっ! お主は陰陽師というのじゃろう。妖を倒すのが役目な筈……」


「そんなことを言えば、俺は俺自身を殺さなければならない。言わずとも判るようなことをわざわざ聞くな。時間の無駄だ」


「なっ……!」


「俺は、無駄が大嫌いなんだ。この世界で生きていくため、仕事で妖や幽鬼を退治することもある。だが、それ以外のことにまで首を突っ込むほど暇じゃないんでね」


 私が最後まで言い終える前に、貞晃は私の真意を察して先回りして答えているようだ。全くもって憎らしい。


「まさか……天宮に人ならざる者がいるとは……」


「いるさ。お前が気付いていないだけでな」


「まさかっ、他にもいると申すのか?!」


「さあな、気になるなら自分で探せ」


 話は以上だ、と言い貞晃は、私をそこへ一人残したまま去って行った。


 とりあえず、今のところ貞晃には、私を退治する意志はないらしい。ただそれは、誰かに仕事として命令されない限りは、という意味だろう。


 次から次へと入ってくる情報に、私の頭が追いつかない。


 好敵手だと思っていた敦姫は、生まれつき身体が弱く、私を憧れの存在として見ていること。

 この国一強い筈の皇王は病に伏して、后をとるつもりがないこと。

 平 秀好が私を口説こうとしてくること。

 陰陽師である季慈 貞晃は、妖狐の血を継いでいること。

 他にも人ならざる者が天宮に存在するかもしれないこと。


 これ以上の情報が入ってきても、私は捌ける自信がない。


 しかし、そういう時に限っては起こるものだ。


 その日の夜、皇王が崩御した。


 そして、次代の王に立ったのは……皇王の第七子、源 光彰みなもと の みつあきといった。



★【第四章】「天宮に潜む鬼」へつづく……

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