第十話 鬼姫、兄君の秘めた想いを知る。

花智子かちこのことは、幼い頃からよく知っているんだ。私の……大事な人だった。でも、彼女が入内じゅだいすることが決まり、私は身を引くしかなかった」


 入内とは、天子様の妻になることを言う。私も、女官になるべく喜久子から色々と教わっているので少しは分かる。本人同士の気持ちよりも、家の立身出世の方が優先されるらしい。

 引き裂かれる二人にしてみれば、さぞ辛いことだろう。


「鳳様の花智子へのご寵愛は耳にしていた。だから、幸せになってくれればいいと……そう思っていたのだが……」


 清澄が顔を曇らせる。花智子のことを思い出しているのだろうか。

 見ているこちらの胸が、きりきりと痛む。


「鳳王様が急に譲位されることに決まってから、天宮は急に慌ただしくなったようだった。花智子がどうしているかなど誰も気にかけず、天宮で彼女の噂を聞くこともなくなった」


 鳳王という名前は、鳳凰院が譲位する前の呼称だ。この国の人間は、ころころと名前が変わるのでややこしい。覚えるのが大変だ。


 そして、王が次の王へと位を渡すことを譲位と呼ぶ。天子様といえど、その命は永遠ではないらしい。


「私は、花智子のことが心配で、文を書いた。不自由はしていないか、私に何かできることがあれば助けになろうとしたのだ。しばらく経って、花智子から返事が届いた。そこには、乱れた文字で助けて欲しい、という内容が綴られていて私は驚いた」


「助けて、とは物騒だな。一体、何から助けて欲しいと書いてあったのじゃ?」


 私の質問に、清澄は力なく首を横に振る。


「……文には、具体的なことまでは書かれていなかった。ただ、この文を読んだら誰にも見られないようすぐ燃やして欲しい、と書かれていたから燃やした。花智子は、まるで誰かに怯えているようだった」


「それで、兄様はどうしたのじゃ? まさかそのまま放っておいたのではあるまい?」


「もちろん、放ってなんかおけない。すぐに文を書いて送ったよ。私に出来ることがあれば何でもする、と。すると花智子は、自分をから連れ出して欲しい、と私に言ってきたのだ」


、というのは……天宮のことか? 自分の足で天宮から出ることは出来ないのか?」


「一度、入内すれば、寿命を全うするか出家するまで天宮を出ることは出来ない。

 花智子は、まだ若い。出家するには早すぎる」


 出家というのは、世俗を絶ち、僧になることを言う。さすがの私でも、それくらいは知っている。さすがに若い女人が頭を剃るのは、恥ずかしいことだろう。私でも嫌だ。


「だから私は、花智子を天宮から連れ出すことにした。とある日の丑の刻に、建春門で落ち合う約束をしたんだ。私が必ず迎えに行くからと」


 私は、清澄の言葉に、並々ならぬ覚悟を感じた。


 譲位したとはいえ、この国の王であった人物から妻を奪うようなものだ。見つかれば、不敬罪として処罰されることになるだろう。


 天宮に勤めている清澄がそれを知らない筈はない。


 つまり、己の命を顧みず、花智子を救い出そうとしたのだ。


(清澄は、そこまで花智子のことを愛していたのじゃな……)


 花智子が清澄のことをどう思っていたのかは分からないが、少なくとも頼りにするほどには想っていたのだろう。


「門兵は、どうするつもりだったのじゃ?」


「私は、兵衛府えもんふで門兵の管理をしていたから、先に手を打っておいたんだ。門の内側から花智子が合図をしてくれたら、私が外から門を開ける手筈になっていた。でも……」


「まさか行かなかったのか?」


「もちろん行ったさ。建春門の前で、私は花智子を待った。でも彼女は現れなかったんだ。私は一晩中、花智子のことを門の前で待った。やがて夜が明けて白じんでゆく空を見て私は……きっと彼女の気が変わったのだろうと思った。こんな私では頼りないと思われていたのかもしれない、と。でも、そうじゃなかった……」


「一体、何があったのじゃ?」


「私が門の前で待っていた夜、彼女は後宮で息を引き取っていたのだ。だから、約束した時刻に来られなかった。私は、それをここへ戻って来て初めて聞いた」


 後宮というのは、天宮の中にあり、王の后とその子供たちが暮らしている場所のことだ。鳳凰院の后である花智子も、そこで生活していたのだろう。


 私も、女官になれば、そこへ行くことになると喜久子が言っていた。


「どうして亡くなったのじゃ? まだ若かったのであろう?」


「……おおやけには、急な病だと言われているけど、私はそうは思わない」


「ふむ。文に〝助けて〟と綴られていたことに関係があるのかもしれんな……」


 まだ分からないことだらけだが、花智子が幽鬼になってまで建春門の前に現れた理由は分かった。

 花智子は、待っていたのだろう。清澄が自分を迎えに来ることを……己が幽鬼になってしまっていることにすら気付かずに……。


(花智子もまた、清澄のことを想っていたのかもしれぬな。ようやく二人は結ばれる筈だった……それなのに……さぞ無念であったろうな……)


 それは、幽鬼になってでも消えないほど強い想いだったに違いない。


 私は、喜久子から聞いた、百日紅の花言葉を思い出していた。


 ――あなたを信じて待つ。


 それは、愛しい男の帰りを待ち続けて、死んでも花になって待つ悲しい女の恋物語でもあった。


 花智子もそれと同じだったのだろう。百日紅になった女のように、幽鬼になってまで清澄を待っていたのだ。


(私にも、会えるだろうか。そこまで愛し合える相手に……)


 昨晩、私の中へ流れ込んできた幽鬼の熱い想いが何だったのか、今なら分かる気がした。今でもまだ胸が熱い。


「輝夜に、頼みがあるんだ。もしかしたら、こんなことを頼むのは間違っているかもしれない。でも……」


 言い淀む清澄を見て、私は彼の考えていることが分かった。

 もちろん、断る理由などない。


「わかっておる。女官として天宮へゆき、花智子の死の真相を暴けばよいのじゃな」


 清澄の目に、暗い光が宿る。


「花智子を死なせた犯人は、まだ天宮にいる。私は、それが許せない。いつか必ず、犯人を見つけて、花智子の無念を晴らしてやりたいのだ」


 私の胸にも、熱い火が灯るような気がした。

 花智子の想いも、私の胸の中に残っている。こんなに優しい清澄を放っておくことなど出来ない。私に出来ることなら力になりたいと思った。


 これで天宮へ行く理由が、もう一つできたのだ。


「兄様の想いは分かった。私が必ず、天宮で花智子を死なせた犯人を見つけ出す。約束じゃ」


 私の言葉を聞いた清澄が、ふっと肩の力を抜いた。すると今度は、困ったような不安げな顔で私を見る。


「花智子は、本当にとても怯えていたんだ。危険かもしれない。だから、身の危険を感じたら、すぐに身を引いて欲しい。何かあったら、私に言うんだよ。決して無理はしないと約束してくれ」


 幽鬼が怯えて見えたのは、きっと犯人を見たからに違いない。

 あの陰陽寮とかいう男が現れて幽鬼を消し去らなければ、もう少し情報を引き出せたかもしれないのにと思うと、悔しい気持ちになる。


 何よりも、私に向けた意味深な言葉や、吉綱を見下すような態度が気に入らない。


 天宮へ行けば、またあの男とも顔を合わすことがあるのだろうか。


「大丈夫じゃ。私のことなら案ずるな。こう見えても、なかなか強いのじゃぞ」


 どんと胸を叩いて見せると、清澄は、くすりと柔らかな笑みを零した。その優しい瞳が、面白がるように私を見つめる。


「輝夜はかわいいね」


 清澄が、右手をそっと伸ばし、私の髪へ触れた。

 徐々に近付いてくる顔に、私の鼓動が速くなる。


 ふっと微笑み、引き戻された清澄の右手には、赤い花びらが摘ままれていた。


 私の髪についていた花びらを取ってくれただけなのだと判り、顔が熱くなる。


「そっちの喋り方のほうが、私は好きだな」


 百日紅の花びらを口元に当てながら言う、清澄の目が嬉しそうだ。

 私は、いつの間にか口調が元に戻ってしまっていたことに気付いた。

 ……が、もう遅い。


「で、ではっ、兄様の前では……この喋り方にするっ」


 私は俯き、膝の上で両手を握りしめた。


 清澄が私をじっと見つめているのが分かり、耳が熱くなった。


 どうしたのだろう。さっきまで平気だったのに、まるで花智子の気持ちが私に乗り移ったみたいだ。


 三日月だけが、そんな私たちを嘲笑あざわらうかのように見下ろしていた。



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 数日後、天宮にて女官採用のための面接が行われた。


 私は、ただ座って、面接官から聞かれたことに答えるだけで良かった。


 天上人である橘 常則の娘、というだけで私の採用は既に決まっていたようなものだった。


 しばらくして、私の天宮へあがる日取りが決まった。


 常則も喜久子も喜んで、私の宮入りに必要な道具や着物を用意してくれた。

 二人には、感謝してもしきれない。

 この恩に報いるには、天宮で名を売り、必ずや皇王の妻になってみせる。


 天宮で私がやるべきことは、二つある。


 一つは、天宮で皇王の目に留まり、彼の后になること。


 そして、もう一つは、花智子が死んだ本当の理由を突き止めること。


(必ず、どちらとも叶えてみせる)


 私は、天宮での新たな生活を思い描き、胸を熱くするのだった。

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