【第三章】天宮の最強女官
第十一話 鬼姫、女官になる。
カコーン…… ……百十二本。
カコーン…… ……百十四本。
カコーン…… ……百十六本。
私が斧を振り下ろす度、真っ二つに割れた
それらは、ちょうど私の両脇に小さな山を作っていた。
はて、私は天宮で女官となった筈なのに、何故に薪を割っているのだろうか。
話は、数日前に
晴れて天宮の女官となった私は、天宮にある後宮へ入ることとなった。
後宮とは、王と王の妃や子供たちが暮らしている場所のことで、天宮の一番最奥に位置している。
天子様である王が住んでいるという重要性から、後宮の周りは二重の塀に囲まれており、全部で十一ある門のうちいずれか二つを潜らなければ出入りすることが出来ない。
それらの門は、常に門兵――
先日、私が吉綱と一緒に幽鬼を見た
私が女官として立ち入りを許されたのは、その外郭より内側にある内郭の塀を超えた最奥――後宮と呼ばれている空間だ。ここには、王と王の身内、そして身の回りの世話をする女官たちしか立ち入ることを許されていない。
(ここに皇王がおるのか……なんじゃ意外と早く会えそうじゃな)
幾つも殿舎があるとはいえ、その広さは天宮の極一角でしかない。
女官の仕事が具体的に何をするのか聞いてはいないが、おそらく王の身の回りの世話をするのだろう。近いうちに皇王にも会えるはず……そう思っていた。
しかし、女官の仕事は、私が思っていたよりも楽なものではなかった。
後宮で働く女官たちの多くは、幾つもある部署に振り分けられる。
まず私が最初に任されたのは、
ある女は、どっかの大納言の娘に対する悪口が書かれた文を、その大納言家へ送られた所為で、父親が左遷されたと文句を言う。
ある男は、浮気相手に送る文を妻へ送られた所為で、怒った妻に離縁されてしまったと文句を言う。
彼ら自身に問題があるのではと思うものの、自分の過ちを認めないほど私は卑怯ではない。だが、文の宛名がミミズのような下手くそな字なのだから弁解の余地はあると訴えた私に、
ちなみに〝尚〟というのは、その部署における長官を意味する。彼女らに逆らえば、後宮で生きていけなくなることを私は思い知った。
しかし、私が大事な和琴を折ってしまい、ここでも
今度は、
力仕事は苦ではない。ちょっと腕を振っただけで薪が割れ、飛んで行く。むしろ力を入れ過ぎないようにすることの方が難しかった。
(なかなか上手くゆかぬなぁ……このような日陰にいては皇王の妻になるどころか、会うことすら叶わぬではないか……)
スカコーン、と薪は気持ちよく真っ二つに割れてくれるが、私の心はスッキリしない。これでも慣れない女官の仕事を頑張っているのだが、なかなか薪を割るような手応えをさっぱり感じられないのだ。
鬼雅島にいた頃は、何をやっても周りが褒めてくれていた。
やれ姫様は鬼雅島一の怪力じゃとか、腰が痛いから農作業を手伝ってくれて助かるとか、魚を獲ってくれるので飢えずに済むとか……喜ぶ老鬼たちの顔が嬉しくて、私は益々調子に乗って力を使いまくっていたものだ。
(……って、あれ? 私……力しか褒めるところがないのではないか?!)
唐突に気付いた事実があまりに衝撃で、振り上げた斧を持つ手が止まる。
私から鬼の力を取り上げたら、一体何が残るのだろうか。
必死に記憶を探ってみるものの、鬼雅島で妖力に頼らずに何かを成したことがとんと見つからない。
(ちがうっ。私は……私は…………無力ではないっ!!!)
思わず肩に力が入り、振り下ろした斧で割った二百本目の薪があらぬ方向へと飛んで行く。
「いでっ!!」
薪が飛んで行った方向から突然、誰かの声が聞こえた。
「……ん? 誰かおるのか?」
薪の小山を回って見てみると、そこに頭を抑えて蹲っている男の子がいた。やけに上等そうな着物を身につけている。
「おい、お主、大丈夫か?」
私が声をかけると、男の子は、涙に濡れた黒い目で私をきっと睨みつけてくる。
「
「ま、待て! それは勘弁してくれっ!」
尚侍とは、後宮の女官たちを束ねている一番偉そうな長のことだ。これまで何度も追い出された部署の尚らから私の悪い伝聞を耳にし、さぞご立腹なことだろう。これ以上、彼女を怒らせると、この後宮を追い出されてしまう。
私は慌てて、駆けて行く男の子の背中を追った。
*❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*
男の子は、小さい身体を巧みに操り、殿舎の狭いすき間を見つけては、ちょこまかと逃げてゆく。
これまで駆けっこに負けたことのない私だが、慣れない後宮内ということもあり、なかなか捕まらない。捕まえたと思っても、男の子は、するりと手の内から逃げてゆくのだ。
「くぅ~! 待てっ、頼むから話を聞いてくれっ! 誤解なのじゃ!」
私は、男の子を怯えさせてはいけないと思い、なるべく優しい口調で呼び掛けた。
すると、こちらの想いが通じたのか、男の子が立ち止まり、こちらを振り返る。
ようやく言葉が通じたか……とほっとしたのも束の間、男の子は、にやっと悪戯っぽい笑みを浮かべて、再び逃げだすではないか。
思わずぽかんとする私に向かって、男の子は、あかんべーをして見せる。
彼は、分かっているのだ。誤解であると分かっていて、分からないフリをしているのだ。
自分がおちょくられていると分かり、私は腹が立った。子供のやることとは言え、人を馬鹿にした態度は許せない。その捻くれた根性を叩き直してやる。
「こんのクソ
私は、怒声を響き渡らせて肩に力を入れた。
そんな私の様子を見た男の子は、嬉しそうに飛び上がって駆けだしていく。
しかし、そのまま殿舎の角を曲がろうとしたところで、角から現れた女とぶつかってしまった。
「まぁ、
女は、落ち着いた声音で優しく微笑みながら、和泉様と呼ぶ男の子の肩をがしっと掴んだ。
身動きの取れなくなった和泉様が、その場で足踏みをする。
「あ、
和泉様に昭子と呼ばれた女は、私の方を見ると、ぎょっとした顔で悲鳴を上げた。
「なっ、なんということでしょう! そのような物騒なモノを持って、
昭子の興奮した様子に面食らいながらも私は、自分の手を顧みた。なんとそこには、斧が握られているではないか。軽いので全く気付いていなかった。
「あ。いや、これは……」
「護衛を呼びましょう。誰かーっ! 誰か、ここにーっ!」
私が弁解しようとする隙を与えず、昭子が叫び出した。和泉様を胸に掻き抱いて、必死の形相で私から遠ざけようとする。
(これは大変なことになってしまったぞ……)
焦って弁解しようと口を開く私よりも先に、和泉様が鋭い声を上げる。
「待て! 鬼ごっこをして遊んでいたのだ。この者は何も悪くない」
「ですが和泉様……この者は、お、おおお斧を持っているのですよ?!」
昭子の声が震えている。そんなに私の姿は恐ろしいのだろうか。
(まるで鬼でも見たような顔じゃのう、失敬なっ。…………まぁ鬼じゃけど)
納得がいかないでいる昭子に向かい、和泉様は落ち着いた口調で言う。
「あの者は、ただ自分の仕事をしていただけだ。薪を割っていたところを邪魔したのは私なのだ。……お前、楽しかったぞ。また遊ぼう」
和泉様の大人びた態度に、私は返す言葉も忘れて見つめ返した。最後の方は、私に向かって言ったのだろうが、穏やかな口調は、まるでさっきまでの子供じみた言動と別人だ。
「は、はぁ……」
あまりの豹変ぶりに、思わず気の抜けた返事をしてしまう。
昭子が、こほん、と咳払いをした。
「…………お前、和泉様に感謝するですよ。一体どこの女官でしょうか。尚侍に伝えなくては……お前、所属を述べなさい」
「あっ、ありがとうございましたっ!!」
告げ口されてはまずいと思った私は、その場でお辞儀をした姿勢のまま飛びずさり、後退した。殿舎の影へ隠れるように、二人から見えない位置まで来て、ようやく息を吐く。追い掛けてくる気配はない。
どうやら私は、あの男の子のお陰で窮地を脱したらしい。
(……いや、そもそもあの坊主が私をからかうようなことをしなければ、あんな目には合わなかったはずじゃ)
悪い子ではなさそうだが、一体何者なのだろうか。
とりあえず、次に誰かを追い掛ける時には、斧を置いてからにしよう、と私は心に固く決めた。
*❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*
「和泉様? 鳳凰院様の弟君よ」
「弟? 弟がいたのか。では、皇王の弟でもあるのか?」
私の質問に、真千子は呆れたように首を横に振る。
「あなた、よくそれで女官の採用試験を首席で合格したわね……。皇王様は、鳳凰院様の大叔父に当たるのよ。だから和泉様の大叔父でもあるわね」
「大叔父? 鳳凰様には、確か子供がいないんじゃったな。それなら弟である和泉様とやらが後を継ぐのが順当ではないのか? 何故、そのようなややこしいことになっているのだ?」
私の質問に、もう一人の同期で同じ部屋を使っている
「それは、鳳凰院様が譲位された理由を知っていれば自ずとわかる筈」
奈津美は、しゅっとした体つきに派手な面立ちで、ぱっと人目を惹く。性格や物言いも、見た目どおりと言うか、何事もはっきり物を言うため女官たちの中でも浮いている。だが、本人はそのことを知ってか知らずか気にしていないようだ。
「鳳凰院様が譲位された理由……? 確か病気というのは嘘で、気が触れたとかそういう話じゃったかな」
確か以前、どこかでそんな話を耳にした気がする。
そんな私を、真千子が眉をすがめながら
「あんまり大声で言っちゃ駄目よっ!
……不祥事を起こした所為で、退位するしかなかったって話よ」
「不祥事?」
すると今度は、奈津美がイライラした様子で言う。
「退位させられたのよ! 宮中で、鳳凰院様の乳兄弟である
「殺した?!」
真千子が慌てて口に人差し指を当てる。
「しーっ! ……噂だけどね。だって、誰も見てなかったらしいじゃない?
源将明様のご遺体を
「なんということじゃ……何故そのようなことを……」
「〝鬼〟が取り憑いたってもっぱらの噂よ。怖いわぁ~」
真千子が自分の肩を抱き、ぶるりと身体を震わせる。
(また鬼か……)
人間という生き物は、何か異変や凶事があれば〝鬼〟という言葉を口にする。鬼である私としては、聞いていて気分のよいものではない。
だが、鬼雅島にいる鬼たちが何かと〝源頼光〟を口にするのと変わらないのかもしれないな、とも思った。
「ったく、私がこんな女の二番目だなんて……!」
奈津美が悔し気に爪を噛む。彼女は、女官の採用試験で私が首席合格したことをずっと根に持っている。
それはそうだ。私の回答は、奈津美の答えを参考にさせてもらったのだから。当人よりも高い点数を取ってしまうとは思わなかったが、どうやら他の者の答えも参考にしたのが功を成したらしい。
「
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