第十八話 鬼姫、式神になる。

 そこにいたのは、季慈 貞晃きじ の さだあきらだった。


 しかも、頭には狐の耳が生え、背中の向こうで白い尻尾がふわふわと動いている。


「ど、どうしたのじゃ?!」


「しぃーっ! 大きな声を出すなっ。他の者に聞こえるだろう」


 貞晃は、自分の口の前へ人差し指を当てて、小声で言った。


 同室の真千子と奈津美は、すやすやと寝息を立てて眠っている。


「どうやって私の居場所がわかった」


「お前はからな」


「失礼なやつだなっ。……で、一体こんな夜更けに何用じゃ。まさか夜這いに来たとは言うまい」


「オレの代わりに、陰陽寮の仕事をして欲しい」


「断るっ」


「お前の正体をばらしてもいいんだぞ」


「喜んで引き受けさせて頂きますっ」


「よし、この白拍子の服に着替えろ」


 貞晃は、背負っていた風呂敷の包みを開けて、私の寝床の上へ広げた。そこには、白の水干すいかんと、紅い袴、狐の顔を模した面が入っていた。


「なんじゃこれは。舞姫の服ではないか」


 さっぱり訳が分からない私に、貞晃は時間を惜しむよう早口で捲し立てる。


「オレの式神のフリをして行け。仮面を被って行けば、誰にもお前だとバレやしない。少しくらいなら力を使ったところで、どうこう言うやつはいないだろう。式神なんだからな」


「なぜ己で行かぬのじゃ」


 すると貞晃は、不機嫌な顔をより苦々し気に歪めて、舌打ちをした。


 ……一体、私が何をした。


「今晩は新月だ。この夜だけは、人の姿を保つことも、式神を使うことも出来なくなるんだ。いつもなら自室に籠って他の者に代わってもらうのだが、生憎今は新しい王制に代わるための準備やら引継ぎやらで忙しい」


 要は、人手不足だから手を貸せ、ということか。


(仕方ない。正体をばらされては困るしな。ここで貞晃に恩を売っておくのも良いかもしれん)


「それで、私はどこへ行けば良いのじゃ」


 私がため息交じりに答えると、貞晃は、ほんの少しだけほっとしたような顔をした。



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 早速私は、用意された白拍子の恰好に着替えてみた。なかなか動きやすくて可愛い。仮面は少し窮屈だが、顔バレしてはまずいのでつけておくことにする。


 準備が出来た私を見て、貞晃は満足そうに頷いた。


『オレが、お前の代わりに寝ててやるから安心して行ってこい』


 そう言って貞晃は、意気揚々と私を部屋から追い出した。


 ただ寝たかっただけじゃないのか、と疑うほど貞晃の表情は嬉しそうに見えた。気のせいだろうか。


(さっさと終わらせて、私も早く寝よう……)


 とりあえず私は、貞晃から教えられたとおりの場所へ向かった。どうやらそこで陰陽師が必要となる事件が起きたらしい。


 事件現場は、後宮の最北にある美櫛殿みくしどのだった。王族の衣服を繕う女官たちが住む場所だ。衣司に所属している大江 潔子も、この美櫛殿にいる筈だ。


(見つからぬようにせねば……)


 そう思って内心どきどきしながら行ってみれば、夜半遅いというのに美櫛殿の一角だけ何やら騒がしい。一室だけ御簾みすの上がった部屋から灯りが漏れ、衛士たちが集まっている。


 私が『陰陽寮からの使いである』と伝えると、すんなり中へ通してもらえた。


 衛士たちが、私の姿を見るなり『ああ、貞晃殿の式神か』と呟いていたので、おそらく今までも何度かこのような姿をした式神を派遣していたのだろう。


(全く、新月の夜だけ妖力が使えないとは一体どういう仕組みなんじゃ)


 私は、条件なく力を使うことが出来るので不思議だった。むしろ鬼雅島では、綺麗な月を見る夜の方が珍しい。


 ひさしの上へあがってみれば、そこに見覚えのある顔を見つけて驚いた。


 平 秀好だ。


 白い夜着のまま青い顔をして突っ立っている。


(何故このような時間に後宮にいるのじゃ?!)


 秀好は、天宮の外に自分の屋敷を構えている筈だ。


 だが、すぐに秀好の恰好を見れば考えるまでもないことに気付く。美櫛殿にいる女官の元へ通って来ているのだろう。


 私は、秀好に自分の正体がバレないだろうかとハラハラしながら近づいた。


 しかし、そこに集まっていた衛士と秀好らの視線は、私ではなく部屋の中心へと注がれている。


 私もつられて、御簾の上がった部屋の中を見た。するとそこには、一人の女が倒れていた。床に広がった長い黒髪が、まるで蜘蛛の足のように見えて思わずぞっとする。女は、ぴくりとも動かない。


(まさか潔子ではなかろうなっ?!)


 慌てて近寄り顔を確かめてみるが、全く見覚えのない女だった。もう既に息がなく、冷たくなっている。


 知り合いではなかったことにほっとするも、一体何故このようなことになったのか、ということの方に意識が向く。見たところ外傷はなさそうだ。


 よく見てみると、女は自分の首を掻きむしるようにして息絶えていた。何かで首を絞められたのだろうか。


 私は、ふぅとため息をついた。犯人は、もうわかっている。


「……少々、が過ぎたようですね、秀好殿」


 私は、正体がバレないよう、少しだけ低い声をつくって言った。


 すると、それを聞いた秀好が慌てた様子で反論をする。


「ちがうっ! 俺がやったのではない! とつぜん女の幽鬼が現れて、その女の首を絞め殺していったのだ!」


「嘘をつくならもっとマシな嘘をつきなさい」 


「よく見てみろっ! 首を絞められた跡など、どこにもないだろう!!」


 秀好が死んでいる女を指さすので、私は、もう一度女の首をよく見てみた。そこには、女の爪で引っ掻いた跡はあっても、紐や手で締め付けた跡は見当たらない。


 恐怖に怯えた顔は、まるで何か恐ろしいものを見た所為で呪い殺されたかのようにも見える。やはり幽鬼の仕業なのだろうか。


 改めて秀好の様子を観察してみれば、珍しく気が動転しているように見える。私の正体にも全く気付いていない。


 私の中に、むくむくと悪戯心が芽生えるのがわかった。


「う~む……幽鬼ですか……あなた、だれか人から恨まれる覚えはありますかな?」


 幽鬼とは、この世に何らかの未練や執着があって現れる。犯人が幽鬼ならば、きっと秀好を恨んで死んだ女の幽鬼に違いない。


「そんなものはない。私は真に清い男だぞ」


「嘘をついてもすぐにばれます。正直に言うのです。あなた様からは、女の深ぁ~い恨みを感じますぞ」


 私は、わざとそれっぽく両の掌を秀好に向けてかざしてみた。狐の面を被っているので、凄みが出たのかもしれない。


 すると、秀好が怯えた顔で白状する。


「うっ……実は、何人かの女と関係を持っている。だが、あの幽鬼の顔は、全く見覚えがないっ!!」


 断固として言い切る秀好に、私は内心『お前が呪われろ!』と毒づきながらも、もう一度現場を調べてみることにした。何か見落としたものがないか、部屋の中を歩いてみる。


(……特に変わったところはなさそうじゃな。それにしても、この女にとっては不運なことよ……秀好なんぞと関わるからこんな目に……ん?)


 その時、私の鼻がある匂いを嗅ぎとった。どこかで嗅いだことがあるような気がする。


 私は、さっと立ち上がると、不思議そうな顔をした秀好を置いて、ひとり温明殿へ戻った。


 貞晃は、私の寝床でぐーすかと気持ちよさそうに眠っていた。


 私が足で転がしてやると、寝ぼけ眼をこすりながら貞晃は、ようやく身体を起こした。


 どうだったかと聞かれ、とりあえず今先ほど私が見聞きしてきたことを話して聞かせた。


 全てを聞き終えると貞晃は、迷うことなく答えを口にする。


「十中八九、生霊いきりょうだな。誰かそいつを呪い殺したい程憎んでいるやつがいるのだろう。思い当たる相手は?」


 どうやら幽鬼には、死んだ人間だけでなく、生きている人間もなれることがあるらしい。どうやって貞晃がその違いを見分けているのかは分からないが、私も一つ思い当たる点があったので納得した。


「平 秀好じゃぞ。後宮中の女官を一人一人当たってゆくか?」


 貞晃が、口をへの字に歪ませる。彼も、秀好の女好きは知っているのだろう。


「……まぁいい。気配を辿れば、見つけることは出来る。少し時間はかかるがな」


 貞晃は、ぼさぼさの頭を掻きながら億劫そうに欠伸をした。そして、そろそろ帰るか、と腰を上げたところに、私が口を開く。


「……実は、ひとりだけ思い当たる人がいる」


 貞晃の薄緑色の瞳が、訝しむように私を見つめていた。



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 次の日、私は腹痛を理由に仕事を休んだ。とてもではないが、昨晩の事件が気になって、仕事どころではない。


 真千子と奈津美が部屋から出て行くのを寝床の中から見送ると、私はそっと部屋を抜け出した。


 そして、誰にも見られぬよう注意しながら、ある場所へ向かう。



「まぁ、まさか輝夜様がおいでくださるとは……嬉しい。これ、誰か。お茶とお菓子を持ってきて」


 突然、藤香殿を訪れた私に、敦姫は心から歓迎の意を表してくれた。


 部屋にあげてもらい、他愛もない話を交わしながら、女房の一人が出してくれたお茶をすする。


 さて、どうやって話を切り出そうか、と私が思案していると、敦姫が言いにくそうに身体をよじりながら口を開いた。心なしか頬が赤い。


「あの……輝夜様は、〝時月の君〟とはその後、どうなのでしょうか?」


 ぶっ、と私は思わず、口に含んでいた茶を拭き零してしまうところだった。一体この姫は何を聞きたいのだろうか。


「どう、とは……どういう意味でしょう?」


 げほ、ごほ、と咳払いをする私を見て、敦姫様の表情がぱっと華やぐ。


「まぁそのご様子ですと、うまくいっていらっしゃるのね。羨ましいですわ……」


 頬を染めて俯く敦姫の顔が、どことなく憂いを含んで見えて、私は直観で悟った。


「敦姫様には、どなたか想っておられる方がいらっしゃるのですか?」


「わっ、わたくしは、そんな……」


 目に見えて狼狽える様子を見ると、図星だったようだ。顔を赤くして扇で顔を隠す様は、女の私が見ていても愛らしい。きっと殿方からたくさん恋文をもらっているのだろうと私は思った。


 だが、今日ここへ来たのは、恋の話を聞きに来たのではない。早く本題へ入らなければ、と私は茶器を置いた。


「実は、今日私がここへ参ったのは、敦姫様と茶をすするためではございません」


「あら、何か御用時がおありでしたの? お忙しいのに、無理に私が引き留めてしまったかしら……」


 敦姫が申し訳なさそうに言った。

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