第五話 鬼姫、天都へ向かう。
「…………その男なら死んだよ。とっくの昔にね。今は、その男の子孫が、この国の
男の言葉は、私の耳に優しく聞こえた。
だからだろう。目指していた存在がもうこの世にはいないと聞かされても、私は落ち着いていられた。
「死んでいる……? 大倭国一強い男がか? 死んでいる……もう、どこにもおらんのか……」
言葉でしか聞かされていなかった存在が今、言葉でのみ消えていく。
まるで空虚で、
私の心の中にぽっかりと穴が開き、そこへ乾いた風が吹きすさむ。
(……それもそうだな。人の生は、鬼よりも短いものだと聞いている。もっとちゃんと考えていれば分かったことだ……)
父と母も、それを知っていた筈だ。
それでも尚、源頼光への憎しみは消えることがなかったのだろう。
もしくは、憎しみのあまり、それすら見えなくなってしまっていたのかもしれない。
「大丈夫か?」
男が、優しい声音で私を気遣うように尋ねた。
正直なところ、私自身が直接何かをされたわけではないので、恨んでいるかと聞かれれば、どうでもよい気もする。鬼雅島での暮らしは恵まれたものでなかったものの、他の暮らしを知らない私にとって、彼を恨む理由がないのだ。
ただ、父と母、他の老いた鬼たちが口を開けば出てくる名前が〝源頼光〟であった、というだけ。それだけのことだ。
(どんな男なのか、生きているうちに会ってみたかったのぅ……)
でも、私の本来の目的は変わらない。
「……では、今この国で一番強い男はだれなのじゃ?」
「強いというのは、どういう意味での強いだ?」
「強いは強いじゃ。強いという意味がいくらもあるものか」
「ある。武力か、金か、何者にも屈しない心のことか」
「その全てにおいて強い者はおるか」
男は、少しだけ目を細めて、真剣な表情で考える。そして、すぐに口を開いた。
「……いる。この大倭国の王、
「皇王……では、その皇王に会うには、どこへ行けば良い」
「会ってどうする? この国の王だぞ。そう簡単に会うことはできない」
「私の伴侶になってくれぬかと思うてな」
「王の妻になりたいのか? 面白い女だな」
「面白い? 私が面白いとな? そのように褒められたのは、生まれてはじめてじゃ」
男は、くつくつと笑う。何がそんなに面白かったのだろうか。
「
「天都……それは、どこにある?」
「ここから東へ向かったところにある。今からそこへ向かう気か?」
「ふむ、東か……わかった。日の射す方角へ進めば良いのだな」
男が困ったように頭をかく。
私は何か変なことを言っただろうか。
「え……いやぁ~……日の射す方角って言ったって~……日の位置は、時間が経てば変わるだろう」
「なに?! そうなのか?!
……知らなかった……ただ空が明るい方へ進めば良いものとばかり思っておった……」
「くっ……とんだお嬢様だな」
男が顔を歪ませて笑う。
これはわかる。きっと馬鹿にされている。
「う、うるさいっ。……うぅ、では一体どうやって東を知ればよいのだ……」
男は、少しだけ迷う素振りを見せたが、すぐに朗らかな表情で私を見る。
「……なんなら、俺がそこへ連れて行ってやろうか?」
「本当か?! それは助かる!
だが、いいのか? お主にも何かやるべきことがあるのではないのか」
私が果樹園を見渡しながら気遣うと、男は、優しく笑ってくれた。
「実は、ちょうど俺も、そこへ向かう用があるんだ」
ただ、そう答えた男の顔は、なぜだか少しだけ寂しそうに見えた。
*❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*
桃の男は、旅立つ前に、村へ行く用があると言った。
私は、鬼探しの件があったので、戻るのは心配だったが、連れがいれば何とか誤魔化せるのではないかと思い直し、彼のあとに従った。
果樹園から真っすぐ
柵の前には、三人の男が村人の列を検分していた。鬼ではないことを確認して、村へ通しているようだ。
二人は、鎧を着ており、もう一人の男は、浅葱色の直垂を着ている。
(む? どこかで見たような色じゃな……)
私が記憶を辿って思い出そうとしているうちに、桃男は、さっさと一人で柵の方へと近づいて行く。それに気づいた浅葱色の男が顔を上げた。
「……あっ、若っ! 一体どちらにいらっしゃったのですか?!」
ずんずんと大股でこちらへ近寄る浅葱色の男を見ても、桃男は、ひるむことなく足を進める。
「おお、
桃男が飄々と答えた。
とても誰かを捜しているようには見えなかったが、実は樹の上に登って捜していたのだろうか。
「捜していたのは、拙者の方です! 急にいなくなるのですから……困ります。
全く……毎度毎度、捜すこちらの身にもなってくださいよ……若様を探して道を戻っている途中、大変なことが……って、あーっ?!」
突然、吉綱と呼ばれた男が、私の方を見て指さした。
「こ、この女ですっ! この女が……妙な術を使って、追い剥ぎどもを投げ飛ばしたのです!」
(って、バレとるーっ!
……そうか、この男……さっき私から逃げて行った武士男ではないか!)
しかし私は、動揺を悟られぬよう、しれっとうそぶく。
「はて、人違いではなかろうか」
「いいや、お前だ。拙者は、確かにこの目で見たのだ。
この女は、
(全く、しつこいやつじゃ。やはり鬼のことを告げたのは、こいつであったか。
それより、脇腹の傷は大丈夫じゃろうか……顔色も真っ青で、まるで青鬼のようじゃが……)
「はっはっはっ……! 何を言うのかと思えば……吉綱。お前も冗談が言えるようになったのだな」
桃男が吉綱の背をばしばしと叩きながら笑う。確か〝若様〟と呼ばれていた。どうやらこの二人は、主従の関係らしい。
「冗談ではありませぬっ! 拙者、この目で確かに見たのです!」
吉綱は、声を張り上げすぎて腹に力が入ったのか、桃男に叩かれた所為か、傷を受けた辺りを抑えて顔を歪めた。
「おい、お主、大丈夫か……」
私が心配して差し出した手を、吉綱は、ぱしりと払った。
「うるさいっ、拙者に触れるなっ。この鬼女めが!
若様を騙してどうするつもりだ?!」
吉綱の言葉に、さすがの私もむっとする。
「何も騙してなどいない。お主の誤解じゃと言うておろうが」
「ほぅ、吉綱。そこまでこの女人が鬼だと申すのなら、証拠を見せてみろ」
桃男が腕組みをしながら言った。その表情は、どう見ても楽しんでからかっているようにしか見えない。
「証拠は…………これです」
そう言うと吉綱は、おもむろに腰に差していた刀を抜いた。ぎらりと光る刀身からは、先ほどの追い剥ぎらの血の匂いが漂ってくる。
条件反射で戦闘態勢に入りかけた私は、寸前で思いとどまった。
(ぐっ……この男一人倒すのは造作もないことじゃが、この先のことを考えると、ここは大人しく〝か弱き女子〟を演じておいた方が良いじゃろう……)
私は、腹をくくった。気持ち、両脇を締めて内股になる。黄依がよくやっていた技だ。
「……きゃー、や、やめてくださいっ!
恐い……ですわぁ~……!」
(ああっ! 我ながらむず痒い!!
全身に
しかし、黄依の技は、吉綱に通用しなかったようだ。
吉綱は、まるで動揺することなく、刀を握る手に力をこめて、私の方へと一歩踏み込む。その進行を、彼の主が手で止めた。
「やめろっ。こんなか弱い
……すまない。部下の無礼を許して欲しい」
桃男が、後半の言葉を私に投げかけながら頭を下げる。
赤銅色の長髪がさらりと肩をすべった。
「ですがっ、拙者は、この目で確かに……!」
それでも尚、言い募ろうとする吉綱の頭を、桃男がぱしりとはたいて止めた。
「この世に鬼などいるわけがないだろう。
いるとすれば、それはお前の夢の中だけだっ」
さほど力を入れているようには見えなかったが、頭をはたかれた吉綱は、刀を持ったまま地に倒れた。手で脇腹の傷口を抑えている。浅葱色の直垂が赤く染まっていた。血を流し過ぎたのだろう。
それきり気を失った吉綱の介抱を優先し、鬼の捜索話は有耶無耶となった。おかげで私は、無事に村の中へ入ることを許された。
*❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*
「部下を助けてくれたこと、礼を言う」
桃男が私に向かって頭を下げる。ぴしっと伸ばされた背筋からは、彼の誠実さと主としての責任感を感じる。
「いや、こちらこそ吉綱には、追い剥ぎたちから助けてもらった恩がある。それを返しただけじゃ」
少なくとも、吉綱が怪我を負ったのは、私を助けるためだった。
それをそのまま見過ごすことなど出来ない。
荷の中に、鬼の一族に伝わる秘薬を入れてきて良かった。
私は、舶来から持ってきたよく効く薬があると言って、その薬を吉綱の傷口に塗ってやった。なので、二、三日ですぐ傷も塞がるだろう。
だが、吉綱が目を覚せば、また私のことを鬼女だと言って騒ぐに違いない。その前に、この村を発った方が良さそうだ。
(……んっ? ちょっと待て。この桃男と一緒に出立するということは……つまり…………)
私の考えが伝わったのか、桃男が申し訳なさそうな表情で言う。
「すまないが、出立は、吉綱が目を覚ますまで待ってくれ。
明日の朝、この町を出ることにしよう」
(やっぱりかっ?! いやいや、あの吉綱って男が一緒じゃと、いつ私が鬼であることがバレるかわからんぞ。ここはやっぱり道だけ聞いて、一人で行くことにするか……)
「どうした。何か困ったことでもあったか?」
私の様子がおかしいことに気付いた桃男は、優しく気遣う口調で話しかけてくる。
「鬼の疑いをかけたことに怒っているのか? 気を悪くさせてしまったら申し訳ない……。
吉綱は、悪いやつではないのだが、実直すぎるところがあってな。大方、貴女の前でいい恰好が出来なかったものだから、あのような戯言を口にしたのだろう。気にしないでくれると有難い。
まさか、追い剥ぎを投げ飛ばすことのできる女人などがいるはずがないしな。それこそ鬼の怪力か妖術でもないと無理だ!」
あはは、と笑う桃男を見て、私は、ぐっと口を噤んだ。
(言えんーっ! むしろ今ここで姿を消せば、絶対に怪しまれるではないかっ!)
「大丈夫だ、安心しろ。ちゃんと天都へ連れて行ってやるから」
桃男は、どんと自身の胸を叩いて、朗らかに笑った。
ああ……私の旅は、前途多難だ――――。
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