【第二章】天都の鬼
第六話 鬼姫、橘家の猶子となる。(壱)
――大倭国は、ひの神の血を継ぐ天子さまが治める国。
その天子さまがおわします
ゆえに、そこに住む者たちには、衣食住に困ることのなく安心して暮らしてゆけるのだ。
……と、ここへ来る道中、何度も耳にした。
確かに、門を潜れば、真っすぐ伸びる広い道の両脇を白壁が延々と続き、立派な屋敷が幾つも
見上げる空は、青く、白い雲がゆったりとした時の流れを醸し出しているようだ。
そして今、私の目の前には、見事な
四つ脚で朱塗りの膳の上には、香ばしく焼かれた何かの魚に、貝の入った吸い物、その他副菜が幾つかと、山のように盛られた白い飯が所狭しと並べられている。器の質感から食材の色までどれも見目鮮やかで、匂いと共に私の食欲をそそられる。
いつも食べる量の三日分はあるだろうか。それも、一度に三品より多い料理を目にすることは滅諦にない。……というか、生まれて初めてかもしれない。
私は、ごくり、と唾を飲み込んだ。
「さあ、遠慮なさらずに。せめてものお詫びです。どうぞ召し上がってくだされ」
上座に腰を下ろしている男が、人の好さそうな笑みを浮かべて私に言う。
橘
「有難く、いただきます」
私は、合掌すると、箸をつかんだ。
まずは、魚からいただく。箸の先でつつけば、ほろほろと身がほぐれ、口に入れると柔らかな舌触りに塩加減が絶妙だ。私は思わず唸った。
「この魚は何という魚でしょうか? 見たこともありませぬ」
私の問いに、常則の脇に控えていた女が、恭しく口を開く。
「それは、この付近でとれました
紫焔さまのお国には、川がございませんでしたの?」
不思議そうに小首を傾げて聞く女の黒い髪にも、白いものが混じっている。常則と似た明るく穏やかな空気を持つこの女は、常則の妻で
「川はありましたが、激しい濁流の上に穢れていて、ひどい悪臭を放つのです。とても生き物が棲めるような川ではありません。
それ故、魚は海で獲るもの、と思うておりましたが……天都の川には、このように美味き魚が棲んでおるのですか」
私が真面目に感動を伝えたのに、喜久子は、なぜか着物の袖で口元を隠して静かに笑った。
「まぁ、おほほ。お国が違えば、食するものも異なるようですわねぇ。
この天都は、天子さまの加護によって守られておりますのよ。ですから、このように美味しいものを口にすることができるのです」
「喜久子の腕にかかれば、どのような食材でも極上の味わいへと変わる。たんと召し上がってくだされ」
「まぁ、殿ったら、お客人の前でお恥ずかしいですわ」
喜久子が、目尻を赤らめて口元を抑える。
そんな二人の仲睦まじい様子を見て、私は、心がほっと休まるような、くすぐったいような心持ちがした。
「いやぁ、それにしてもほんにお美しい。特に、その瞳。まるで
舶来の者たちは皆、一様に変わった風貌をしておるものではあるが……そなたのような瞳を持つ者を見たのは初めてだ」
私は、口に含んでいた里芋の煮っころがしを慌てて
「お褒め頂き嬉しく存じます」
それは、私が常則の屋敷へ来ることとなった大きな理由の一つでもある。
この紫色の瞳を一目見て気に入ってくれた常則は、私に興味を持ってくれた。道を歩いていたら、思いもよらぬ
「うちの牛車が紫焔どのをひいてしまった時は、どうなることかと思うたが……怪我がなかったようで本当に良かった。もし、どこか悪いところがあれば、すぐに言うてくれ。
「ありがとうございます。身体だけは丈夫ですので……」
私は、しおらしく瞳を伏せて見せたが、内心は息巻いていた。
(あれくらいで怪我なぞするものか。それよりも、あの牛には可哀そうなことをした。あとで薬を持って行ってやろう。あの秘薬は、鬼の折れた角にも効くからな。
牛で試したことはないが……)
初めて見た〝
私の身体を心配してくれた常則は、自分の住まう屋敷が近くにあるから一先ずそこで休んでいきなさいと、私に牛車へ乗るよう誘ってくれた。
すぐにでもその場から逃げたかった私は、そのまま牛車に乗り、彼の屋敷までついて行った。
身体はぴんぴんしていたので、屋敷に着いたらすぐにお暇しようと考えていた。
だが常則は、私の身体にどこも異常がないことを知っても、私を引き留めて、あれやこれやと質問を浴びせた。
私の珍しい瞳の色に気付いたからだ。
どこから来たのか、どこへ行くのかなど、常則から色々と尋ねられた私は、この天都へ来ることになった経緯を簡単に語って聞かせた。
すると常則は、「それは、苦労したのう……」と、目に涙さえ浮かべているではないか。
どうやら常則には、幼くして亡くした娘がいたらしく、生きていれば今ごろ私と同じ年頃になっていたのだという。
まるで娘が返って来たみたいだ、と泣きながら言う常則の手を、私は、振り払えなかった。握られた常則の手は、かさついてひんやりと冷たかったが、私の胸は熱くなった。
そうしてすっかり私のことを気に入った常則は、他に行く当てもないという私をしばらく屋敷に置いてくれると言う。
私としても、願ったりかなったりなので、常則の温情に甘えることにした。
そんなわけで、今こうして馳走になっている……というわけなのだ。
「それにしても……」
常則が、語りながら手にした盃を喜久子の方へ差し出した。
そこへ喜久子が、
私の鼻先にも、すんと酒の芳しい香りが漂ってくる。
「たった一人で婿を探すというのは、難しかろう」
常則は、私を案じるような口調で話しながら、盃に口をつけた。うまそうに一口啜り、はぁと息を吐く。
ちょうどその時、外から吹いてきた風が、紅い花びらを部屋の中に運んできた。庭に植わっているのだろうか。外は真っ暗で、何の花が植えられているのかは分からない。例え見えていたとしても、このように紅い花を咲かすものの名を私は知らない。
何枚かの花びらが床の木目に舞い落ち、まるで人の鮮血を散らしたように見えた。
先日見た、宙に飛び散る追い剥ぎたちの紅い鮮血がふと頭に浮かんだ。
あれは、まるで花が散ったように綺麗だった。
(彼らは、私のことを探しているだろうか……)
「紫焔どのさえ良ければ……」
離れていた私の思考を、常則の声が現実に呼び戻す。
今、そのことを考えても致し方ない。なるようにしかならないだろう。
私は、常則へと意識を向けた。
「うちの
私は、聞きなれない言葉に、思わず眉をしかめた。
「〝ゆうし〟……とは、一体どういう意味でしょうか?」
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