第六話 鬼姫、橘家の猶子となる。(弐)

「〝猶子〟とは、血の繋がらぬ二者が親子の契りを交わすこと。

 つまり、そなたさえ良ければ、わしの義理の娘にならぬか、と乞うておる」


「それは……とても有難い申し出。ですが、なぜ今日会ったばかりの赤の他人である私に、そこまでして頂けるのでしょう?」


 その時、常則の黒目がきらりと光ったように思えた。


「……実はですね。ちょうど今、天宮あまみやで新たな女官をつのっているのです。特に、見目麗しい女子おなごを集めるようにとのこと。紫焔どのほどの容姿があれば、必ずや大臣様方のお目に留まるであろうと思うたのです。

 だが、それには何らかの後ろ盾が必要だ。私がその後ろ盾として、そなたを守って差し上げられたら……と思いましてな」


「〝天宮〟……とは、何のことでしょうか?」


「〝天宮〟とは、天子さまがいらっしゃる御所のこと。そこで多くの官人たちが国のまつりごとを行う場所でもあります。……そうですな。国外から参られた紫焔どのには、いささか唐突に聞こえましたな」


「まつりごと……その〝天宮〟に行けば、すめらぎ王に会えますか?」


「え……ぇえ? 確かに皇王は、今の天子さまのことです。ですが、何の官位を持たない身分では、皇王にお会いすることはおろか、遠くから姿を拝見することすら叶いません。官位を持つ者でさえ、お姿を拝見できる者は、ごくわずか。なぜ、そのようなことを……?」


「皇王は、この大倭国やまとのくに一強いと聞きました。私は、強い男を婿にしたいのです」


 持っていた箸を置き、きっぱりと言い放った私の言葉に、常則は目を丸くした。そして、何故か大声をたてて笑う。

 喜久子も、まぁと目を丸くして口元を袖で覆っている。


「紫焔どのは、天子さまとの婚姻をお望みか。いやはや、これはお目が高いというか何というか……恐れ知らず……いや、こころざしが高いのでしょう」


「いけませぬか」


 思わず前のめりになる私の勢いを見て、常則は面食らった顔をする。


「……いいえ。志が高いことは良いことです。ただ皇王は、そう若くはありませぬ。確か……私と同じか、もしくは上か……」


「歳の差などは気にしませぬ。ただ、強い男がよいのです」


 私の真剣さが伝わったのか、常則が口を閉じる。そして、何かを考えるように顎をさすった。


「ふーむ…………確かに、この大倭国で皇王様をおいて、地位も権力も富も持っている男は他におりませぬでしょう。武芸にも秀でていると聞きます。即位される前は、武者修行の旅をされたこともあるとか……ですが……」


「どうすれば、皇王の妻になれますでしょうか」


 常則の言葉を遮って訊ねる私に、常則は、落ち着いた口調で教えてくれる。


「……まずは、天宮へ行き、官位を授かることです。官位には、下位から順に位が定められており、全部で三十に分けられています。

 上位である五位、四位以上となれば、上流貴族と呼ばれるようになります。更に、その中でも〝天上人てんじょうびと〟と呼ばれる方々はまた別格。まさに字を読んでのごとく、天上の人なのです」


「〝天上人〟……難しい言葉ばかりで、よくわかりません」


「〝天上人〟とは、天子さま――皇王がいらっしゃる央竜殿への昇殿を許された者のこと――つまり、〝天上人〟となれば、ようやく皇王とお顔を合わせることができるのです。……ですが、そこまでには長い階段を一段ずつ登っていく必要があります。そして、誰もが上位の地位へ上がれるわけではない。一生を下級官位のまま……もしくは官位のないまま過ごす者もいます」


「なんと果てしない話でしょう……途方もなさすぎて、見当もつきません」


 私は、ため息とともに肩を落とした。とてもではないが、今からその階段を登っていけるとは思えない。聞いただけで眩暈がしてくるような話だ。

 ところが、常則は、先ほどよりいくらか明るい口調で言う。


「……もしくは、誰か官位を持つ家の後ろ盾を得て、天宮へ女官として従事する、という手もあります。女官にも幾つか位が設けられてはおりますが、そこで評判となれば、皇王の目に留まるやもしれません。女官から皇后となった者の前例もあります。女の身であるならば、そちらの方が官位の階段を辿るより遥かに早い」


 常則の言葉は、落ち込んでいた私の胸に、希望を照らすように届いた。

 顔を上げる私に、常則が「そして……」と続ける。


「私は、こう見えても従四位上。いつもは主に国司を任されていますが、今は造宮省ぞうぐうしょうに身を置いております」


 従四位上、国司、造宮省……分からない言葉が多すぎて頭がついていかない。

 とりあえず今は、聞き流しておこう。


「家名のない女子が一人で天宮へあがることはできません。ですからもし、猶子の話を受けてくだされば、必ずや紫焔どののお力になれると思いますよ」


「つまり……常則様の娘――猶子となり、天宮へ行って評価されれば、皇王の妻になれるということですか」


 私の言葉を受けた常則が、ごほんっ、と軽く咳払いをする。


「……まぁ、その可能性はある、ということです。

 残念なことに私には、娘がおりません。ですから、こちらとしても、紫焔どのが橘の名を背負って天宮でご活躍頂けたら、うちの家名も上がる……これは、話です」


 常則は、そう言って優しく微笑むと、盃に残っていた酒を飲み干した。

 空になった盃に、喜久子が徳利から酒を注ぐ。


(どちらにも〝利〟がある……そういうことか)


 ようやく常則の言わんとすることを理解した私は、ほっと肩の力を抜く。むしろ、何の見返りも求められない方が信用できない。これで、常則が私をここへ連れて来た本当の意味がわかり、腑に落ちた。


「……わかりました。このお話、有難く受けさせて頂きます」


「それは良かった。では、今宵から私とそなたは、父と娘。喜久子のことは、母と思うてくれ。

 …………ふむ。となると、そなたの新しい名が必要だな。〝紫焔〟という名も良いのだが、〝し〟という名は、生死の〝死〟を思わせるため縁起が悪い。何か他に希望する名はあるかな?」


「いえ、特にはございません。常則様が良いように名付けてくださいませ」


 常則は、しばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。


「……〝輝夜かぐや〟はどうであろう? その夜空で輝く星のように美しい瞳にぴったりではないか。のう。〝橘 輝夜〟……うむ。よいではないか」


 明るく喜ぶ常則に、喜久子が嬉しそうな笑みで答えて同意する。

 私は、喜久子が目尻をそっと抑えるのを見て、胸が熱くなった。


 一時は、どうなることかと思っていたが、ここへ来て良かった。

 幸先は、明るい。


 私は、改めて佇まいを正すと、畳みに三つ指をつき、深々と頭を下げる。


「ありがとうございます。不束者ふつつかものではございますが、どうぞ宜しくお願い致します」


 私は、こうして橘 輝夜となった。



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



「本当に歩いて行くのですか。うちから天宮までは、遠いですわよ」


 橘家の門を出たところで、喜久子が心配そうな顔で私を見つめる。

 私は、喜久子を安心させるため、彼女に微笑み返した。


「大丈夫です。清澄きよすみさまもついてくださっておりますので」


 そう言って私は、隣に立つ若い男を見上げた。

 猫っ毛で色素の薄い髪に、のんびりとした柔らかな空気を持つこの男は、橘家の次男である清澄という。背はあまり高くないが、童顔でかわいい顔をしている。

 歳は私よりも三つ上。今年数えで二十一になる。


 喜久子が清澄に向かって、輝夜をしっかり頼みますよ、と念を押す。

 それを見た私は、自分の頬が自然と緩むのを感じた。


「いってまいります……母上」

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