第七話 鬼姫、女官の採用試験を受ける。

 しばらく道を歩いて行き、橘の屋敷が見えなくなった頃に、清澄が言う。


「私のことは、〝兄〟と呼んで構わない……前にもそう言ったよね、輝夜」


 清澄の声は、絹のように滑らかで、耳に心地良い。

 私は、面映ゆい思いで、慣れないその名を口にする。


「は、はい。……


 清澄は、私の反応を見て満足そうに目を細めると、頬を緩めた。


 鬼雅島にも、私の血を分けた兄と姉がいる。私は、母の腹から十三番目に生まれた末子だ。


 だが、私を生んだ所為で母が子を産めぬ身体となってしまい、彼らと私の間には、超えられない大きな深い溝ができた。


 特に、末子であるのに最強の力をもって生まれた私は、父母から力を認めてもらいたいと思う彼らからしてみれば、目の上のたんこぶのようなものだったのだろう。


 幼い頃には、いくらか可愛がってもらったような記憶もあるが、いつしか彼らの私を見る目は、嫉妬と嫌悪へと変わっていった。


「歩き疲れたら言うのだよ。お前を背負って歩くくらい何てことはないのだからね」


 暗い気持ちになりかけていた私を、清澄の柔らかな声が引き上げてくれる。


 橘家は、貴族だ。普通であれば、天宮まで牛車で向かうところを、天都の道を歩いてみたいという私の我儘に、清澄は嫌な顔一つせず付き添ってくれている。


 まるで真綿で包みこまれているような、この感覚を何というのだろう。


 常則も喜久子も、清澄も……突然できた家族わたしの存在をいとも簡単に受け入れ、優しく接してくれている。数日ともに過ごしてみてわかったことは、彼らがとても心根の優しい人間だということだ。


 常則は、私を猶子とすることが橘家のためであるような言い方をしていたが、まるでそれを感じさせないほど私のことを可愛がってくれている。


 喜久子も、あれやこれやと手を焼き、まるで本当の娘のように接してくれている。今日も、私に一番似合う色の着物を決めるのだと言って聞かず、まだ日も昇っていないうちから起こされて、何度も着替えをする羽目になった。

 ただ、彼女の好意がひしひしと伝わってくるので、私もそう無下にできない。


 最初は、慣れない扱いに戸惑ったが、今では時折、ふとした瞬間に涙が込み上げてくることがある。


 彼らと居ると、まるで陽の当たる縁側でうたた寝をしているような気分になる。こんなに穏やかな気持ちになったのは、生まれて初めてだ。


「ありがとう……でも、私なら大丈夫だ。……兄様」


 そう言って見上げた先に、清澄の穏やかな瞳があった。


 朝の日の光が、私たちの間にある空気を優しくあたためていく。


 鬼雅島では、滅多に見ることの出来なかった光る空を見た時、私は、本当に天子の加護とやらを信じる思いがした。


 この天都は、鬼雅島の荒々しい空気とはまるで違う。こんな世界が存在していたことに私は、強い衝撃を受けていた。


 私と清澄は、これから受ける女官の採用試験についての話や、今日の夕餉は何だろうかというような他愛もない会話をしながら歩いた。


 血の繋がりはない、偽りの家族かもしれない。


 でも今は、この橘家の人たちと過ごす時間が、ただ愛おしい。



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 女官の採用試験は、まず筆記試験から始まった。


 だだっ広い殿舎の中、ずらりと文机が並べられて、そのうちの一席に私は腰を下ろしている。


 集まった女たちの数をひぃ、ふぅ、みぃ、と数えていき……百を超えたところで数えることを諦めた。おそらく千人近い女が集まっているようだ。


 それは、圧巻というよりも異様な光景であった。


 周りを見れば、どの女も派手な衣装に化粧を施して、淑やかそうに座っている。かと思えば、壁際で怖い顔をして立っている黒服の男たちに向けて、ばしばしと黒く長い睫毛をしばたたかせている女子もいる。


 ……あれは何かのまじないだろうか。


 私も真似た方が良いものかと思っていたところに、試験用紙が配られた。


 開始、という試験官の鋭い掛け声と共に、女たちが一斉に筆を手にとる。


 私も一歩遅れて筆をとり、試験用紙の問題に目を通した。


《一、 現在の太政大臣の名を答えなさい。》


(ふむふむ……太政大臣の名前か……って、わかるかーっ!

 皇王のことすら最近知ったというのに……そもそも〝太政大臣〟とは何じゃ?!

 うぅ~む……大倭やまと語なら母から教えられておるから、読み書きは出来るが……さっぱり答えが分からん)


 私は、筆のお尻で頭を掻きながら、こっそり周囲の様子に目を配った。

 すらすらと筆が進んでいる女、頭を抱えて唸っている女、目を瞑って天に祈る女、……船を漕いでいる女もいる。


(よし、決めたっ! あの女にしよう!)


 私は、先ほど目に留まった、すらすらと筆を進める女の手元を盗み見て、それと同じ答えを試験用紙に書き込んでいった。


 鬼の目は、人間の何倍も視力がいい。


(答えが合っているかどうかまでは分からぬが……まぁ、他にも数名見ておいて、一番多い答えを書いていけば問題ないじゃろ)


 試験用紙が横に長いため、女の黄色い着物の袖が邪魔で見えない部分も、書く場所をずらしていく度に書いた答えが目に入る。楽勝だった。


 私は、内心しめしめと思いながら、筆をすらすら進めていった。


 女官となって天宮へゆき、皇王の妻となるためならば、手段は選ばない。



 やがて終了、という試験官の鋭い声で、筆記試験が終わった。

 この結果をもって、次に面談する者を決めるのだという。

 いくら見目が麗しくとも、あまりに頭の悪い女官は、採用してもらえないということだろう。


 私は、千人もの女の雪崩に飲み込まれながら、寝殿の外へ出た。白粉の匂いがきつくて鼻がもげそうだ。


 ひとまず家へ帰ろうと思い、清澄を探す。

 試験が終わる頃には、ここへ迎えに来ると言っていた。

 だが、周囲は、多くの女子たちと、その迎えの者たちで溢れかえっていて、この中から清澄を見つけることは難しそうだ。


(大人しく人がはけるまで待っておるか……)


 そう思って、殿舎へ登る階段に腰を下ろす。自然と意識は、周囲にいる女たちに向いた。


 私と同じくらいの歳の女子もいれば、喜久子ほどの年齢の女もいる。先程は、皆派手な衣装を着ているなぁくらいにしか思わなかったが、改めてよく見てみれば、着物の生地や光沢さなど、生活水準が違うことが分かる。


 女官になれば、官位はないもののお給金がもらえるらしい。私のように婿探しで参加している者もいれば、生活のために試験を受けに来る者もいるのだろう。人によって様々な事情があることを私は思い知った。


 私の耳に、試験の結果に落胆する声や、喜び勇む声などが聞こえてくる。しばらくそれらの喧騒を楽しんでいると、ふと気になる会話が耳に飛び込んできた。

 年若い女子たちの会話だ。


「――ねぇ、知っている? 丑の刻になると、賢春門の前に、鬼が出るらしいわよ」


 〝鬼〟という言葉が、やけに耳に強く残った。やはり人間のフリをしてはいても、私は鬼なのだ。敏感に反応してしまうのは仕方ない。


 私は、会話の主たちを目で探した。

 ざわざわと騒がしい人の群れの向こう側に、私の背後にある殿舎と同じような建物があり、その前に三人の女子が固まって親しそうに会話をしている。


 私は、彼女たちの会話に耳を集中させた。

 鬼の耳は、喧騒の中でも拾いたい声だけを拾うことが出来るのだ。


「鬼? やだわぁ、恐い。衛士えじたちは何をしているのかしら。さっさと退治してくれればいいのに」


「衛士たちでは手に負えないそうよ。陰陽寮にまで話が言ってるとか……」


「もしかして……先の天子様がおかしくなったことと、何か関係があるのかしら」


「先の天子様って……鳳凰院様のこと? 確か、御病気か何かで譲位されたんじゃなかったかしら……それとどうして関係があるの?」


「あなた知らないの? 鳳凰院様が御病気というのは表向きで、本当は気が触れてしまったからだってこと」


「私も聞いたことがあるわ。大声では言えないけれど……天宮が穢れたことと関係があるって……」


「えーっ?! それって、つまり……誰かが……天宮で血を流したってこと?」


「しーっ! 官吏たちに聞かれちゃうわ。こんな所でする話じゃなかったわね。……とにかく、今の天宮は呪われてるって、もっぱらの噂よ……」


「あたし、天宮にあがるのが恐くなってきちゃった……」


「まだ上がれるかどうか分からないじゃない。さっきの筆記試験、よくなかったんでしょう?」


「うん……でも、お父様が右大臣様に口利きしてくれるって言うのよ。だから……たぶん私、天宮へ行くことになると思う」


「羨ましいわ。うちのお父様は、まだ従八位下したっぱだから……さっきの筆記試験も難しかったし、面接だって、うまく喋れる自信がないわ」


「あなたは、きっと大丈夫よ。見た目がいいもの。黙って静かに頷いていれば、面接官の人たちだって、きっと合格させてくれるわよ」


(〝鬼〟に〝のろい〟とは……天宮には、天子の加護とやらがないのじゃろうか……)


 その時、女たちのすぐ脇を、一人の男が通りすがるのが見えた。

 女たちは口を閉ざして、まるで鳥が散るように門の方へと駆けてゆく。

 私がそれを目で追っている内に、通りすがった男が、こちらの方へ近付いてくるのに気付いた。


 よく見れば、男は腰に刀を差している。


 私は、先ほど見た試験官たちが刀を持っていなかったことを思い出した。

 確か清澄が、天宮では基本的に武器の帯刀が禁止されていると話していた。天子様が穢れ(血)を嫌うからだそうだ。ただし、天宮の警備を担当している武官と呼ばれる者たちだけは、唯一武器の帯刀を許されているらしい。

 先程の試験官たちは文官で、今こちらへ近付いて来る男が武官なのだろう。


 そんなことを考えながら、だんだんとこちらへ近付いて来る武官の男を見ていてた私は、はっとした。

 その顔に、見覚えがあったからだ。


(まずいっ……)


 私は、ぱっと立ち上がり顔を伏せ、気付かなかったふりをして立ち去ろうとした。


 しかし、それに気付いた武官の男が足を速める。


「待て、そこの女っ!」


 男が背後から声を上げた。

 何事かと、周囲にいた数名の女子たちが背後を振り向く。


 私は、足早に群衆へ紛れこもうとしたが、先回りをした男の身体によって前方を立ち塞がれてしまった。


 正面から怖い顔で睨み付けられる。


 やはり吉綱だ。


「お前、何故このようなところにいるっ! なぜ、急に姿を消した?!」

「はぐれたのじゃ。わざとではない……」


 私は、吉綱から顔を背けながら答えた。

 無事に天都へ着いた私は、彼らの隙を見て逃げ出したのだ。


 吉綱の大声に反応し、周囲からの視線が集まる。

 すると吉綱は、周りを気にして私の腕を掴み、声を潜めた。


「お前……ちょっと、こっちへこい」

「おい、何をするんじゃ」


 その手を振り払うことは簡単だったが、こんな大勢がいる前で吉綱を吹き飛ばすわけにはいかない。私は、しぶしぶ吉綱に腕を掴まれたまま、人気ひとけのない方へ連れて行かれた。


 吉綱は、殿舎の影に隠れて人が見えなくなった辺りで立ち止まると、鋭い視線を私に向けた。腕は掴まれたままなので、自然と吉綱の顔が至近距離にある。


(やはり顔は悪くない)


 きりりとつり上がった目に、意志の強そうな額……これで中身が伴っていればなぁと感傷に浸る私へ向かい、吉綱が開口する。


「お前じゃないのか」

「何の話じゃ」

「建春門で、鬼が出るという噂があるのだ。犯人は、お前だろう」

「私は鬼ではないと何度言えばわかる」

「いや絶対にお前だ」

「違うと言っておるじゃろうが! お主、そんなにしつこいと、女子にもてぬぞ」

「ぐぐっ……うるさいっ! 貴様には関係ない!」


 顔を赤くして怒鳴るところを見ると、どうやら図星だったらしい。


(顔は悪くないんじゃがなぁ~……)


「今から、その問題となっている建春門へ行く。お前も一緒について来い」

「なぜ私がついて行かねばならんのじゃ」

「お前が鬼ではないというならば、証拠を見せろ。でなければ、お前を鬼だと近衛府このえふに突き付けるぞ」


 近衛府が何なのかはわからなかったが、吉綱の言い方から、あまりよくない場所なのだろうということは容易に察せられた。

 

「あーもうっ! わかったわかった! 行けばいいのじゃろう!」


 私は、渋々、吉綱に従うしかなかった。

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