第八話 鬼姫、天都の鬼に会う。

 私は、吉綱に連れられて天宮の一角へと向かった。


 天宮は、広い敷地の中に幾つも殿舎を構え、ぐるりと回りを塀に囲まれている。


 どれも同じ建物にしか見えない私は、幾つもの角を曲がるうちに、自分が今どこにいるのか分からなくなっていった。


 幾つかの門の前を素通りし、ある焦げ茶色の門扉が見えてきた頃、吉綱が歩く速度を落とした。


 どうやら、ようやく目当ての建春門とやらに辿り着いたようだ。


「門の中に、また門があるとは……天宮とは、まるで一つの町のようじゃな」


 この天宮へ入って来た時、見上げる程に巨大な門を潜ったことを思い出して、私が言った。今、目の前にある門は、その時の門よりも小ぶりで地味だが、見上げることに変わりはない。厳つい葺切妻屋根が大きく前に張り出し、人を寄せ付けない威圧感を放っている。


 門の両脇には、弓を持った男が二人立っていた。

 だが、それ以外には鬼どころか鼠一匹見えない。


「……なんじゃ、門兵しかおらぬではないか。やはり丑の刻にならぬと現れないのではないのか」

「お前がここにいるからだろう」


 じろりと吉綱に睨まれたので、私も負けじと睨み返してやった。


「とにかく来い」

「わっ、引っ張るでない!」


 私の抗議を無視して、吉綱が私の腕を掴んだまま門兵の方へ近付いてゆく。


「おい、ここで先日鬼を見たというのは、お前か」


 吉綱のぶしつけな質問に、門兵らが眉をひそめた。突然現れて名乗りもしない男に警戒するのは当たり前だ。


「貴様、何者だ? 誰からその話を聞いた?」


「拙者は、左兵衛佐さひょうえのすけ、乾 吉綱だ。鬼のことで話を聞きに来た」


 吉綱がよく通る声で朗々と言った。

 左兵衛佐、という言葉は聞きなれなかったが、それを聞いた門兵二人の顔色がさっと変わる。姿勢を正すところを見ると、どうやら彼らにとっては効果覿面てきめんな言葉だったらしい。


「私です。三日前の晩、夜番でしたので」


 門兵の一人が答えた。


「その鬼は、こんな顔をしていなかったか」


 そう言って吉綱が、私をぐいと門兵の方へと突き付けた。扱いがぞんざいすぎる。


「おい、何をする!」

「えっ……」


 門兵は、吉綱の言動に戸惑う素振りを見せながらも、じっと私を検分するように眺めた。


(そんなに見られると恥ずかしいではないか)


「……いえ、暗かったのではっきりとは見えませんでしたが……違うように思います」


「ほれ見ろっ、私ではないじゃないか!」

「鬼はどんな様子だった? 何か不思議な妖術を使ったのか?」


 しかし、吉綱は私の言葉を無視して、門兵へ質問を続けた。

 その態度には腹が立つが、私も鬼の話が気になるので今は黙っておくことにする。


「いえ……なにも」

「なにも? とは何だ。鬼が夜の散歩をしていたとでも言うのか」

「それが……ただ、じっと立っているだけなのです。まるで何かを待っているようにも見えました」

「待っている? 他の鬼をか?」

「わかりません。ですが……私が弓矢を射っても、身体をすり抜けてしまい……しばらく経つと、すっと闇に溶けて消えていったのです」

「身体をすり抜けたとは……妖術か」


 吉綱が、難しい顔で私をちらりと睨んでくる。まだ私が犯人だと疑っているようだ。


(弓矢が身体をすり抜けるとは……それは鬼ではなく、むしろ……)


 私が思ったことを口に出す前に、吉綱が門兵へ質問を投げかける。


「それで、その鬼はどんな風貌をしていたのだ。性別は? 男か、女か?」

「性別は女……だと思います。ただ……赤黒い……あれは蘇芳すおう色のような……打掛うちかけを頭から被っていたので、顔までは見えず……」


 門兵の「女」という答えを聞いた瞬間、吉綱がしたり顔で私を見てきたが、すぐ続く言葉に顔色を変える。


「蘇芳色だと? 禁色きんじきではないか」

「禁色?」


 思わず疑問を口にした私に、吉綱が難しい顔をしたまま説明してくれる。


「禁色とは、一定の地位や官位を持つ者以外が着ることを禁じられた色のことだ。蘇芳色は、五位以上の公卿にしか着用が許されていない。だが、もしそれが女であるならば、もしや……」


 吉綱は、何かを言いかけたまま考え込むように口を閉ざしてしまった。


「つまり、身分の高い者の可能性があると、そういうことか?」


 私が確認する意味で訊ねると、門兵が口を開く。


「私の見間違いかもしれませんが……何せ、月のない晩のことでしたので」


 それでも、吉綱は黙ったままだ。それを見た私は、はっと気づく。


(今ならば、逃げられるのではないか?)


 とっさに逃げ道を探すため周囲へ視線を泳がせる。すると、見慣れた男の姿が目に飛び込んで来た。


「……あれ、兄様?」


 道を挟んだ向かいにある建物の影から、男がこちらを見つめている。

 清澄だった。私に気付いていないのか、ぼうっと突っ立ったままだ。


 私は、清澄に駆け寄って声をかけた。

 清澄は、その時初めて私に気が付いたように、はっとした表情で私を見る。その瞳に、怯えの色が見えた気がした。


「輝夜……どうしてここに? 試験は、もう終わったのか」


「はい。兄様こそ、どうしてこのような所に?」


「……いや。お前を迎えに行こうとしていたんだ。……そちらの方は?」


 清澄が私の背後へと視線を向けるので、振り返ってみる。すると、門前からこちらへ怖い顔で歩いてくる吉綱がいた。


「拙者は、いぬい 吉綱と申す。失礼だが、貴殿は?」


「私は、橘 常則の息子、清澄と申します。妹の輝夜とは、どのようなご関係でしょう」


 務めて冷静な口調で訊ねる清澄の視線を受けて、吉綱が訝し気な視線を私へ送る。


「妹? こいつは……」

「あーっ! その……ゆうしじゃ! そう、猶子になったのじゃ。だから、橘 輝夜という」


 吉綱が余計なことを口にしそうだったので、思わず大声を出してしまった。

 ところが、吉綱は信じられないといった顔で私を睨む。


「猶子だと? 貴様、恐れ多くも橘家の当主をたぶらかしたのか?! それもまた妖術だな?!」

「違うというておるのにーっ!!」


「失礼。確かに輝夜は橘家の猶子。けれども、大事な家族です。うちの妹に失礼なことを言うようでしたら、私が許しません」


 清澄が静かな怒りを孕んだ声で、吉綱を睨んだ。

 吉綱も……いや、こちらは常から目つきが悪いだけかもしれないが……二人が睨み合うように対峙する。

 そんな二人を交互に見て、私は感心した。


(ほぅ……清澄は、いくらかぼーっとしたところのある男だと思うておったが、言う時は言うのだなぁ……はたして戦ったら、どちらが強いじゃろうか)


 胸がわくわくしてくる。


 しかし、吉綱の方が先に清澄から視線を外した。そして、今度は私に向かって鋭い視線を投げかける。


の刻に、橘家へ迎えを寄越す。……逃げるなよ」


 吉綱は、それだけ言うと、清澄に向かって頭を下げて来た道を戻って行った。


(まだ私のことを疑っておるのか……)


 つまり、鬼の出る時刻にもう一度ここへ来い、ということだろう。


「迎えとは、一体どういうことだ?」


 清澄は、訳が分からないといった顔で眉をひそめた。

 私は困ってしまった。


「いや、それは……」


 清澄に、一体何と言って説明すればよいのだろう。



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



(今宵は、三日月か)


 私は、暗い空に浮かぶ痩せた月を眺めた。


 約束通り子の刻ちょうどに来た迎えの牛車へ乗り込み、天宮へ向かう。

 

 吉綱は、既に天宮の門前で待っていた。篝火かがりびに照らされた門は、昼間訪れた時に潜った門とは違って見えた。


「遅い。間に合わなくなれば、どうするつもりで……」


 牛車から降りてきた私と清澄を見て、吉綱が言葉を切る。


「……物見遊山に行くのではないのだが」

「大事な妹がと聞いて、どうして一人で行かせられましょうか」

「ほう、逢引ですか……それは初耳ですな」


 ぴくり、と吉綱の頬が引きつる。


「仕方あるまい。他に何といえば良かったのじゃ」

「正直に己の正体を白状すればいいだけだ」

「じゃから違うと言うておるのに……」


 ひそひそと小声で会話する私と吉綱を、清澄が少し離れた位置からじっと見つめている。一応、私たちの邪魔をしないように配慮してくれるようだ。


 常則と喜久子には心配をかけたくないから黙っておいて欲しいと言う私の願いを、清澄は渋々ながらも頷いてくれた。だだそれには、清澄の同行が条件だったのだ。


(まぁ、適当に散歩でもしているフリをして帰るところを見せれば良いじゃろう。どうせ天宮に、私以外の鬼がいる筈はないからのう)


 結局三人並んで門を潜り、天宮の中へ入った。

 私と吉綱が先頭を歩き、清澄が少し後ろから離れてついてくる。

 何となく居心地が悪くて、隣で黙ったままの吉綱にちらと視線をやった。吉綱は、固い顔にぎゅっと口を固く引き結んでいて、まるで何かに耐えているかのようだ。


(そんなに私との逢引が嫌だったのじゃろうか……)


 なんとなく釈然としない想いを抱えたまま、暗い夜道を歩く。逢引どころか、これでは通夜だ。ここから建春門へ着くまで、ずっとこの状態が続くのだろうかと思うと気が重い。


 ところが、少し歩いただけで、真正面に建春門らしき門が見えた。どうやら、やはり昼間潜った門とは違う場所から天宮に入ったらしい。おそらく、こちらの方が近道だったのだろう。天宮には一体いくつ門があるのか。


 吉綱は、建春門の少し手前で立ち止まった。門前に置かれた篝火かがりびが、弓を手に立っている二人の門兵の姿を照らしている。

 今のところ特に異変は見られない。


「ここで様子を見よう。鬼が出れば、切りかかる。鬼が出なければ……貴様を切る」

「おい、そんな話は聞いておらんぞ」


 もちろん私も、大人しく吉綱に切られるつもりはない。ここなら他に見ている者もいないし、多少吉綱を痛めつけて私に逆らえなくしてやっても良いのではないだろうか。なんなら子分にしてやってもいい。


 私は、地べたに頭をこすりつけて謝る吉綱を想像して、ほくそ笑んだ。

 そんな私の顔を見た吉綱が、ぎょっとしたように顔を引きつらせる。


「なぜ貴様のように得体のしれぬ女を……うちの若様もよくわからん」


 ふぅ、と吉綱が肩でため息をつく。〝若様〟というのは、桃男のことだろう。


「しれっと失礼なことを言っておるな。お主の若様がどうしたのじゃ」

「貴様を探せと言うのだ。貴様が逃げたのは、拙者が冷たく当たるからだろうと……」


(そのとおりじゃ……と言いたいところじゃが、それでは私が疑われてしまうから言えぬ。それに……)


 私は、ふと頭に浮かんだ絵を忘れようと、意識から締め出した。私には関係のないことだ。


「舶来から来て知らぬ土地でひとり心細かろうと……あのように心優しい若様のご厚意を無碍むげにして、なぜ貴様は逃げたのだ。逃げる理由があったと思われても仕方ないだろう」


 吉綱の鋭い目が私を責めるように睨む。吉綱は、私が自分の正体を隠していることもそうだが、特にあるじである桃男に対する私の態度が気に入らないらしい。


 確かに桃男には、天都へ連れて来てもらった恩義がある。そこに関して追及されれば返す言葉もない。

 だが、身体が勝手に動いてしまっていたのだ。


「だから逃げたのではなく、と言うたじゃろう。……もうよい。

 それよりも……お主、意外と官位が高いのだな。昼間、お主の名乗りに、あの門兵らが急に畏まった態度に変わっておったが……」


 私は無理やり話題を変えた。

 それに、私たちが揉めていては、離れた所からじっとこちらの様子を伺っている清澄に怪しまれてしまう。少なくとも男女が楽しく会話を楽しんでいるように見せなくてはならない。


「ああ、あれか。嘘だ」

「嘘?!」

「ああ言っておけば話が早い。べつに鬼を退治してやるのだから、悪いことはしていないだろう」

「そ、それはそうだが……あとでバレても知らぬぞ」

「ふん、バレるものか。天宮に一体何人の官人がいると思っているんだ?

 顔など一々覚えてはおらぬさ。……だが、貴様に言われたくはないがな」

「お主も意外とワルよのぉ……」


 私はもう面倒になり、吉綱の言葉を否定しなかった。


(そうか……私のことを探しておったのか……)


 口の中に、瑞々しく甘い桃の味が蘇る。


 ふと気が緩むと、思い出してしまう。あの桃の園で出会った、不思議な空気を持つ男のことを――――結局、名前を聞くことも出来なかった。


 理由は、吉綱が私に向ける疑惑の目を気にしていたというのもあるが、何となく名前を聞いてはいけないような気がしたのだ。


(知らない方が良いこともある……)


 私の脳裏に、暗い洞窟でまさぐり合う男女の姿が浮かぶ。知らなければ今頃は、蒼牙と結婚していただろうか。


 それは嫌だな……と私が思った時、ふいに月が雲に隠れた。生ぬるく湿った風が吹き、篝火が消え、辺りは深い闇に包まれた。


 いつからそこにいたのだろう。


 忽然とは現れた。ぼうっと白い影が闇に浮かび上がり、人の姿をとったのだ。まるで最初からそこに居たように、門の前に突っ立っている。


 私の背をひやりとした空気が抜けていった気がした。


 驚いた門兵たちが腰を抜かしながら、門の中へ駆けこむのが見えた。


(なんと情けなし……そんなことで門兵が務まるのか。じゃが、やはりあれは……)


 私の中で、予想していた考えが確信に変わる。


 白い人影は最初、身体の向こうが透けて見えていたが、徐々に色を濃くし実態を伴うと、女の姿になった。綺麗な赤黒い打掛を頭から被っている。あれが蘇芳色というのだろう。


「おのれ、め……っ」


 吉綱が、少し震える声で叫んだ。腰に差していた刀を抜き、門の方へ駆けてゆく。


「あっ、おい待て! 吉綱!」


 私が声をあげて止めるのも聞かず、吉綱は、女に向かって刀を振りかざした。


 女は、自分に向かってくる刀が見えていないのか、じっとしている。


 吉綱の刀が振り下ろされ、女の身体を切った……ように見えた。


 だが、変わらず女はそこにいる。どうやら吉綱の刀も女の身体をすり抜けたようだ。


(あれは、鬼ではない。だ)

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