第十四話 鬼姫、歌を詠む。

歌合うたあわせ? なんと、このような招待の文をもらうとは、私も有名人になったものじゃなぁ~」


 女官たちが暮らす温明殿うんめいでんの自室で私は、文遣ふみつかいから受け取った文を読みながら、感慨深げに呟いた。


 文遣いとは、文司ふみつかさから文を受け取って、後宮内の届け先へ文を渡したり、逆に文を回収してゆく者のことをいう。私も文司にいた時、何度か経験したことがある。ただ、届け先をしょっちゅう間違えるので、すぐに降ろされてしまった。


 文には、敦姫あつひめ様から歌合を開くので、是非参加して欲しいと書かれている。


 敦姫様とは、鳳凰院の妹君で、和泉様の姉君にあたるのだと、真千子が教えてくれた。後宮の藤香殿とうこうでんに住んでいることから〝藤殿ふじどの〟とも呼ばれているそうだ。


 どうやら先日、私が後涼殿と藤香殿の間にある渡殿わたどのの前で、藤原 兼時ふじわら の かねとき相手に大立ち回りをして見せたことが、敦姫様のお目に留まったらしい。


 後宮では今その話題で持ち切りとなり、どうやら私は一躍有名人になってしまったようだ。


「まぁ、これまでも充分だったと思うけど」


 私の独り言に対して、半目でちくりと嫌味を言う奈津美に、私は思わずむっとする。


「どういう意味じゃ」


「そのままの意味よ」


 奈津美は、何かにつけて私に嫌味を言う。女官になってからひと月が経つというのに、未だに採用試験での結果を根に持っているのだろうか。


「まぁまぁいいじゃない。輝夜は、歌合は初めてなんでしょう? 楽しんできてね」


 剣呑けんのんな空気を払うかのように、真千子が明るい声で口を挟んだ。彼女が同室でなければ、今まで奈津美とうまくやっては来れなかっただろう。


 本人は、自分に何の取り柄もないと思っているようだが、私からしてみれば、奈津美の才女ぶりよりも真千子の人柄の良さと愛嬌こそが、後宮でうまくやっていける武器になるだろうと感じている。


「真千子は行かぬのか?」


「私は……呼ばれてないから……」


 まずい、真千子の心の傷をえぐってしまったようだ。話題を変えよう。


「奈津美は行くのであろう? 文が来ておったのを見たぞ」


「ええ、もちろん。藤殿は、鳳凰院の妹君で、皇王すめらぎおう様の御后おきさき候補とも言われているお方ですから、仲良くしておくにこしたことはないわ」


「なっ、何?! 皇王の后候補じゃと?! それは是非とも挨拶をせねばっ!」


 私は、心の中でめらめらと闘志を燃やした。強い子を産む必要がなくなったとは言え、大倭国一強いと聞く皇王のことを諦めたわけではない。未だに顔すら見たこともない王であるが、それ故に興味は尽きない。


 敦姫が皇王の后候補ならば、私の好敵手ということだ。


 皇王には、未だ正式な后がいない。即位をしたのが、五十歳を過ぎてからということもあり、どうやら即位をする前に正妻を亡くしているらしい。既に正妻との間に子供が何人かいるそうなのだが、彼らは皆、臣籍に下っていて後宮には住んでいない。


 後宮では、次の王太子が誰になるかということが専ら談義の種となっている。


「それにしても奈津美は、考え方がせこいの~。ところで、歌合とは何じゃ?」


「なっ……せ、せこいですって?!」


「輝夜、まさか……〝歌〟を知らないの?」


 奈津美と真知子が、それぞれ別の意味で青い顔を私に向けていた。



 *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 歌合の当日、私は、奈津美と共に藤香殿とうこうでんへ来ていた。


 御簾みすを上げているので、庭から入り込む風が心地良い。


 庭に見える藤棚は、見頃を迎えていれば、さぞや美しい景色を見る者に与えてくれるだろう。これこそが藤香殿と呼ばれる所以ゆえんらしい。


 しかし、今の私には、庭の景色を楽しむ余裕などない。集まった面々の中に、一番苦手とする御人の顔があったからだ。


「な、何故に尚侍ないしのかみがここにおられるのじゃ……」


 私は、隣に座る奈津美にだけ聞こえる声で囁いた。


 尚侍である藤原 倫子ふじわら の ともこ様は、常ならば皇王の住まいである清涼殿に勤めている。後宮勤めが長いため、後宮の全てを牛耳っていると言っても過言ではない御人だ。もちろん位的な意味での後宮の長は、王族である藤原 乙椿 様だが、尚侍に逆らって後宮で生きていくことは出来ない。


「倫子様は、乙椿様の異母妹なのよ。つまり、敦姫様の叔母君に当たるわけ。関白様である基房様の異母妹でもあるわけだから、粗相のないようにね」


 奈津美は、扇で顔を隠しながら私に釘を刺すように言った。その顔には、私を巻き込むな、と書いてあるように見える。


(ぐぬぅ~……じゃが、敵前逃亡するわけにはいかぬからなっ! この勝負、受けて立つ!!)


 私は、上座にいる敦姫をきっと睨み付けた。この会の主催者である敦姫は、よく手入れされた艶やかな黒髪が美しく、扇で顔を隠す大人しげな女子おなごであった。御年は、今年で十四歳になるらしい。入内するなら頃合い、といったところか。


(大人の色香では負けぬっ!!)


 私が敦姫に闘志を燃やしている間に、招待客が集まり、歌合が始まった。


 全部で集まったのは、三十名ほど。見知った人もいれば、見たことのない顔ぶれもいる。


 中でも一際皆の注目を浴びていたのは、蔵人頭くとうどのとうである平 秀好たいら の ひでよしだ。二十四歳という若さで蔵人頭の地位にいて、見目も麗しく、女人たちが先程から色めき立っているのが伝わってくる。


「では、はじめましょうか」


 一応、ここへ来るまでの間に、真千子から歌合について色々と教えてもらった。なので、これから何をするのかは分かっている。


 歌合とは、東西(左右)の二組に陣を分けて、一対一で歌を詠み合い、その優劣を競う遊びだ。


 歌というのは、倭歌やまとうたともいい、五・七・五・七・七の句を繋げ、三十一文字の中で、風雅を表現するもの……らしい。


 まずは、方人かたうどと呼ばれる者が、歌合の題目を発表する。


 両陣営は、その題目に沿った歌を一人ずつ詠んでゆき、念人おもいびとという役割の人が、自分たちの陣の歌をほめて、敵陣の歌の欠点を指摘する。


 最後に、判者はんざと呼ばれる人が、歌の優劣を判断してどちらの陣営が勝ちかを決める。どちらも優劣つけがたい場合には、「(引き分け)」とすることもあるそうだ。


 他にもたくさん名のつく役割があるのだが、覚えきれないと嘆く私に、真千子がとりあえずこの三役だけ覚えて行きなさい、と言ってくれた。持つべきものは友である。


 ちょうど男女ぴったり二つに分けられる人数であったため、東の陣営が男、西の陣営が女、というふうに別れることとなった。


 それぞれ官位の高い順から並び、私は、奈津美の隣――末席に腰を下ろす。


「今回の御題目は………………『月』です」


 方人かたうどに指名された倫子様が、『月』と墨で書かれた紙を一同に向けて見せた。文字は事前に書かれていたようで、おそらく敦姫が用意させておいたものなのだろう。


 皆、それぞれ考えた歌を、手元へ用意された短冊に筆で書き記してゆく。


(『月』かぁ~……)


 その時、私の頭に浮かんだのは、先日の夜、満月の下で目にした光景だ。月明かりに照らされる中、光彰の顔が陰っている。果たして、彼の決断とやらはうまくいったのだろうか。


「では、私から……」


 まずは、東の陣営である平 秀好が手を挙げた。


 西の陣営に並ぶ女たちが一斉に秀好を注視する。


「月やあらぬ 秋や昔の 秋ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」


 秀好は、見目だけでなく、声にまで優雅さがあった。流れるように詠む様に、はぁ……と、女陣営から熱い吐息が漏れ聞こえる。


 私は、隣に座る奈津美をひじでつついた。


「……どういう意味じゃ?」


 奈津美は、扇で口元を覆い、私だけに聞こえる声で教えてくれる。


「月も秋も変わってしまうけれども、私のあなたを想う気持ちはずっと変わりません……という恋の歌ね」


(うーん……なるほど~……って、さっぱりわからん!)


 次に、西の陣から手が挙がった。


 しかし、名前が分からず、奈津美に尋ねたところ、大江 孝子おおえ の たかこという、敦姫付の女房らしい。私と奈津美よりも一回りほど年上に見えた。


「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半よはの月かな」


 その歌に、秀好が苦笑する。周囲のざわめきから、他の皆には歌の意味がわかるのだろう。


 私は、再び奈津美をひじでつついた。


「どういう意味じゃ?」


「せっかく久しぶりに逢えたのに、それが貴方だと分かるかどうかの僅かな間に慌ただしく帰ってしまいましたね。まるで雲間に隠れてしまう夜半の月のように……という、つれない男を責める歌よ」


 奈津美は、更に小声で付け足すように言う。


「秀好様は、少し前まで孝子様の元に御通いになっていたの。でも、正妻が別にいらっしゃるから……要はしょうね。だから会いに来てくれても、正妻に呼ばれたら帰らなくちゃいけない。孝子様は、そんな秀好様を皮肉っていらっしゃるのよ」


「なんと……それはひどい。皮肉りたくなるのも分かる」


 私はそれを聞いて、急に気分が悪くなった。真千子は楽しんで、と言ってくれたが、これでは男女の泥掛け試合ではないか。


 一回目の詠み合いは、孝子様の勝ち、となった。


 すると今度は、西の陣から先に手が挙がった。


大江 繁子おおえ の しげこ 様よ。孝子様の妹君」


 奈津美がこっそりと耳打ちしてくる。私が知らないと思ってのことだろうが、私は繁子のことを知っている。文司で私に向かって怒鳴り散らしていた女人だ。


「月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど」


 再び、周りがざわめく。何故だろう、と思ったところに、奈津美が再び耳打ちしてくれる。


「月を見ると、色々な思いがこみあげてきて悲しくなります。私ひとりのための秋ではないのに……と、これも恋の歌ね。〝秋〟を秀好様にたとえていらっしゃるのよ」


「どういうことじゃ? 秀好の妾は、孝子だけではないということか?」


 まさかと思い聞いた私に、奈津美が肩をすくめて見せる。


「越前守である大江 雅宗おおえ の まさむね 様のところの娘三姉妹は、美人で有名なの。秀好様は、元々孝子様を妾にされていらっしゃったのだけど、繁子様に乗り換えたのよ。最近では、三女の潔子きよこ様にも文を出していらっしゃるそうよ」


「なんじゃとっ?! 最低な男ではないか!」


「しーっ!!」


 奈津美が慌てて私の口を塞ごうとする。


 周囲の視線が集まるのを感じて私は、奈津美の手をそっと払い、秀好を睨みつけてやった。


「……そのような男、洞窟の生き埋めにしてやればいいのじゃ」


 私は本気でそう思って言ったのだが、奈津美は、それを冗談と思ったようだった。


(平 秀好めっ……少々見目が良いからと自惚うぬぼれおって……ゆるすまじっ!!)


 そうして次から次へと歌が詠まれてゆき、とうとう最後に私の番が来た。


「輝夜様は、歌合は初めてだとか。緊張せずとも良いのですよ。どうぞ、お好きな歌をお詠みくださいませ」


 倫子様が、私に気を遣って声を掛けてくれた。直接言葉を交わしたことはなかったが、ふっくらとした頬に赤みが射して、まるで少女のような空気を持つ御方だと思った。年齢は、とっくに四十を超えている筈だ。


 私は、自分の短冊に書いた歌を眺めた。初めてなので自信はないが、今の私の心に浮かんだ風雅をしたためたつもりだ。


「めぐり逢ひ かかる雲なき 夜半の月 陰りて時が 止まりけり」


 私が詠み終わると、周囲がしーんと静まり返る。何か間違っていたのだろうか。


「きゃ~~~!! なんて過激な恋の歌でしょう♡」


 西陣の念人である大江 潔子おおえ の きよこが、突然甲高い声を上げた。頬に手を当てて、心なしか顔が赤い。


「え……恋?」


 潔子とは年も近く、同じ温明殿で生活を共にしているので、顔は見知っている。


 だが、衣司ころもつかさという華やかな部署に勤めている潔子と私が関わることは、ほとんどない。だからこうして親し気に話し掛けてこられると、どう反応してよいのか困ってしまう。


「そうよ! 雲が一つもないのに陰るってことは、そのぉ~……つまり……あれでしょう? 殿方の顔が私に近づいて……きゃ~~~♡ 潔子、恥ずかしくて言えなぁ~い♡♡」


「そっ、そういう意味ではないっ、これは……」


 慌てて弁解しようとしたものの、潔子は全く聞いていない。他の周りも、初めてにしては素晴らしい出来だ、と口々に褒め囁く。


 隣に座っていた奈津美も、扇の下で「やるじゃない……」と憎らしそうに呟くのが聞こえてくる。


 私は、急に自分がこの場にいることが場違いな気がして、恥ずかしくなってきた。


(恋? 恋だと? まさか私は、光彰に恋しておるというのか……?)


「〝時が止まる〟なんて表現すてきだわぁ~。ねぇねぇ、私にも詠んでくれない? 返歌をどうするか迷ってるのぉ~」


 潔子が、こっそり私にだけ聞こえるよう耳打ちしてきた。複雑な気持ちだが、頼られて嫌な気持ちにはならない。

 

「それは構わぬが……返歌とは、どういうものなのじゃ?」


「返歌っていうのはね、相手からもらった歌に対して、歌で返事をするのよ。ん~……そうねぇ、例えば……」


 その時だった。


 突然、天が割れたような激しい雷鳴が轟いた。昼間だと言うのに、眩しい光が空に閃き、目を開けていられない。


――落雷だ。


 女人たちの悲鳴が上がる。


 光と音は、一度だけですぐに収まった。空には雲ひとつない。


 一番、庭に近い場所へ座っていた私は、立ち上がって、庭へ張り出しているひさしの上を見た。そこには、黒く焼け焦げた跡が染みつき、まだ細い煙を上げている。どうやら雷は、ここに落ちたらしい。


「誰か、衛士を呼びなさいっ!」


 尚侍の倫子様が真っ先に正気を取り戻して、周囲へ的確な指示を飛ばす。急に慌ただしくなる中で、私はじっと焦げた床板を見つめていた。


(これは…………人の力ではない。ましてや、天災でもない)


 ふと頭に浮かんだのは、建春門けんしゅんもんの前で会った陰陽寮の男。幽鬼を払う、人にはない術を持っていた。


『人に名を尋ねる前に、己が名乗ってはどうか。


 陰陽寮の男は、私に向かってそう言っていた。


(あの男の方こそが〝人ならざる者〟に、私は見えたがな……)


 あの後で聞いた話になるが、陰陽寮では、人を呪ったり、厄災を呼んだりすることも出来るそうだ。何とも不気味で得たいの知れない連中だ。


 だが、もしこの凶事に陰陽寮が関わっているとすれば、一体何のために……?


(まさか……な…………)


 私は、胸のうちに暗澹あんたんたる黒いもやが広がってゆくのを感じていた。

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