第三話 鬼姫、追い剥ぎを追い払う。

 小舟から陸が見えてきたところで海へ飛び込み、無事に岸へ泳ぎ着いたところまでは良かった。


 風呂敷に包んだ荷は、頭の上へ乗せていたので濡れてはいない。漕ぎ手の黒鬼は、私の背丈が浸からぬ浅瀬まで運んでくれようとしたが、私がそれを止めた。


 明らかに陸を見て怯えた様子の黒鬼を見て、不憫に思えたからだ。


 黒鬼は、鬼の中でも最も階級が低い。私は、彼を早く鬼雅島へ帰してやりたくなり、彼が止めるのも聞かずに荷を頭にかつぐと、さっさと海へ飛び込んだ。


 泳ぎなら、島にいる鬼たちの中で一番上手い自信がある。常に荒れた海に囲まれている鬼雅島で、子供の時分から泳ぎ遊んでいたものだ。そのため、何の問題もなく岸へ辿り着くことができた。


 だが、ちょうど砂浜へ上がったところを、人間の男に見られてしまったのだ。


 男は、私を見るなり、腰に差していた剣を抜いて私へ向け、怯えた様子で何かを叫んでいた。


「……お、おおおお……鬼かっ、貴様はっ?!」


 唯一その言葉だけが理解できたので、私は、そうだ、と答えてやった。


 すると、男は、その場に剣を取り落とし、一目散に浜を逃げて行ったのだ。もしかしたら、源頼光に言いつけられていた監視役の者であったのかもしれない。


 奇声をあげながら走り去って行く男を、追い掛けた方が良いのか、それとも放っておいてやった方が親切なのか、と思い悩んでいたところだった。


(せっかく初めてうた人間であったのに……人の顔を見るなり逃げるとは、失礼ではないかっ。他に人はいなさそうだし……そうだ、大倭国やまとのくにへの道を尋ねておこう)


 私は、きびすを返し、既に小さくなってしまった男を追い掛けた。着物が海水を含んで重くなっていたため、平時よりも速度が落ちる。それでも私は男に追いつくと、速度を落としながら男の横に並んだ。


「お主、大倭国への道を知らんかな」

「うわぁあああああ~~~~~!!!!」


 男は、私を見るなり目をひんいて気絶し、失禁してしまった。


(なんと情けない。人間の男というものは、こうも貧弱なのか?

 ……いや、きっと源頼光であれば、こうはなるまい。この男が元々弱いだけじゃろうて)


 ただ驚かせてしまったという多少の負い目も感じたので、男の下半身に砂をかけて隠してやった。



  *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 私は、とりあえず砂浜から見えるつつみを目指して登って行った。堤の上には、海岸に沿って土くれの道が伸びており、地面にわだちが残っている。轍があるということは、この先に人の棲む場所があるということだ。


(はて、行くにしてもどちらが大倭国へ通じておるのか……)


 右と左を見比べてみるが、どちらも道の先がどうなっているかまではわからない。


 大倭国は、ひの神が守護しているので、太陽のある方角へ進めばよい……と、むかし老鬼じじたちから聞いたことがある。


 そこで私は、頭上を見上げた。


 空には、鼠色の雲がかかっていたが、雲の切れ目から太陽の位置は分かる。


 私は、海を右手に、空が明るい方へ向かって歩き出した。



 しばらく歩いて行くと、突然、脇に乱立する木立の合間から、物騒な男たちが雪崩のように飛び出してきた。どれも皆、薄汚れた格好に不細工な顔をしている。


 私は、がっかりしたが、それでは相手に失礼だと思い直し、表情を引き締めた。


「……お嬢さん。女が一人でどこへ行く気だ?」

「おい、この女の着物……びしょ濡れだぜ。海で泳いできたのか?」

「まさか、この荒波だぞ。大方、入水にゅすいでもしようとして怖くなり、引き返してきたのではないか」

「だったら、その荷は不要だろう。俺たちが預かってやる」


 下卑げびた笑いを浮かべて、男たちが私を取り囲む。


 五、六……全部で八人、か。その内の五人は、腰に刀を差している。まるで服装に似つかわしくないところを見ると大方、誰かから盗んだものだろう。野盗か追い剥ぎの類だ。


 そして、改めて見ても、やはり不細工である。


(〝にゅすい〟とは……確か、水中に身投げをして自殺することだったな。以前、母から聞いた覚えがある。全く不思議な行為よ……理解に苦しむわ。

 鬼は、自ら命を捨てるようなことはせぬ。私が入水などするはずがあるまい。海で溺れる方が難しいわ)


 島にもたまに流れ着く遺体を見たことがある。老鬼たちは、それを神の恵みだと喜び有難がったが、私は好きではない。ぶにょぶにょとしていて、とても食えた代物ではないからだ。いくら島で肉を口にする機会が少ないとはいえ、私は、魚や貝を食べている方がよい。


「入水ではない。ちょうど今、そこの海で泳いできたばかりだ。歩いていれば乾くだろうと思うてな。

 この荷は、旅に必要な着替えが入っているのだ。重くはないので預かってもらわなくとも大丈夫じゃ。気遣いには感謝する」


 そう言って私は、穏便に事を済ませようとした。


 しかし、それは余計に男たちの神経を逆撫でしてしまったようだ。


 一人の男が苛立った様子で私の方へ一歩近づき、手を伸ばす。


「いいから、その荷をこっちへ寄こしな」

「……おい、よく見たら、この女めちゃくちゃ美人じゃねぇか」

「ひゅーう♪ 俺たちが相手してやるよ」


 追い剥ぎの一人が、横から私の顔を覗き込んで口笛を鳴らした。彼らの私を見る目つきが、いやらしいものへと変わる。


 私は、げんなりした。男を探しているのは確かだが、私にも好みくらいはある。見てくれはともかく、少なくとも一人の女を囲って手籠めにしようとする卑怯なやからは御免だ。


(仕方ない……なるべく穏便に済ませたかったが、さっさと始末してしまうか)


 私が戦闘を覚悟した時、険悪な空気を裂くように明るい男の声が聞こえた。


「待てっ!! 女一人を大勢の男が囲って、何をしようとしているのだ」


 たまたま傍を通りかかったのだろうか。一人の男が、私の前に飛び出して来た。頭には、烏帽子えぼしを被り、浅葱あさぎ色の直垂ひたたれを着ている。まるで絵巻物から飛び出してきた武士のような装いだ。


「なんだお前は、一体どこから湧いてきた?!」


 追い剥ぎの一人が叫んだ。


 私は、自分の心の声が口から出てしまっていたのかと焦った。本当にどこから現れたのだろうか。


「貴様らに名乗る名などない。

 ……お嬢さん、安心しなさい。私があなたを守って差し上げます」


 武士の男は、私を背にかばいながら、朗々とよく響く声で言った。


 私は、感動していた。熱を込めた目で男の背を見つめる。こんな光景を見るのは生まれて初めてだったからだ。


(おお……っ! なんと男気のあるやつじゃ。私を助けようとする者など島には一人もおらんかったのに……こやつ、なかなかに見どころのあるやつじゃのう)


 ちらりと男の横顔を見ただけだが、見目も悪くない。私の胸は高鳴った。これが運命の出逢いというものだろうか。


「何かっこつけてんだ。お前、この人数をかぞえられねぇのか」


「拙者は、これでも武士のはしくれ。お前らのような追い剥ぎ共とは、鍛え方が違うのだ」


 武士男は、腰に差していた刀を抜いて構えた。


 それを見た追い剥ぎたちも、次々に腰の刀を抜く。刀を手にしているのは、五人。残りの三人は、刀を持っていないのか、動く気配がない。一対五で充分だと思っているのだろう。余裕の笑みを浮かべている。


 一触即発。


 先に踏み込んだのは、追い剥ぎの一人だった。刀を振り上げて、武士男の頭上から切りかかる。


 だが、胴が隙だらけだ。


 武士男は、降りかかる相手の刀を自身のそれで払うと、反し手で相手の胴を切りつけた。


 ぶしゃっ、と辺りに激しく血潮が飛び散る。胴を切りつけられた男は、傷口を手で抑えながら血にした。


 視界に飛び散る鮮血を目にして、私の胸が激しく脈動する。恐怖からではない。初めて見る人間の新鮮な血に、鬼としての本能が激しく何かを訴えかけてくる。


 動揺したのは私だけではなかった。


 仲間の血を見た追い剥ぎたちは、逆上した。一斉に刀を振り上げて武士男に切りかかる。


 だが、武士男は、自分で言うだけのことはあり、難なく攻撃をかわし、二人、三人……と刀で切りつけていく。


 追い剥ぎたちは、ただ刀を力任せに振り回しているだけで、剣先が武士男を掠りもしない。


 ところが、刀を持った相手が残り一人になった時、背後で立っているだけであった男の一人が、懐から小刀を取り出し、武士男の背後に移動していた。


 武士男が最後の一人と刃を交えている隙に、背後に回った男が小刀を手に突進する。


「ぐっ……!」


 武士男は、背後から迫る気配に気付き、寸前で刃を避けたが、切っ先が脇腹を掠めていた。脇から血を流しながらも、振り向きざまに刀を振るって切りつける。


 が、寸でのところで男に躱されてしまう。


 武士男は、傷の所為で徐々に動きが鈍くなっていき、肩で息をするようになっていた。


「……くっ、刀を懐に隠していたのか……卑怯な……!

 お嬢さん、すまないが、ここは私に任せて逃げてくれないかっ」


 怪我を負いながらも尚、私を見捨てず守ろうとする心意気に、私は心の底から感動で打ち震えていた。


 この武士男こそが、私の伴侶となるべき運命の男なのだと思った。


「大丈夫じゃ。私に任せておけ」


 私は、武士男の前に立ち、追い剥ぎ達に向かい両手を広げた。武士男の役に立てることが嬉しくて、いつもより肩に力が入る。


「ダメだっ、危ないから下がりなさい!」

「へんっ、お嬢ちゃんが俺たちの相手をしてくれんのか? 嬉しいねぇ」


 追い剥ぎの一人が、血走った目で私の身体をねっとりと舐めるように見る。


 私は、追い剥ぎに向かって優雅に微笑み返してやった。


「おいで」


 追い剥ぎが私に近寄り、私の差し出した手を掴む寸前、男の身体が宙に浮く。


 私の視界が薄紫色に輝いた。


 目の前にいた男は、突風に吹かれたように、木立の方へと飛んでいった。


 何が起きたのか理解できないでいるもう一人の追い剥ぎも、同じように先程の男の後を追わせてやる。


 残りは二人。


 驚愕に目を見開き、己の力では敵わないことを知るが、今更気付いても遅い。


 一人は、海へ。最後の一人は、地面に頭を突っ込んでやった。


 動いている追い剥ぎは、一人もいない。


 私は、自分の結果に満足し、武士男を振り返った。武士男は、きっと頼もしい私に向かってこう言うだろう。


「なんて強いんだ……! こんな美しい女人は初めてだ!

 是非、私の伴侶になって欲しい!」


 きっとそう言ってくれる……そう、信じていたのに。


「ひぃ~……! ば、化け物だぁ~!!」


 私の予想とは全く違う結果がそこにあった。


 背中を見せて逃げていくの武士男を見て、私は、その場に膝をついた。


 どうやら対応を間違えてしまったようだ。


「あぁ……なぜじゃ。やはり強い女子おなごうとまれるのか……」


(……いや、まだじゃ。私は、諦めぬぞっ!)


 気を取り直して私は、轍のある道を再び歩きだした。


 希望を捨ててはいけない。源頼光に会うまでは――――。



  *❀*✿*❀*✿*❀*✿*❀*



 しばらく轍に沿って歩いて行くと、人だかりが見えて来た。十人、二十人……それ以上はいる。私は、興奮した。


(すごいっ……こんなにたくさんの人間を見るのは、初めてじゃ!

 ……じゃが、皆こんなところで何をしておるのじゃろうか?)


 人だかりは、列をつくって何かに並んでいるように見える。


 私は、一番最後尾にいた人間に声をかけてみることにした。


「あの……もし。これは、何の列じゃろうか?」


「いやぁ……おらもよくわかんねぇだよ。村に入りてぇのに入れねぇんだ。困ったなぁ……おっかさんに帰りが遅いって怒鳴られちまうよ……」


「なんと、この先に村が……それは困るのぉ。では、前の人に聞いてみては、どうじゃろうか?」


「……おぅ、そりゃあいい考えだ。……なぁ、おい。

 これは一体、なんで中に入れねぇんだ?」


 だが、その前に並んでいる人も事情をよく分からないでいるらしい。


「その方、前の者に聞いてもらえんかの?」


 私の言葉に、前の前に並んでいる人にも尋ねてもらうが、首を傾げている。


 そうやって、前の前の前の…………と、次々に聞いていってもらい、十人目ほどいったところでようやく答えが返ってきた。 


「鬼が出たんだと。それで、村へ入るやつを検分しているらしい。鬼が紛れ込んだらまずいからってな」

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