物言わぬ証人

 鬼政の言葉を思い出していた。

「死体を遺棄するには、人気の無い場所が良い。近くに防犯カメラなどない場所で、遺体が見つかり難い場所、勝手に人が入って来ないような場所だ。自宅の庭だとか、私有地だと理想的だ」そう鬼政は言っていた。

 千葉県流山市に来ていた。

 辻花高寛から教えてもらった弓月が遺体を埋めたという場所に来た。地図アプリで見た通り住宅地になっていた。こんな場所に遺体が埋まっているはずがない。遺体が埋まっていれば、住宅地を造成する時に見つかっているだろう。

 弓月に騙されたのだ。やつが死んだ今、青木さんの娘を埋めた場所は、永遠の謎となってしまった。そう思えた。

 新しい住宅地のようだ。近所で聞き込んで回ると、もとは丘陵だったと言う。宅地として造成されてから一年しか経っていないそうだ。

 そうなると話は変わって来る。

 事故が起こったのは六年前。当時、弓月たちは本当にここに遺体を埋めたのではないか。ここが宅地として造成されると聞いて、慌てて遺体を掘り出して別の場所に埋めた。だから遺体が発見されていない。ここに遺体を埋めたことは事実だ。だから、弓月は遺体を埋めた場所を聞かれて、この場所を答えた。遺体が何処にあるのかは弓月にとって切り札だった。自分自身の命がかかっている。簡単に教える訳には行かなかった。

 となると、遺体を埋め変えた場所は、鬼政の言葉通り、自宅の庭だとか、私有地の可能性がある。ひとつ心当たりがあった。

 宅地が造成された一年くらい前、弓月は都内にマンションを購入し、流山に住んでいた両親を引き取っている。

 弓月から家族の話を聞いたことがなかった。だから、両親にマンションを買い与えたと聞いた時、意外な気がした。正直、弓月が家族思いの人間だったとは思えない。

 都内にマンションを購入した後も、流山の実家を売却していないはずだ。

 どうも怪しい。弓月たちは青木の娘さんの遺体を、土地勘のあった流山近くの山林に埋めた。だが、山林が宅地に造成されるという噂を聞きつけ、都内にマンションを購入し、家族を引き取った。そして、娘さんの遺体を掘り起こすと、実家の庭に埋めた。そう推理した。

 弓月の実家へ向かった。

 弓月と両親の関係だが、絶縁状態だった訳ではない。時々、実家に呼び出されて帰っていた。実家に迎えに行くことがあった。そんな時、弓月は、また金の無心だと愚痴っていた。だから、弓月の実家の場所は分かっていた。

 今日は探偵事務所の社有車を借りて来た。

 弓月の実家に到着した。

 住宅街で、アパートや戸建ての住宅が密集している。年季の入った建物が多い。住宅街の外れに、弓月の実家があった。小さな一戸建てで、人が住んでいないとあって、傷みが激しい。屋根の一部が崩れていた。

 表札が「斉藤」となっている。弓月知泉は芸名で、本名は斎藤和幸だ。

 斎藤家の門前に車を停める。

 門を潜る。狭い家だ。敷地一杯に家が建っている。周囲は板壁で囲まれていて、日当たりが悪い。玄関には鍵が掛かっていて、中に入れなかった。板壁と建物の間にある隙間を移動しながら庭に回った。

 隣家のコンクリート塀が迫って来ていて、庭は猫の額ほどの広さしかなかった。

 それでも遺体を埋めたとしたなら、ここしかない。表通りからは見えないし、庭に面した隣家には窓がない。遺体を埋めても、人目につかない。

 無人の空き家だ。庭を掘り起こして、見つからなければ家探しだ。

 遺体を家の中に隠した可能性を考えてみたが、子供や浮浪者が勝手に家の中に上がり込むかもしれない。遺体が見つかる危険がある。床下に埋めるにしても、床板を剥がさなければならないので面倒だ。

 庭に埋めた可能性が高い。

 車にシャベルを取りに戻った。穴掘りをすることは覚悟の上だった。来る途中に、ホームセンターに寄ってシャベルを買っておいた。

 シャベルを持って庭に立つ。長方形の庭だ。人が立って作業をすることを考えると、穴はどちらかに寄っているはずだ。地面の様子を伺う。一度、掘り起こしたとしたら、雑草の薄い方だろう。賭けだ。縁側から向かって右側の庭の地面を掘り始めた。

 他人の家の庭を掘り返しているところを見咎められ、警察に通報されてしまっては元も子もない。門前に車を停めてある。駐車違反だ。誰か不審を抱くかもしれない。のんびりはしていられなかった。

 シャベルを持つ手に力が入る。

 直ぐに手ごたえがあった。

 狭い庭だ。掘り返した土を積み上げる場所がない。深く掘ることができなかったのだろう。地面から十センチ程度の場所に、プラスティック製のものが埋まっていた。意外に大きい。掘り進めると、スーツケースだということが分かった。

 ビンゴだ。俺はスーツケースを掘り出した。

 スーツケースには鍵が掛かっていた。壊すしかない。頑丈で苦労したが、シャベルを使ってなんとか鍵を破壊した。

 参った。そこまでは順調に作業が進んだのだが、スーツケースを開ける段になって、急に怖くなった。中に何が入っているのか、想像がついたからだ。

 スーツケースを開くのが怖かった。


「ほう~兄ちゃん、やったな」と鬼政に言われた。

 スーツケースの中から、白骨遺体が出て来た。予想していたとは言え、実際に白骨遺体を見ると、心臓が飛び出しそうだった。スーツケースを見つけてしまったことを後悔した。

 スーツケースを閉じると、車に戻って、鬼政に電話をした。どうしたら良いか分からなかったからだ。

「青木涼香ちゃんのものと思われる白骨遺体を発見しました。弓月の実家に庭に埋められていました」

「警察に通報したか? 何、まだ。ほな、待ってな。わいが然るべき人に通報したる。兄ちゃんはそこで待っとればええ」

 鬼政がそう言ってくれた。

 白骨遺体を発見した興奮で、時間が経つのが早かった。気が付くと、遠くからサイレンの音が聞こえた。鬼政が通報してくれたのだ。

 覆面パトカーだろう。黒塗りのセダン車が前に並んで停まった。車から降りて来た男が運転席の窓をコツコツと叩いた。

 窓を開ける。小太りで三白眼の鋭い男が「あんたが藤川さんかい?」と聞いて来た。妙なものを手に持っている。花だ。鉢受けの花だ。

 男は葛西警察署の矢追と名乗った。矢追と言えば、弓月の自慢話に出て来る刑事の名前だ。確かに、弓月が言った通りの三白眼だ。

 だが、ここは千葉県の流山だ。何故、葛西署の刑事の矢追がやって来たのか不思議だったが、「大阪府警OBの大政さんから連絡をもらった。大体のことは、大政さんから聞いている」と言われた。鬼政の名前が出ただけで、この人相の悪い刑事が信用できる男に見えて来た。

「いいか、県警のやつらに聞かれたら、故人を忍んで庭に花を植えに来た。そして遺体を見つけてしまったと言え」と言って、鉢植えの花を渡された。

 来る途中、買って来たのだ。

 ああ、そうかと思った。不法に他人の家に侵入し、庭を掘り返してしまったのだ。住居侵入の罪に問われる可能性がある。

「今から千葉県警の刑事から事情聴取をされる。辻花良悦や蛭間昭雄の事件に関すること以外、全て正直に話せ。後は黙っていろ。色々、面倒だからな。心配するな。長くなりそうだったら、俺が助け舟を出してやる」矢追が早口で言った時、パトカーがやって来た。

 矢追は踵を返すと「やあやあ、ご足労いただき、ありがとうございます」と千葉県警の刑事を出迎えた。

「矢追さんですか。通報、ありがとうございます」千葉県警の刑事が渋い顔で車から出て来た。

 当然だ。地元の事件の通報者が警視庁の刑事なのだ。千葉県警に断り無しに勝手に捜査をしていたのではと訝しんでいるのだろう。

「これ、この青年が遺体の発見者です。この屋敷の住人だった人間と知り合いで、そいつが亡くなったので、はなむけに庭に花を植えに来て遺体を発見したそうです。この青年とはちょっとした知り合いでね。遺体を発見しました。どうしましょう? と私に連絡があったので、私から千葉県警さんに通報した訳です。深い意味はありません」

 矢追が事情を説明した。

「分かりました。じゃあ、詳しいことは、彼から直接、お伺いいたします」

 千葉県警の刑事がやって来る。車から出た。二人の刑事に囲まれて事情聴取が始まった。矢追が言った通り、庭に花を植えに来て、遺体を掘り起こしてしまったという苦しい言い訳を繰り返すしかなかった。

 流石に、千葉県警の刑事たちは信じていない様子だった。「何故、庭に花を植えようと思ったのですか?」と聞かれた時は困った。

「斎藤さんにはお世話になりました。だから、彼の好きだった花で庭をいっぱいにしてあげたいと思いました」と答えたが、言ってから、花の名前を聞かれたらどうしよう? と焦った。正直、鉢植えの花の名前なんて分からない。

 だが、刑事たちも花に詳しくないのか、名前までは聞いて来なかった。

 弓月の本名が斎藤という平凡な名前で助かった。弓月知泉殺人事件は、世間を賑わせる大事件となっていたが、千葉県警の刑事たちは斎藤家と弓月の事件を結び付けて考えなかったようだ。だが、それも直ぐにバレる。

「遺体の身元に、心当たりはありますか?」と年配のボサボサ髪の刑事に聞かれた。

 どう答えようか、思わず矢追の顔を盗み見てしまった。矢追は車に寄りかかり、白々しく空を眺めていたが、俺がチラ見したことが分かったのか、ガツガツと足で地面をけった。

 余計なことは言うなというサインなのだ。

「分かりません」と答えておいた。

 とにかく、何を聞かれても、分かりません、知りません、で押し通した。

「この家の住人、あなたのお知り合いはどうして死んだのですか?」と聞かれた時、「そろそろ、よろしいでしょう。こいつも疲れているようだ。遺体のことについては何も知りません。何か、思い出したら、連絡させます。今日はこれくらいで解放してやってくれませんか?」と矢追が刑事たちとの間に割って入った。

「矢追さん――でしたよね。白骨死体が見つかったのは、うちの、千葉県警の管轄だと言うことはお忘れなく」

 ボサボサ髪の刑事が顔をしかめると、「まあ、まあ。仲良くやりましょうや。お互い、隠し事は無しに、情報共有しましょう。はは」と矢追が肩を叩きながら言った。

 俺の腕を取って、二人の刑事から引き離してくれた。

「ほれ、車に乗りな。この先、都内方面に向かって暫く走ると、喫茶店がある。看板に鶏の絵が描いてあるから、直ぐに分かる。そこで待っているからな。逃げるんじゃないぞ」と小声で囁きながら、俺を車に押し込んだ。

 野次馬をかき分けながら、車を動かす。

 集まった野次馬の中に、一瞬だが知った顔を見たような気がした。

 あれは――⁉ 間違いない。青田さん、いや青木さんだ!そう思った時、男の姿は人ごみの中に消えていた。野次馬に紛れて遠巻きに様子を伺っていたのだ。

 やはり、ここに来ていた。

 弓月から娘の遺体を埋めた場所を書いたメモを入手している。メモを見て、居ても立ってもいられなくなり、やって来たのだろう。だが、メモにあった住所は住宅地になっていた。青木は途方に暮れたはずだ。

 弓月の実家が近くにあったことなど、青木に分かろうはずがない。あれから、ずっとこの辺りをうろついていたのだ。そして、騒ぎを聞きつけてやって来た。警官が集まっているのを見て、ひょっとしたらと思ったかもしれない。そして、俺の姿を見て、やはりと確信したに違いない。

 青木さん、あんたの代わりに、娘さんを見つけてあげたよ――俺の気持ちは青木に通じているはずだ。

 車を走らせる。矢追が言った喫茶店は直ぐに分かった。駐車場に矢追の車が停めてあった。

 鬼政が言った「然るべき人」とは矢追なのだろう。どういう関係なのか気になった。

 喫茶店に入ると、入り口から正面の席に陣取った矢追が「おう!」と恥ずかしくなる程、大声で手を上げた。幸い、他に客はいなかった。

 矢追の前に腰を降ろしながら、「大政さんとは、どういう関係なのですか?」と単刀直入に聞いてみた。

「何か頼んだらどうだい?奢るよ。コーヒーで良いかい?」

「はい。じゃあ、ホットで」

「マスター! ホットをふたつ」と矢追がまた大声を上げる。地声がデカイようだ。

「大阪府警の大政さんかい?古い知り合いという訳じゃない。四、五日前だったかな。大政さんから電話があった。警視庁の知り合いに、俺が辻花良悦と蛭間昭雄の事件の担当だったと聞いたらしい。色々、貴重な情報を教えてもらったよ。お陰で、積年の疑問が一気に解決した。昔の事件をあれころ穿り返しているところに、また大政さんから電話があって、あんたが白骨遺体を発見したらしいから、力になってくれと言う。恩返しって訳だ。直ぐに駆けつけると答えた。はは」矢追が豪快に笑った。

 鬼政には警視庁にもコネがあるようだ。

 マスターがホットコーヒーを二つ、盆に乗せて持って来た。一瞬、会話が止まる。

「白骨遺体の身元についても、ご存じなのですか?」

「大体な。弓月が昔、起こした事件の被害者らしいじゃないか。先ずは、その辺、詳しい話を聞かせてくれないか?」と矢追が言う。

「分かりました」俺は弓月と二人で大阪を訪れたことから話し始めた。

 鬼政から話を聞いていたようだが、矢追は「ふん、ふん」と相槌を打ちながら、辛抱強く、俺の話に耳を傾けてくれた。

 刑事だ。職業柄、人の話を聞くのが上手い。自分の話に真剣に耳を傾けてもらうと、つい良い気になって饒舌になってしまった。記憶を辿りながら、滔々と話し続けた。

「だから、辻花良悦さん、蛭間昭雄さんを殺害したのは、弓月だったのです。やつは二人を殺害しておいて、蛭間さんの仕業に見せかけた。二人を殺害した動機は、スキー旅行の帰りに青木涼香ちゃんという女の子を撥ねたことだったのです」

 ようよう長い話が終わった。喉が渇いた。俺は冷たくなったコーヒーを一気に飲み干した。

「なるほどね。弓月の実家で見つけた白骨遺体は、その青木涼香ちゃんという女の子の可能性が高いって訳だな」

「はい。僕は青木涼香ちゃんの遺体だと確信しています」

「蛭間昭雄が辻花良悦を殺害し、そして自殺した――そういう結論で捜査は打ち切られてしまった。だが、俺には納得が行かなかった。被害者は半身を廊下に乗り出すようにして倒れていた。部屋から逃げ出そうとして、背後から襲われたのだ。犯人は冷酷に確実に、そして素早く被害者を殺害している。そこに確たる殺意を感じた。突発的な出来事ではない。

 部屋に争った跡がほとんど無かった。いかに犯人が手際よく被害者を殺害したかだ。調べてみると、蛭間という人間は、神経質で繊細な人間に思えた。俺の考える犯人像に合致しなかった。犯人は別にいるんじゃないか?その考えが捨てきれなかった。刑事の感ってやつだ。違う。別のやつだと俺に訴えかけていた。

 ずっと、喉元に小骨が引っ掛かっているような気持ちだった。それが、大政さんの話を聞いて、やっぱり俺の感は間違っていなかったと思ったよ。全てが弓月の計画的な犯行だった。その前提で事件を調べ直し始めたところだった」

「何か分かりましたか?」

 矢追はにやりと笑って言った。「ああ、まだ始めたばかりだが、面白いことが分かった。弓月を犯人だと仮定すると、見えて来たものがあった」

 弓月が辻花良悦を殺害し、その罪を蛭間に着せて殺害したと仮定した場合、良悦殺害に使用された短刀の柄に残った指紋がネックとなる。短刀は良悦の首に突き刺さっていて、抜かれた形跡はなかった。短刀の柄に残った血液が凝固するまで、せいぜい十分程度だろう。犯行当時、蛭間が良悦の部屋に居て、短刀を握ったことになる。指紋は蛭間のもので、しかも良悦の血痕の上についていた。

「最初、短刀の柄に残っていた指紋は蛭間のものではなく、弓月のものだったのではないかと思ったんだが」と矢追は言う。だが、鑑識が指紋の照合を間違える訳がない。

 この謎を解く為に、矢追は凶器の柄の血痕の再鑑定を科捜研に依頼した。

「何か細工をして、蛭間の指紋を柄に残したのだろう。それを確かめる必要がある。鑑識に無理を言って、もう一度、仔細に調べてもらった」

 焦らされる。「何か分かりましたか?」ともう一度、尋ねた。

「蛭間の指紋が残っていた血痕を詳しく調べてもらった結果、プロテアーゼと言うタンパク質分解酵素が見つかった」

「プロテアーゼ?」

「コンタクトレンズの洗浄液などに使われているそうだ。凝固した血液を分解する働きがある」

「血液を分解する?」

「ふふ。どうだ? あんたにも分かっただろう。遺体に残っていた短刀の柄から指紋が出たことで、蛭間が辻花を殺し、自殺したのだと考えられた。死んでから殺すことは出来ないからな。だがな、短刀の柄は目釘を外せば取り外すことが可能だ」

「ああ~」思わず声が漏れた。細工があったのだ。

「更に詳しく調べてみると、柄を取り外した形跡があった。そこで、こういう推理が成り立つ」と言って矢追は得意そうな顔をした。

 俺がもの問いた気な目で見つめていることに満足そうに頷くと、「弓月は辻花を殺害後、首に突き立てた短刀から、柄の部分だけを取り外した。そして、蛭間を絞殺し、コンタクトレンズの洗浄液を使って、柄に固まっていた血痕を溶かして蛭間の指紋を残した。蛭間の指紋のついた柄を持って、辻花のマンションに取って返すと、元通り、柄を短刀に戻した。後は、あんたも知っての通りだ」と言った。

 遺体の第一発見者を装って通報したのだ。その時、駆けつけてきた刑事の一人が矢追だった。更に弓月はテレビ局を呼んで、テレビ・カメラの前で蛭間の遺体を発見している。

「まあ、あれがやつに疑いの眼を向けさせる原因となった訳だけどな」と矢追は言う。

 テレビ・カメラを前に、遺体を発見する。その芝居がかった演出に、違和感を覚えた。そして、「ふたつの事件で、遺体の第一発見者になるなど出来過ぎだ」と矢追は言う。

 確率で言えば天文学的な確率だろう。

「それに証拠が多過ぎる。一見、巧みに証拠を消しているように見えるが、調べれば調べるほど、証拠が出て来る。変だと思わないか?蛭間のアパートでは、三和土にあった靴の中底から辻花良悦の血痕が見つかっている。探せば見つかる場所に証拠を残してあったのだ」

「辻花さんの事件については、大体、分かったような気がします。弓月が犯人だとすると、蛭間さんは濡れ衣を着せられた上に殺されたことになります。でもまだ、蛭間さんが自殺だった可能性は残っているのではありませんか?」

 矢追は待ってましたと言わんばかりの顔をした。「蛭間の事件についても考えがある。あれは自殺なんかじゃない。殺されたんだ。弓月に殺されたんだよ」

「一体、どうやって?部屋は密室だったはずです。誰も出入りすることができなかった。だから、自殺だと判断されたのではなかったですか?」

「ああ、そうだ。蛭間の部屋は一階だったが、ひとつしかない窓には鍵が掛かっていた。それに、ドアは遺体が塞いでいた。部屋は密室状態だった。誰も出入りなんか出来なかった。だがな、当時の資料を見直していて、俺は大事なことに気が付いた。当然、あるべきはずのものが無いってことにな」

「当然、あるべきはずのものが無い⁉ 何ですか?」

 矢追は「まあ、まあ」となだめてから、「もったいぶっているように見えるかもしれないが、もったいぶらせてくれ。脂汗が出るほど、頭を使ったんだからな。はは」と言って笑った。

 弓月の話では、引き立て役のダメ刑事なのだが、実物はかなりの切れ者だ。

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