殺人計画
「弓月を殺すつもりでした」
高寛はまるで、今日の天気を告げるように言った。
「なんで、弓月を殺そうと思うたんや? 確かに下着の件は疑わしい。それにしたって、弓月がストーカーやった可能性を示しとるだけで、お兄さんを殺害した証拠やあらへん。青木っちゅう人の娘さんの事故にしたって、弓月が車を運転していた証拠なんてあらへんがな」鬼政が尋ねる。
「真実を知っているのは弓月だけです。でも、尋ねても本当のことは教えてくれないでしょう。あなた、人を殺しましたねと聞いて、はいそうですって答える訳がありませんから」
「そうやろうな」
「そこで、井上さんの事件を餌におびき寄せることにしました。殺人事件なんて、地元の人間でなければ、詳しいことは分かりませんからね。私が井上です。うちで殺人事件がありましたって言えば、余所者は直ぐに信じるでしょう。弓月探偵事務所の経営状態が良くないって噂が聞こえて来ていましたから、殺人事件の調査だと言うと、餌に食いついてくると思いました」
実際、その通りだった。久々、大事件の調査依頼とあって、弓月はさして疑いもせずに調査を引き受けた。
「ああ、そうだ。田口さんのことを話しておかなければなりません」
「田口さん?」
「藤川さんはご存じでしょう。面識がありますから。あの夜、父の会社の同僚だと言って田上という人がいたことを。本当の名前は田口智康さんと言います」
「優しそうな紳士という印象でしたね」
「はは。実は田口さん、蛭間昭雄さんのお父さんなのです」
「えっ⁉ でも、名前が・・・」
「はい。田口さんは離婚されていて、分かれた奥さんの名前が蛭間なのです」
「ああ、なるほど」
田上は田口で蛭間昭雄の父だった。ちなみに高寛の母親は今日子という名前で、井上淳子という被害者の妻を熱演した。
皆、偽名を使っていたのでややこしいが、高寛を中心に関係者を整理すると、こうなる。
井上晃=辻花高寛
(父)井上晴秀=(父)辻花大悟
(母)井上淳子=(母)辻花今日子
(叔父)井上輝秀=(叔父)辻花公正
(父の友人)田上常永=(蛭間昭雄の父)田口智康
(母方の親戚)青田大輝=(青木涼香の父)青木矩史
井上晴秀は実際に事件の被害者だが、その他の面々は全て架空の人物だそうだ。
「兄の事件があってから、直ぐに、田口さんから連絡がありました」
その時はまだ、良悦が蛭間昭雄に殺害されたと思い込まされていた。田口と名乗る人物から、辻花大悟に連絡があった。
「蛭間昭雄の実の父親だ。一度、会って話をしたい」と言うので、大悟はてっきり、息子の不祥事を詫びたいのだろうと思った。だが、息子は犯人じゃない。犯人のはずがないと言う。そんな話なら聞きたくないと、大悟は会わずにいた。
「一連の事件の背景に、失踪した青木さんのお嬢さんの存在があることが分かってから、兄の死に対して疑問が浮かぶようになりました。父は田口さんのことを思い出し、連絡を取りました。田口さんは直ぐに会いに来てくれました。そして、蛭間さんが犯人ではないという証拠を示したのです」
「証拠があったのですか⁉」、「証拠!」
鬼政と同時に声を上げてしまった。
「ああ、すいません。証拠って言っても、物証って言うんですか、そういうものではありません。僕らは警察ではありませんから。田口さんが打ち明けてくれた話だけで十分でした」
「どんな話だったのですか?」
「故人の名誉に係わることですので、あまり言いたくないのですが・・・」と高寛は躊躇う素振りを見せてから、「まあ、仕方ありません。田口さんは驚くべき言葉を言ったのです」と言った。また驚くべきだ。大仰だが高寛の話には実際、驚かされる。
高寛は言う。
――蛭間昭雄さんはゲイだったのです。
蛭間はゲイだった。どういうことだ? 何故、それが証拠になるのだ。
「田口さんは奥さんと離婚しています。離婚してから仕事が忙しくなり、週に一度という訳に行きませんでしたが、それでも年に五、六回は息子さんと会っていたそうです。それくらいの距離感が丁度、良かった。田口さんはそう言います。母親に言えないことでも、父親には話すころができた。そう言っています。
ある時、昭雄さんは自分がゲイらしいと打ち明けてくれました。そして、友人を好きになって苦しんでいるようだったと田口さんは言いました。蛭間さんが好きだったのが誰だったのか、今となっては分かりません。でも、蛭間さんが若い女性をストーカーなんかするはずがない。だから、ストーカー行為がバレそうになって、人を殺したなんてあり得ない。田口さんはそう言いました。例の下着の件もあります。僕らにはその話だけで十分でした」
辻花良悦の彼女だった奈津に横恋慕し、ストーキングを繰り返し、それがバレてしまい、追いつめられて良悦を殺害してしまった。そして、それを苦に自殺した。そう考えられていたが、蛭間昭雄がゲイだったとすると、その前提条件が崩れたことになる。
「何かがおかしい、僕らはそう考えました」
「真実を知っているのは弓月だけだと、そう考えた訳ですね」と言うと、「はい」と高寛が力強く頷いた。「青木さんからも、何度も連絡がありました。娘さんがどうなったのか知りたい。死んでしまったのなら、骨になっていても構わない。自分のもとに帰ってきてもらいたい。そう涙ながらに訴えられました。
弓月をうちにおびき寄せる計画を練りました。おびき寄せることさえできれば、やつを問い詰め、真実を聞き出すつもりでした。口を割らなければ、多少、強引な手段を取ることも辞さない覚悟でした。計画を練り始めると、青木さんから、是非、その場に立ち会わせてくれと言われました。田口さんからも、その計画に加えてくれと言われました。そして、やつに復讐する時は、自分も手を貸したい、あなたがたに罪を押し付けたりしない、と言われました。二人が加わって計画が完成し、あの夜を迎えたのです」
いよいよ佳境だ。あの夜、一体、何があったのか?
「功を焦っていた弓月は、まんまと僕らの計画に引っ掛かりました。計画外だったのは藤川さんの存在かもしれません。お付きがいるとは思いませんでした。でも、彼は所長ですから、考えてみればお付きの一人や二人、いてもおかしくない。我々の計画が杜撰だったのです。藤川さんが邪魔でした」と言って「御免なさい」と高寛が謝った。
「気にせずに話を続けて下さい」
「事件後、眠れないからと、父は睡眠導入剤を処方してもらっていました。それを使うことにしました。睡眠導入剤をビールに混ぜて、藤川さんに飲ませて、前後不覚にしました。そして、みなで弓月を押さえ付け、縛り上げました。自由を奪い、予め用意しておいた小部屋へと連行しました。拷問を加えることを覚悟していましたので、その為の器具を集め、証拠を残さないように部屋中、ビニールシートで覆ってありました。やつはそれを見て、一瞬で自分の運命を悟ったようでした」
ごくりと唾を飲み込む。いよいよ高寛は殺人を告白しようとしていた。
「弓月は泣きわめき、命乞いをしました。殺すと脅すと、べらべらと全てを告白しました。兄が手紙で告発しようとした通り、兄、弓月、蛭間さんの三人は兄の車でスキー旅行に出かけました。二泊三日の旅行です。三人でスキーに行くのも最後かもしれないと、昼も夜も、ゲレンデを滑り続けました。その帰り道、兄が運転中に女の子を撥ねてしまったと弓月は言いました。でも、兄の告発文ではハンドルを握っていたのは別の人物です。蛭間さんは免許を持っていなかったので、運転していたのは弓月ということになります。運転免許を取り立てだった弓月が兄に代わって車を運転していたのでしょう。とにかくスキー旅行からの帰り道、あの事故が起こった」
青木涼香が車に跳ねられたのだ。
「弓月の証言によれば、路上に横たわる涼香さんを囲んで、どうしたら良いか三人で話し合ったそうです。弓月は警察に届けようと主張したそうですが、兄と蛭間さんが反対したそうです。そして、就職がダメになっても良いのか? 幸い、誰も見ていない。このまま死体を何処かに隠してしまえば、きっとバレないと説得され、弓月は渋々、同意したそうです。これも兄の告発文によれば、警察に届けようと言ったのは兄でした。僕は兄を信じます。兄はそんな非常識な人間じゃない。それに――」と言って高寛は言葉を切った。
「それに?」と話の先を促すと、高寛は言いにくそうに、「事故直後、涼香さんは生きていたそうです。まだ息があった。直ぐに救急車を呼んでいれば、彼女は助かったかもしれない」と言った。
「息があった・・・彼女を見殺しにしたと言うことですね・・・殺人、そう言えますね」
「事故直後、娘さんが生きていたことを聞いて、青木さんは怒り狂いました。無理もありません。青木さんにすれば、やりきれない思いだったでしょう。弓月に襲い掛かろうとするのを、田口さんと二人で必死に止めました。まだ兄の事件について、話を聞いていません。もう少し、もう少し、待ってくれと、青木さんに縋りつきました」
青木の荒れ狂う様が目に浮かぶようだった。
「娘さんはどうなったのですか?」
「そうなのです。問題はそこなのです。三人は娘さんをトランクに押し込んで、その場から逃げ去りました。娘さんはトランクの中で亡くなった。考えただけで、やり切れませんね。そして、その後、彼らは遺体を処理した」
「処理した? 何処かに埋めたと言うことですか?」
「そうです。ですが、三人の当事者の内、二人が亡くなっています。もう弓月しか、その場所を知らない。いくら問い詰めても弓月は遺体を埋めた場所が何処なのか話しませんでした。それを言えば、殺されると分かっていたようです。さて、兄の事件について話してたいのですが、よろしいですか?」
「はい」鬼政を見ると、口をへの字に結び、怖い顔で腕組みしている。
「最初、弓月は兄を殺害したのは蛭間さんで、彼はそれを苦に自殺した。自分は関係ないと言い張っていました。そこで、僕が橋本さんから聞いた下着を盗まれたことは誰にも言っていない。犯人しか知り得ない事実だということ、蛭間さんはゲイで、女性をストーキングするなどあり得なかった、という事実を告げました。すると、途端に弓月の態度が怪しくなったのです。いや、そんなことはないとか、昭雄がゲイだったなんて、そんな馬鹿なとか、ぐだぐだと言い訳を繰り返しました。青木さんが、もう良いでしょう。こいつは娘の仇だ。殺してしまおうと言うと、待ってくれ、本当のことを話す。だから殺さないでくれと、急に素直になりました。そして認めたのです」
「何を認めたのです?」
「橋本さんをストーキングしていたのが自分だと告白したのです。蛭間さんでは無かった。弓月と蛭間さんは似たような体格をしています。橋本さんが勘違いをしてくれたお陰で助かった。そう言っていました。最も、橋本さんは蛭間さんのような体型と言っただけで、蛭間さんがストーカーだとは言っていないということでしたけど。まあ、蛭間さんのような体型だと言うことは、弓月も当てはまるということになります」
「学生さんだと身長が変わらないと、似たような体型に見えるしょう」
「弓月は橋本さんのことが好きだったのです。兄の彼女に横恋慕していた。そのことを、兄に知られたくなった。ですが、それだけで兄を殺そうと考えた訳ではなかった」
「例の手紙ですね」
「そうです。兄は長野県の事故現場に行き、そこで青木さんと会った。そして、罪の意識にさいなまれるようになった。そして、あの告発文を書いた。それを投函するつもりだったのでしょう。その前に、弓月や蛭間さんに会って、これ以上、黙っておれない。自首しようと勧めるつもりだったのです。兄は帰京したことを知って遊びに来た弓月に先ず相談した。兄の話を聞いた時、弓月はその場で殺意を固めたそうです。生かしておけないと。その時、目に入ったのがナイフでした」
「確か、そのナイフは蛭間さんのもので、護身用にお兄さんに貸し与えたものでしたね」
「はい。学生同士ですから、仕送りを使い果たしてしまうと、お金の貸し借りをすることが多かったそうです。兄は金銭的に恵まれた立場にあります。お金を貸すことが多かったでしょう。蛭間さんにお金を貸した時、担保として大事にしていたミリタリーナイフを渡したそうです。兄はそんなもの要らないと断ったのですが、ストーカーの件があったので、護身用に持っていろと、蛭間さんから押し付けられた。そのことからも、蛭間さんがストーカーでなかったことが分かります。自分に危害を加える凶器を貸し与えるはずありませんから。
蛭間さんからナイフを押し付けられた兄は、結局、持って歩くのが嫌で、部屋に置きっぱなしにしていました。弓月はそれに気が付いたのです。蛭間さんのナイフがあることに。隙を見てナイフを手にすると、背後から兄に襲い掛かりました。後は・・・ご存じの通りです」
兄の殺害状況を子細に口にしたくなかったようだ。辻花良悦は半身を廊下に乗り出すようにして、うつ伏せで倒れていた。腹を刺されており、ナイフが首筋に深々とつき立っていた。
「やはりお兄さんを殺害したのは、弓月だったのですね」
「彼は犯行を認めました。兄を殺害したのは弓月です」
「蛭間さんはどうです? 本当に自殺だったのですか?」
「田口さんが最も聞きたかったのは、そこです。だから、必死で青木さんを止めたのです。蛭間さんの死の真相を聞きたかった。兄の事件の告白が終わると、当然、田口さんが息子さんの事件について尋ねました。また、いい加減なことを言うのかと思ったのですが、意外にも弓月は素直に犯行を認めたのです」
「犯行を認めた?蛭間さんを殺したと言うことですか?」
「弓月は蛭間さんを自殺に見せかけて殺したのです。そして、兄殺しの罪を着せた。卑劣な男です。それだけでなく、事件を利用して有名になった。探偵事務所を開いて、所長に収まった。名推理? 冗談じゃない! あいつが真犯人だったのですから。全て、分かった上で都合よく、筋書きを書き換えた。それだけのことだったのです」
激高する高寛に、「ち、ちょっと待ってたれや」と鬼政が口を挟んだ。「指紋はどうしたんや? ナイフの柄には被害者、即ち、あんたのお兄さんの血痕があって、その上に蛭間の指紋が残っとった。弓月がお兄さんを殺害してから蛭間を殺したとなると、ナイフの柄に蛭間の指紋が残っとったことの説明がつかへん」
「すいません。そう言ったことを明らかにするのは、警察の仕事でしょう。弓月が犯人だということさえ分かれば、私たちにはそれで充分でした。弓月の告白を聞いて、田口さんが、もう良いだろう。息子の恨みを晴らさせてくれと言いました。弓月が憎かった。兄の仇です。でも、人を殺すのは簡単ではありません。殺したいほど憎くても、いざ殺すとなると、どれだけ勇気を振り絞っても、実行に移せませんでした。皆、押し黙ったまま、手を出せずにいたのです」
「それで、どうなったのです?」
「弓月は我々の動揺を見抜いたのです。待て。頼むから、殺さないでくれ。そう訴えました。そして、俺を殺すと、あんたの娘さんの居場所が分からなくなるぞと青木さんに言いました。痛いところを突いて来た。青木さんとしては、例え骨になっていても、娘さんには戻って来てもらいたい。そう願っていました。娘を何処に埋めたんだ!と青木さんが弓月に詰め寄りました。やつは俺を開放しろ。そうすれば、娘の居場所を教えてやるとしか答えませんでした。
田口さんは、今、こいつを開放すると、息子の仇を討つ機会が永遠に遠のいてしまう。こんなやつ、生きている資格がない。殺してしまおうと言って弓月に襲い掛かろうとしましたが、今度は青木さんが、待ってくれと、必死になって止めました」
「さっきとは逆になってしまった」
「皆、迷いを抱えていたのです。兄の仇は討ちたい。でも、人を殺すことなんて出来ない。正直、僕はこのまま弓月を殺さずに済めば良いのにと、心の何処かで思っていました。その気持ちは皆、同じだったと思います。結局、僕らは弓月を開放しました」
「弓月を・・・解放したのですね」
「命を助ける代わりに、青木さんのお嬢さんを埋めた場所を教える。それが条件でした。そう弓月に約束させた。そして、僕と弓月とで、藤川さん、あなたをホテルまで運んで行った」
ホテルの防犯カメラには、高寛と弓月がぐったりとした俺を運び込む様子が映っていた。
そして弓月はホテルを出て殺された。
あの夜、弓月は言った。人を殺すようなやつは、この手で地獄の邏卒に引き渡してやると。地獄の邏卒に引き渡されたのは弓月の方だった。
「朝、起きたらホテルの部屋で寝ていたので、びっくりしました。それで、弓月は青木さんの娘さんを埋めた場所を打ち明けたのですか?」
「あなたをホテルに送って行った後、弓月の実家がある千葉県の流山にある山林に埋めたと、住所を教えてくれました」
「その住所を教えてくれ」と鬼政が言うと、「メモは青木さんに渡しました。ですが、あの時のメモを書き写したものを持っています」と紙切れを見せてくれた。手帳の一ページのようだ。
メモは青木に渡した。当然だ。娘の居場所を知りたいに決まっている。
「そして弓月は姿を消したのですね」
命拾いをして戻った夜に、弓月はホテルをチェックアウトしている。
「弓月がホテルに戻ってからのことは知りません。僕は家に戻りました。やつがホテルから消えたと知って、驚いたくらいです。そして、やつが殺されたと聞いて、もう一度、びっくりしました。誰がやつを殺したのか、僕らにも分からないのです。やったのは僕らじゃない」
「お嬢さんを埋めた場所を聞き出すことが出来たので、青木さんが弓月を始末したのではないのですか? 或いは田口さんが」
「弓月が本当のことを言っているのかどうか、確かめる必要があります。青木さんは、実際に行って確かめてみると言っていました。山を掘り起こしてみるのです。それまで、弓月に手出しなんて出来ません。弓月はホテルからいなくなった。そして、殺されてため池に沈められていた。一体、何があったのでしょうか?」
それを聞きたかったのだ。
「あのため池は、じぶん家が所有しとるもんやなぁ?」鬼政が口を挟む。
「何故、うちのため池が使われたのか、それも分かりません。あそこは人目につきませんから、単なる偶然ではないでしょうか?さあ、これで全部です。あの夜のことは、全てお話しました。逃げも隠れもしません。僕らのやったことが罪になるのなら、捕まえて下さい」
高寛が開き直る。刑事の振りをしているが、鬼政に逮捕権など無い。結局、高寛を開放するしか無かった。
高寛が喫茶店を後にしてから、鬼政に尋ねた。「これからどうしましょうか?」
そして、鬼政に言われたのが、「ここから先は警察の仕事や。警察の組織力に任せるしかあらへん。兄ちゃんは東京に戻っていな」という言葉だった。
俺は東京へ戻って来た。
ひとつ、鬼政に頼まれたことがあった。
弓月が青木の娘を埋めたと告白した住所を携帯電話の地図アプリで調べてみると、住宅地になっていたのだ。
「弓月に騙されたみたいやな。兄ちゃん、あんたに頼みたいことがある。青木の娘探しや。あんたは弓月に近い。あんたやったら、弓月たちが娘さんの遺体を何処に埋めたんか、探り当てることが出来るかもしれへん。いや、これは、あんたにしか出来ひん仕事や。兄ちゃん、あんたならきっと出来る。期待しとるで」
世慣れた鬼政だ。人をおだてるのが上手い。俺はすっかりその気になってしまった。
事務所を出ると、「藤川さん」と背後から声を掛けられた。
阿部だ。「阿部さんも帰るの?」と聞くと、うんと頷く。地下鉄の最寄り駅まで一緒に歩くことになった。これからどうするのと聞かれたので、久しぶりにジムに行くと答えると、「ああ~」と阿部は納得した顔で頷いた。
どうせ筋肉バカとしか思っていないのだろう。
「藤川さん、ジムで体を鍛えるのも悪くないですけど、デートとか、しかないんですか?」
「彼女なんていないよ」と答えると、「へえ~」と阿部は俯き加減で歩きながら答えた。
阿部は小柄だ。華奢で折れてしまいそうだ。俺が力を入れれば、腕なんてぽっきり折れてしまいそうだ。鍛えてはいるが、俺はそれほど背が高くない。それでも、阿部と並ぶと、巨大になった気がする。
「何時から彼女がいないんですか?」と聞くので、「何時からだろう?」と考えた。
「前にデートしたの、何時ですか?」
「一緒に学校から帰った時かな?」
「学生時代ですか?喫茶店か何処かでデートしたのですか?」
「喫茶店だなんて。一緒に歩いて帰っただけさ」
「家が近所だったんですね。幼馴染ですか?」
「うん。そうだね」
「へえ~じゃあ、初恋の人だったとか?」
あまり話をしたことが無かったが、阿部は恋バナが好きなようだ。
「初恋? そうだったかもしれない」
「純愛だったんですね」
「純愛さ」
「それで、彼女とはどうなったのですか?」
「どうなった? どうなったんだっけ・・・ああ、そうだ。彼女、お父さんの仕事の都合で引っ越してしまった。それで、学校が別々になって、会わなくなったんだ」
「転校したのですね?」
「いや、学区が変わって違う学校に進学したんだ」
「学区?」
「帰り道、彼女のランドセルが――」と言うと、阿部が「ひっ!」と悲鳴を上げた。まるで幽霊でも見たような強張った顔で、俺を見つめている。
「どうかした?」
「あの・・・ランドセルって・・・彼女って、ひょっとして、小学生ですか⁉」
変態を見つめる目付きだ。
「そうだよ。だって、僕も小学生だったんだから。小学生で彼女が出来るなんて、ませたガキだって言われたものさ」
俺はロリコンではない。
「そうですか」今度は憐みの視線だ。捨てられた子犬でも見つめているかのようだ。
「ほら、小学生の時、走っていて急に止まると、背中に背負っていたランドセルの中味が全部、出ちゃったことってなかった?帰り道で、追いかけっこしていて、彼女が急に立ち止まっちゃったもんだから、ランドセルが――」
阿部はもう俺の話を聞いていなかった。駅に着くと、「じゃあ、私はこっちですので」とあっという間に人ごみに消えて行った。
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