第三章

消えた女子高生

「どうやら渡川さんがこの事務所を引き継ぐみたいだ。弓月探偵事務所だと客が来ないから、渡川探偵事務所に名前を変えるそうだ。全く、あの人は・・・転んでもただでは起きない。藤川君、君、どうするの?」杉山が声を潜めながら言った。

 杉山が俺の机の上に腰をかける。自然と見上げる格好になった。

 仕方がないのかもしれない。所長が殺されるような探偵事務所に調査を頼む人間などいない。事件以降、顧客がほぼ居なくなったという噂を聞いていた。

「杉さんはどうします?」

「俺は辞めるよ。渡川さんとはウマが合わないからね」

「そうなんですか⁉」

 驚いた。杉山は渡川が連れて来た人間だ。気心の知れた仲だと思っていた。「驚いたなあ~てっきり、二人、仲が良いのだと思っていました」と言うと、「仲が悪い訳じゃない。渡川さんは一緒に働くには良いが、ボスとして仕えたい相手じゃない」と答えた。

「へえ・・・」

 杉山も渡川もベテランの調査員だ。素人同然の弓月が相手なら、いくらでも誤魔化すことが出来るが、渡川相手だとそうは行かない。やり難い相手だと言うことだろう。

 杉山に辞められると、かなりの戦力ダウンだ。

「杉さんが抜けてしまうと、うちの事務所、やって行けますかね?」

「渡川さんのことだ。俺が抜ければ、また別の人間を引っ張って来るだけさ。そう言えば、例の井上家の土地問題だけど、どうやらガセネタだったみたいだ」

「ガセネタですか?」

「うん。ほら、土地の名義の書き換えを巡ってトラブルになっていたってやつ。調べてみると、そんな土地は無かった。何処か他所の家の話だったみたいだ。井上家には相続を巡って争っている土地は無かった。所長は何処でそんなガセネタを掴まされたんだろう」

 杉山は何処か納得の行かない顔をしていた。

「そうなんですか」

「調査を始めた時は、トラブルに関する情報が山の様に寄せられたんだが、所長の事件の後、情報提供がぴったりと止まってしまった。そして、全てがガセになった」

「どういうことでしょうか?」

「俺が騙されたってことだろうな」杉山は自嘲気味に笑った。

「杉さんを騙すなんて、相当、手の込んだ仕掛けがあったのですね」

 辻花家の人間だろう。杉山を罠にはめたのだ。

「所長は井上輝秀が犯人だと踏んでいたようだが、見当違いだったようだ。はは。それで捜査の方は進んでいるのか?」

「こちらに戻って来てから、何の連絡もありません」

 大阪での滞在を切り上げて、東京に戻って来た。

「ここから先は警察の仕事や。わいらが走り回って出来ることなど、たかが知れとる。警察の組織力に頼るしかあらへん。何ぞ動きがあれば教えたるから、兄ちゃんは東京に戻っていな」と鬼政に言われたからだ。

 心残りではあったが、戻って来た。だが、鬼政からの連絡は無かった。

「いいか。事件当日の話は言うてもかめへんけど、わいらが調べたことは、誰にも言うたらあかん。捜査の邪魔になるかもしれへん。兄ちゃんの胸になおしとってくれ」と鬼政に言われていた。事件当夜の話と弓月の遺体を発見したこと以外、鬼政との捜査で掴んだ事実は事務所の人間にも言っていなかった。

 大体、筋肉バカの俺が大阪府警のOBと組んで、事件の捜査をしているとは誰も思わないだろう。鬼政と調べたことを自慢して回りたい気はあった。だが、ぐっと堪えていた。渡川にも言っていないのだ。杉山に話す訳には行かない。

「気持ち悪いな~黙り込んだかと思ったら、急ににやにやして。まあ、良い。何か分かったら教えてくれ。俺も事件の経緯が気になっているんだ」

 鬼政との捜査を思い出して、にやついてしまった。

「分かっています」

 気を引き締める。

「じゃあな」と言うと、杉山は「俺はな。田口が怪しいと思っている。やつが弓月を殺した犯人じゃないか」と言い残して去って行った。

 田口?意外なところを突いてくる。そう思った時、脳味噌に釣り針が引っ掛かったような、ぴりりとした居心地の悪さを感じた。


 辻花高寛から聴取した話は事件を振り出しに戻しただけだった。

 二人で高寛を駅近くのファミリーレンストランに連行し、話を聞いた。鬼政は元刑事だ。目の前で、「ほな、辻花さん、話を聞かせてもらいまひょか?」と詰め寄られると、威圧感たっぷりだった。

「ふう~」と大きなため息を吐いた後で、高寛が話し始めた。「分かりました。全て、お話しましょう。ご存じないでしょうが、兄の事件が起こる二か月ほど前、長野で青木涼香ちゃんという高校生の女の子が行方不明になりました。全ては、この涼香ちゃんの失踪から始まったのです」

 高寛が語った事件の概要はこうだ。

 青木涼香は長野県在住の高校生で、父の青木矩史あおきのりふみは田舎町で教師をしていた。何も無い町で、スーパーと言えば幹線道路の県道添いにコンビニらしき店が一軒あるだけだった。後は田圃しかないような町だ。そんな町で青木家は暮らしていた。

 青木家は父子家庭だ。早くに母親を病気で亡くしている。娘は涼香一人。涼香が家事を切り盛りしていた。

「ある日、帰宅したてみたら娘さんの姿が見えませんでした。日頃から、家事は俺がやるから、部活とか友達と遊びに行くとか、もっと若者らしいことをしろと青木さんは娘さんに言っていました。ですが、娘さんは、お父さんに家事を任せると、結局、二度手間になってしまうと言って任せようとしませんでした。申し訳ないと思いながら、青木さんは娘さんに家事を任せっぱなしにしていたそうです。そんな娘さんが、いなくなったのです。

 鞄が台所の椅子の上に放り出してありました。学校から帰って来たことは間違いありません。夕食の準備を始めたところ、足りないものがあることに気が付いて、慌てて買い物に出たといった感じでした。

 既に陽が落ちて真っ暗でした。夜道は危ないと、青木さんは迎えに出ました。でも、娘さんとは出会いませんでした。友だちの家に遊びに行ったのかもしれないと、友人の家に連絡を取りましたが、娘さんは何時も通り授業を終えると、真っ直ぐ帰宅したと言う答えでした。

 青木さんは家とスーパーを何度も往復して涼香さんを探しました。でも、見つかりませんでした。翌日、まんじりともせずに朝を迎え、陽が上ってから付近を探し回ると、スーパーの前の県道添いの畑から、涼香さんの自転車が見つかりました。ぐにゃぐにゃにねじ曲がっていて、涼香さんの身に何か不吉なことが起こったことのではないかと心配になりました」

 高寛はそう言って眉をひそめた。

 青木涼香という女子高生が事件に巻き込まれたことは間違いなさそうだ。だが、それが弓月の事件とどういう関係があるのだ。疑念が顔に出ていたようで、高寛が言った。「すいません。もう少し、僕の話を聞いてください」

 青木は警察に失踪届を提出すると、目撃者をもとめて近くを聞き込んで回った。怪我をして、何処かに運び込まれたのかもしれないと、県道沿いの病院を訪ね歩いたりした。だが、涼香の姿はどこにも無かった。

 涼子が姿を消してから一カ月後、スーパーの店主から、この辺りで最近、行方が分からなくなった女の子はいないかと若い男に聞かれたと連絡があった。この辺りで見ない顔だ。

 青木はスーパーに飛んで行った。

「まだ、その辺りにいるはずだとスーパーの店主が言うので、青木さんは店を出て、辺りを探し回りました。程なく、道端で佇む一人の若者の姿が目に飛び込んで来ました。若者は県道沿いの路肩で、雑草の生い茂った畠を見つめていたそうです」

 丁度、涼香の自転車があった藪の辺りだ。

 青木は足を止め、息を整えてから、ゆっくりと若者に歩み寄った。

 ご旅行ですかと声をかけたところ、若者は驚いたような顔を向け、ええと答えた。そして、青木から逃げるように立ち去ろうとした。

「この若者は涼香の行方について何か知っている! 青木さんは直感しました。思い切って、若者に声をかけました。私は行方不明となっている女子高生の父親です。娘の行方について、何か知っているのではありませんかと」

「それで、若者は何と答えたのです?」

「若者は足を止めました。青木さんは若者の前に回り込んで、お願いです。娘のことで何か知っているのなら、教えて下さい、父と子、二人だけの家族なのですと懇願しました。青木さんの言葉に若者は顔を歪めました」

 明らかに若者は動揺していた。

「それでも若者は何も答えませんでした。親孝行な娘で、夕食の準備の為に買い物に行ったきり、行方が分からなくなったのです。そう情に訴えました。ですが、すいません。僕は何も知りませんと、若者はそう答えたきり、押し黙ってしまいました。

 仕方ありません。何か知っていることがあればご連絡下さいと、青木さんは持って来た名刺を若者に押しつけました。若者は小さくお辞儀をすると、逃げるようにその場から立ち去りました」

 その後、若者からの連絡は無かった。

 高寛が申し訳なさそうに言った。「もう少しです。涼香さんの事件が、今回の事件とどう係わってくるのか、それを今から説明します。発端は遺品整理でした。兄が亡くなってから、遺品を整理していた時のことでした」

 事件後、高寛は上京し、良悦が東京で借りていたマンションを解約し、私物を箱詰めにして実家へと発送した。

「その時、橋本奈津さんと会ったのです」

 橋本奈津は良悦の恋人だった女性だ。高寛が遺品整理の為に上京していることを聞きつけ「お兄さんの私物を預かっているので、お返ししたい」と奈津の方から連絡があった。

「指定された喫茶店で奈津さんと会いました。そこで兄の私物を詰めたデパートの紙袋を渡されました。服が多かったですね。兄が奈津さんにプレゼントした指輪やネックレスなど、貴金属を除いて、奈津さんが返したいと言う物は全て受け取りました。奈津さんは貴金属も受け取って欲しかったようですが、兄の気持ちを考えると受け取れませんでした。奈津さんに持っていてもらいたいと、兄は思っている。そんな気がして。受け取ってしまうと、兄の意志を無視してしまうような気がしました。嫌でなかったら、持っていて下さい。持っているのが嫌なら、処分してもらって結構です。そう言って断わりました。

 奈津さんは、そうですかと煮え切らない顔をしていました。兄の思い出を引きずりたくなかったのでしょう。仕方ありません。何時までも兄の面影を引き摺っていても、幸せになれませんから。奈津さんの為になりません。

 兄の思い出を聞いている内に、奈津さんが妙なことを言い出しました。事件後、随分経ってから知ったのですが、兄に言ったことと、弓月さんの証言が違っていたと。ニュアンスが違っていたそうです」

 恋人の突然の死がショックだった。奈津は事件の後、体調を崩して、入院していた。良悦の事件の後、蛭間の自殺騒ぎがあり、随分、経ってから刑事の訪問を受けた。

「どう違っていたのです? と奈津さんに尋ねました。奈津さんは、私はストーカーが蛭間君だとは言っていないと答えました。あの夜、誰かにつけられました。足音が聞こえたのです。奈津さん、怖くなって駆け出しました。町角を曲がったところで、自動販売機があったので、その陰に隠れました。すると、ぱたぱたと足音がして、誰かがやって来ました」

「自動販売機の灯りで、ストーカーの顔を確認したのでしょう?」

「いいえ。そこが違うのです。確かに自動販売機の灯りで、周りは明るくなっていました。でも、奈津さんを追って来た人物は、町角を曲がると直ぐに足を止めてしまったのです。自動販売機が邪魔になって、顔が見えなかったそうです。ストーカーは立ち止まり、奈津さんの姿を探しました。見つかると何をされるか分かりません。奈津さんは怖くて、自動販売機の陰で震えていたそうです。生きた心地がしなかったでしょうね。相手の顔を確認することなど、とても出来なかったと、奈津さんは言っていました」

 ストーカーは突如、姿を消した奈津の跡を追うかどうか迷った。やがて、奈津の跡を追いかけることをあきらめ、踵を返すと暗闇に消えて行った。

「ストーカーは蛭間では無かったのですか?」

「角を曲がる時、一瞬、ちらと後ろを振り返って、ストーカーの様子を盗み見ました。男性で背格好が、丁度、蛭間さんと同じくらいだったそうです。だから、兄から、どんなやつだった? と聞かれた時、背が高くて痩せ形で、ちょうど蛭間君と同じくらいの体形だったと伝えたそうです。ストーカーが蛭間さんだったとは一言も言っていない、奈津さんはそう繰り返しました。それが何故か、ストーカーが蛭間さんであったと弓月さんに伝わっていたのです」

「今の話を、刑事さんにしたのでしょうか?」

「それが、あの当時、奈津さんはひどく混乱していて、よく覚えていないそうです。記憶がごちゃごちゃになっていて、はっきりと覚えていないと奈津さんは申し訳なさそうに言いました。そして、それにと何か言いかけて、急に口を噤んでしまったのです。

 他にも、何かあるのでしたら、全部、話してもらえませんか?一人で抱え込んで、悩まないで下さい。僕も一緒に悩ませてください。そう奈津さんに言いました。奈津さんは、やっぱり、辻花君の弟さんだねと言いました。兄にも、同じようなことを言われたことがあるそうです。一人で悩んでいないで、一緒に悩ませてくれって。

 そして、驚くべき話を打ち明けてくれたのです」

「驚くべき話?」

「兄に下着を盗まれた話はしていなそうです。それどころか、下着を盗まれたことは、誰にも言っていないと言うのです」

「えっ⁉」どういうことだ?本当に驚いた。

 若い女性だ。下着を盗まれたことは、恥ずかしくて人に言えなかったのだろう。それは理解できる。だが、何故、弓月が下着を盗まれたことを知っていたのか?

 奈津は下着が盗まれたことを誰にも言っていない。だが、弓月はそのことを知っていた。何故だ? 下着が盗まれたことを知っていたのは、奈津と犯人だけだったはずだ。

「奈津さんの話を聞いた時から、弓月さんに対して疑念を抱くようになりました。果たして、彼が言ったことは事実なのか? 兄は蛭間さんに殺されたのか? 全てが信じられなくなりました。部屋を整理しながら、兄が残して行ったものを調べました。でも、兄の死に繋がりそうなものは、何も見つかりませんでした。いえ、僕には見つけることが出来なかった」

 押入れの中に、ギターケースが押し込まれていた。

 良悦は中学生の頃、ギターを弾き始めた。最初は楽譜を買って、流行歌を弾き語りしていたのだが、その内、それだけでは飽き足らなくなったようで、自分で作詞、作曲をするようになった。

 高校時代には友人とバンドを組んで、路上で歌ったりしていた。高寛も兄の影響を受け、ギターを始めた。今でも、ギターが趣味だが、良悦の方は、大学に入ってからダンスに夢中になり、ギターは止めてしまった。

 荷物整理の手を止め、ギターケースからギターを取り出した。長い間、演奏していなかったのだろう、弦が弛んで音程が滅茶苦茶になっていた。高寛は兄のことを思い出しながら調弦した。

 ギターケースの中に、歌詞を書き溜めたノートがあった。

 ぱらぱらとめくってみると、「悪路王に捧げる鎮魂歌」という歌詞があった。この時は、後に弓月の興味を引く為の小道具になるとは思わず、へえ~と思っただけだった。

「ああ、あの時のメモですね。叔父さん、確か、井上輝秀さんが拾って来たと言う。どうせ偽名なんですよね」

「はい。叔父は辻花公正と言います」

「そう言えば、あの、のっぺりとした顔をした男って、何だったんですか?」

「ああ」高寛は苦笑いをしながら、「叔父が推理小説マニアで、謎の男を出した方が良いと言うので、想像で作り上げた人物です。特徴の無い顔、印象に残らない顔が良いという叔父の意見に従って、のっぺりとした顔をした男が誕生しました。実際に、のっぺりとした顔をした男なんていません」と言った。

 それを聞いて、鬼政が口を挟んだ。「のっぺりとした顔っちゅう表現はあかんかったな」

「ダメですか?」

「皆で口裏を合わせたことがあかんねん。人の感覚はそれぞれや。のっぺりとした顔と言うのは、凹凸の少ない平坦な顔のことやろ? そやったら、薄い顔だとか、平坦な顔だとか、いくつも言い方がある。頬に傷がある男とか、一目で分かる具体的な特徴やないからな。皆が皆、のっぺりとした顔をした男と表現すると、そりゃあ、不信感を抱かれる」

 なるほど、弓月は「悪路王に捧げる鎮魂歌」のメモやのっぺりとした顔の男のことを、調査を攪乱しようとする陽動作戦だと言っていた。

 小細工は見抜かれていたようだ。

「策士策におぼれるっていうやつですね。さて、話を進めます。実は兄の手紙を見つけたのです」

「手紙⁉遺書があったのですか?」

「遺書ではありません。兄の告白でした」

 ある日、テレビ・ドラマを見ていて、一番上の白紙の便箋を鉛筆で軽くこすると、上にあった便箋に書いた筆跡が浮かび上がってくると言う場面を見た。

 それを見て、ひらめいた。

 実家で良悦が使っていた部屋は、そのままになっており、都内のマンションから持って帰って来た遺品がダンボール詰めのまま放置されていた。何時か片付けようと思っているのだが、なかなかその気にならない。

 机の上に便箋があった。ダンボールから出したものではない。もとから机の上に置いてあったものだ。以前は無かったような気がする。事件の直前、良悦が実家に戻って来た時、机の上に置いたもののようだ。あの時、様子が既におかしかった。

 何か書いたのであれば、便箋に筆跡が残っているかもしれない。

「兄の部屋に行き、机の上にあった便箋の一番上のページを鉛筆で軽くこすってみました。すると、そこに恐るべき告白が記されていたのです」

「恐るべき告白ですか⁉」

 驚くべき話だとか、恐るべき告白だとか、高寛の話はやや大仰だ。だが、さっきは本当に驚いた。

「宛名は青木矩史様となっていました。そして、そこには、冬に友人二人とスキーに行き、帰路、路上で高校生くらいの女の子を跳ねてしまったということが淡々と書き連ねてあった。兄は警察に届けようと言ったそうですが、折角、決まった就職がふいになっても良いのかと友人たちに脅され、結局、警察に通報はしなかった。それだけでなく、救急車も呼ばずに、瀕死の女の子を車のトランクに押し込んで、その場から立ち去った。そう書いてありました。

 助手席に乗っていたと書いてあったので、車を運転していたのは、兄ではなく、別人だったのでしょう。当時、兄と仲が良く、何時も一緒に行動していたのは斉藤和幸こと、弓月知泉と蛭間昭雄の二人です。恐らくこの三人で、スキーに行ったのでしょう。蛭間さんは免許を持っていなかったので、兄が車を運転していたのでなければ、弓月だと言うことになります。

 事故で将来がふいになることが怖かったのです。本当にすいません。後悔しています。友人を説得して、警察に自首します。そう書かれていました。残念ながら、そこで終わっていました。そうです。もうお分かりでしょうが、青木さんが出会った若者というのが、兄だったのです」

 話が繋がった。青木の娘は弓月が運転する車にはねられた。そして、何処かに連れ去られた。

「車は兄が所有していたものです。免許を取った後、中古車を買って乗り回していました。その後、ガードレールにぶつけてしまった。就職したら自分で稼いだ金で新車を買うと言って、その車は廃車にしてしまいました。青木さんのお嬢さんをはねた形跡を誤魔化す為に、わざとガードレールにぶつけて廃車にしてしまったのでしょう」

 事件前、帰省した良悦の様子が変だった。その理由が明らかになった。良悦は自らが犯した罪の重さに苛まれていたのだ。

「マンションで兄の遺品を整理した時に、何枚か名刺がありました。レストランや飲み屋、美容師の名刺ばかりでしたが、中に一枚、青木という人の名刺があったような気がしました。教師という肩書で、誰だろうと思ったので記憶に残っていました。探して見ると、果たして名刺が出て来ました。青木矩史さんの名刺でした。

 一人で秘密を抱えていることが出来なくなり、父に相談しました。兄の秘密を全て打ち明けました。話を聞いた父は、それが事実なら大変だ。青木さんと会って話をしなければと、その場で電話をかけました。そして、青木さんに会いに行きました」

 辻花大吾は青木に会いに行った。

 青木の家に着くと、玄関先で土下座をして、「うちの息子が、とんでもないことをしでかしたようです。申し訳ありません」と詫びたそうだ。

「まあ、頭を上げて下さい。そして、話を聞かせて下さい」と青木は大吾を自宅へ招き入れた。

「部屋で見つけた便箋の話をすると、青木さんは、そんな手紙、受け取っていませんと答えました。兄は手紙を投函することなく、殺害されたのです。口を封じる為に、殺された。きっとそうです。そして、もう一人の目撃者である蛭間昭雄さんも殺された。それも兄の恋人をストーキングし、それがバレそうになって兄を殺害し、それを苦に自殺したことにして。死人に口なし。蛭間さんは幾重にも濡れ衣を着せられて殺されたのです。そうに違いありません」

 残ったのは弓月ただ一人、弓月が全てを知っているはずだ。

「そして、僕らの計画が始まったのです」高寛は言う。

 弓月の化けの皮が少しずつ剥がれていっている。弓月に憧れて、探偵事務所に門を叩いた。憧れだった弓月の実像は虚飾に塗れたものだった。

 俺は軽い眩暈を感じた。

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