不意打ち
「兄ちゃん、今日はこれくらいにしておこう。部屋に戻ってゆっくりしぃ。明日、その気があるなら続きをやろう」
飛車に礼を言うと、「ご用の際は、何なりとお申し付け下さい」と口では言いながら、これ以上、係わりたくないとばかりに逃げて行った。
飛車がいなくなると、鬼政が躊躇いがちに言った。「一人でいるのが嫌なら、飯でも食いに連れて行ってやる。どうせ、わいも一人飯やからな」
折角、食い倒れの町に来ているのだ。地元の人間に案内してもらえるなんて、そうそうない。一も二もなく「はい」と返事した。
鬼政は嬉しかったようで、「さよか~今日はわいのおごりや。串カツでも食いに行こう」と行きつけの串カツ屋に連れて行ってくれた。
「兄ちゃん、どんどん食えや」と腹いっぱい串カツをご馳走になると、「ええか、ゆっくり休め。くよくよ考え込むんやないで」とホテルに送ってくれた。
一人で部屋にいると、色々、考えてしまう。会田とジムに行く約束をしていた。忙しいサラリーマンだ。仕事を済ませてから食事をし、ジムに来るとなると、かなり遅くなる。約束の時間には早かったが、先に行って待っていようと思った。
ジムに行くと、会田がいた。
「早いですね」と言うと、会田は白い歯を見せて笑った。「今日は、仕事が不調でしたので、早めに切り上げて来ました。まあ、こんな日もあります」
「仕事が上手く行かなかったのですか?」
「交渉決裂です。テーブルを叩いて、帰ってきてしまいました」
「テーブルを叩いて帰って来た⁉ そんなことして、大丈夫なのですか?」
「大丈夫じゃないかもしれません。お客様、腹を立てたでしょうから」
「そんな・・・お客さんに謝った方が良いんじゃありませんか?」
他人事ながら、心配になった。だが、会田は涼しい顔で、「はは。ご心配には及びません。なあに、少々、我儘なお客様で、契約は済んでいるのに、追加であれをやって欲しい、これも入れてくれと、要求が多いのです。なるべく、ご満足いただけるように善処して参りましたが、こちらも商売です。慈善事業ではありません。譲れない線というのがあります。物別れになった方が良い場合もあります」と笑った。
屈託のない笑顔だ。本心だろうか?
会田がいるのは、生き馬の目を抜く世界だ。そういうものかもしれないと思った時、携帯電話が鳴った。会田の携帯だ。
「ちょっとすいません」と会田がジムから出て行った。
暫くして戻って来ると、「ご心配おかけしましたが、お客様からでした。明日、もう一度、話し合いたいと言うことです。予定より一泊、滞在が伸びそうです」と嬉しそうに言った。
賭けに勝ったようだ。
「しょっちゅう、こんなことをやっている訳ではありません。でも、時には開き直りも大事です」と会田は言う。そして、「さあ、ベンチプレス、やりましょうか?今日も追い込みましょう」と相変わらず、精力的だ。
会田の言う通りだ。くよくよしていても仕方がない。時には、開き直ることも必要だ。
朝一番で事務所に電話を入れると、阿部が電話を取った。「どう、事務所の方は?」と探りを入れてみると、「みなさん、忙しそうですよ~」と呑気な答えが返って来た。
「忙しそうって、調査で飛び回っているってこと?」
「ちょっと違うかな~みんな落ち着きがないみたい」
意外にしっかり人を観察している。
「所長が居なくなったんだ。仕方ないだろうね」
「ああ、そうだ。藤川さん。杉さんが藤川さんと話をしたがっていましたよ。井上輝秀さんの経済状況について調べるよう、所長に言われて調べたそうですけど、調査結果、どうしたら良んだって困っていました。藤川さんから電話があったら、聞いてみてくれって言われました」
杉さんとは杉山という名の探偵事務所の調査員だ。ベテランの調査員で、渡川が即戦力と言って連れて来た人物だ。
「井上輝秀の経済状況?」
井上輝秀と言うと、被害者の弟だと名乗った癖の強い人物だ。殺された井上晴秀には輝秀という弟がいた。いや、本当にいたのかどうか分からない。とにかく、あの夜はそういう設定だった。恐らく、辻花家の誰かが弟に成りすましていたのだろう。
「所長は何処からか情報を手に入れていたようです。井上輝秀さんは兄の晴秀さんと土地をめぐって諍いがあった。それを詳しく調べるようにと、所長から杉さんに指示があったそうです」
あの晩、弓月が待っていた調査結果とはこのことだったのではないか。弓月は井上輝秀を犯人だと考えて調査を進めていた?
「それで、調査の結果はどうだったの?」
「さあ、私にはちょっと――」と阿部が言うので、「杉さんはいるかい?」と尋ねると、「いますよ」と答える。
「ちょっと杉さんと変わって」
だったら最初から杉さんと代わってくれれば良いのに。電話口に杉山が出た。
「所長から頼まれた調査のことだよね」
杉山が調査結果を教えてくれた。
輝秀と兄の晴秀は土地をめぐって争っていた。「最近、井上輝秀が所有していた土地の一部の名義を、兄の晴秀名義に書き換えている。もともと父親が残した土地のようだが、最近、二人が所有している土地に道路が通ったらしい。道路を境にお互い、土地の一部が相手の土地に出張ってしまった。折角なので、道路を境界線として、お互いに出張った土地の名義を相手の名義に書き換える約束をした。ところが、輝秀は名義を書き換えたのに、晴秀は名義を書き換えなかった。それで諍いになった」
「兄弟でも、わずかな土地をめぐって争いになるんですね」
「人間なんて、そんなものだ」杉山には何処か覚めたところがある。「弓月にしろ、殺されたってことは、誰かから無用の恨みを買っていたってことだ。怖いね。君も気をつけな。何処で恨まれるか分かったものではない。とにかく、輝秀には動機があった。弓月も晴秀殺害の犯人は輝秀だと考えていたはずだ」
井上晴秀殺害の犯人として、既に藤原という前科者が捜査線上に浮かび上がっている。藤原が犯人であることを示す証拠もある。だが、そのことは捜査機密だ。鬼政から聞いた話を事務所の人間とは言え、簡単に教える訳には行かなかった。
「分かりました。貴重な情報、ありがとうございます」
杉山は弓月の事件について聞きたがった。
「すいません。遺体が見つかったと言うだけで、詳しいことはまだ何も分からないのです。何か分かれば、渡川さんに伝えることになっています。とにかく、一刻も早く、所長を殺した犯人を捕まえることができるように、警察の捜査に協力します。杉さんの情報もきっと役に立つと思います」何とか誤魔化しておいた。迂闊にしゃべって鬼政に迷惑がかかるといけない。
朝から疲れた。眩暈を覚えてベッドに横になっていると、部屋の電話が鳴った。
「おう、兄ちゃん。今日はどないする?」
鬼政だ。約束の九時だった。
「勿論、出かけます。このままホテルで無為に過ごす訳には行きません。弓月の敵を討たないと」
「敵討ちって、兄ちゃん。変なこと考えたらあかんで。あくまで犯人を見つけるだけや。その後のことは警察に、法の裁きに任せるんやで」
「はい。分かっています。つい調子の良いことを言ってしまいました。直ぐに降りて行きます」
ロビーに降りると、鬼政が待っていた。今日は背広にシャツを着て来ていた。「どうしたんです?」と尋ねると、「はは。昔取った杵柄や。どうせやったら、しっかり、刑事に間違えてもらわんと」と照れた表情で答えた。そして、「兄ちゃん。朝飯食ったか?朝飯を食わんやつは役に立たん。食欲があれへん? せやけど、何ぞ腹に入れや。ほら、俺がおごってやる」とホテルのレストランに連れて行かれた。
勝手にモーニングを注文された。鬼政はコーヒーだ。「兄ちゃん、三国志の魏延って知っとるか?」相変わらず三国志の話題だ。
親子程年齢が離れている。考えてみれば事件の話以外、共通の話題など無い。あるとすれば、三国志の話題だけだ。鬼政なりに気を使っているのだ。
「ええ。蜀の武将でしょう。ゲームじゃ結構、戦闘力が高くて使える武将です」
「さよかい。魏延には反骨と言う、反逆の相があったらしい。反骨精神とか言うやろう。あの反骨や。後頭部が出っ張っとることを反骨の相と言うて、反骨がある人間はいつか、人を裏切るそうや。諸葛孔明はいずれ魏延が裏切ることを知っとって、自分の死後、魏延を処分するように言い残しておいた」
「へえ~」とトーストを口に運ぶ。食欲は無いと思っていたが、朝食を目の前にすると意外に食が進んだ。
「兄ちゃん、池で遺体を引き上げた時に見たが、あんたのボスにも反骨の相があった」
鬼政に言われて、ああ~そうだったと思った。弓月の後頭部はまるく張り出していた。
「死んだ人間を悪く言うつもりはない。せやけど、兄ちゃん、あんたのボスは信用できる人間やったか?」
「それは・・・」と口籠ってしまった。杉山が言った「誰かから無用な恨みを買っていた」という言葉を思い出した。
「今日はどうします? 何を調べるのですか?」と話を逸らした。
鬼政は「ふふ。ひとつ奇襲をかけてみようと思う」と楽しそうに言った。
「奇襲ですか?」
「そうや。まあ、先ずはゆっくり飯でも食いな。腹ごしらえや。飯が終わってから、詳しく説明してやる」
「分かりました」慌てて食べかけのトーストを口に頬張った。
今日も鬼政の軽自動車で出かける。助手席に腰を降ろし、「何処に行くのか教えてもらえませんか?」と尋ねると、「平野や」と答えた。まあ、そうだろう。
「平野に何があるのですか?」と尋ねると、「成安生命を覚えとるか?」と質問で返された。
「成安生命ですか・・・確か、井上家の人間が勤めていると言っていた保険会社の名前ですよね。殺された井上家の当主、それに息子の晃君、それに会社の同僚の田上という人が成安生命に勤めていると言っていました。まあ、皆、嘘を吐いていたんでしょうが」
「それがそうでもないんや。殺害された井上晴秀は成安生命に勤務などしとらへんかった。河内設備っちゅう水道工事をやっとる会社に勤めとった。だがな、成安生命っちゅう会社はちゃんとあって、しかも、坂上田村麻呂の子孫が設立した会社ちゅうのも間違いない」
「本当に成安生命という会社があるのですね。じゃあ、あながちデタラメでもなかった訳だ」
「そうや。全て嘘で固めるより、ある程度、事実を混ぜておいた方が、嘘がバレにくいからな。辻花家の人間について調べてみた。すると、おもろいことが分かった」
「面白いことですか」
「辻花家の主、辻花大悟、ほんで息子の
鬼政はにやりと笑った。昨晩の串焼きの後も捜査を継続していたのだ。頭が下がる。
「彼らの言っていたことは、本当だったのですね⁉」
「まあな。辻花大悟は平野にある本店に勤めとる。ほんで、息子の高寛はというと、加美駅前にある支店に勤務しとることが分かった」
「僕が会った井上晃ですね!」
「そやろな。ほんでや。これから、加美支店に押し掛けて、高寛を尋ねてみようっちゅう訳や。不意打ちや。職場だと逃げ隠れでけへんやろう」
「ああ、素晴らしい。流石、元刑事!」素直に感心すると、「はは、兄ちゃん。もっと言うたれや」と鬼政が上機嫌で言った。
関西本線加美駅前のコンビニの二階に成安生命加美支店があった。
「ほな、突撃や~!」鬼政と二人、階段を登る。
自動ドアから中に入ると、いらっしゃいませと声が掛かった。近くの席から若い女性が飛んで来る。目の大きな小柄な女性だ。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「辻花高寛さんはいらっしゃいますか?」と言うと、背中を向けて仕事をしていた男が振り向いた。
男と目が合った。
井上晃だ。間違いない。細く整えた眉毛、腫れぼったい目に団子鼻、分厚い唇、全て記憶通りだ。
俺の顔を見た高寛は驚愕の表情を浮かべた。そして、直ぐに顔を逸らした。
「大政さん、間違いありません。彼です」隣の鬼政に囁いた。「ふふん」と鬼政が鼻を鳴らした。
「辻花さ~ん。お客様ですよ~」女性が叫ぶ。
晃、いや、高寛は聞こえない振りをしている。背中を向けたままだ。何故、ここが分かったんだと焦っているに違いない。
「辻花さ~ん」女性がもう一度、名前を呼ぶと、「はい」と高寛が立ち上がった。
観念したようだ。
背中を向けたまま、ひとつ大きく深呼吸をすると、意を決したように振り向いた。そして、満面の笑顔を湛え、足早でやって来た。
「お客様~辻花でございます。どういったご用件でしょうか?」
「辻花さん、いや、井上晃さんと言った方が良いですね?僕のこと、覚えていますよね?」
「失礼ですがお客様、どなたかとお間違えではないですか?」
あくまで白を切るつもりのようだ。
「僕です。一昨日、弓月と一緒にお宅にお邪魔した藤川です」
「藤川様? いいえ~初対面だと思います。平凡な顔ですので、誰かと間違えているのでしょう」
「弓月知泉、亡くなりました。殺されたのです。お宅が所有しているため池から遺体が出たことはご存じですよね?」
会社の人間に聞かれたくないはずだ。高寛は声を潜めた。「警察から連絡がありました。物騒な世の中になりました。よりによって、うちの池に遺体を捨てるなんて。こちらと致しましても甚だ迷惑しております」
「あの夜、一体、何があったのですか?」
「あの夜とおっしゃられても、どの夜なのか、私には分かりかねます。はい」
笑顔を湛えたままだが、額に脂汗を滲ませていた。早く話を切り上げたいのだ。受付に椅子が置いてあったが、着席を勧めようとしなかった。
必然、立ったまま話が続く。
「他人の空似だと言い張るのですね?」
「井上晃という方は存じ上げません」
「あなたの偽名です」
「偽名を使ったことなどございませんが」
「あくまで会ったことがないとおっしゃるのですね・・・」
相手が認めない以上、どうしようもない。
「まことに申し訳ございませんが、保険のご相談でないようでしたら、お引き取りいただけますか? 少々、立て込んでおりますので」
俺たちを厄介払いしようとした。
「潮時だな」鬼政が小声で言うので、「お仕事中、すいませんでした」と頭を下げて、成安生命加美支店を後にした。
もう少し粘れたような気がする。
「知らぬ存ぜぬで押し通されてしまいました」
「まあ、しゃあない。一昨日、兄ちゃん、自宅に押し掛けて、やつの父親に会うとる。父親から連絡があったのかもしれへん。兄ちゃんと会うたら、知らぬ存ぜぬで押し通せとな。なあに、そうがっかりすな。無駄足なんて何時ものことや」
「はあ、まあ、探偵の端くれですから、分かってはいますが、残念です。彼を追い詰めることができなくて」
「兄ちゃん、これで引き下がる気が無いなら、もうちょっと突いてみるか?」
「勿論です。是非、やりましょう。どうすれば良いのです?」
「やつの帰宅を待ち伏せて、もういっぺん、急襲する。職場でなければ、何ぞ聞き出すことが出来るかもしれへん」
「でも、また知らぬ存ぜぬで押し通されたらどうします?」
「ふふ。そうならへんよう、ちょいと細工をしとくのさ」と言って、鬼政はにやりと笑った。
日が暮れた。
家路を急ぐ人波が地下鉄駅の出入り口へ飲み込まれて行く。しっかり見張っていないと、辻花高寛を見逃してしまいそうだった。
車から加美支店を見張っていたが、帰宅時間となり駅前通りに人が増えてきた。車を出て鬼政は地下鉄の出入り口を、俺は加美支店への階段を見張ることにした。
残業なのか、なかなか出て来ない。
夜の七時を少し回った頃、階段を降りて来る高寛の姿を捉えた。
来た!思わず身構えた。十分、距離を取りつつ、見失わないように後をつける。尾行は素人だ。見つかっては一大事だ。慎重に後をつける。幸い、地下鉄駅へと急ぐ人波に紛れて、気づかれていない。考え事をしているようで、高寛は俯き加減で足早に歩いて行く。
地下鉄の出入り口が近づく。
入口近くに立っていた鬼政と目が合った。鬼政は軽く頷くと、「辻花高寛さんですね。お時間、よろしいでしょうか?」と高寛の前に立ちふさがった。
「えっ⁉」と高寛は足を止めると、踵を返して逃げようとした。その前を、俺が塞ぐ形になった。
「お時間、取らせませんよ」
鬼政は満面の笑顔だ。サドっ気があるのかもしれない。
案の定、「うぐ・・・」と呻くと、高寛は「さっきも言いましたけど、僕は何も知りません」と開き直った。
「何も知れへん? ほんまに?兄ちゃん、あれ、見せてやりな」
ポケットから携帯電話を取り出すと、保存しておいた画像を高寛の鼻先に着きつけた。平野署に頼んで鬼政が送ってもらったものだ。携帯電話は苦手だと言うので、鬼政に代わって保存しておいた。
画像に焦点が合うと、「うぐぐ・・・」と高寛は再び呻いた。
ホテルの防犯カメラの映像のワンショットだ。二人掛かりで俺を地下駐車場からホテル内へ運び込んでいる時の映像だ。そのシーンを静止画にして、平野署から送ってもらった。俺の両腕を支える弓月と高寛の顔がはっきりと映っていた。
これが鬼政の言っていた、ちょっとした仕掛けだ。この画像を見せられては、弓月や俺のことを知らないと言い逃れは出来ないはずだ。
「辻花さん。これ、あなたですよね? 知らぬ存ぜぬでは通らないこと、分かって頂けましたか? あの夜のこと、話して頂けますよね?」
高寛は顔を真っ赤にして、俺を睨んだ。そして、次の瞬間、「ふっ」と大きく息を吐くと言った。「分かりました。全てお話ししましょう。正直、黙っていることが苦痛だったのです。実は僕にも、あの夜、何が起こったのか分からないのです。弓月さんが何故、死んだのか? 誰に殺されたのか?分からないのです」
今更、何を言っているのだ。弓月はため池から死体で見つかった。辻花高寛は弓月の死に関与しているはずだ。
「ほな、話を聞かせてもらおうか。そう言えば夕食、まだやった。腹が減った。あんたも食事はまだやろう? 飯でも食いながら話を聞こうか」
鬼政が高寛を促す。「ええ」と高寛が頷いた。逃げ出さないように、俺と鬼政で両脇を固めて歩き始めた。
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