名探偵誕生

「正直、サークル内では目立たない存在だった辻花君が、橋本さんと付き合い始めたことを知った時は、正直、驚いた。別に、彼女のことが好きだった訳じゃないけど、ちょっと不釣り合いな気がしてね。男性部員の中にはショックを受けた人間が大勢いたようだ。サークルを辞めた人間もいたね。その中でひと際、ショックを受けたやつがいた」

――それが、蛭間昭雄ひるまあきおだ。

 と弓月は言う。

「蛭間は僕や辻花君と同じ学部の同級生、サークルも一緒で三人仲がよくてね。何時もつるんでいた。僕は千葉の出身、辻花君は関西、蛭間は広島の出身だった。出身地はばらばらだったけど、妙にウマが合った。蛭間は剽軽で口数が多くて、関西出身なのに無口な辻花君と比較され、どちらが関西人か分からないと、よくからかわれていた。

 橋本さんが新入生として入部して来た時、蛭間は、美人だけど、性格がきつそうだと言っていた。それに、辻花君と橋本さんと付き合い始めたことがサークル内に知れ渡った時には、辻花君の肩を叩いて、良悦!良くやったと我が事のように喜んでいた。でも、彼が抱えていたどす黒い闇に、誰も気が付いていなかった」

 弓月は言葉を切ると、グラスをくるくると回して、まるでワインを嗜むかのようにビールを飲んだ。ちょっと、気取り過ぎだ。

「事件が起きる一カ月くらい前だったかな。辻花君から相談を受けた。橋本さんが、ストーカー被害に遭っていると。誰かに見張られているような気がする、そう彼女が言っていたそうだ。単なる思い過ごしだろうと、辻花君は思ったようだが、やがて疑惑は確信へと変わって行った。夜、彼女がアパートに帰宅する途中、後ろから付けて来る足音を聞いたのだ。駅前に停めておいた自転車に乗る時、微妙に位置が変わっていたらしい。変だと思っていると、背後から足音が聞こえたと言うのだ」

 青田が顔をしかめた。弓月の話に感情移入してしまっているようだ。弓月の横顔を伺うと、頬に赤味が指していた。ビールを飲んだからだろうが、話に熱中して、熱くなっていることもあるだろう。

「橋本さんから相談を受けた辻花君は、二、三日、それこそストーカーの様に、遠くから彼女の様子を伺った。彼女を付け回す人物を見つけようとした。だが、それらしい男を見つけることは出来なかった。やっぱり気のせいだよ、辻花君はそう言って、橋本さんを安心させた。彼自身、そう思いたかったんだろうね。ところが気のせいではなかった。

 事件の一週間ほど前、辻花君から相談を受けた。相談したいことがあると言いながら、渋い表情で、なかなか話を切り出さない。思い詰めた様子だったので、ここは急かしちゃダメだと、辛抱強く、彼が口を開くのを待った。すると、彼が言い出した。

――ストーカーは蛭間みたいだ。

 驚いたよ」

「やっぱり! そう思っとったんや」と輝秀が声を上げた。

 弓月はちらりとその顔を見てから、無視して話を続けた。「辻花君が橋本さんの身辺を監視している間、ストーカーは現れなかった。だけど、監視を止めた途端にストーカーが現れた。誰かに見られている気配がすると橋本さんが言い始めた。ストーカーは辻花君が警護をしていることを知っていた。その疑いを否定できなかった。友人の中に、ストーカーがいるんじゃないか?辻花君は苦悩した。そして、ある日、彼女がアパートに戻ると、人が侵入した形跡があった。間違いない。ストーカーだ。調べてみると、ベランダの窓に鍵を掛け忘れていた。そこから部屋に入ったのだ。絶対に勘違いなんかじゃない。橋本さんは確信した。

 彼女の部屋はアパートの最上階だった。地上から侵入できないと、高をくくっていた。だが、最上階は地上から進入するのは大変だけど、屋上からだと意外に簡単に侵入できたりする。辻花君は警察に届けようとした。だけど、橋本さんが反対したんだ。ストーカーが、あるものを盗んでいっていたから」

「あるもの?」

「彼女の下着だ。侵入者は彼女の下着を盗んで行った。警察に届けると、そのことを根掘り葉掘り聞かれてしまう。若い女性だ。恥ずかしかったんだろうね」

「卑劣なやつだ!」

「ストーカーなんて卑劣な人間のやることだ。そして、あの出来事が起こった。深夜、アパートへの帰宅途中、橋本さんは男が後をつけて来ることに気が付いた。暗い夜道をひたひたと足音が追いかけて来る。彼女は身の危険を感じた。早足で先を急ぐ。見通しの悪い角を曲がって、道端にあった自動販売機の陰に身を潜めた。頭の良い子だ。直ぐに、男が現れた。路上から、彼女が突然、消えてしまったことに戸惑っただろう。彼女が走り去ったと思った。慌てて後を追いかけて行った。一瞬、自動販売機の灯りで、男の顔が見えた」

「それが蛭間だったのですね」

「そうだ。蛭間だった・・・馬鹿な話さ。辻花君、僕と蛭間にストーカーのことを相談していたのだからね。辻花君が橋本さんの護衛をやっていた時、ストーカーが現れなかったもの道理さ。蛭間は辻花君が橋本さんの護衛をやっているのを知っていたのだから。

 辻花君、すっかり頭に血が上っていて、蛭間を呼んで問い詰めると息巻いていた。だから、僕は言ったんだ。蛭間がストーカーだと決めつけてはダメだ。証拠が必要だ。警察に届けた方が良いと。

 でも、彼は僕の話を聞かなかった。結局、蛭間を家に呼んで問い詰めてしまった。そして、あの悲劇が起こった。心の何処かでストーカーは蛭間じゃないと、信じたかったのかもしれない。ああ、僕の言うことを聞いていれば・・・

 僕には全てが見えていた。ストーカーのことを問い詰められ、逆上した蛭間が辻花君を殺害したのだと」

「そのことをテレビ局の人間に話した」

 輝秀の言葉を自分に向けられた批難だと受け取ったのだろう。「ふん。どうせ警察は僕の話なんぞ、信じたりしませんよ。僕の推理が完成した時、たまたまテレビ局の人間と一緒にいたというだけです」と吐き捨てた。

 自らテレビ局に売り込んだに決まっている。それが弓月だ。常に周囲に高い評価と賞賛を要求し続けている。弓月は自分の推理をテレビ局の人間に伝えることで、将来を切り開いた。テレビ局側は弓月の話を聞いて、

――これは話題になる。

 と直感した。

「テレビ・カメラを前に犯行を自白させたい。もし、その絵を撮ることができれば、きっと世の中はハチの巣をつついたような騒ぎになる。テレビ局の人間にそう説得された。僕だって迷ったさ。友人を売るようなことはしたくなかった」

 どうだろう?弓月なら喜んでやりそうだ。

「蛭間は辻花君が住んでいたマンションからほど近い場所にあるアパートに住んでいた。テレビ局の人間と一緒に、彼のアパートを急襲した。アパートに着くと呼び鈴を鳴らしたが、反応がなかった。彼は在宅中に、ドアに鍵を掛けない。そのことを知っていた。僕は思い切って、ドアを開けた」

「ああ、その映像、見た記憶があります」と晃が言う。

 あの当時、何度もニュースで流れた。記憶している人間は多いだろう。輝秀も田上も、青田も「うんうん」と頷いた。

「ふふ」と弓月が笑う。いよいよクライマックスだ。

「ドアの後ろに何か重たいものが立てかけてあった。無理に引っ張ると、勢いよくドアが開いて、もたれ掛っていたものがごろりと廊下に転がり出て来た。それを見て、おっ! だとか、うっ! だとか、あっ! だとか、テレビ局のスタッフが悲鳴を上げた。

 廊下に転がったのは人間だった。若い男だ。それが、ごろんと廊下に転がり出て来たのだ。みな、驚いた。僕は冷静だったけどね。蛭間だった。彼はドアノブに紐を掛け、三和土に座った状態で首を吊っていた。ドアを開けた拍子に、遺体が廊下に転がり出たんだ。

 死後、かなりの時間が経過しているようだった。青くむくんだ顔には、精気が感じられなかった。誰かが、スクープだ! カメラを回せ! と叫んだ。警察だ。警察に電話しろ! と叫んでいるスタッフもいた」

 こうして死体が廊下に転がり出る瞬間がテレビ・カメラに収められた。当時は規制が甘かったことから、顔にモザイクがかけられていたが、死体が転がる瞬間がテレビで放送された。

 そして、その後の弓月の態度が賞賛されることになる。

 弓月は廊下に固まったテレビ局の人間を尻目に、ずかずかと部屋に上がり込んだ。そして、部屋に誰もいないことを確認すると、廊下に出て来て、窓に鍵がかかっていました。蛭間君は自殺したようです。警察を呼んで下さいと冷静に指示を出したのだ。

 取り乱した様子もなく、淡々と指示をする姿は百戦錬磨の刑事を思わせた。

 蛭間の部屋はアパートの一階にあった。六畳一間のアパートで、窓から外に出ることができた。ドアは蛭間の遺体が塞いだ状態だった。殺されたのだとすると犯人は玄関から逃げ出すことは出来なかったはずだ。窓に鍵がかかっていたとなると、密室だったことになる。蛭間は自殺と見て間違いなかった。

「ふう~」と晃が大きなため息をついた。「流石は弓月さんですね。学生時代から、もう卓越した推理力をお持ちだったんだ」

「はは。通報を受けて、直ぐに警察官が駆けつけて来た。テレビ・カメラを見つけると、何故、テレビが来ているんだ!と僕らを遠ざけた。現場検証が行われた。ひとつしかない部屋の窓は内側から鍵が掛けられていた。回転式のクレセント錠と呼ばれる鍵だ。クレセント錠からは蛭間の部分指紋が見つかっている。彼以外の指紋は見つからなかった。あの時、僕が手袋をしていなかったことは、テレビ・カメラの映像に残っている。僕が鍵をかけたんじゃない」

 弓月が目を細める。

 一躍、時代の寵児となり、スポットライトを浴びた日々を思い出しているのだろう。過去の栄光、そう呼ばれることを弓月は嫌がる。まだまだ、これからひと花もふた花も咲かせるつもりなのだ。これからだって栄光の日々は来る。常にそう言っている。

「遺体の首筋に吉川線が見られなかった。吉川線、知っているかい? 紐状の凶器で首を絞められた時、苦しさのあまり凶器を振り解こうとして、首に残る傷跡のことだ。自殺か他殺かを判定する際に、他殺の有力な根拠となる。それが無かったと言うことは、自殺と見て間違いないだろう」

「冷静に遺体を確認していたんですね。流石は弓月さんだ」

「天井の低いアパートだったから、首を吊るには、高さが足りなかった。そこで蛭間はドアノブにロープをかけて、座った状態で首を吊ったのさ。検死の結果、死後、二、三日が経っていた。辻花君の死亡日と一致する。彼を殺してから、そのことで苦悩したんだろ。そして、良心の呵責に耐え切れなくなって、発作的に自殺した。そんなところだ」

 この事件がきっかけで俺は弓月のファンになった。入所してから、散々、弓月の自慢話を聞かされたこともあって、自分でも事件のことを調べたことがある。

 警察の捜査で蛭間が犯人だと示す証拠がいくつか見つかった。

 先ず、アパートからビニール袋に入れられた女性物の下着が発見された。蛭間が奈津のアパートから盗んだ下着だ。

 また三和土にあった運動靴の中底の部分から血痕が発見され、DNA鑑定を行ったところ、辻花良悦の血液であることが分かった。犯行後、蛭間は返り血を浴びたはずだ。服は処分してしまったようだが、靴の中底までは確認しなかったのだろう。恐らく、床に落ちていた血液を踏んでしまい、足の裏に血液が付着した。靴を履いた時、それが中底に移ったのだ。蛭間はそのことに気がついていなかった。

 運動靴は値の張る限定品だった。血痕に気がついていたが、捨てるのが惜しかっただけかもしれない。

 辻花良悦殺害に使用された短刀の柄から、わずかだが部分指紋が採取された。柄に付着した被害者の血液の上に指紋の一部が残されており、当然、犯人の指紋であると考えられた。この短刀の柄に残された部分指紋が、蛭間の右手親指の指紋と一致した。更に蛭間の右手の親指から微量だが血痕が採取されている。DNA鑑定の結果、辻花良悦の血液と一致した。

 証拠は揃った。辻花殺害の犯人が蛭間であることが決定的となった。

――ヤング・シャーロック、降臨す!

 報道番組で、辻花良悦殺人事件の特集が組まれた。派手なテロップが番組の冒頭で流れ、弓月が華々しく番組に登場した。

「第一発見者であった僕は、遺体の状況から、彼と親しい人物により殺害されたと推理しました」弓月はテレビ・カメラの前で滔々と事件の詳細を語った。理論的で分かり易い語り口が、視聴者の共感を呼んだ上に、見た目の良さが相まって、弓月は一躍、人気者となった。

 俺もこの番組を見た。そして弓月に憧れた。

 何せ遺体が廊下に転がる衝撃の映像が流されたのだ。番組は高視聴率を取った。こうして、名探偵、弓月知泉の名前は、瞬く間に世間に浸透した。

 テレビ出演で得た知名度を武器に、弓月は東京で探偵事務所を開業した。都内で最も若い、そして最も有名な探偵事務所の所長となった。

 そして、俺は弓月の探偵事務所に雇われた。あの時は、所員に選ばれたことを、光栄に感じたものだった。今? 今だって光栄に思っているさ。

「あの、弓月さん、ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」

「ああ、何だい?」弓月は隣で黙々と寿司を頬張る俺を横目で睨んだ。

 食ってばかりいないで、少しは会話に参加しろと言うことだろう。生憎、俺は人見知りなのだ。いかつい外見なので、勝手に怖がられてしまう。

「ストーキングのことを問い詰められ、蛭間が辻花さんを殺害したんですよね。蛭間は隠し持っていた短刀で辻花さんを刺した。だとすると、凶器を持ってマンションを訪れたことになります。初めから辻花さんを殺害するつもりだったことになりませんか? 初めから殺すつもりだったのなら、それを苦に自殺したとは思えません。どこか矛盾している気がするのです」

「ああ、良い質問だね」と弓月が頷く。「凶器の短刀はね、辻花君のマンションにあったものなのだよ」

「えっ! 辻花さんが持っていた短刀だったのですか!?」

「そうだよ」弓月の説明によれば、蛭間はモデルガンやミリタリーナイフを集めることを趣味にしていた。凶器となった短刀は蛭間が怪しげなサイトで購入した物だった。

「ヤクザ映画なんかで見るドスと同じもののだ。凄いだろう」

 蛭間は自慢気に凶器の短刀を見せびらかしていた。弓月も見たことがあった。

 辻花が橋本奈津の身辺警護することになった時、「これを持っていろ」と護身用に蛭間が貸し与えたものだ。

「自分がストーカーではないことをアピールしたかったのだろうね。蛭間は短刀を辻花君に貸し与えた。だが、辻花君は短刀を持って町をうろつく気になれなかったようだ。結局、短刀は彼のマンションに置きっぱなしになっていた」

「ストーキングがバレて追い詰められた蛭間は、部屋にあった短刀を手に辻花さんに襲いかかった訳ですね。なるほど~」晃が感心する。「蛭間のアパートには、玄関と窓以外、他に出入りできる場所は無かったのですか? 例えば、台所とか、風呂場の窓とか」

――ないね。

 弓月は言下に否定した。

 蛭間が住んでいたアパートは同じ間取りの縦長の部屋がずらりと並んだタイプだ。角部屋には窓が二カ所ある。だが、蛭間の部屋は角部屋ではなく、両隣に部屋があった。窓は外に向いた一カ所だけだった。台所にも風呂場にも窓は無かった。玄関と窓以外、出入り出来る場所など無かった。

「自殺でないとなると、密室殺人と言うことになってしまいますね?」

「君は蛭間が誰かに殺されたと考えているのかい? 僕の推理が間違っていると言いたいみたいだね」弓月が棘のある言い方をすると、晃が慌てて言った。「あっ、いえ。そう言う訳ではありません。気を悪くしたなら、すいません。弓月さんに倣って、あれこれ事件を推理してみただけです。やっぱり、僕に事件の推理なんて無理です。すいませんでした」

「まあ、いい。実は、ある出版社から事件について本を出さないかと言われているんだ。事件のことを整理するのに、丁度、良かった。他に聞きたいことは無いかい?」

「へぇ~本を出すのですか。弓月さん、益々、有名になりますね。うちに来て頂いたことが、この先、自慢できそうです」

 晃が嬉しそうに言うと、弓月が「うふ」と笑った。

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