第一章

名探偵登場

 主役の登場だ。

――才気煥発、眉目秀麗。

 その言葉が良く似合う。弓月知泉ゆづきちせんが姿を現した途端、座がぱっと明るくなったように感じた。まるでオーラが出ているみたいだ。

 弓月知泉。二十代、独身、弓月探偵事務所の所長だ。若くして世に知られ、天才と謳われた。大学を卒業すると直ぐに、東京で探偵事務所を開業した名探偵だ。名探偵なんてものが、ドラマや映画の世界にだけ存在する特別なものではないことを証明してみせた貴重な人物、それが弓月知泉だ。

 俺、藤川世一ふじかわせいちは弓月が信頼するアシスタント兼用心棒といった存在だ。

「本日はお招きに預かり、光栄です。早速ですが、事件の調査を始めさせて頂きます。事件のあらましは、大体、頭に入れて来ていますが、当日、屋敷にいた皆さんから、改めてお話をお聞きしたいのです。よろしいでしょうか?」

 弓月は応接間のソファーに腰を降ろすと、長い足を組んだ。長身で細身、容姿端麗というだけでなく、スタイルが良い。若干、えらの張った顎と一重瞼が難点といえば難点と言えた。えらの張った顎は生命力を感じさせてくれるが、一重瞼は人に酷薄な印象を与えてしまう。顔の幅が狭く、後頭部がまるく盛り上がっている。横から見ると頭が大きく見える。

 俺は弓月の後ろに立った。幽鬼のように気配を消そうとしたが、「藤川さん。どうぞ、座って下さい」と若い男から着席を勧められた。

「いえ、結構です」

 はい、どうもと腰を降ろすと、後で弓月からグチグチと小言を言われてしまう。

 弓月は誤解され易い性格だ。傲慢と言える。そんな弓月とあって、時に人に絡まれることがある。そんな時は俺の出番だ。学生時代、アメフトに精を出したとあって、小柄だが首は太く、がっしりとした体形だ。肩の筋肉が盛り上がっているところなど、俺の自慢のひとつだ。常に臨戦態勢で無ければ、用心棒は勤まらない。

 最も筋肉バカだと思われては困る。学校の成績はいまひとつたったが、頭の冴えには自信がある。留年もせずに大学を出ているし、こうして弓月のアシスタントまがいの仕事を任されている。智勇兼備の男なのだ。

「どうぞ、彼のことはお構いなく。ふふ」弓月は笑みを絶やさない。笑顔の似合う男ではない。少々、気持ち悪い。

「分かりました。では、先ず、今日、集まってもらった関係者を紹介させて下さい、僕は――」

 若い男は井上晃いのうえあきらだと名乗った。まだ顔にニキビが目立つ年齢だ。細く整えた眉毛、腫れぼったい小さな目、団子鼻に分厚い唇が、顔の真ん中にぎゅっと凝縮した顔立ちだ。

「ふふ。よろしく」弓月が鷹揚に頷いた。

 俺たちは大阪市平野区にある井上家を訪ねていた。歴史を感じさせる日本家屋で、ゆったりとした大屋根を頂く数寄屋門を構え、小さいながらも風雅な日本庭園を備えた結構なつくりだ。増築を重ね棟が長い縁側で繋がっている。サラリーマンの家庭で育った俺には縁がない豪邸と言えた。

 弓月を迎え、井上家に関係者が顔を揃えていた。

 テーブルを中心に三人掛けの横長のソファーが向き合い、間に一人掛けのソファーが二つ据えられている。俺たちが座る横長のソファーの対面、三人掛けのソファーに晃と中年女性の二人、一人掛けのソファーにそれぞれ中年男性が座っていた。

「こちらが、母の淳子じゅんこです」

 晃の隣に座った中年の女性が頭を下げる。晃の団子鼻に分厚い唇は淳子の遺伝であることが一目で分かった。全体的に丸々としていて、愛嬌のある顔だ。弓月が「初めまして」と愛想の良い笑顔を向けると、また頭を下げた。

 晃の紹介を待たずに、隣の一人掛けのソファーに座っていた小太りの中年男性が、「晃の叔父の輝秀てるひでです」と自己紹介をした。

 ジーンズを履いた足が妙に細い。小太りだが、顔に縦皺が多い。そのせいか、顔が細く見える。特徴的な鷲鼻で、叔父とは言え晃と似ていない。晃には淳子の血が色濃く遺伝したようだ。

「ひとつよろしく。弓月さんとおっしゃいましたかね。あんた、超有名人やそうやね。テレビの仕事があれば、わいにも紹介してもらいたいもんですわ。何でもやりまっせ」と言って、輝秀は「あはは」と笑った。

 弓月が露骨に顔をしかめる。

 最後に残った一人を晃が紹介する。「父の会社の同僚で、友人だった田上さんです。父も私も成安生命という会社に勤めています。こちらの会社で、田上さんは父と同じ職場でした」

 成安生命は地元で名の通った会社のようだ。

 白髪の目立つ頭髪を綺麗に撫でつけている。夏物背広にネクタイを締めている。中肉中背、平凡な顔立ちなので、意識して派手な銀縁のメガネをかけているようだ。メガネの奥の目尻の下がった目が優しそうに見えた。

田上常永たがみじょうえいと言います。名探偵として名高い弓月さんにお越し頂いたからには、事件は解決したも同然でしょう。井上さんの無念を晴らして下さい」

 田上は立ち上がって丁寧に挨拶をした。

 弓月は座ったまま、鷹揚に頷いただけだった。

「もう一人、事件に関係ありませんが、母方の遠い親戚が、後ほど、仕事でこちらに来ることになっています」

「晃君、ありがとう。さて、私が弓月です。後ろの彼が秘書の藤川です」

 弓月が紹介してくれたので、俺は慌てて頭を下げた。日頃、俺なんか、人に紹介することなどないのに珍しい。

「じゃあ、事件の話を聞かせて下さい。お一人ずつ、個別に話をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「分かりました。事件当夜、うちに居たのは、僕と母だけでしたので、先ずは、僕から話をさせてください」

 晃の言葉を合図に、淳子、輝秀、そして田上がぞろぞろと応接間を出て行った。

 皆が出て行ったのを見送ってから、晃がもう一度、「座りませんか?」と声をかけてきた。「いいえ」と断ると、「そうですか」と晃が事件のことを語り始めた。


 何時もと変わらない夜だったと言う。

 晃の父、井上晴秀いのうえはるひでは何時も通り、十時頃、ベッドに入った。家事を終え、淳子がベッドに横になった時、隣で晴秀は鼾をかいていた。

 翌朝、晃が居間に降りると、台所で朝食を準備していた淳子から「ねえ、もう直ぐ、朝ごはんだから、お父さんを呼んで来て。庭か書斎に居ると思う」と頼まれた。

 晃は書斎に向かった。晴秀は朝、庭で草花に水を遣るか、書斎で読書をしていることが多い。書斎から見て回ることにした。

「鍵はかかっていませんでした」と晃は言う。

 家屋は日本建築だが、台所と一緒になった居間、応接間、書斎は床を張り替え、洋間にしてあった。

「書斎に入ると、親父が倒れていました」

 父親を発見した晃は「母さん!大変だ~‼」と喚きながら抱き起した。体は既に冷たくなっていた。

「きゃあ――!」背後から、悲鳴が聞こえた。

 淳子だ。晃の喚き声を聞いて、書斎に駆け付けて来たのだ。晴秀を抱きかかえた晃を見て悲鳴を上げた。

――母さん、救急車!

 晃が怒鳴る。淳子は踵を返すと、「お父さん!お父さん!」と叫びながら、居間に向かって駆けて行った。居間に固定電話がある。救急車を呼んだ。

「てっきり、脳卒中か心不全を起こしたのだと思いました。でも、首に赤い筋が残っていたことに気がつきました」

 索条痕だ。紐状のもので首を絞められた跡だ。

「直ぐに救急車が駆けつけてくれましたが、手の施しようがありませんでした。救急隊員が、事件性が見られるので警察に連絡しますと言いました。通報を受けて、警察官が駆け付けて来ました」

 捜査員と鑑識官が押し掛け、屋敷は戦場の様になった。

「自分がしっかりしなければと思いました。先ずは親父のこと、叔父さんに知らせました」

 晴秀の弟、輝秀は近所に住んでいる。

「叔父さんが直ぐに駆けつけてくれました」

 ひと通り、遺体発見の経緯を聞くと、弓月が質問を始めた。「晃さん。あなたの部屋はどちらですか?」

「二階です」

「お父さんの死亡推定時刻は、確か、夜中の一時から三時までの間でしたね?階下で物音を聞いていませんか?」

「すいません。寝ていたものですから、気がつきませんでした」

「お父さんの首に赤い筋がついていたそうですが、どんな跡でしたか?例えばこう、直立した状態で地面と平行についていたのですか?それとも、こんな感じで斜めについていたのですか?」弓月は自分の首に手を当てながら索条痕の様子を尋ねた。

「はい。地面と平行だったと思います」

「確かですか? 策条痕の様子から、自殺だったのか、他殺だったのか、大体、分かります。策条痕が地面に平行に着いていたのなら、背後から首を絞められた可能性が高いのです。他殺と言えます。首から耳の後ろにかけて策条痕が着いていたのなら、首を吊った可能性が高くなります」

 晃はもう一度、考えてから、「平行でした」と答えた。

「首に掻きむしった跡はありませんでしたか?」

 吉川線と呼ばれるものだ。首を絞められた時に、被害者が苦し紛れに自らの首を掻き毟りついた跡のことだ。他殺の証だと言われている。それくらいの知識は俺にもある。筋肉と同じくらい、頭の回転の早さも自慢なのだ。

「ええ、確かにありました。首に引っ掻いた跡が。でも、部屋にロープはありませんでした」

「誰もロープで首を絞められたとは言っていませんよ。確認ですが、ドアに鍵は掛かっていなかったのですね?」

「鍵はありますが、書斎に鍵を掛けたことはありません」

「窓はどうなっていましたか?」

「窓は閉まっていましたが、鍵は掛かっていませんでした」

「書斎の窓に鍵が掛かっていなかった?ふむふむ。そこから犯人が侵入した可能性がある訳ですね。ひとつ分かりませんね」

「何でしょう?」

「犯人が書斎の窓から侵入したと仮定して、お父さんが様子を見に行った時に、犯人は書斎にいたことになります。犯人は書斎で何をしていたのでしょうか?書斎に何かあるのですか?金目のものが?」

「はい。金庫があります。うちは近所にマンションとか、持っていますので、家賃やら何やらで、金庫の中には常に現金がありました」

 晃の言葉に「マンションとか?」と弓月が食いつく。

「マンションがひとつにアパートが二つあります。二つと言っても、ひとつは四軒ほどの小さなものですけど。それぞれに駐車場があって、他にもう一カ所、駐車場があります」

 メロンだ! 弓月がよく言っている。金を運んで来てくれる人間のことをメロンだと。社内で使う隠語だ。金蔓という言葉から蔓に成る植物を連想したのだろう。中でもメロンは高級品だ。

 これは特上のメロンだぞという弓月の心の中の声が聞こえてきそうだった。

 弓月が顔に笑顔を張り付けながら尋ねる。「ほう~犯人は書斎に金庫があることを知っていたのですね」

「そうかもしれません。弓月さん」

「何でしょう?」

「父を殺した犯人を捕まえて下さい」

「念押しなど必要ありません」弓月は不愉快そうに答えると、毅然と言った。「あなたのお父さんを殺した犯人、いや、人を殺すようなやつは、僕がこの手で地獄の邏卒らそつに引き渡してやります。ご心配なく」

 晃からの事情聴取が終了した。

 弓月に「ラソツって何です?」と聞くと、何だ、知らないのか?という顔をして、「地獄の役人のことだ」と短く答えた。だったら、邏卒ではなく、獄卒ごくそつじゃなかったか? と思ったが、言わなかった。間違いを指摘されると、弓月は途端に不機嫌になる。邏卒は警察官の古い言い方だったような気がする。

 もう、何か掴んでいるのか、弓月は余裕綽々の表情だった。

 次に淳子が呼ばれた。

 テーブルを一目見た淳子は、「あら、まあ、お茶が冷めてしまったようですね。代わりにコーヒーでもお煎れしましょうか」と言って立ち上がりかけたので、「いえ、結構です。先にお話しを聞かせて下さい」と弓月が着席を促した。

「そうですか・・・」淳子が渋々、ソファーに腰を降ろす。「あの~」と、俺にもの問いた気な視線を向けて来たので、このままで大丈夫ですと目力を込めて見つめ返した。

 淳子はそれ以上、何も言わなかった。落ち着きがないのは、町で警察官を見かけたら必要以上におどおどしてしまう、あの心境なのかもしれない。

「事件当夜の様子を話して下さい」と弓月が水を向けると、淳子は「私のせいです!全ては私のせいなのです。私のせいで、主人は殺されたのです」と言って、ソファーの肘かけに顔を埋めて泣き出した。

「奥さん・・・」弓月は俺の顔を見て露骨に顔をしかめた。

 片方の眉毛を上げて見せたのは、何とかしろという合図だろう。

 若くて名を成し、見栄えも悪くない。弓月がモテることを知っているが、事務所の女の子には人気がない。傍にいると、女子供に優しくないことが丸わかりだからだろう。事務所の女の子が言っていた。所長は、常日頃、一度、会ったら顔と名前は忘れないと豪語しているのに、私の名前は何時も間違える。可愛い子だと、間違えないのにと。

 これだから女は困る。ほら、何とかしろよ、と言わんばかりに、俺にちょいちょいと顎をしゃくった。

 俺はぐるりとソファーを回り込むと、「奥さん、ご主人が亡くなったのは、あなたのせいなんかではありません。さあ、これで涙を拭いて下さい」と言って、ハンカチを差し出した。

 渋谷のデパートで買った一張羅のハンカチだ。持っていて良かった。

「ありがとうございます」淳子が落ち着くのを待つしか無かった。

 淳子が泣き止むのを待って、弓月が尋ねた。「旦那さんが亡くなったのが、何故、あなたのせいなのでしょうか?」

 話を蒸し返してどうする。泣き止んだばかりだと言うのに、デリカシーがない。案の定、淳子の話は支離滅裂だった。涙ながらに「私が悪いのです」を繰り返し、滔々と話し続けた。

 要は、前の日に書斎の掃除をし、空気を入れ替える為に窓を開けた、窓の鍵を掛け忘れたかもしれない、と言いたいのだということがかろうじて分かった。

 弓月は「ああ、分かりました。もう結構です」と淳子の話を遮って言った。「事件の前日、奥さんは書斎の窓の鍵を掛け忘れてしまった。そうですね?」

「はい」と淳子が頷く。

 侵入者は鍵が掛かっていないことに気が付いて、書斎の窓から屋敷に侵入した。書斎に金庫があることを知っていたのだろ。金庫を開けるのに手間取り、被害者と遭遇した。

「目が覚めると、ご主人の姿が無かった。そうですね?」

「はい」

「夜中にベッドを抜け出したことに気が付かなかったのですか?」

「すいません。熟睡していたものですから・・・」

「物音がしませんでしたか?」

「何も気がつかずに寝ていました」

「朝、起きてから、家の中で、何か変わったところはありませんでしたか?」

「変わったところですか・・・いいえ、別に、気がつきませんでした」

「書斎の窓以外、閉め忘れたところはありませんか?」

「すいません。分かりません。ううう・・・・」

 また泣き出してしまった。「ああ、もう結構です」と弓月は事情聴取を切り上げた。右手の人差し指と親指を立てて、くるくると回した。チェンジだ。人を変えてくれという意味だ。

「奥さん、もう結構です。ありがとうございました」と抱きかかえるようにして淳子を立たせると、応接間から送り出した。

 すると、「さあて、次はじぶんの番ですな」と輝秀が腕まくりでもしそうな勢いで応接間に入って来た。

「井上・・・・輝秀さん、亡くなられた晴秀さんの弟さんですね。あなたも成安生命にお勤めですか?」輝秀がソファーに腰を降ろすなり、弓月の質問が始まった。

「いえ、成安の世話になんてなっていまへん。じぶんは兄貴の様にでけた人間やはあらへんから。養う家族もいまへんし、家賃収入だけで十分、食べて行けます。好き好んで働こうなど、考えたことはおまへん。ところで、あんた、わが家は、歴史の教科書に出て来る坂上田村麻呂の血を引く名家やっちゅうこと、知っとりますか?」輝秀が逆に尋ねる。

「ほう~初耳です。あの坂上田村麻呂ですか」

「そう、あの坂上田村麻呂です」

「まあ、さか――」興味が無いのだろう。弓月が話を逸らそうとしたが、輝秀は構わず坂上田村麻呂について語り始めた。

 坂上田村麻呂は平安時代の武官だ。蝦夷征討で名を馳せ、征夷大将軍に任じられた。その程度のことは学校で習った。輝秀が言うのは、坂上田村麻呂の次男、広野は摂津国住吉郡平野庄と言うので、今の大阪市平野区の開発領主となった。

 開発領主とは未開の原野を開拓し、切り開いた田畑の私有を認められた領主のことを言う。当時、平野区辺りは草深い原野だったのだろう。

 この広野の子孫が平野氏を称し、枝分かれして行く。末吉氏を始めとする七支族が生まれ、平野氏の七家と呼ばれた。

「うちはその平野氏の七家のひとつや。成安の家も平野七家のひとつでな、成安生命は成安家が創った会社ですわ。兄貴も晃も、成安の世話になっとります。まあ、遠い祖先のコネ入社っていうやつですわ。あっはは」輝秀が高笑いをする。

 平野にいくつもアパートやマンションを所有しているので、不動産管理する必要がある。平野の地から離れることが出来ない。地元企業であり、先祖をひとつにする成安生命は、うってつけの就職先という訳だ。

 家賃収入だけで食っていけるとは、羨ましい。

 井上家と成安生命の関係は理解できた。輝秀の話をつまらなそうに聞いていた弓月が「やっと終わりか」と口に出して呟きながら「ところで、あなた、犯人に関して、有力な情報をお持ちだとお伺いしました」と言った。

――ああ、そのことね。

 一体、何時の間に弓月と話をしたのだろう。弓月の傍を離れたのは、お手洗いを借りた一瞬だけだったと思う。油断も隙も無い。

 輝秀は事件が起こる数日前、屋敷の近くで不審な人物を目撃したと言う。

「あれは、何時やったかな・・・とにかく、兄貴の事件が起こる前のことや。兄貴の顔を見に実家に立ち寄ったら、けったいな男が屋敷の周りをうろうろしとった。年は三十過ぎ、痩せ形で、背は百七十センチくらい、長髪でのっぺりとした顔をしとった。屋敷を伺っとるように見えた」

「下見をしていたということでしょうか?」

「自分にはそう見えたね」

「警察に伝えましたか?」

「ああ、言った。似顔絵を描いてもらった」

「その似顔絵、手に入りませんか?」

「コピーをもろうておいた。どこぞにあったはずや。探しときます」

「ありがとうございます。では、事件当日のことを教えて下さい」

「あの日かい。あの日は晃君から兄貴が死んだって連絡があって、屋敷に飛んで来た。それも殺されたって言うやないか。兄貴はわいとちごて、人に恨まれるような人間やない。真面目に手足が生えたような人間やった」

「連絡? どう連絡があったのですか?」

「電話や。電話に決まっとるがな」

「屋敷に来て、どうしました?」

「どうしたもこうしたも、義姉さんや晃君が憔悴し切っとったから、ずっと一緒にいた。自分みたいな人間でも、おるとおらんじゃ、少しはちゃうやろう」

「屋敷に変わったところはありませんでしたか?」

「あったがな。兄貴が死んどった」

「他に、何かありませんでしたか?」

「他に?そやな・・・ないな。警官がぎょうさん来とったことくらいかな」

 どうにも胡散臭い人物だ。弓月が嫌いなタイプだ。案の定、「分かりました。結構です」と早々に事情聴取を打ち切った。

 淳子や輝秀から、ろくに話も聞かずに事情聴取を打ち切ってしまった。これで大丈夫なのだろうか? 不安になった。

「所長、もう少し、きちんと話を聞いた方が良いのでは?」と言いたかったが、どうせ俺の話なんか聞かない。機嫌を損ねるだけだ。

 俺の不安を察した訳ではないだろうが、「くだらない。わざわざ大阪まで足を運ぶまでも無かった」と弓月は俺に聞こえるように呟いた。

「所長はもう事件の真相が分かっているのですか?」と尋ねた。

 恐らく、弓月はそう聞かれたがっている。

「事件の真相?僕は初めから、全てお見通しさ。ジグゾーパズルのピースが、後、ひとつふたつ欠けている。それさえ埋まれば、事件は解決なのさ。さあ、次の関係者を呼んでくれ」

 最後に、田上が呼ばれた。被害者の友人で、事件当時、悲報を受けて井上家に駆け付けている。応接間に現れた田上は弓月の鋭い眼光を避けるかのように、顔を伏せながら、ソファーに腰を降ろした。

「先ずお尋ねします。井上さんとは、どういうご関係なのでしょうか?」

 田上は顔を上げると答えた。「はい。同期入社で、入社以来、親しくお付き合いをさせてもらっていました。彼には本当に世話になりました。私は岡山の人間で、慣れない土地で大変だろう。困ったことがあれば、何でも相談してくれ。俺はここが地元だから、多少なりとも役に立つと思う。そう言ってくれて、岡山から出て来たばかりの私の面倒を親身になって見てくれました」

「親しかった訳ですね」

「はい。お互い、将棋が趣味だったり、野球観戦が好きだったり、彼とは妙にウマが合いました。友人、親友だった、と私は思っています」

「あの日、連絡を受けてこちらに駆けつけて来た?」

「はい。私が来た時には、もう警察官でいっぱいでした」

「誰から連絡をもらったのですか?」

「晃君です。警察沙汰の大事件ですから、私が顔を出して良いものかどうか迷いました。却ってご迷惑をおかけするんじゃないかと」と田上が言うと、弓月は「確かに迷惑でしょうね」と身も蓋も無い言い方をした。

「ですね・・・」田上が苦笑する。

「何故、晃君はあなたに連絡をしたのでしょうか?」

「それは・・・会社にも色々、報告しなければなりませんので、取りあえず私に伝えておけば何とかなると思ったのでしょう」

「なるほど。犯人について心当たりはありませんか?井上さんに恨みを持っていた人間とかいませんでしたか?」

「井上君から、帰宅途中に、屋敷の周りをうろついている変なやつを見かけたと言う話を聞いたことがあります」

 輝秀の話を裏付ける証言だ。

「どういう人物でした?」

「見知らぬ人物で、屋敷と隣のアパートの間に細い隙間があるのですが、そこから飛び出してきて鉢合わせになりそうになったと聞きました。通り抜けが出来る隙間ではありませんので、迷い込む訳がない。のっぺりとした顔をした変な男だったと、そう言っていました」

 またのっぺりとした顔をした男だ。

「ほう~その男の話を聞いたのは、何時頃ですか?」

「事件が起こる二、三日前だったと思います」

 輝秀の目撃談と一致している。怪しい男が屋敷の周りをうろついていたのだ。重要な情報のような気がしたが、弓月は「事件が起きる二、三日前、怪しい男が屋敷の周りをうろついていたのですね。なるほど。ちょっと出来過ぎているような気がします」と関心を示さなかった。

「そうですか・・・」田上は肩透かしを食らった様子だった。

「他に何か気になったことはありませんか?」

「そうですね・・・井上君の悲報を聞いて駆けつけてきた時、大勢の警察官が屋敷内をうろうろしていましたが、彼らの動きを見ていて、気になったことがありました」

「何でしょう?」これには弓月が関心を示す。

「専門家ではありませんので断言はできませんが、鑑識官が玄関のドアの鍵を入念に調べていたような気がします。ご存じの通り、犯人は書斎の窓から侵入したと思われています。何故、玄関の鍵を調べているんだろうと不思議に思いました。それで、ふと思ったのです。ひょっとして犯人は窓ではなく、鍵を開けて玄関から屋敷に侵入したのではないかと」

「犯人は玄関の鍵をピッキングして屋敷に侵入した。その可能性があると言うことですね?」

「そうだと思います。そして犯人は書斎に入り、金庫の鍵をこじ開けようとしていた。その現場を井上君に見つかった。井上君は犯人と格闘となり、絞殺されてしまった。慌てた犯人は、玄関から逃走した。そう思います」

 玄関のドアは閉めると自動的に施錠されるタイプだ。屋敷内から外に出る時は、ドアの取っ手を回すだけだ。

「犯人の侵入経路は書斎の窓からでは無かった可能性がある訳だ」

「はい。どう事件に影響するのか私には分かりません。淳子さんが書斎の窓の鍵を掛け忘れたことを気に病んでいますが、関係が無かったのではないかと思います」

 田上の話は鵜呑みにはできない。田上は淳子のことも良く知っていたのだろう。淳子は窓の鍵を掛け忘れたことが、夫が殺された原因だと悲観している。その罪悪感から解放させてやりたいのだ。

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