悪魔に捧げる鎮魂歌

西季幽司

プロローグ

 涼香りょうかはペダルを漕いでいた。

 冬の日暮れは早い。家を出る時には、辺りは夕焼けに赤く染まっていた。田んぼの一本道を自転車で駆けている内に、夕闇が涼香を包み始めていた。

 いやだ。早く帰ろう。立ち漕ぎになって、ペダルを漕ぐ足に力を込めた。

 母親を早くに亡くし、父親と二人暮らしだ。小学生の頃は、父親が慣れない手付きで食事を準備してくれていたが、中学生になると、食事の準備は勿論、家事全般を涼香が見るようになった。

「家事なんて、お父さんがやるから、お前は勉強しなさい。家にばかりいないで、部活とか、お前がやりたいことに精を出して良いんだぞ」

 そう言ってくれるが、父親に負担をかけたくなかった。

 それに最近は、「家事は良いから、勉強しろ」と口では言いながら、涼香に頼りっぱなしになっている。正直、勉強も運動も得意ではない涼香には、家事をしている方が楽しかった。

 帰宅して夕食の準備を始めようと冷蔵庫を開けると、牛乳が切れていた。

「あちゃ~、しまった」慌てて牛乳を買いに出た。

 田舎のことだ。近所にあるスーパーだかコンビニだか分からないような店まで、自転車で十五分ほどかかる。

 風を切ってあぜ道を走っていた。

 見渡す限り田んぼが広がっている。用水路に架かった橋を渡ると、交通量の少ない県道に出る。県道を暫く走って、信号のある交差点を渡ると、目指すスーパーがあった。

 スキー場があって、県道はその裏道になっていた。金の無い若者たちが、冬場になると高速道路を走るのを避けて、猛スピードで県道を走って行く。

 黄昏時だ。辺りは闇に塗り込められようとしていた。陽が落ちると、街灯の無い田舎道は、一面、漆黒の闇に覆われる。輪郭がおぼろげに分かる程度で、その前に帰りたかった。

 ヘッド・ライトを灯した方が良い時間帯だった。だが、ライトを灯すと、スピードが鈍ってしまう。面面倒なので、そのまま走り続けた。

 県道を走る。交差点の歩行者信号が青信号なのが見えた。急げば青信号の内に道路を渡り切ることが出来る。

 涼香は前傾姿勢を取ると、ペダルを漕ぐ足に力を加えた。

 耳元で、ひゅう、ひゅうと風を切る音が聞こえた。

 歩行者用信号機が点滅を始めた。大丈夫だ。まだ間に合う。このスピードなら、信号が点滅している内に、道路を渡り切りことが出来る。

 涼香は交差点に飛び出した。

 次の瞬間、涼香は自分の体が宙を舞っていることに気が付いた。道路が遥か眼下に見える。まるで重力を失ったかのように、涼香は天空を彷徨っていた。

 少し遅れて、ぎぎぃ――!と言う耳をつんざく悲鳴なような音と、がしゃんと言う金属音が聞こえた。そして張り裂けそうな痛みが襲って来た。

――痛い!

 眼下に見えた交差点の縞模様が、どんどん大きくなって行く。涼香の体は重力に捕まり、地面に叩きつけられようとしていた。

 お父さん――!

 涼香は目を閉じた。父親の優しい顔が瞼に浮かんだ。

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