【月見】の誘い

はくすや

お前もか!?

藤尾ふじおさん、ランチどうかな?」

 深町ふかまちに誘われてなぎさは目を丸くした。

 何か天変地異でも起こるのではないか。いつもひとりでいる深町が誰かと出かけることはまずない。そもそも深町は食事をとることも忘れて何かに打ち込んでいる。自分の世界に引きこもっている男なのだ。

「良いわよ」

「ありがとう」

 物珍しそうな視線をたくさん浴びながら二人は学外へ出た。

 このあたりはキャンパスや大手予備校がたくさんあって若者が溢れている。

 どこへ連れていってくれるのかとわずかに期待してしまった渚と深町が入ったのは何のことはない近場のバーガーショップだった。

 ああ、深町はそういうヤツだったと渚は再認識して苦笑いが出そうになるのをどうにか抑えた。

 そういえば春先にも二人でここに来たなと渚は思い出す。その時は渚がランチ後に深町を古書街に案内したのだ。

 まだこの界隈に詳しくない深町に声をかけたのはほんの気まぐれだった。その後もう一度二人で食事をして、それで良からぬ噂が流れたのは過去のことだ。

 あれ以来だなと渚はあの時のことも懐かしく思った。

「二人分買えるクーポンが手に入ったんだよ」深町はスマホを握っていた。

 それなら私も持っているとは言わなかった。「秋のしは月見バーガー」とかいうコピーで送られてきたものだ。

 二人分で二百円程度の割引だった。メニューはたくさんある。何でも月見と冠すれば良いと考えたか知らないがチーズバーガーや照り焼きにも月見がついていた。この時期のお勧めだ。

 春の時も深町のクーポンを使ったと渚は思い出した。

 私は――クーポンを使いきるための相棒か!

 自虐的なことを思う渚に構わず、深町はとろーりチーズの月見セットにした。

 渚は迷った挙げ句、チキンフィレ月見のセットにした。

「親子バーガーだね」深町は笑っている。

「なるほど」

「藤尾さんらしいよ」意味がわからない。

 深町はひとりで納得してうんうん頷いていた。相変わらず理解不能だ。

 二人でテーブル席に移動した。

 店内は若者だらけだ。神保じんぼう大の学生か千代田ゼミナールの浪人生のどちらかだろう。

 たまに視線を感じる。そうなるとバーガーを食べるのも気を遣う。深町にはかぶりつく姿を見られても構わないが、その時の渚はナイフとフォークを使った。

「あれ?」口まわりにソースをつけた深町が不思議そうにする。

「たまごの黄身がしたたりそうだったから」

「大丈夫だよ」

 確かにたまごはほどよい熟し加減で滴りはしない。しかし口まわりにつくではないか――君みたいに。

「お月見だね」

「これが?」

「藤尾さんはちゃんとしたお月見するほうなの?」

「しないけど」

 兄二人に団子を食い尽くされた記憶がよみがえる。ほんとうに男どもは自由だ。自分のしたいように動く。

 深町はいつものように研究テーマの進捗を語り出した。

 きっと誰も聞いてあげないのだなと思った渚は黙って聞いていた。

 はじめは相槌を打ったりしたが面倒になった。フォークの切れ味も今一つだ。

 ナイフとフォークで食べるバーガーはなぜか味が薄く感じられた。フレンチフライまで薄味だ。

「……湿気しけてるし」

「そうだね、塩味もきかせすぎだね」

「え?」

 その後も深町は自分のことだけを語った。

 新鮮な体験をしたと渚は思うことにした。



「それでお月見する約束はしなかったの?」

 バイト先の千代田ゼミナールでフェロー仲間をしている菜穂子なほこに訊かれた。

「そんな話出ないわ」

「ここに比べたらとても健全ね」菜穂子は笑う。

「彼は自分の世界から出ないから」

 受験生をサポートするために現役の大学生がフェローをしている。ここはその控室だ。大学も様々だが今日も色気づいた鳥がさえずっている。いや、狼の遠吠えか。

「藤尾さん、合コンのセッティングだけど……」

「お断りします!」明鏡めいきょう大四年の梅田うめだに対して強い口調で答えた。

「だよね~」梅田はあっさりと引き下がり、次の女子に声をかける。

 菜穂子が笑いをこらえている。

「あ、藤尾さん」

 また来た。今度は二つ年下、叡智えいち大一年の中野なかのだ。中野は馴れ馴れしくタメ口で喋る。「この後、お月見しない?」

「良いところ知ってるの?」

「うん、絶景だよ。月見バーガーのクーポンがあるのでたまには奢るよ」

 お前もか!

 菜穂子がとうとう噴き出した。

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【月見】の誘い はくすや @hakusuya

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