第10話

「それが朝霧の出した答えだね?」




 穏やかに優しい、桐生らしい声。

 だが、オレに向けられた顔は桐生らしくなかった。

 笑顔だった。けれど、笑っていないと感じた。

 感情がないのではない。むしろ溢れるように宿っている。

 伝わってくる感情とそぐわないだけで。




「隣においで、朝霧」




 桐生がオレを、宿直室のベッドへ手招く。

 にっこりと笑う桐生から迫る無言の感情に、オレはわずかに躊躇した。

 しかし今更引けない。覚悟を決め、桐生の隣に腰掛ける。

 掛け布団は存外柔らかく、勢いよく座ったオレはバランスを崩しかけた。




「おっと、危ないよ」




 桐生がオレの腰を抱き寄せる。

 慣れた仕草に感じた。こいつは見目がいいから…きっと、経験豊富なのだろう。

 高身長、高学歴、顔面偏差値上位、性格は穏やかで優しくて気遣いができる。

 こんな良物件が未婚なことを不思議に思った時期もあった。




 オレに恋をしただなんて、実は冗談なんだろう?

 それとも、オレに同情されたくなくて、脅しで言ったのか?




「朝霧、ゆっくり深呼吸して。

 力を抜いていてね」




 優しい、優しい声。

 ぞくっとした。

 背中に走ったのは、

 悪寒。




 こいつの笑顔が言っている。




『 ツ カ マ エ タ 』




 ぺろり、と桐生の舌が首筋を這う。オレは上げそうになる声を飲み込んだ。

 ぞくぞくする。恐怖なのか別のものなのかわからなくなる。

 ぎゅっと目を閉じたら、視界が閉ざされた分、桐生の息遣いと、首を舐めるかすかな水音が明確に聞こえ、下腹部が熱くなった。




 

「息をつめないで。ゆっくり深呼吸して」




 ずぶ…と、首に牙が刺さる感覚。

 最初だけちくりとするが、その後は痛覚が麻痺するようで、痛くない。

 桐生の犬歯が肉を割り裂いて、奥へ沈み込む。ゆっくり、ゆっくり。




 くそ…!

 きもち、いいっ…!!




 首から脳髄へ、下腹部へ、火花が散る。暴力的な快感が飛ぶ。

 体が震える。堪えられない。息が漏れる。オレの呼吸は、高熱のように乱れていた。

 体が、あつくて、どろどろに溶けていく。

 前回は、訳も分からず思考が飛んだ。

 今回は、やたらすべてがはっきりしていて、快感までもが明確で。




 ぴちゃ、ぴちゃ…ぴちゃ。

 首筋の水音が大きくなる。

 血を吸われている…。

 頭のどこかで、もっと、と叫ぶ自分がいる。

 冗談じゃない。理性でそれを吹き飛ばす。

 行為をはき違えるな、朝霧令一。




 オレは桐生を、吸血衝動の苦しみから解放したい。

 それがオレの望み。オレの願い。

 快楽が欲しくて望んだんじゃない、そこは絶対に誤解されたくはない!!




「終わったよ」




 目を閉じたまま耐えていると、桐生のささやきが耳に吹き込み、オレは飛び上がりそうになった。

 傷跡の治療も、いつの間にか済んでいるようだ。

 ふー--…と、オレは深く息を吐いた。

 一回目ほどじゃない。いろいろ頭が回る。副作用らしき欲求も、ギリギリ我慢できる。

 早くトイレに駆け込みたい。




「落ち着いた、か、きりゅう」




 ああ、ダメだ。喋ろうとすると舌がもつれる。

 副作用だけじゃないんだ、桐生。

 血を吸われることそのものが、される側には、おかしくなるほどの快楽なんだ…!!




「お陰様でね」




 桐生は笑顔のまま、優しく俺をベッドに押し倒した。




「!?」



「朝霧。僕はちゃんと言ったよ。

 君が好きだと。

 恋人という意味で欲しいと思っていると。

 性的な目で見ていると。

 そんな相手の前で、そんな顔をして、息を荒げて耐える朝霧を、

 じゃあね、って解放するほど、僕が聖人に見えたの?」




 桐生の笑顔は、捕食者のそれ。

 穏やかだった桐生は、羊の皮を脱ぎ捨てた。




「何も知らない朝霧に手を出すほど、僕は最低じゃない。

 けれど、全部知った上で、朝霧が選んだ選択なんだから」




 ちゅ、と桐生が、さっき嚙んだ首筋にキスをした。

 ぞくぞくぞくっ、と何かが駆け上って、オレは危うく暴発しかけた。

 ぺろ、と舐める。首を、また。

 噛む気はないのだろう、犬歯はしまっている。

 だから、通常の歯と唇で甘噛みして、ついばんで、舐めて。




 やめろ、さっきのを思い出し、て、あの感覚、が、




「うっかり野良猫に餌を上げた罰は、受けてもらわないとね」




 桐生の唇が、つうっと降りて胸元をなぞった。

 同時に、右手がオレの下腹をさわさわする。

 唇も手も、わざとのように、敏感な部分を避けている。

 桐生の唇は熱いのに、手の温度は冷たくて。

 すぐそこに触れてほしい部位があるのに、届かなくて、届いてくれなくて。




 桐生の指先がオレを翻弄する。




「ぅあっ…!?」



「イってないよね?

 うん、お利口さん。

 もう少し我慢しようね、朝霧」




 桐生は的確にオレを翻弄し、感じるのに達せないギリギリに触れては、手を引いてしまう。

 何度もせりあがっては達せない繰り返し。

 オレはもう、声を抑える余裕はなかった。



「いい声。もっと鳴いて、


 可愛いな、朝霧…。

 もう、頭まわらなくなった?

 僕のこと見えてる?もう余裕ない?」



「みえ、てる…」




 見える。

 初めて見る男の顔が見える。

 性に上気して紅潮した頬、欲情に輝く瞳。

 コンタクトがなければ、きっと真っ赤で美しいだろう瞳。

 押し倒されて気づいた体格差。桐生の肩幅は広くて、厚くて、この雄々しさは普段の優男ぶりで隠されていたのだろう。




 桐生はオレと目を合わせ、にこっと笑った。

 捕食者の顔でもあり、なぜか、満たされたように幸せな笑顔でもあった。




「ァ…--、ッ-----!!!」




 なにもかもが、わからなくなって、白くなって、……引いていく。




「……、………」



「しばらく動けないと思うから、ここで休んでいて。

 他の先生にはうまく言っておくね」




 余韻でまだ、断続的に震えるオレにやわらかに声をかけ、桐生は立ち上がった。

 オレの顔を間近で覗き込んでくる。

 桐生はなぜか、オレの口を手のひらで塞いだ。

 大きくてごつごつした手だった。



 桐生は目を閉じて、自分の手の甲に口づけた。

 手のひら越しのキスだった。




「今回のこれは、僕に同情した罰だよ。

 次こそ、答えを待ってる。

 僕を拒絶するか、受け入れるか、考えてね。朝霧。

 どっちつかずじゃ、僕もどう接していいかわからない」




 オレの服を直してゆく桐生は、いつもの、普段の桐生のように見えた。

 でも、この姿は羊の皮だと知ってしまった。




「しばらく、ゆっくりおやすみ」




 宿直室を出ていく足音、閉まるドアの音。

 オレはそれを聞きながら、気絶するように眠りについた。




 赤い目の獣を。

 拒絶するか。

 受け入れるか。




 獣は、闇の向こうで、答えを待っている。




つづく

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2024年9月20日 21:00

同僚がヴァンパイア体質だった件について 真衣 優夢 @yurayurahituji

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