第9話

 桐生の言葉は真剣で切実だった。

 だからこそ、すぐに返事はできなかった。




「……今も、きついか」




 どうにか言葉を選ぶ。

 桐生はゆっくり頷いた。




「砂漠の真ん中で、一口だけ水をもらったような気分。

 でも、楽になったから、我慢すれば吸血衝動の一週間を抜けられると思う。

 一日か二日、有休を使うことになりそうだけど」




 本気なのか冗談なのか、桐生は笑った。

 いつもの桐生。穏やかな笑顔。

 こんな時でもお前は笑えるのか?



 どくん、どくん、とオレの心臓が鳴る。

 オレが血を提供すれば、桐生はすぐ楽になれる。

 しかし、またアレが。オレはああなって、きっとまたああされて、それは……




「朝霧に伝えたいことがあるんだ」




 動けるようになったのか、桐生は身を起こし、ベッドに腰かけた。

 具合が悪そうなのは相変わらずだ。




「人間から吸血すると、意図しない副作用があると解ったでしょ?

 あれの処理は、友達がする行為を超えているよね。

 だから、朝霧が僕を友達と思っているなら、僕はできない」



「…だが」




 反論しようとするオレを笑顔で遮り、桐生は衝撃的な発言をした。




「僕は朝霧のことが好きなんだ。

 同性の友達ではなく、恋人になりたいという欲求がある。

 四年間、黙っていたよ。これからもずっと黙ってるつもりだった。

 こんなことがなければ、一生言わずに、友達の立場をキープしたかった」




 ???




 脳が情報を受け入れ拒否する。




 今、オレはなにを言われた?




 もしかしてオレは、人生初の告白とやらを受けたのか?

 それにしてはロマンチックではなく、ドラマチックでもなく、場所もシチュエーションも微妙というか。

 すべてが微妙というか。

 違う!そういうことじゃなくて!

 オレは男だ。桐生も男だ。

 桐生、お前、どうかしたのか!?




「ふふ、驚いてるね。

 僕は、性的対象に性別を選ばないんだって言われたことがある。

 そういうのにこだわらず、個人を愛するんだって。

 ずっと君を想っていたよ。

 恋ができなかった僕が、初めて君に恋をした。

 世界で一番、大切にしたい人なんだ」



「う、あ、え」



 かああー--っと顔に血が集まって熱を放つ。

 桐生、ちょっと待ってくれないか。

 オレの思考が、いろいろ機能停止している。お前、どういう、桐生、



 告白されたことは理解できていて。

 誰かに好きと言われたことが、とんでもなく恥ずかしくて。

 いつもの穏やかな笑顔の桐生が、まともに見れなくて。




 だが。桐生は男だ。




 オレはぼんやりと、いつか結婚して家庭を持つと思っていた。

 相手を想像もしなかったけれど、家庭を持つというのは相手が女性ということで。

 つまりオレは、男性とそういう関係を考えたことがなくて。

 桐生は、この職場で数少ない友人で。いや、オレの人生の中でも、稀有なくらいに心を許す友人で。

 尊敬していて、憧れていて、だからこそ悔しくもあったオレの理想で。




「男に好きだといわれるのは、衝撃的だよね」




 桐生の言葉に、オレは反射的に頷いた。

 それがどういう意図か気づかずに。オレは今まさに、衝撃を受けて動揺しているから。

 男に告白されたのに、さほど嫌ではない、というか。

 他の男なら、睨みつけて毒を吐き、蹴り上げるくらいはしただろう。

 でも、桐生だったから。

 嫌ではない、というか、嫌ではなくて、でも桐生は男で……




「だから朝霧。

 僕にこれ以上、同情しないでほしい。

 最初は朝霧も好奇心だった。僕もありがたいと思ったし、はじめての人間の血が朝霧だってこと、役得とか思っちゃってたよ。

 お互いに、ああなると知らなかったからやったことだよね?

 あの行為は、心が通じ合った相手とするものだ。

 朝霧にとって、僕に触れられたのが初めての性接触なら、忘れてほしい。

 ちゃんと恋をして、好きな人とするべきだよ」




 …………。

 ん?

 オレは今、告白されて、直後にフラれたのか???

 オレはまだ何も言ってないのにか!?

 確かに、イエスとかノーで今すぐ答えられるものではないけれど!!




「だから、今すぐドアから出て行ってくれると嬉しい。

 僕も忘れる。この部屋であったことも、生物準備室であったことも。

 これからも、いい同僚で、いい友達でいたいから。

 僕に同情して、血を与えようとしてほしくないんだ」



「…………」




 なんだか無性に腹が立ってきた。

 なんなんだこいつ。

 オレの貴重な人生初告白をかっさらって、即座に拒否りやがって。

 オレの意見も意志もまるっと無視しやがって。

 お前は大切な友人だ。人付き合いの悪いオレに、根気よく寄り添ってくれたのはお前くらいだ。

 ウサギ小屋で奇行を見た時も、きっと訳があると信じた。

 ヴァンパイア体質なんて突拍子もない話を聞かされても、こいつは嘘は言わないと思った。

 お前を丸ごと受け入れたオレの思いを、同情なんて薄っぺらな言葉で纏めるな。

 お前と友人やって、六年だぞ!?

 決して短い時間じゃないだろう!!




 そうやって笑って、全部なかったことにして、お前はオレを突き放すのか?




 オレはネクタイを引き抜いた。

 たどたどしくシャツのボタンを外すと、指が引っかかって一個ちぎれて飛んだ。

 シャツの袖を片方だけ抜き、左の首筋をあらわにする。




「朝霧っ!」



「同情とか、友情とか、恋人とか、好きとか!

 好き勝手言いやがってこの野郎!!

 オレは器用じゃない、そんな難問、即答できるか!!

 お前の言い分は聞いた、今度はこっちが言わせてもらう。


 御託が長い!!!

 お前はつべこべ言わずにオレの血を吸え!!

 今、お前を理解してやれるのはオレだけだ。

 副作用は、…っ、自分でどうにかすればいいんだろ!?」




 桐生は、これ以上ないくらい目を見開いた。

 わずかにずれたカラコンの下は、やはり、血のように輝く真紅だった。




つづく

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