小ネタ 桐生という男の過去
僕は、気がつくといつもひとりだった。
それは仕方がないことで、それは当然のことで。僕は笑顔ですべてを受け入れることにした。
せめて笑っていよう。
まわりの人を穏やかにできるように笑おう。
笑顔で、それ以外の感情を封じてしまおう。
そんな風に思ったのは、まだヴァンパイア体質であると気づいていない、とても幼い頃だったと思う。
幼稚園のスモックに身を包んだ僕は既に、穏やかに笑うことを身に着けていたから。
「なあ、桐生。
お前、自分の母親を…榊さんを恨んでいるか?」
理事長の大山 萬太郎(おおやま まんたろう)さんは、僕の後見人だ。
大山さんが会社の社長として現役だったころから、ちょくちょく僕の様子を身に来てくれた。
僕は大山さんの養子ではない。恩人ではあっても、家族ではない。
小さな僕はそれをきちんと理解していて、大山さんに甘えることはほとんどなかったと思う。大山さんも忙しい人で、なかなか施設に足を運べなかったし。
「母さんを恨んでなんかいませんよ。
僕が望まれた子どもだって教えてくれたのは、大山さんじゃないですか」
僕は穏やかに微笑んだ。
名前くらいしか知らない母親、小宮山榊(こみやま さかき)。
彼女がシングルマザーになった経緯はわからない。だから父親も不明のまま。
凛とした美人で、頑固で、芯の強い人だったと大山さんから聞いた。
なんでも、大山さんは僕の母さんに片思いしつづけていたらしい。
いくら大山さんがバツ3で独身だといっても、僕の母さんは、けっこう年下になるのでは?
そこは、大山さんが沈黙を守り紳士的に接したことで許そうと思う。
「まったくお前は。
金銭的支援は惜しまんと言っているのに奨学金を選ぶし。
儂からの援助は、どうしようもない時しか受けてくれんし。
その頑固さ、間違いなく榊さん似だ」
「だったら光栄です。
僕の中に、母さんの血が流れている証拠みたいで。
大山さんこそ、僕の存在を許せなくなったことはありませんか?
僕を産まなければ、母さんは助かったんでしょう」
「まさか、馬鹿を言うな」
大山さんは、わざとらしく頬を膨らませて拗ね顔をした。
おじいちゃんといっていい年なのに、この人は。
こういう仕草は子供みたいだ。
「確かに…うん、何度か説得した。それも話したな?
絶対に産むと言い切ったのは榊さんだ。
病院でも手を尽くして、榊さんが助かるように頑張ってくれたんだ」
母さんは、子どもを産むには体が弱かったらしい。
出産で死亡するリスクが高すぎた。
お医者さんも大山さんも反対したのに、母さんは、おなかの子ども…僕の性別がわかってすぐ、桐生と名付けてくれたそうだ。
身寄りのない子どもを残していくのは無責任だと思わなくもない。
けれど僕は、命をくれた母さんに感謝している。
生きていなければ、できないこと、知らなかったことがたくさんある。
母さんが中絶を選んでいたら、僕はこの空が青いことも、緑が美しいことも、季節も、世界そのものを知ることがなかった。
さみしいとは思う。
病院のお医者さんの頑張りで、母さんは一度意識を取り戻し、僕を抱いて幸せそうに母乳をふくませたのだという。
その数分間が最初で最後。母さんは眠るようにこの世を去ったと聞いている。
「榊さんがあんなに愛した子を、恨むようなことがあるか。
まあ…うん、桐生は孫だな、孫。
女に生まれていたら嫁にしたんだが!」
「孫と例えた年齢の相手を嫁にするのは、ちょっとどうかと」
僕は親の愛というものを知らない。
知りたくて、本をたくさん読んだ。絵本の中には、母親や父親が出てくるものもあった。
僕はそれを知識として理解し、こういう存在が世の中にいて、自分にはいないと受け入れた。
施設の職員の皆さんは、皆、優しくてあたたかい人だった。
親の愛は知らなくても、僕は人間愛をたっぷり受けて育った。
学校では、施設の子、といじめられたこともあったけれど、僕はそれを恥じなかったので、いじめはいつのまにか止んだ。
僕は、僕を支えてくれる皆さんを、後見人の大山さんを、僕なりに愛していた。
養子縁組の話は、何回か舞い込んだ。
僕は奨学金を狙っていたから、成績は常にトップクラスで、性格も穏やかだったから。
でも、僕はそっと、職員さんにお願いした。
僕より先に、別の子を紹介することはできませんか、と。
養子縁組はとても難しいものだ。相性もある。簡単にはできない。
養子になる側も、申し出が来るのは非常に稀なこと。大きくなってからは特に。
たくさんの養子縁組の成立を見送った僕は、少しだけ知っていることがあった。
最初に面談した子の顔を見ると、養親は、この子が自分の子になるかもという期待のまなざしを向ける。
それは特別な感情で、運命と錯覚させるに等しいもので、二回目以降はあまり見られない。
一度失敗を経験していると、養親は値踏みする目になる。
だから僕は、最初の一回は、他の子に譲ると決めていた。
僕は見送る側となり、親ができた子たちが幸せになるよう心から願った。
僕は、親を知識で知ったから、そんなに必要ではないから、大丈夫。
十三歳になった僕は、初めての吸血衝動を起こし、夕方の公園で動けなくなった。
理解できない衝動に恐怖し、苦しさに震え、このまま死んでしまうのかと思った僕に、小さな合図が送られた。
合図のほうを振り返ると、ホームレスらしきおじいさんが立っていた。
「まさかと思ったが、ボウズ。あれに気づいたか」
「うん…」
「苦しいだろ。その辺の動物を持ってくるからそれで凌げ」
「どう、ぶつ…?」
初めての吸血相手はカラスだった。
恐ろしかった。こんなもの投げ捨ててしまいたかった。
おじいさんが羽を布で巻き、嘴と足を縛って暴れないようにしているカラス。
おじいさんに教わるままに、僕は泣きながら吸血した。
やっと飢餓の苦痛から解放され、僕はまた泣いた。自分が怖かった。
おじいさんは、怖がることはない、と僕の頭を撫でた。
それはボウズが人間である証だと。
ヴァンパイア体質は、人間からしか生まれないのだと。
ヴァンパイア体質は、血縁者の中の誰か、あるいは先祖に同じ体質持ちがいることが多く、文献などがこっそり伝わっていることが多いと聞いた。
それをもとに対応できるはずだから、勇気をもって家族に相談してみろと言われた。
僕は、家族はいないと答えた。
おじいさんは驚いて、それから、僕の頭をぐしゃぐしゃになるまで撫でて。
たったひとりで生き抜く術を教え込んでくれた。
僕は大丈夫。
たくさんの人に愛されて、たくさんの人に支えられて、生きている。
だから、僕はこの幸せを、誰かに返したい。
そうだ、知識だ。
僕は本を読み漁り、知らないこと、経験できないことを学んだ。
僕が進学を諦めなかったのも、制度を知って、それに見合う学びを重ねたから。
教える側になれたら、僕は、恩を返せるかな?
知識を求める子どもに、適した知識を。
知識を知らない子どもに、やさしく知識を。
学ぶことの面白さを。生きるための知恵を。
幸せに過ごすための方法を。
そういうものを、教えられる人になりたい。
僕は勉強に勉強を重ね、公立の大学に合格した。
奨学金で入るのだから、公立しか狙えなかった。
僕は大学でも勉強だけするつもりだったが、驚くことに、僕の見目はいいほうだったらしい。
いつのまにか伸びた身長は、189cmということにしてある。180の桁でいたかった。
顔は、美人だった母さんに似たのだろうか?よくわからない。
恋人としての誘いを何度か受けて、僕は基本的に断らなかった。
もう相手がいる際には、丁重に断った。同時に二人を恋人にする気はなかった。
穏やかな笑顔で恋人の話を聞くと、喜ばれた。
デートプランは、勉強と同じ要領で下調べし、エスコートしたら喜ばれた。
僕から誘うことはなかったけれど、自然とホテルへの流れになることも多かった。
知識も行動も、うまくできたはずなのに。
僕は、うまくできただけだった。
肝心の愛情がわいてこない。友人と恋人の境目がわからない。
大切にしたい身近な人、という以上に、情熱のようなものを感じない。
『私のことなんて愛してないんでしょ』
だいたいそんなセリフで恋人は去って行って、しばらくすると、また次が来た。
僕は拒まなかった。
求められているのは嬉しかった。
たとえ、僕が愛せなかったとしても。
知識も行動も、うまくできるのだから。
ある日、ゼミの友人に強引に連れられた先は、変わったバーだった。
新しい世界を教えてやるよ、なんて言った友人がカウンターに座る。僕もならって座る。
ヴァンパイア体質は肉体が頑強だから、アルコールに酔うことはほとんどない。
このバーは、マスターも店員も、全員の性嗜好が同性なのだという。
驚いたか、という顔をする友人に僕は「素敵だね」と笑顔で返した。
こんなふうに、性嗜好を自然と受け入れてもらえて、心地よい雰囲気でいられる場所はいいなと思った。
友人は驚いて、「お前ってゲイなのか」と聞いてきたから、「そういうわけじゃなさそう」と、正直に答えた。
店のマスターは微笑んで、僕の話をうまく聞き出してくれた。
「お客様の性嗜好は、パンセクシャル寄りではないでしょうか?」
「パンセクシャル?バイセクシャルではなくて?」
「近い意味でとらえられ、混同されることもありますよ。
耳馴染みのない言葉かもしれませんね。
バイセクシャルは男女とも性対象として感じられる思考。
パンセクシャルは、性別の垣根がそもそもなく、性別よりも個人を愛する思考です。
パンセクシャルの方にとって、性別によって恋を分けることはないのですよ」
「へえ…」
その後、バーに誘ってきた友人にホテルに誘われた。
ああ、なるほどと思った。彼は、僕の性嗜好を見極めたかったんだな。
断ることなく応えた。
やはり、今までの恋人と変わらず、大切にしたい身近な人であるだけだった。
性別が違ってもうまくやれた自分の器用さに感心したくらいで。
その友人は、数か月もしないうちに別の恋人を作って離れていったが、僕はさして気に留めなかった。
僕は、なにかおかしいのかな?
世の中はこんなにも恋が欲しい、愛が欲しいと、流行りの歌でも叫んでいる。
僕にはどうでもよくて、来たら応えるだけのもの。
そのうち飽きてくれるから、それまでは誠実でいる関係性。
友人の一件があってから、恋人を申し出てくる相手に男性も増えた。
うん、どちらも差異を感じない。
マスターが言っていた、性別の垣根がない『パンセクシャル』は、こういうことなのかな。
誰とも恋ができなかった僕が初めて恋をするのは、まだずっと未来のこと。
教師になって、転任して、私立アヤザワ高校に赴任し、二年の歳月を経るまで、訪れない。
小ネタおわり
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