第3話 述懐

――バカ


 テレビの報道を見ながら麗桜うららは無意識にそうつぶやいていた。

 高校時代にお世話になった先生が逮捕されたニュース。

 本来ならこれは、麗桜のスキャンダル報道になっていたはずなのに。


「滝川容疑者は宮本麗桜さんの所属事務所に対して、拉致誘拐の犯行を宣言。通報を受けた警察が滝川容疑者の住所を特定し、今回の逮捕に至りました」


 アナウンサーが読み上げるニュース原稿が麗桜の部屋を無味乾燥に流れて行った。




 ★ ★ ★




――ねえ、先生。せっかくだし、何かお礼させてよ


 それは私からの提案だった。


「お礼なんて要らないよ。教え子が立派に育ってくれるのが教師の本懐なんだから」


“ホンカイ”ってどういう意味なのか、思わず聞き返してしまった。先生はやっぱり先生なんだなって思った。


――先生、本当に付き合った経験ないの?


 女っ気の全然ない人生だったと先生は自嘲気味に言った。

 色恋沙汰みたいなものには全然興味なく過ごしてきたし、女性にモテるなんてこともなかった、と。


――なんか意外。先生ってモテるんだろうなって思ってた。


「その感想こそ意外だよ。生徒から人気がないっていう自覚ならあるけれど」


――でも、麗桜は先生のこと好きだったよ?


 先生は本当に意外そうな顔をした。

 たしかに先生は愛想のいいタイプではなかったし、授業も厳しめだったから、一部の生徒に不評だったのは事実だ。


――恋したいって思ったことないんですか?


 こんな質問、生徒時代にはストレートには訊けなかったなぁと思う。


 先生は今年で30歳。同年代の友人知人の結婚式に呼ばれる機会も増えてきた。

 恋愛なんて別にしなくてもいいとは思っていたけれど、ふとした拍子に、本当にそれでよかったのかと自問することもないわけじゃなかった。

 そう先生は語った。


「こんなこと言うと引くとかもしれないけど、このままだとキスの1回も経験したことない人生になるからな」


 先生は、笑ってくれと言わんばかりに表情を崩したが、私はまったく笑おうとは思わなかった。


――ねえ、先生


 先生とお酒を飲みに行けるようになった。高校時代とは違う先生の顔を見れて嬉しかった。そして何度目かの酒の席で漏れ出た先生の嘆きを、私はチャンスだと捉えてしまった。


――麗桜、滝川先生とだったらキスしてもいいよ


 先生は驚いた顔をした。

 私も顔が熱かった。


――さっき言ったじゃん? 麗桜、先生のこと、好きだよ?


 何でもないことのように平然と言おうとしたのに、声が震えてしまって、ちょっと恥ずかしい。


「好きっていうのは、教師として好きってことだったんじゃ……」


 私は恥じらいのせいで、先生を真っすぐ見られなかった。


――キスしてもいいって思えるくらいには、先生のこと好きだもん


 噓をついた。

 キスしてもいいなんて嘘だった。“してもいい”じゃなくて、“したい”って思ってた。キス以上のことだってしたいって思ってた。


「酔ってるよね?」


 酒の力を借りたから言えた部分もあったけれど、でも、もう酔いなんて吹き飛んでいた。


――じゃあ、酔わずに“キスしてください”ってお願いしたら、キスしてくれますか?


 今度は先生の顔を真っすぐに見つめてお願いすることができた。




 ★ ★ ★




 こんなことなら、キスくらいしとくんだった。

 あの直後、先生はキスしようとしてくれたのに。


 先生の顔があと10センチ、あと5センチと迫ってきて。

 ドキッとした。先生の吐く息にさえ、ときめいた。

 さっきまで一緒に呑んでいたチューハイの匂いが鼻をつく。

 別に、酒臭いと思ったわけじゃない。むしろ先生の匂いを間近に感じられてドキドキしたのに。


――待って。歯磨きしたい


 直前になって、そんな言葉が口から飛び出してしまう。


「いま、酒臭いって思ったでしょ?」


 思ってなかった。むしろ嗅覚レベルで堪能しようとしてた。


――麗桜は先生が酒臭くても、全然先生のこと好きだけど、麗桜は先生に臭いって思われたくないから


 言い訳にならない言い訳をして、洗面所に向かう。


 後から振り返れば、あの瞬間が分岐点だったのかな。




 ★ ★ ★




「炎上してるね、これは」


 歯磨きしてから戻ってきたとき、先生はスマホを触っていた。

 これまでに見せたことが無いくらい、深刻な表情をしていた。


――炎上?


 炎上しているのは、ほかならぬ麗桜自身だった。

 先生と食事をしている写真、住んでいるアパートの建物に一緒に入っていく写真。

 それらがSNS上にアップされ、瞬く間に拡散されていったらしい。


 アイドルにとってはスキャンダル。


 動揺して手から落としそうになったスマホが、狙いすましたようにブルブルと震えだす。


――マネージャーからだ


 事務所のマネージャーから電話がかかってきて、麗桜はすがるように先生を見つめてしまう。先生に助けを求めたってどうしようもないはずなのに。


 でも、その瞬間の先生の表情からは、さきほどの深刻な顔つきが消えていた。


 先生は黙って私の手からスマホを奪い取る。


――え!? 待って、せんせ……


 喋ろうとする麗桜の口を手で塞ぎながら、先生は「静かに」とだけ一言命令する。

 そして麗桜の代わりにスマホの応答ボタンをタップする。


 あまりの早わざに、何が起きたのか理解が追い付かなかったほどだ。


 先生は一瞬にして、アイドル拉致の犯人になった。




 ★ ★ ★




「協力してもらってもいいかな?」


 事務所からの電話を切ると、先生は淡々と告げた。麗桜の反論も抵抗も、先生は聞き入れなかった。


 アイドル活動に関して、事務所との契約には恋愛禁止条項が定められていた。違反があった場合には契約解除のうえ損害賠償を求められる。


・私生活において、ファンとの親密な交流、交際はしないこと。


 事務所に入ったとき、説明されたことは覚えている。2人きりで会ったり、写真を撮ったりすることもNGだという説明を受けた。

 そんなことは分かっていたけれど、でも、先生は先生であって、ファンとは違う。

 それをどこか心の中で言い訳にしていた。


 先生と会う行為は「密会」として炎上した。

 性的行為はなかったけれど、先生の家にまで行ったのは事実だ。高校時代の恩師と会っていただけだと弁明することはできるけれど、その言い訳がどこまで通用するか。

 いずれにしてもアイドルとしてのイメージダウンは避けられない。そしておそらく事務所からは違約金を請求されるだろう。


 先生は自ら泥をかぶることによって、そのスキャンダルを覆い隠した。

 先生はに私を拘束して、その姿を撮影した。その映像をにした。


 こうして先生はアイドル拉致の犯人になった。

「密会」行為は誘拐被害に置き換わった。

 麗桜は高校時代のがあるから断り切れず、家に連れ込まれたになった。




 ★ ★ ★




――罪な人だ


 麗桜は報道を流し聞きしながら思う。


 ちゃんと償ってほしい。

 今もなお、麗桜の心はあの人に囚われてしまっているのだから。

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人気アイドルになった元教え子を拉致してしまった 白早夜船 @shirabaya_yofune

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