第四共和国総統ヴィットーリオ・アルトゥーロは世界帝国の夢を見る

和扇

総統にして大元帥、偉大なる我らが指導者ヴィットーリオ・アルトゥーロ、彼こそは世界を統べる資格を持つ今世、いや史上初の指導者であって世界は彼n(以下略

「カルロッタ君、我が共和国は今日も素晴らしいな!」


 年の頃四十過ぎ、軍服を着た茶色短髪の中肉中背の男。彼は革靴を鳴らして赤じゅうたんの廊下を歩き、整えられた顎髭を弄りながら隣を歩く黒髪の女性秘書官に同意を求める。


「ええ、そうですね。情勢不安に隣国との領土問題、前大戦の借款の返済で国家財政は火の車。なのに我らが共和国の総統にして大元帥にして偉大なる以下略の、誇りだとかの為に維持された過剰な陸海軍で財政は破綻寸前。実に素晴らしいと思いますよ」

「そうだろうそうだろう、はっはっは」


 秘書官カルロッタの嫌味を華麗にスルーして、共和国総統指導者ヴィットーリオ・アルトゥーロは腰に手を当てて大仰に笑う。彼の耳にはカルロッタの言葉の最初と最後しか聞こえていない。


 イスカリア共和国。古くは王の下で世界を制覇していた誇り高き国、しかしその姿は今は無し。政治腐敗やら軍事クーデターやら世界大戦の大敗北やらでボッコボコ。何度目かの無駄で無意味な民主主義選挙によって成立した共和国は、他国から第四共和国と呼ばれている。


 その頂点にして民衆の声の代弁者たる人物こそが、偉大なる総統アルトゥーロだ。


 民衆から『もう国はどうにもならんから、とりあえず他の連中より一ミクロンだけマシなコイツを選んでおくしかない』という素晴らしき理由で、二位よりも三票多いという圧倒的得票差によって勝利した男である。


 彼は誇りに溢れ、かつての大帝国を目指して国家運営に精を出していた。


「さぁてカルロッタ君!今日の予定はどうなっているかね!」

「はぁ……。はい、お答えします、我らが偉大なる総統閣下」


 面倒くさそうに溜め息を吐いて、実に投げやりに優秀な秘書官は答える。


「午前中は長らくドックで建造中だった最新鋭戦艦フォルテ級一番艦フォルテの進水式に参列します。その場でスピーチをして頂きますのでご準備をお願い致します」

「うむうむ、スピーチの準備は万端だ!皆を感動させ、我らが共和国の技術力の偉大さを示してくれようではないか!」

「十年間も建造中だったせいで他国と比べたら鼻で笑われる泥船ですが、ええ、期待しております」


 抱えるようにして持っていた書類を見つつ、カルロッタは言った。各国に派遣した諜報員から得た情報と比べると自国の最新鋭艦は型落ちも甚だしい。戦場で真正面から衝突したならば、碌に打撃も与えられずに沈むのが関の山である。


「午後は!午後の予定はどうなっているのかね?」

「……チッ。はい、お答えします、我らが偉大なる総統閣下」

「ん?いま何か聞こえた気がするが」

「気のせいでしょう」


 秘書官の言葉をそのまま受け取り、総統アルトゥーロは納得した。とても素直で良識ある善人、彼がそういった人物である事が僅かなやり取りだけでよく分かるというものだ。


「昼食後は陸軍の射撃訓練の視察を行います。くれぐれも以前の様にテンションを上げて銃口の前に立たないようにして下さい。今度こそ身体中に穴が開いて蜂の巣になりますので」

「なあに、大丈夫さ!もし万が一誤射されたとしても、神に愛された私には弾丸は届きはしないのだから!」

「その根拠のない自信は見習いたいと、部屋の隅の塵くらいの比重で思いますね」

「是非、手本としたまえ。はーっはっはっは!」

「はぁ……」


 自身に都合の悪い事は全て聞こえなくなる。総統アルトゥーロは素晴らしい聴覚を有していた。何を言っても無駄であると理解していると同時に、彼がそういう奴だという事を良く知っているカルロッタはせめてものストレス発散に毒を吐き続けるのだ。


「その後は執務室にて各種陳情の処理となります」

「ふむ、そうか」

「今日は他に業務は有りません、絶対に逃がしませんので覚悟して下さい」

「お、おやおや、私がいつ逃走したというのだね?」

「私の記憶違いでなければ昨日、引き留める親衛隊を振り切って市街地まで脱兎のごとく走っていった人物がいらっしゃったと思いますが」

「なんと!誰かね、そんな事をした者は!」

「さあ?ご本人が胸に手を当てれば分かる事であるかと存じます」


 けしからん、と総統アルトゥーロは鼻息荒く憤った。彼には強い正義感があり、第三者の視点から客観的に物事を見る事が出来るのだ。総統アルトゥーロは非常に質が悪い……もとい、素晴らしい人物なのである。


「そうだ、連合に送った外交官からの報告は来ていないかね?農産物の輸入に関する協定締結が目前であったと思うのだが。我が共和国国民を飢えさせるわけにはいかない、すぐにでも調印を済ませねばならん!」

「豊作過ぎてむしろ輸出が必要なんですが……。はい、お答えします、我らが偉大なる総統閣下」


 現状を何も理解していない彼に変わって、全ての事を把握している優秀な秘書官カルロッタは答える。


「先方は一転して乗り気ですので本日中には締結できるかと。まあ当然と言うか、別に譲歩する必要も無いのに関税ゼロで輸入するとかいう頭のオカシイ事を提案したせいで、連合が困惑して足踏みしていただけですから」

「そうかそうか、それは何よりだ!彼らにも私の国民への思いが届いたようで嬉しいね。そうだ、お礼に我が国の鉱山の採掘権を譲渡―――」

「お言葉ですが偉大なる総統閣下、先に帝国に渡しております」

「しまった、忘れていたよ。覚えていてくれてありがとう、カルロッタ君!」


 忘れるわけがない、カルロッタは呟いた。国家財政を支える柱の一つである地下資源。それを生み出す金の卵を一つ、何の躊躇もなく大盤振る舞いしたのだから。気前が良くて伊達男、それが総統アルトゥーロなのである。


「今日も仕事が一杯だ、頑張らねばならんな!」

「はい、その通りです。正直を申しますと何もせずに寝ていてくれた方が百億倍楽に国政が進みますが、一応は指導者ですので頑張ってください。これ以上余計な事をしないで貰えると助かりますが、どうせ無意味な望みだと理解してますので好きにして下さい」


 諦観を露にする秘書官に気付く事なく、総統アルトゥーロは執務室のドアノブに手を掛ける。


「さあ行こうではないか!我らが祖国が再び世界を制するために!共和国に栄光あれ!」


 彼は扉を勢いよく開いた。


 開けっ放しだった窓から風が吹き込み、執務机の上に山積みにされた書類が宙を舞う。それはまるで、世界に舞い降りた天使の羽根を思わせるような白だった。


 こうして秘書官カルロッタの仕事が一つ、増えたのだった。

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