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『花火大会に行かない?』

 そんな、簡潔なメールを送り付けた。相手はもちろん、彼女──カオリだ。そろそろ貯めてきたお金を切り崩しにかかるところだったので、突発的に連絡先を聞いたのだ。ついでに、まだしていなかった自己紹介も済ませた。老婦人の駄菓子屋でカオリと呼ばれていた覚えはあるが、逆にこちらの正体はまだ明かしていないし、連絡先を交換するまでステップを踏むなら、流石に名前を知らないのは危ないだろう。そういうわけで、年齢、名前、好物などを喋ったのだ。

 カオリは、偶然にも俺と同い年だった。好物はスイカ。高校は街から少し離れたところに通っているそうで、部活には所属していないらしい。地元の様子から見れば明らかではあるが、カオリの実家も農業を営んでいるそうで、仕事を手伝うことが多いのだと苦労の滲む言葉を放っていた。

 実家が実家だからか、カオリは子供用の携帯しか所持していないのだと言った。

『本当は欲しいけど、でもスマホって熱中しちゃうらしいからいいかなって』

 その熱中している最たる例が、自分の目の前で語っている男だとは思いもよらないだろう。いや、内心地味に皮肉も混じっているのだろうか。その仮定が正しいとなると、カオリの洞察力には脱帽する。

 さて、そんなわけで連絡先を交換したものの、特段連絡することは無かった。自分も部活が忙しくなって、カオリも稲の収穫が近いとこの前会った時に言っていた。それぞれがお互いにやるべきことをやっていたら、日は瞬く間に過ぎ去っていった。

 カオリのことを忘れたことは無かった。否、稀によぎる『彼女』の面影が重なって、二重の存在を放っているように思えて、忘れることなんて到底できなかった。心の中では、潜む苦痛に顔を歪めていた。乗り越えるのを容易にしたくなかった。だけど、『彼女』を罪悪感という名の鎖に繋がれたままにするのは、気が引けた。そのような複雑な想いが雁字搦めになって、無関係であるカオリまでも巻き込んでいるこの現状を、打破したかった。そういうモヤモヤを晴らすには、どうしたら良いだろうか──その答えを示したのが、学校帰りに目にした『花火大会』の文字だった。

 花火大会には、『あの子』と行ったことがなかった。正確には、行くはずだったと表現するのが良いだろうが、この際はどうだっていい。カオリは、『あの子』とは違う。それを脳でも、体でも、心でも刻みつけるために、カオリと花火を見たいと思った。

 返信は、思ったよりも早く来た。

『行く! 都会、気になるし』

 都心に近いというだけで都会の定義に括られるかは分からないぞ、と忠告しようと思ったけれど、文面からにじみ出る高揚を邪魔するのは憚られた。結果的に、『乗り過ごすなよ』とだけ送っておいた。


 花火大会当日。駅前は見渡す限り、人、人、人。人で溢れている。何とか噴水の一部分を勝ち取ったものの、一人でショルダーバッグを提げて棒立ちする様子は、傍から見れば哀れ極まりないものである。仕方ない。メールが来ればスマートフォンを開くが、それ以外で暇を潰すのも落ち着かなくて断念した。

 賑わいが一段と増してきている頃、まだかまだかと待ちくたびれた俺の元に、明るく通る一声が鼓膜を揺らした。

「お待たせ」

 小走りでやってきた彼女を見て、どきりとした。青を基調とし、花が描かれた浴衣を身にまとった彼女は、いつものように髪を一束に結ぶのではなく、編み込みを加えた華やかな髪型で現れた。恥じらいながら微笑をこぼす彼女を目の当たりにした周辺が、どよめいている。

「すげー待った」

 未だバクバクが収まらない心臓を隠すかのように、冷たく返せば、「ほんとごめん」と素直に謝罪を口にした。あまりにも申し訳なさそうにするので、もういいってば、と宥める。

「じゃあ何か買う! 何がいい?」

「えっいいの?」

 素朴な反応をすると、綺麗な顔が台無しになるほど、カオリは顔を顰めた。

「帰りの心配とかしてくれないんだ」

「や、なんか、余裕そうだから」

 図星をつかれて、狼狽えながら言い訳を言語にすれば、カオリは黙ってしまった。呆れを通り越してしまったか、と思って彼女の顔を見ると、頬がほんのりと赤く染っていた。

「え、かお、」

「うるさい、行くよ! ってどこ行けばいいの!」

 ぷんぷんとしている風に装いながらも、カオリは真っ赤な耳を隠せていなかった。ちょっと可愛らしい部分もあるんだな、と意外に思った。

 駅の噴水に俺が到着してから一時間。ついに会場へと歩き出した俺たちは、他愛もない会話を重ねていた。

「どこで見るの? まさか、席押さえてる?」

「無理無理。高いし。ちょっとした穴場に行こうと思って」

「出た穴場スポット!」

 カオリは、穴場という場所の存在がかなり気に入っているらしい。そういえば初めて出会ったときも、丘に連れていかれたことを思い出した。

「ちなみに、屋台あるよね?」

「あると思うけど。何か食べる?」

「いや、そっちこそ何か食べたいのないの?」

「別に。カオリがあるなら行くよ」

 そんな押し問答を繰り返していると、屋台が立ち並ぶ通りに出た。焼きそばにベビーカステラ、たこ焼きにりんご飴といったお馴染みのものがずらりと軒を連ねているのに、カオリは目を輝かせた。

「私かき氷食べたい!」

「初っ端から甘いものかよ」

「いいじゃん別に」

 購入したかき氷の屋台はシロップがかけ放題だったからか、カオリはこれでもかというほど赤いシロップをふんだんに氷にかけて味わっていた。

「冷たくて美味しい!」

 幸せそうに頬張るので、自分も食べたくなってきてしまった。しかし、ここでお金を使うとお小遣いとの収支がままならなくなるのが目に見えている。結局俺はカオリが味わうのを眺めて、味を想像して欲を満たしていた。

「ごちそうさま。そろそろ行く?」

「ああ、後ちょっとで始まるし、行こうか」

 緩やかな傾斜の上り道を歩いて、急な高さの階段を慎重に登る。屋台通りから歩いて十分弱で着いたその場所は、夜空に散りばめられた星々が見えるほど、壮観な風景を目にすることが出来た。

「すっごく、きれい」

 思わず魅入っているカオリの横顔が、『彼女』を彷彿とさせた。

 ──ちがう、カオリは。

 首を横に振ろうとした瞬間、ドン、と大きな音が町中を轟かせた。身体中に、稲妻が叩きつけられたような感覚が走った。呼吸が、一瞬だけ止まった。花火の光が、カオリの横顔を照らした。

 カオリは、違うはずだった。なのに、ずっと固守してきたその考えが、花火と共に散っていった。



「花火大会行こうよ」

 部活の帰り道。隣を歩いていた少女が、思い出したかのように言った。

「ええ、めんどくさい」

 軽くあしらおうとした俺に対し、少女──ナツキは、不貞腐れた顔をした。

「暇でしょ。行こうよ」

「それなら、」

 その続きを紡ごうとして、咄嗟に抑えた。恐らく、別のやつと行け、と言おうとしていた。それは、嫌でも避けたかった。ナツキのことが、好きだったからだ。

 ナツキは小学校に上がったぐらいには、その存在を認知していた。いわゆる、幼馴染の類に入る。高校に上がった今でも仲が良い異性がいるとは思いも寄らなかったが、ナツキのひたむきに前を向く姿が、憧れだった。それは次第に、恋心へと変化していた。

 花火大会に、好きな人と行くのは誰しも理想に掲げるし、誘われたら喜んで行くだろう。が、思春期真っ只中の俺は、小っ恥ずかしくてわざと冷たく当たってしまった。こんなことは日常茶飯事といっても過言ではなく、そしてナツキがそれを分かっているのか分かっていないのかも分からず、ただ曖昧に会話をするだけの関係性をズルズルと引きずっていた。

「何でもない。仕方ないから行くよ」

「なにそれ、上から目線だな」

 不平を口にするものの、自暴自棄にならず、笑って許してくれたナツキに、恋をしていた。


 その日の夜、俺は花火大会でナツキに告白することを決めた。だから花火大会の日は浮かれ足立って浴衣を着て、駅前の噴水でナツキを待っていた。

 一時間、二時間、三時間して、ドンドン、という音が鳴った。花火が、打ち上げられていた。背後に光る大きな花を見上げようとした瞬間、ポケットに入れていたスマートフォンがけたたましく鳴った。表示された名前は、母だった。

『ナツキちゃんが、交通事故に遭って』

 その言葉の先は、覚えていない。

 あの後、どうやって病院に行ったのかも覚えていない。

 ただ、冷え切った薄暗い部屋に、嗚咽が洩れていた。そして、白い布を被せられた何かが横たわっているのを、呆然と見ていた。


 ナツキと、同じ大学に行く約束をしていた。

 ナツキと、花火を見ようとしていた。

 ナツキに、伝えるはずだった。


 それは、ぜんぶ、花火のように綺麗さっぱり散っていった。

 けれども、目前に、カオリが居た。火花から発せられる光が、カオリの横顔を照らしていた。それが不意に、ナツキと重なった。存在しない、ナツキと花火を見た記憶と。

 抱き締めたい衝動を殺して、下を向いて湧き上がる感情を抑え込んだ。違う、違う、違う。ナツキじゃない。ナツキじゃないのに、ナツキだと信じたくなってしまう。そんな愚かな自分こそ、死ぬべきだった。

「ねえ」

 夜空をバックに、カオリが俺の方を向いた。彼女は、ふわりと花が咲いたように笑みをこぼした。

『「ずっと友達でいようね」』

 俺は、それに、なんて返したんだろう。都合の悪いことばかり、記憶から抜け落ちていく。ただひとつ脳裏に刻みつけられたのは、顔を歪ませて、カオリが瞳からこぼれ落ちるのを堪えながら、『馬鹿』だと言い放ったことだけだった。

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盛夏の灯影 ゆのみ @cha_pa_28k

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