2
片手に切符。片手にスマートフォン。黒いリュックサックを背負って、俺はまたあの田んぼ街を訪れていた。容赦なく太陽が照り付けるアスファルトから、限界値を超えた熱がじわりと溢れだしている。そんな道を歩く気にもなれなくて、改札を出たところのちょっとした木陰で立ち尽くしていた。あの少女はまた来るだろうか、なんて期待を抱きながら。
それはやはり淡い期待で、太陽が南を通って、しだいに影が大きくなっていく。時計の長身が三を指したころ、不意にため息をこぼした。交通費を無駄にして落胆したのではない。折角来たのだからまた縁がないだろうか、という自分の甘い考えにあきれたのだ。
もう帰ろう、と改札に切符を入れようとした、そのとき。
「いた!」
聞き覚えのある声に、入れかけた紙切れを落とした。それを拾い上げる前に、ばっと声の方向に体を向けると、見覚えのある自転車に跨っている少女がいた。帽子を被っているから顔はよく見えないものの、会って二度目だというのに、俺はそうだと判断した。
そうにしても、感動の再会というには首を傾げたくなるし、抱きつきにいくのは明らかに不審者になる。けど、何かしないとこの湧き上がる感情を処理しきれなくて、苦渋の末にぶんぶんと首を縦に振った。たちまち彼女が吹き出した。
「ホント面白いね、きみ」
自転車を止めた彼女は、何故か棒立ちしていた俺の横を通り、落ちた切符を拾って渡してくれた。ありがとう、と口にすると、素直すぎてヤダ、と突き放された。人間の感情とは難しいものである。
「今日は何しに来たの? また乗り過ごしちゃった?」
彼女の問いかけに、しばらく考え込んで、浮かんだ回答のうちの一つを採用した。
「暇だった」
笑いを堪えきれない彼女は、半ば浅い呼吸を繰り返していた。
「きみ、いくつなの」
「高二だけど」
「ええっ、友達いないの?」
「いるけど、別に連れてくる理由ないし」
ふうん、と微々たる軽視を浴びるが、どうってことはない。率直に言えば、一人の方が落ち着くのだ。友人と話すのも楽しいけれど、どうしても、後ろめたさがこびり付くのもあった。──俺が、ここで笑っていいのか、と。
「まあいいや。じゃあ今日はとっておきのお店に行こう」
こくり、と頷くと、彼女は再び軽く荷台を叩いた。何と有難いことに、座布団が敷いてあった。
「痛いかなって思って」
思ったより気が利くのか、と思うと、口に出ていたのか、肘で鋭く突かれた。痛かった。
サイクリングは、自らが漕ぐのも爽快感があるが、こうして二人乗りをすると背徳感もセットになって妙な気分になる。その気分が、もう癖になりかけていた。彼女は暑いアスファルトの上を精一杯進んでいて、申し訳ない思いを抱きつつ、ゆったりと荷台の上で寛いでいた。
「着いた、よっ。はあ、あっつい」
「お疲れ様」
声をかけると、ハッとしたのち、彼女が迫ってきた。
「というか、きみが漕いでくれたって良かったのに!」
「漕いでよかったの?」
「別に、使い古したヤツだし。あ、運転荒いとかある? あるなら嫌だけど」
「俺にどんなイメージ持ってるのさ」
「うーん、荒くて雑そう」
会うのは二回目だと言うのに、歯に衣着せぬ物言いにガックリと項垂れる。さらに悲しいかな、その評価は的確だったのだ。人の内面は案外わかりやすいものだ、なんてどこかで言っていたけれど、本当にそうかもしれない。
落ち込む俺を無視して、彼女が小さな店の中に入っていく。それに気付いてから、俺も急いで店内に入っていった。
「こんにちは」
彼女の明るい挨拶が、木造の小さな建物に響く。数秒遅れて、「あら、カオリちゃんじゃない」と落ち着きのある声が耳に入った。カサカサと鳴ったかと思えば、裏から現れたのは老婦人だった。穏やかな笑顔が、まるで実家のような感覚を与える。
老婦人は少女と俺を交互に二回見たのち、まあ、と愉快な表情を浮かべた。
「男の子じゃないの」
「ねえ、違うって。そんなんじゃないよ」
「あらそうなの? 勿体ない」
何故か俺を見て発言したので、なんともいえない感情が湧き上がった。そんな俺の思いもさぞ知らず、少女と老婦人は店内の駄菓子を見てああだこうだと談笑している。
「これ、カオリちゃんよく買ってなかった?」
「私? 覚えてないな」
「ああ、もしかしたら」
そこまで声に漏れて、老婦人は言葉を続けるのをやめた。「どうしたの?」と彼女が問い掛けるが、焦った様子で「なんでもないわ。人違いだったみたい」と捲し立てた。
違和感は覚えたものの、何か言えない事情だろうと察して追及はしなかった。彼女も、恐らく同様の理由で、それ以上は何も触れなかった。
結局、買ったのはラムネ一本ずつ。彼女が二人分の小銭を手にしたから、思わず遮ると、「大人しく奢られて」と言い返された。本当は高校生たるもの自分の分は自分で払いたかったが、彼女の大人びたセリフには良い反論が思いつかなかった。それに、実は交通費でかなり財布を軽くしているので、有難く奢ってもらうことにしたのだった。
「はいどうぞ」
「どうも」
蓋を開けて、冷えた瓶を右手に持ち、透明な炭酸を流し込む。口いっぱいに広がる甘さに追随して、ほのかな炭酸が舌を刺激する。甘いのはそれほど得意じゃなかったが、ラムネは嫌いじゃなかった。小学生の頃は、『彼女』とビー玉をどうやってとるか、なんて試行錯誤したのも懐かしい。
「うーん、取れないもんだね」
悩ましげにする彼女の手元を覗くと、どこからか持ってきた棒で、ラムネの中央に鎮座するビー玉をつついていた。
「なにしてんのさ」
「ビー玉取れないかなって」
「蓋取ればいいだろ」
冷静に告げると、はあ、と大きなため息をつかれた。誠に心外で、なんだよ、とつっけんどんになると、彼女はますます残念がった。
「夢も希望もない意見は募集してませーん」
「いや、だって取れないじゃん」
肩を竦めたと見れば、顔を上げた彼女は、俺にしっかりと視線の照準を合わせた。
「絶対出来ないなんて分かんないよ」
その台詞は、脳幹を揺るがす衝撃だった。嫌に心臓が跳ねて、吸った酸素が変なところに入りそうだった。
『絶対出来ないなんて決めちゃダメだよ』
温厚な『彼女』が、唯一口を強くして言っていた言葉に、酷似していた。
あのときも、空は、晴れていたような。
「ねえ、ちょっと。大丈夫?」
心配そうに彼女が顔を覗き込んだところで、意識を何とか取り戻す。まあ、と歯切れ悪く返して、残りのラムネを口にした。ぬるくなったそれは、ひどく絡みつくほど、不快な甘さだった。
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