魔法使いと猫の案内

 入学初日は、式典と明日からの授業についての説明だけで終わった。夕方になると、クラスメイトたちは、各々連れ立ってクラブの見学や食堂へ向かっていった。

 校舎と同じ建物の地下は、大広間と食堂になっている。イオリーは場所を確認したあと、談笑する生徒たちを横目に一人校舎を出た。

 イオリーは、クラブ活動や食事よりも先に行きたい場所があった。


 ――そうそう! まずは、図書館!


 校舎内地図を確認したあと、期待を胸に、いそいそと目的の場所に向かったが、イオリーは自分の身長の二倍ほどある大きな扉の前でがっくりと肩を落とした。


 入口に『休館日』と看板がかかっている。外観は宗教施設のような幻想的な出立ちで、曲線系の古びた石の壁面には、幾何学文様が彫られている。所々ひびの入った壁に長い歴史が感じられた。

 セラフェンの王宮を丸ごと複写して作られた学校だが、図書館は王宮にはない建物だ。元々、この土地にあった建物なのか、あるいは、イオリーの曽祖母が作ったものなのか。いずれにしても、建物も内側の本も、貴重な資料には変わりない。ここの学生にならなければ、触れることさえできないのだから。

 イオリーは、壁一面を覆い尽くされた色とりどりの背表紙に思いを馳せる。


「もー職務怠慢だよ、トレニア先生!」


 おそらく入学式の日に、わざわざ図書館に来るような生徒がいないから閉められているのだろう


 イオリーは、仕方なく真っ赤な夕日を背にして、今日から生活する東の塔――寮に向かった。

 入学式の前に荷物を送ってもらった際、自分の部屋が一階だというのは分かっている。


(でも、東の塔の一階、それしか知らない)


 遅れて到着した罰なのか、とにかく親切じゃない。

 無論、彼らの言い分は分かる。魔法使いなのだから、場所くらい自分で探せばいい。便利な魔法の杖を一振りすれば、光が導いてくれる。探し物を魔法で見つけるのは、近代魔法の初歩の初歩だ。

 しかし、イオリーは、その近代魔法の初歩を学びに学校へ来たので、そういった、他の生徒たちが、普段使っているような「簡単な魔法」が使えない。


 イオリーが使えるのは、村で教わった古い魔法だけだ。

 目の前にそびえ立つ七階建ての塔は、薄暗闇の中、まるで監獄のような出立ちだった。中に入ると、生徒たちは食堂にいる時間なのか、しんと静まりかえっている。玄関の燭台には火が灯されていて、外の雰囲気ほど重苦しくはなかった。

 ドアの前できょろきょろと中を見渡しても、鼠取りのために、この塔で働いているであろう黒猫しかいない。黒猫は火の入っていない談話室の暖炉の前で我が物顔で寛いでいた。


「あの猫ちゃんに聞くしかない、か」


 身元がバレる危険があるので、古代魔法は、外で使わない約束を家族としてきた。けれど周囲に人がいないなら別に問題ないだろう。

 イオリーは猫の前に膝をついた。


「やぁ、こんばんは、俺の名前は、イオリー・オーキッド。今日からここに住むんだけど、猫ちゃん、俺の部屋知らない?」


 そう言って猫に挨拶すると、赤い絨毯の上で寝転んでいた猫は、頭をもたげグリーンの瞳をイオリーに向ける。


『あー、あなたね、今年の新入生で罰ゲームの部屋になった住人は』


 自身の魔力を使って猫と言葉を交わすのは、魔法使いの血がないとできないことらしい。イオリーはハンプニーの村に生まれて、その血を受け継いでいた。


『あたしと話ができるってことは、あなた、魔法使いの血を持っているんでしょう』


 猫は観察するようにイオリーの周りをくるくる歩き回る。


「そうだね」

『魔法使いになる学校で勉強なんかしなくても、あなたは魔法使いでしょう』

「んーと、俺、勉強が好きで」


 動き回る黒猫を抱き上げると、歯を見せてにこり微笑んだ。猫は抱き上げられたのが気に食わなかったらしく、肉球をほっぺたに押し付けて、イオリーの腕から床に降りてしまった。


『抱っこは嫌い』

「ごめんね」

『魔法が自由に使えるのに、魔法学校に入るなんて、変な生徒ね。まぁいいわ、あたしはルーナ。イオリーついてきて、案内してあげる』


 二階に続く石の螺旋階段。そこの横の長い廊下。談話室から遠ざかるほど暗くなっていく。

 先を歩く黒猫の後ろをついて廊下を進むと、ほどなくして突き当たりの部屋にたどり着いた。階段下の部屋だ。


「ルーナ、なんか部屋のネームプレートに、物置って書いているんだけど」

『物置だからね』


 部屋に入ると、ネームプレートに書かれている通りの部屋だった。


「毎年、入学式前日に、あの暖炉の間で一年生がパーティをするの。そのゲームの最下位の生徒が、一人物置部屋ってわけ。だから罰ゲームの部屋なの」

「なるほど、よく分かった」


 不参加だったイオリーは必然的に残りの部屋になったのだろう。


『その部屋、あたしの寝床だから、毎日、鍵は開けておいてよね』

「えぇ、それは不用心だなぁ」

『一人暮らし初めてじゃない? 同居猫がいると、楽しいわよ』


 ルーナのグリーンの瞳が、ウインクしたように見えた。一人部屋が寂しくて困ることはなさそうだ。


「お気遣いありがとう。せっかく寝てたところ邪魔してごめんね」


 イオリーはそう言ってルーナの頭に優しく触れた。


『いいのよ。どうせ、そろそろ、生徒が帰ってきて談話室が騒がしいから、起きて外へ行くところだったの。じゃあね』

「うん。またね」


 長い尻尾を揺らし、くるりと後ろを向いた黒猫のルーナは、高い声でにゃーと一声鳴いた。イオリーの魔法が解けたのだ。

 魔法学校の案内人だった御者の男が言っていた。運命とか呪いみたいなやつ。それが、イオリーが使う古代魔法だ。便利だがまったくリスクがないわけじゃない。魔力は、体力や精神力に直結している。何かを生み出す代償を払うのは、いつだって体だ。


「あぁ、疲れた。あと、お腹すいたな」


 魔法を使って、急に体が重くなった気がした。田舎のハンプニーから列車を乗り継ぎ、その足で魔法学校を探して、入学式。健康な十五歳の若者といっても、無尽蔵に体力があるわけじゃない。

 部屋の入口の燭台に火をつけると、冷たい石壁の部屋が、山奥の洞窟みたいに温かに見える。埃臭いが生活できないほどではない。


(一階だからだろうか、天井が高いのは、いいね)


 領主の息子が、物置き部屋暮らしなんて聞いたら両親は驚くだろうか。いや、おそらく笑うだけだろう。地位や名誉、プライドなんてものとは、無縁の家族だ。決してえらぶったりしない両親は、村の人たちからも好かれていた。

 魔法は必要な人が必要な時に使えたらいい。古代魔法は人助けに使うものだ。両親だけじゃない、村のみんなも同じように考えていた。

 

 ――古代魔法だけじゃない。


 どちらも、目的は人々のため、と同じ目的で使うものなのに、どちらが上とか下とか決めたがる人がいる。


 イオリーは魔法で届けられていたボストンバッグの中から、紙袋を取り出し、一人座れるくらいの石の窓枠に腰をかけた。袋の中の少し硬くなったパンは列車に乗る前に買ったものだが、いい匂いのままだ。見た途端お腹が鳴った。


「駅のパン、硬くなっても美味しいじゃん」


 部屋の中には、木のベッドや、机。チェストなどが無造作に置かれている。ふかふかの布が敷き詰められた箱は、ルーナのベッドだろうか。あとで入りやすいように少しだけ扉を開けておこう。

 何にせよ、快適に生活するためには、休日に大掛かりな掃除が必要だ。勉強は得意だけど、整理整頓は苦手だ。一体何日かかるのか。


 パンを食べ終わって、夜のグラウンドを見ているときだった。扉を控えめに叩く音が聞こえてハッと我に返った。埃で曇っている窓ガラスには、イオリーが目を見張っている顔が映っていた。疲れていたせいか、長い間ぼんやりとしていて、まだ制服を着たままだった。

 髪にいたっては、昼間、海風に晒され乱れたまま所々飛んでいる。髪が柔らかいせいか、すぐにぐちゃぐちゃになる。

 イオリーは誰だろうと思いながら、髪を撫で付け、その場で身なりを整えた。

 返事をすると、ゆっくりと扉が内側に向けて開く。

 そこには制服姿のオルフェが立っていた。ローブを着ていないので、一度部屋に戻ってからわざわざ来たのかもしれない。


「え、オルフェ……どうしたの?」

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