魔法使いの願い


 講堂での入学式が終わると、生徒たちは列になって外の渡り廊下へと進み教室へと向かう。イオリーは、途中、そっとクラスメイトたちの輪から外れて、校舎入口の壁にかかっている銅板へ近づいた。そこにはセラフェン魔法学校の歴史が刻まれていた。

 王宮と同じ造りの立派な校舎は、遠い昔、ある若い大魔法使いによって一夜にして建てられたらしい。ただ、校長もオルフェも、さきほどの式典で、その「偉大な人物の名」を口にしなかった。


「……どういうことだ?」


 イオリーは入学書類にかけられた魔法に導かれ、異空間に吸い込まれるようにして学内に入った。それなのに広場を挟んだ城門の向こうには、王都の街中や運河その先の港までもが見えている。なんとも不思議な空間だった。一見、自然の摂理、世の理を魔法で捻じ曲げているように見える。ただ実際のところは、他の広大な土地に同じ学校の建物が存在しているのだろう。


 長袖のローブを着ていても涼しく感じることから、北のデンシェイトの奥にある未開の土地のあたりが怪しい。

 間違いなく王都セラフェンとは違う場所にいるというのに、港の潮風が校舎まで漂ってくる。校内の空は、木々が鬱蒼と生い茂る山奥みたいな曇り空。けれど石造りの門より外は、晴れ晴れと眩しい陽気な港町。そのコントラストに、お腹の奥がぞわぞわするというか、なんだか覗き見しているようで落ち着かない。しばらくすれば慣れるのだろうか。


「一体、どんな大魔法使いさまが建てたんだ」


 イオリーは顎に手を当て、朽ちかけている記念碑に書かれた古代文字を解読し始めた。

 他のクラスメイトたちが、正面の大階段を上がっていくのが目の端に見えたが、己の好奇心には逆らえなかった。

 王宮の建物を別の場所にそっくりそのまま複写するなんて、きっと名のある魔法使いに違いない。不可能を可能にした女性、膨大な知識、それを支える強大な魔力量。……ロサ・アベリア。


「えー……ロサ・アベリアって、もしかしなくても、俺のひいばあちゃん。そんなこともしてたのか」


 当の本人からも家族からも、その偉業については聞いていない。おそらく本人以外、誰も知らなかったのだろう。彼女は既に亡くなっている。

 イオリーにとって曽祖母は幼い頃に暖炉のある部屋で一日中、お気に入りの本を読んでいたイメージしかない。銅板に刻まれているような、キレ者の乙女や大魔法使いのイメージなんてものはなかった。イオリーに簡単な魔法を教えてくれたのも彼女で、魔法薬学の研究を志したのも、曽祖母が理由だった。

 いつも彼女が大事そうに指でなどっていた古い植物図鑑。そこには絶滅した、夜に咲く花が載っていた。


 ――ばあちゃんは、それが見たいの?

 ――そうねぇ、ばあちゃんはね、もう思い出の中にあるからいいんだよ。けど、この子が、みんなに忘れられていくのは寂しいわね。

 ――じゃあ、俺が、もう一度、村に、その花を咲かせてあげるよ。

 ――まぁ、優しい子。でもね、優しいだけじゃ、ダメなの。ばあちゃんは、イオリーが覚えてくれているだけでいいんだよ。

 ――俺だけでいいの?

 ――そう、だから、みんなには秘密だよ。今夜一度だけ、ばあちゃんが咲かせてあげる。だから、あなたは、”忘れないで”。


 曽祖母が魔法で見せてくれた、一夜限りの月明かりの下に咲く一面の花畑。イオリーは、その美しい光景を、自分一人だけの記憶にしたくなかった。何より、その花を見つめる曽祖母の横顔が、酷く物悲しげで……。自分の記憶で終わりにしてはいけない気がしたのだ。


 曽祖母の懐かしい名前を見て嬉しくなり、削られた文字を指でなどっていると、後ろから肩を掴まれ、ハッと現実に引き戻された。

 少し前まで生徒で溢れていた大階段の前の広間には、いつの間にか、イオリーと、その肩を叩いた人物しか残っていなかった。

 集中すると、すぐに周りが見えなくなってしまうのは、イオリーの悪い癖だ。


「オーキッド。どこに行ったかと思ったら、何をしているんです」


 そこには入学式の前に、入口で判を押してくれた先生が立っていた。自分のクラスの担任で、ユジ・トレニアという名の、古代魔法学の先生だ。ただ、この学校では、古代魔法を教えていない。式典では図書館司書だと紹介されていた。

 眉間に皺を寄せ、うんざりした顔をしている。初めてあった時も思ったが、感情表現がオーバーで演技がかっている。分かりやすい顔の先生だ。癖なのか薄い顎髭を親指で擦っている。


「トレアニ先生。すみません。この記念碑が気になってしまって」

「まったく、ただでさえ君は騒ぎの元だというのに。面倒ごとは困りますよ。あーもう。君があのまま入学式に間に合わなければ良かったのに」


 大きなため息をこぼされた。どうやら、生徒として歓迎はされていないらしい。


「先生は、俺がハンプニーの村の子って知ってるんですよね」

「あぁ、知ってるよ。当然、君の血筋、お婆さまが、この学校を建てたこともね。そこに古代文字で書いているから」


 トレニアは、そう得意そうに言って、メガネを人差し指でくいとあげた。彼は古代魔法学の分野で、とても優秀な人なのだろう。


「君のような『魔法使いの血』はありませんがね、曲がりなりにも、肩書きは古代魔法学の先生ですから。しかし、皮肉なものというか、なんというか……近代魔法学を教える学校が、古代魔法の大家、ロサ・アベリアの城を学びやとして使っている。まぁ、大半は知らない人ばかりですが。お察しの通り、政治上の理由で、学校側は、あえて、その事実を見ないふりしているんですよ」


「俺も知らなかった。ひいばあちゃんは、俺に、自分のことは何にも、教えてくれなかったから」

「ところでオーキッド、君は、どうして、この学校に来たんです」

「どうしてって?」

「この学校で面倒ごとを起こすのはやめて欲しい。私の仕事はね、毎日、決まった時間に帰れるし、好きなだけ本を読んで遊んでいられる。じつに平和で愉快なんだ」


 あまりにも、欲望に忠実で思わず声を出して笑ってしまった。吹き抜けの高い天井なので、イオリーの声は、よく響き渡る。


「えー先生、そんなの、勉強したいからに決まってるじゃん。俺学生だよ?」


 イオリーの応えに、トレニアは目を丸くして驚いていた。


「……勉強か、愚問だったな。確かに学校に来るのに、勉強以外の目的がある方が変ですね。いつの間にか私も、この学校に毒されて忘れていた」

「政治とか、貴族とか平民とか、古代とか近代とか関係ない。リサーヌ国で一番大きい図書館がここだった。それだけです。先生だって、手段なんてどうでもいいと思っているから、ここにいるんじゃないですか? 本が読みたいって欲望に忠実だ」


 イオリーはニヤリと歯を見せて笑った。


「なるほど、入学の筆記試験、一位通過なだけある。懸命な判断ですよ、イオリー・オーキッド。確かに、ここの図書館は素晴らしいからね」


 自分の管理している図書館を褒められて気を良くしたのか、トレニアは満更でもないという顔になる。

 やっぱり分かりやすい先生だ。



 トレニアに連れられて、遅れて教室に入ると、扉に近い一番後ろの席に座った。正面には黒板と教壇があり、階段状に長机が五列並んでいる。騒がしかった教室が、トレニアが教壇に立つと静かになった。

 周囲を見渡すと、女子生徒も男子生徒も、いくつかのグループがすでにできている。面白いほどに、胸元の家柄の紋章通りに人間関係が出来上がり、小さな貴族社会がそこには形成されていた。

 けれど、そのどの輪の中にもオルフェがいないのが不思議だった。


 窓際の一番後ろに、オルフェが、一人でぽつりと座っていた。イオリーは、両手を顎の下で組み、こっそりと、その横顔を盗み見る。


「――あぁ、入学おめでとう諸君。さて、昨日、既に、寮で打ち解けている者がほとんどだろうが、今日学校に来た者もいる」


 教壇の前に立つトレニアの視線はイオリーに向いた。おそらく、クラスで今日学校に初めて来たのは、イオリーだけだろう。


「改めて、前から順番に自己紹介を」


 黒板のすぐ近くの席には、さっきイオリーを田舎者とからかった三人が座っていた。彼らも、オールトンの出身で、オルフェと同郷だった。オルフェより地位は低くとも、名のある貴族。さっきの様子から、てっきりオルフェと仲がいいのかと思ったが、オルフェは彼らから離れて、一人で窓際に座り、外を見ている。二階の教室の窓からは、昼間の海がキラキラと光って見えた。

 一番後ろの席の窓側にオルフェ、扉側にイオリー。その間には誰も座っていない。


(近くに座るのは、恐れ多い、とか? 俺が詰めて座ったら怒るよなぁ)


 ただ、一人で座っているのに入学式同様、オルフェは常に周囲から視線を送られていた。これでは、勉強中も落ち着かないだろう。有名な貴族の息子も大変だ。

 クラスメイトが名前と、出身地、家柄、趣味などを簡単に話していく中、オルフェの番になった。


「――初めまして。オールトンから来ました。オルフェ・アルメリアです。どうぞよろしく」


 静かに立ち、静かに座る。流れるような動作。

 イオリーは思わず吹き出しそうになって口を抑える。挨拶、出身地と名前だけ。こちらが何かを聞かなければ、何も話さない。昔と変わらず不器用な男のままだった。本当は、もっと愛嬌があって面白いのに。つくづく自分を出すのが下手だ。


「では、最後」


 トレニアに促されて、イオリーは席を立つ。


「はい。イオリー・オーキッドです。既に皆さんご存じの通りの名もなき田舎者です。どうぞよろしくおねがいしまーす」


 見下す視線を一身に浴びながらも笑顔を絶やさないイオリーを見て、くすくすと笑い声が上がる。


「おい、なんで、平民なんかが貴族の学校に来たんだよ」


 何か面白いことを言ってみろと、からかうクラスメイトを、トレニアは、ため息をつくだけで静止することはない。生徒たちの面倒ごとはごめんだ、関わらない、どちらにもつかない、そういう立ち位置。

 別に、イオリーもトレニアに助けてもらおうなんて考えていない。

 イオリーは、自分の夢のために、この学校に来た。それ以外は、おまけだ。

 もちろん、オルフェと楽しい学校生活が送れないと分かったときは、がっかりした。けれど、彼は彼の立場を守らなければいけない。イオリーにだって、彼と同じように、ここでやるべきことがある。


「俺は、絶滅した夜に咲く花を、もう一度咲かせる新しい魔法を作りたい。だから、ここへ近代魔法学を学びに来ました」


 広い教室が、しん、と静まり返った。 

 クラスメイトは「どうして学校に来たのか」という揶揄の言葉に明確な答えが返ってくると思っていなかったのだろう。けれど、イオリーの目的は最初から決まっていた。

 ここ数年、魔法薬学の研究が頭打ち。田舎で手に入る古代魔法の文献は、すでに隅から隅まで読み終わってしまった。


「……そんなこと、できるわけないだろ」


 静かな教室で、ぽつり、と生徒の誰かが独りごちたのが聞こえた。

 イオリーは曽祖母が叶えられなかった。失われた植物を蘇らせる魔法を作りたい。

 生前、彼女がイオリーに見せたのは、記憶から生まれた幻影だ。

 この世界にある魔法とは、元素組み合わせが基本とされている。そして、魔法使いが、それら各要素と魔力を掛け合わせ、治癒、幻影、召喚、変身、転移などを実現させている。


 学会で発表されるような、目新しい魔法も、全ては数多ある組み合わせからできているものだ。

 そして、原則、ないものは、魔法でも生み出せないし、魔力がない者は、持つ者から、奪うか借りるしかない。近代魔法都市で現在使われている『コード』は、『借りる』にあたる。


 ――この世の法則を捻じ曲げてでも、叶えたい夢。


「――なので、みなさんと一緒に、お勉強を頑張りたいと思います」


 イオリーが、そう言って、自己紹介を終わらせ席に座ろうとしたときだった。

 沈黙を打ち破ったのは、唐突なオルフェの笑い声だった。


 その笑い声が、あまりにも……子供の頃、イオリーが笑わせたときと同じ顔だったから、懐かしくて、胸が苦しくなる。昔と違い、変わってしまったけれど、変わっていないところもある。それに気づいて、なんだか泣きそうになった。


 それは、イオリーが、ずっと見たかったオルフェの笑顔だった。

 彼の中に張られていた緊張の糸が、突然切れたみたいだ。口元を抑え、お腹を抱えて、目に涙を浮かべて笑っている。


(……なんだよ、ちゃんと、昔みたいに笑えるんじゃん)


 けれど、自分の真剣な夢を笑われたのは、ちょっとだけ心外だった。一体何が面白かったんだろう。ムカついたので、あとで問い詰めてやりたい。

 多分、それは叶わないだろうけど。

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