親友のままではいられない
灰色の霧が消え視界が開けた。最初にイオリーの目に映ったのは大聖堂だった。そこへ学生服に
城壁の内側には、色とりどりの花々が美しく咲き誇る庭があり、大聖堂、広場、三つの塔や、左右の奥には見張櫓もある。けれど城内には近衛兵や王宮の人間は一人も見当たらない。近くにいるのは魔法書を抱えた先生、制服姿の生徒たちだけだった。イオリーが想像していた都会の学校の日常風景が目の前に広がっている。
王宮と同じ建物、構造のまま、学校として機能している。
なるほど、市街地で、いくら探しても学校が見つからないわけだ。
セラフェンの魔法学校は、王宮と同じ場所にあるが、招かれた人間しか入れない場所にあった。
どこへ行けばいいのだろうと、イオリーが周囲を見渡していると大聖堂の前の長机に座っている先生に手招きされた。
「あぁ、やっとですか。てっきり入学を辞退したのかと思いましたよ。外の案内人から話は聞いています」
灰色のローブ姿の中年男性は、イオリーが手に持っていた入学書類を奪い取ると、面倒臭そうに机の上で合格の判を押した。あまりこの仕事が好きじゃないのかもしれない。
「えっと、どうも。イオリー・オーキッドです。遅くなってしまって。すみません」
「あーほらぐずぐずしない、準備を急いで! 入学式が始まってしまう。早くローブを着る。その君の鞄は寮に送っておくから、ここに置いて」
イオリーは言われるまま、カバンの中から黒いローブを取り出し学生服の上に羽織った。ローブは研究室から適当に持って来たので年季が入っている。今更だが、新入生なのだから、せめて穴が空いていない新しいのを持って来ればよかった。これでは戦地から戻って来たばかりの歴戦の魔法使いのようだ。
持ってきたボストンバッグは、目の前の机の上に置くと、一瞬で消えてしまう。机の上には転移魔法のコードが書かれていたようで『東の塔、一階、イオリー・オーキッドの部屋』と赤い文字が浮かび上がった。
昨日の部屋割りには参加していないが、自分の寮の部屋は決まっているらしい。
転移魔法のコードの中身が気になって、まじまじと目を凝らして読んでいると、唐突に先生が椅子から立ち上がり、イオリーの後ろに向けて手を上げた。
「あぁ、アルメリア! ちょっと、こちらへ来てもらえるか」
「――はい、先生」
それは、よく知っている声だけど、その頃よりは少しだけ低い。けれど、変わっていない。耳をくすぐるような甘く優しい声だった。
知った名前と声に、飛び上がりたくなるくらい嬉しくなって、思わず目尻が下がってしまう。緩んだ顔のまま振り返ると、そこにはイオリーと同じ学生服姿の、――オルフェ・アルメリアが立っていた。
ずいぶんと身長が伸びている。イオリーよりも頭半分くらい高い。整った几帳面そうな黒髪に澄んだ青い瞳。
会っていない間に剣術などを学んだのだろうか、昔と同じで細身だが肩はしっかりして青年に成長していた。
彼と比べたら田舎の学校の研究室にこもってばかりだった自分は、ひょろひょろに見えるだろう。ローブの首元近くには浜簪の花の紋章が入った青い宝石がついている。
イオリーのローブには、古びた金色の紐がついているだけで、家の格が分かるような、紋章の宝石はついていない。
(あぁ、本当立派になっちゃって、いや、オルフェは昔から俺と違って、立派だったけど)
にやけた顔のイオリーの姿を見るなり、オルフェは驚いた猫みたいな目になった。いつも内海の穏やかな水面のように動じないクールな彼が、一瞬だけ表情を歪ませたので嬉しくなってしまう。
旧友との念願の再会なのに、化け物にでも遭遇したような反応をされた。驚くと、まんまるの目になるのは、昔と変わっていない。
すぐに目を伏せて、彼の立場にふさわしい穏やかな表情に戻ってしまったのが残念だった。
「オルフェ・アルメリア。今、最後の学生が到着しました。イオリー・オーキッドです。あなたと同じクラスなので、講堂の座る場所に案内してあげてください」
「承知しました。――オーキッド、私について来て」
観賞用の石像のような無表情に思わず吹き出しそうになる。
「ッ、はぁーい」
「オーキッド。返事は、はっきりと。だらしない人間に見える」
「はい!」
長いまつ毛の三重瞼でひと睨みされて、反射的に肩をびくりと動かした。言われるまま、イオリーはオルフェの後ろについて、重い木扉を手で押し講堂の中に入った。
すでに在校生と新入生合わせて三百人程度の男女が並べられた椅子に座っていた。新入生は前方の席らしい。
天井近くにあるステンドグラスの窓は、市街地の運河と同じようにキラキラと宝石みたいに輝いている。イオリーは、その七色の光を目で追うように周囲を見渡しながら講堂の端を歩く。
「な、オールフェ。なぁなぁ、久しぶり。覚えてる? イオリーだよ」
イオリーは隣を歩くオルフェを覗き込むようにして話しかけた。
「……講堂で私語は慎むように」
「え、なんか怒ってる? 俺、ちゃんと魔法学校に入学できただろ? 勉強だけ、は自信あるからさ」
その言葉には、小さなため息が返って来た。
「いやぁ、でも知らなかったなぁ、昨日、寮の部屋決めとかあったんだな、オルフェの部屋はどこ? 夜に遊びに行ってもいいか? カードゲームとかする?」
「さっき私語は慎めと言ったが聞こえなかったのか?」
「えぇ、式典始まってないし、他のみんなも、まだ喋ってるじゃん」
ローブをはためかしながら半歩前を歩くオルフェに続いて、少し駆け足になりながら、イオリーは後ろに続いた。
「なぁ、オルフェー。学校のこと相談しなくて悪かったって。あ、分かった。呼び方が気に入らないとか? オル? それともオルオル?」
「ッ、お願いだ、オーキッド、少し場所を弁えて」
――苦しそうに吐き出すオルフェの言葉に、少し、残念だなと思った。予想通りだ、とも。
「場所を弁える、か……そっか。オルフェだけは変わってないって、思ってたけど。残念だな」
「違う、イオリー、私はっ……」
「――分かったよ。アルメリア様」
そう、イオリーが家の名前で呼んだときだった。周囲の空気が一瞬、爆ぜたような気がした。昔なら、この場で、延々と説教されただろう。手紙の中の彼と同じように。けれど現実は違った。
イオリーはオルフェから怒鳴られることはなかった。
「アルメリア様ぁ! そろそろ新入生の代表の挨拶の時間ですよ」
生徒の一人が、そう呼ぶと、講堂にいる生徒たちの視線が一瞬でオルフェに向けられたのが分かった。クラスメイトらしい三人の男が駆け寄って来て、彼らはオルフェを取り囲んだ。さながら敵のイオリーからオルフェを守る騎士のようだ。
「……いま行く。すまない、彼は同じクラスのオーキッドだ。私たちのクラスが座る席に案内して貰えるだろうか」
「そんなこと! お願いされるまでもないです。アルメリア様が、平民と話す必要なんてないんですよ!」
「そうですよ。面倒なことは、全部クラスメイトの僕たちに任せて。あぁ、彼、胸に家の紋章もない。どこかの田舎の農民でしょう」
「ほんと誰でも魔法が使えるようになったのは、いいことですが、貴族以外がこの学校に入れるようになったのに僕は賛同できない。そいつみたいに、身分を勘違いした人間が増えるだけだ」
「いや……違う、彼は、オーキッドは」
オルフェが彼らに言おうとしたことが、すぐに分かった。イオリーは慌ててオルフェの言葉を遮る。
「あーアルメリア様、私のような者が手を煩わせて申し訳ございませんでした。席の場所は彼らに訊きますので、私のことなど気にせず、どうぞ」
イオリーはそう言って前方の演壇に手を向けた。
折角、最高の学びの場所を手に入れたのに、オルフェに余計なことをされたくなかった。
イオリーは、さっきのオルフェに倣って同じ作り物の笑顔を貼り付けた。無論、彼みたいに上手にできなかったけど、オルフェの取り巻きを納得させるには十分だった。
そんなイオリーを見て、オルフェは眉間に深い皺を刻む。腹が立って仕方がないみたいな顔をされた。
発展的な学問の街、都会の学校だから、もしかしたら身分や置かれた立場など関係なく、昔と同じように仲良くできるかもしれないと思っていた。オルフェとなら大丈夫だって考えていた。
結局、イオリーは子供の頃と同じで世間知らずのままだったのだろう。
都会の学校も、旧態依然とした魔法貴族社会と同じだと分かった。
イオリーの存在自体が争いの元なるなら「反体制派、ハンプニーの領主の息子」という身分を隠し、平民の子として入学すればいい。
古代魔法が都会で迫害されているのなら、今日まで使ってきた古い魔法は一切使わない。
そう家族を説得し、セラフェンの魔法学校に入学することを決めた。それは己の研究のためだ。ここで国内外の書物にあたり、魔法の知識を深めたい。
あくまで、ここでのイオリーは、近代魔法を学ぶために田舎からやってきた平民という立場だ。
もちろん入学書類にイオリーの家のことは全て書かれているので、学校の関係者は、イオリーがどういう立場の人間か知っている。知った上で、入学を許可されたのだから、政治思想など関係なく純粋に学びたいと考える人たちが集まる学校だと思っていた。
(ほんっ、と、俺、馬鹿だなぁ)
自由に勉強ができる立場は手に入ったが、身分を隠したことで、イオリーはオルフェと自由に話せなくなってしまった。
席に座ったところで、壇上にオルフェが上がるのが見えた。
「……ばーか、君みたいな平民がアルメリア様と話せるわけないだろう」
オルフェの取り巻きらしい生徒に揶揄われた。
「あぁ、残念だなぁ。俺もアルメリア様と仲良くしたかったのに」
「ほんっと、これだから、田舎者は。あ、君のローブ、穴空いているし、新しいローブも買えない貧乏なのか?」
「……あはは、そうかも」
壇上で堂々と公爵家の息子として、挨拶をする彼を眩しく思うと同時に、旧友との楽しい学園生活が叶わないことが分かって、らしくなく少しだけ落ち込んでしまった。
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