寮の部屋と罰ゲーム

 この先、学校生活をしていても関わることはないだろうと思っていただけに、初日に会いに来てくれたのは意外だった。

 イオリーは窓際から離れ、扉の前にいるオルフェのところまで駆けていった。


「どうかしているのは、君だろう。食堂にいなかった。具合でも悪いのか」

「はい?」


 嘘や冗談なんかじゃない。その青い瞳は、イオリーの具合が悪くなったと本気で思っている。

 彼の中で、イオリーは九歳の頃から時が止まっているのかもしれない。

 向こう見ずで、危なっかしい。話に夢中になって、何もない道で転んで膝を擦り剥くような少年のまま。

 そして、自分の立場は、お兄ちゃんだと思っていて、同じ歳なのに律儀にイオリーの世話を焼こうとする。


「あははは、何だよ俺が心配で、部屋まで来てくれたの? そっか、寮督生だもんなぁ、ご苦労様」

「そんなに笑うほどのことか?」

「だって、昼間、あんなにツンケンしてたのに、俺の心配って、おかしー」

「どうして? 君は、私にとって大切な人だ」


 オルフェはそう言って、小さく首を傾げる。


「は、たい、せつ?」


 友人だからと言われるよりも丁寧で、どこか気恥ずかしい。イオリーは思わず顔を赤くしてしまう。


「手紙だけとはいえ、長年親交を深めてきた相手を心配するのは、人として当たり前だろう。それくらいの情はある」


 イオリーが顔を赤くして照れているのに、それに対してオルフェは、それが当然という態度だった。オルフェにとっては友達だという方が恥ずかしいのだろうか。

 確かに、オルフェと知り合ってから一緒に過ごしたのは、期間にして、一週間くらい。

 その後は、手紙だけのやりとりだった。

 都会で彼と過ごした、その濃密な時間が、あまりにもイオリーの中で鮮やかだったから、イオリーはオルフェをかけがえのない友人だと思っている。けれど、オルフェにとって、イオリーは友達という基準から外れているのだろう。

 彼と同郷のクラスメイトたちより、自分が友達ランク下だったらどうしよう! 会えなかった時間が憎い。――なんて、生まれて初めての嫉妬をしていた。


(あーすごく落ち込む。俺ばっか仲良しの友達だって思ってるみたいで)


 イオリーは肩を落とした。


「イオリー本当に大丈夫か? 急に黙り込んで。それでなくとも君は古代魔法を使う影響が……」


 さらに不安そうな声をあげるオルフェに、イオリーは胸の前で両手を動かして慌てて否定した。


「大丈夫! だって! オルフェが会いに来てくれてびっくりしただけ。夕食は、さっきパンを食べた。昼間バタバタしてて食べ損なったんだよ」

「そうか、ならいい」


 そのまま踵を返して出ていきそうだったので、イオリーはオルフェの腕を掴んだ。


「待って! なぁ、なぁなぁ、用はそれだけ? オルフェ」


 イオリーの甘えるような仕草に、オルフェはその場で固まってしまった。

 せっかく来たのだから、二人きりのときくらい、少しのお喋りに付き合って欲しい。

 同じ一人っ子なのに、オルフェは本当に素直じゃない。もっと自由奔放で我儘でもいいのに。高位貴族の息子としての正しい振る舞いを絶対に崩そうとはしない。


「オルー。せっかく会えたのに、まだ帰らないで。あぁ、ちなみにオルフェの部屋ってどこ? 近い? あー大丈夫、遊びに行ったりはしないから約束する」


 返事は返ってこないと思って駄目で元々だったが、これには答えてくれた。


「七階。一番上だ」

「へぇ、じゃあ、昨日のゲームに勝ったんだ? カード? それともチェス?」

「いや、私の部屋は最初から、決まっていた」


 新入生歓迎パーティーでゲームに興じているオルフェも想像できなかったので、しっくりきた。


「さようで」


 せっかく会えたのだから、できるだけ会話を引き伸ばしたかった。ずっと会いたかった友人なのだから。

 友人と思われていなかったのは残念だけど、それなら会えなかった時間を今すぐに埋めたい。なんとか会話の糸口を探そうと頭を動かしていたら、ボソリとオルフェがつぶやくのが聞こえた。


「え、今、何か言った? オルフェ!」

「――どうして、ここに来た」


 イオリーに背を向けたままオルフェは重い口を開いた。


「……どうしてって、教室でも言っただろう。お勉強するのに一番、都合がいいからだ。花を蘇らせたいから。村にある古代魔法の知識だけじゃ限界もあるし……」

「君が、今、どういう立場の人間か分かってるのか」


 振り返ったオルフェは、美しい顔の眉間に皺を寄せ、イオリーの真意を探るように目を細めていた。遊びじゃないなら、イオリーも冗談で彼を煙に巻くつもりはない。


「もちろん、ハンプニーの領主の息子。お前の家とは政敵になるのかな」

「ッ、分かっているなら」


 オルフェの声が震えていた。泣きたいのか怒りたいのか。昼間、講堂でも同じ顔をしていた。イオリーはオルフェに昔のように無邪気に笑っていて欲しいのに。


「オルー、なんで、そんな泣きそうな顔してんだよ」

「イオリーが、馬鹿だからだ。自分のことばかり考えて。勉強などどこでもできるだろう。君の頭があれば、どこでだって、わざわざ騒ぎのもとになるような」

「自分のことだけって、オルフェのことだって考えてたよ。あれからさ、手紙だけだったけど、孤立していく村で、お前だけは、ずっと手紙送ってくれたし、会いたかったのは本当だし」

「君が! 今日、学校に来なければよかったのに。ずっと、そう願っていた」


 大きな声にびっくりして、握っていたオルフェの腕を思わず離してしまった。

 頭が良く、頼り甲斐のある男だと思っている。けれど、その言葉の裏に、子供みたいに傷つきやすく繊細な部分が見えた。しょうがないなぁ、と思いながらも、胸の奥がくすぐったく感じる。ちゃんと、オルフェが言葉の通り、イオリーを大切に思ってくれていると分かったから。


「ひどいこと言うなぁ。そうしたら、俺がオルフェと楽しい学生生活できないじゃん」

「楽しいわけがない。お前が、お前の思うままに振る舞うなら、自由に話すことができない。そんな学生生活を送るくらいなら、会えない方がよっぽど」


 近くにいなければ、手紙のやり取りだけなら、変わらず親しい仲でいられる。

 顔を合わせれば、昔のようにはいられない。


(けど、俺は、遠くで手紙だけのやりとりしている友達より、話せなくても近くにいる方が、いいなぁ)


 会えない友達より、会える友達だ。

 どちらが、幸せかなんて、人それぞれだろう。オルフェにとっては、前者だった


「じゃあ、ハンプニーの村の領主、子爵家の息子として、この学校へ来た方が良かった? そうすれば、お前と会話くらいはできるけど。公爵家の息子、子爵家の息子として、ね。まー俺は良くても、周りは穏やかじゃないだろうなぁ」

「そんなことをしたら、もっとお前のことを軽蔑する」

「だと思った」


 そもそも、そんなことをすれば、学校の外の世界と同じ状況になる。強硬派、穏健派と派閥に分かれ、近代魔法や古代魔法の在り方について、学内で論争に発展するだろう。

 学びやで勉強以外のことに熱心になるのは、イオリーの望むところではない。

 もとより、イオリーは真面目に、ここへ近代魔法を学びに来たのだ。


「ところでさ、なんで、教室で自己紹介のとき俺のこと笑ったんだよ? ちょっと傷ついたんだけど、ぇ?」


 暗い話題を変えようとして、冗談めかして言ったら、オルフェが急に目を見張って抱きしめてきた。

 まったく意味がわからない。ごめんね、のぎゅーだろうか?


「おーい、オル、どうした突然」

「君を傷つけるつもりはなかった。すまない」

「じょ、冗談だよ、別に、怒ってない」


 ぽんぽんと優しく背中を叩いた。


「お前が昔と変わっていなくて、安心して、だから、笑ってしまった」


 なんだか、成長していないと貶されているのに、不思議と嫌な気分にはならなかった。真正面から向かい合ったオルフェの顔は本当に穏やかで、安心している顔をしていた。


「えーオル、一体、俺がどんなふうに変わってると思ったんだ? 怖い化け物にでもなってると思った?」

「イオリーは自分が周囲からどういうふうに見られているか、本当に分かっているのか」


 イオリーのからかいに、オルフェは心底呆れた顔になった。


「ハンプニーのオーキッド子爵の息子で」

「あぁ」


「近代魔法を受け入れず、旧来の古代魔法を重んじている村だから、他の魔法貴族から煙たがられてる」

「間違ってはいない、けど。どうして煙たがられているか、本質が分かっていない」

「どうしてって、だから政敵だから仕方ないって、父さんが言ってたし」

「……本当に、君は頭がいいのか馬鹿なのか」


 呆れたあと頭を抱えられる。艶やかな黒髪がぐしゃりと握られたのを見て、傷んでしまうと手を伸ばした。すると手を掴まれた。


「なに?」

「君は、古代魔法使いだ」

「うん」


 自分の興味のある勉強については、誰よりも詳しいと自負がある。けれど、こと政治に関しては興味がない。誰がどういう思惑で動いているかなんて、正直どうだっていい。

 自分は地位や名誉より、世界中に散らばる魔法の知識を得ることの方が、よっぽど大事だ。


「――私は、時々、古代魔法使いが羨ましい」

「羨ましい? なんで、古代でも近代でも、魔法は魔法だろ? より、適した場所で、必要な人間が、選んで自由に使えばいい、それだけで」

「そうじゃない。私は、イオリーほど、魔法の才能がないから」


 才能なんて、そんな曖昧な言葉で謙遜するオルフェを、らしくないと思った。昔は、もっと才能より努力だと考えているような子供だった。実際、彼は誰よりも努力家だ。

 会わない間に、彼の心の根っこを変えるような何かが、あったのだろうか。


「才能? 頭が良くて、俺より顔もいいのに、才能がない? 笑わせるなよ」

「『魔法』の才能、だ」

「それって、そんなに大事か? 不確かな才能なんてあったところで、それを使う知識を持たなければ意味がない。だから、正しく使える人間の方が、偉いし俺は尊敬する。近代魔法の、そういう考えは俺も好きだし」


 オルフェは首を横に振った。


「魔法を使うには、魔力がないと始まらないだろう。それは明確な差だ」

「そんなの、なければある者から借りればいい。人は、足りないところがあれば、お互いに協力しあって生きていくものだ。俺は村でそう習った」

「……そうだな、貴族の人間も、君みたいな人間ばかりなら、平和になるだろう、だが……」


 オルフェに大きなため息をこぼされた。


「うん。俺もそう思う。だから、俺は、知らないことを学びに来たんだ。お互いを知って歩み寄るのって、大事だよな。平和のためには」

「イオリーとは、政治の話はできないな」

「オルフェとは、難しい話はしたくなーい」


「じゃあ、君は私と何の話がしたいんだ。こんな……魔法学校にまで来て」

「えー最近食べたお菓子とか、空が綺麗とか、どんな花が好きか」

「興味がない」


 改めて言われると、手紙で話していたような話題しか浮かばない。オルフェと対面でしかできない話。

 会話で相手の表情の変化を楽しめるような、楽しい話。あ、と思いついて顔を上げる。


「恋の話はどう?」

「イオリーはあるのか? 私にしたい、恋の話が」


 オルフェに、まじまじと顔を覗き込まれた。言ってみたものの、社交界には縁がないし、研究室にこもってばかりで、交流といえばオルフェの手紙くらいだった。

 初恋も、まだだった。


「ない、な」

「そう、それは、寂しいね」


 にやり、と猫みたいに笑われた。オルフェにとって、恋の話は、機嫌の良くなる話題だったのだろうか?


「なんだよ、その顔。にこにこしちゃって、オルフェにはあるのか? まーそりゃ、あるよな。アルメリア様は、社交界で名の通った有名人だし、引く手数多」

「君は、本当に……人の話を聞かない」


 今度は機嫌を損ねたらしい。よくわからない。でも、相手の表情を見て、よく分からないって思える今が、嬉しかった。だから、魔法学校に来てよかったと思っている。

 オルフェは踵を返してドアノブに手をかける。今度こそ帰ってしまうらしい。


「なぁ、オルフェ、教室で話せなくてもさ、時々は部屋に遊びに来てよ。この通り、物置だけどさ?」


 それには、小さく微笑みかえされただけだった。

 自由に話せなくても、彼の訪問を待つ、くらいは楽しみがあってもいい気がする。

 明日、オルフェのお気に召すような恋の話を図書館で探してみようと思った。

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